5

 水族館のカフェテリアで昼食をとった後、カズキたちは急いで帰りの水上バスに乗った。その時間にはスコールが降っており、窓から見えたビル群は霞の中に消えていた。一方のアナウンスは順番が逆になっているだけで、内容は行きで聴いたものと同じだった。乗客は行きよりも少なく、カズキ達の他には壮年の女性が一人しか乗っていない。


 たくさんはしゃいで疲れたのか、アリスはカズキの肩に頭を預けて寝息を立てている。彼女の体重と温もりを肩に感じていると、カズキは不思議と心が落ち着いた。訳の分からない苛立ちや不安は心を離れ、胸の内が温かくなっていく。これは……なんだ?


「カズキ……?」


 後ろからシャオロンが語りかける。カズキが振り向くと、シャオロンの横顔があった。彼は窓を伝う水滴から視線を動かすことなく続ける。


「今、この瞬間でもまだ『自分は必要なのか?』って考えてるか?」


「それは……」


 否定はできないが、肯定もできない。結局、自分はアリスの不思議な力によって思考停止しているだけなのだ。RINNEが完成し、シェンリー隊が無人化する可能性があるという問題は解決していない。


「全く……鈍いんだよ、お前は」


 シャオロンは大きな溜息をつく。カズキにはその意味が解らない。


「もし、お前が突然席を立って、何処かへ行ってみろ? アリスを支える人はいなくなっちまう。その子はお前の存在に安心しているんだ」


「私に……?」


 シャオロンは頷く。


「カズキさん……」


 シャオロンとは違う、低い男の声が聴こえる。終始無言だった橘が、今日初めて口を開いたのだ。彼は黒縁メガネの奥の、銀色の瞳をカズキに向けてくる。


「どうかお願いです。お嬢様を守ってください。それが出来るのはあなたしかいません!」


「で、でも……ボディーガードは橘さんの仕事でしょう? どうして私みたいなチンピラが……」


「そういう意味で守るのではないのです……お嬢様から伺っていませんか? お嬢様にとって、カズキさんは『幸運のお守り』だという話を?」


 カズキは首を横に振る。そんな話は初耳だ。カズキの様子を見た橘はスッと息を吸い、ゆっくりと話し始めた。


「私たちがこの島に来た日、テロリストの戦闘機に襲われていたというのはご存知ですよね?」


「それなら知ってます。私たちがその戦闘機を追い払ったんですから……」


 カズキの答えを聴きながら、橘は懐からプラスチック製のカプセルを取り出す。喘息発作を鎮めるステロイド薬の吸入器だ。基地にもそれが手放せない職員がいて、彼が吸入器を使うのをカズキも見たことがある。


「お嬢様は、小さい頃から喘息を患っているのです。治ったと思ったら、半年後くらいにまた症状が出るようなことの繰り返しで、もう何年も……どうやら酸素の薄いところで発作が起こりやすいようで、昔から飛行機に乗ることは避けていました。しかし、あの日はどうしてもスケジュールや費用の関係でフェリーを使うことができず、自家用のジェット機でこの島まで移動することになりました。運が悪い事に、戦闘機に襲われている最中に発作が起こってしまったのです。あの日の発作は今までにないほど激しく、この薬でも収まらなかった……」


 吸入器を持つ橘の手は震えていた。彼はあの日の自分の無力さを思い出しているのかもしれない。戦闘機が起こした衝撃波で機体が揺れる中、アリスはテロリストに殺される恐怖と、発作で死ぬ恐怖を二重に味わっていたのだろう。ボディーガードでありながら、そんなアリスをどうすることも出来なかった橘が悔しい思いを抱いていたことは想像に難くない。


「その時、あなた方の戦闘機が見えました。すると、お嬢様の発作も治まったのです。薬の作用が遅れて現れただけかもしれませんが、お嬢様はカズキさんが来たからだと思っているのです……あの日以来、カズキさんはお嬢様の『幸運のお守り』になったのです」


「そんなの……ただのまじないですよ……」


 カズキはアリスの寝顔を見る。彼女は「戦闘機が見えたら発作が治まる」という呪いを無邪気に信じているのだ。


「はい……呪いです。でも、空を見上げればあなたが飛んでいる……そのことが、お嬢様に勇気を与え、励ましてくれたのです。慣れない土地での生活も、新しい人間関係の構築も、中学の勉強も……全てカズキさんがいたからこそ頑張れました。だから、カズキさんにはこれからもお嬢様を見守っていて欲しいのです……」


「でも……」


 「そんなこと出来る訳ない」と言外に付け足す。RINNEに翼を奪われるかもしれない自分に、そんな大事な役目が果たせるのだろうか? 自問しながら、カズキは自分の手を隣で眠る少女の方へ動かす。


「カズキ……」


 さっきまで雨粒を見ていたシャオロンがカズキに瞳を向けてくる。


「解ったろ? お前は必要ない人間なんかじゃない……」


 本当にそうだろうか? カズキは納得できないまま、アリスの手を握る。小さく、柔らかく、温かい手だった。



 一週間後、シェンリー隊は通常勤務に戻る。


 カズキはパイロットスーツを着てブリーフィングルームに入る。パイプ椅子に座っていたシャオロンがウインクをしてきたが、無反応で隣の席に着く。


 メンバーがそろったところで、ハナはブリーフィングを始める。ミッションナンバー、搭載する兵装の種類、飛行ルート……と順を追って説明するが、彼女の態度に停職期間の前と比べて変わっている点はない。カズキを棄てようとする意志も感じられなかった。


 1100時、カズキとシャオロンは離陸。海上に設置されたレーダーブイの捜索範囲の穴を埋めるようなルートで哨戒飛行。天候は曇り気味で、レーダー波の反射率が鈍い。パイロットの目も動員して周辺海域を見張る。


 ルートの半分を消化したところで、アラートが鳴り響く。


「何ッ⁉」


〈後方よりミサイル八ッ! クソったれッ!〉


 増槽を切り離し、回避機動。編隊が解かれる。雲の中から飛び出した四発のミサイルは、ハイエナの群れのようにカズキを追う。ジャミングで誘導を妨害するとともに、フレアを散布。ハイエナたちはデコイに食らいつき、なんとかミサイルを振り切ることに成功した。


〈カズキッ! 後ろだッ!〉


 無線でシャオロンが叫ぶ。カズキが振り向くと、以前見たものと同じ塗装のキラークラウンがこちらを狙っていた。間違いなくレッド・クイーンの所属機だ。


 カズキはロックから逃れるために急旋回。敵機は逃すまいと追いかける。レーダー照射を受けていることを知らせるアラートがけたたましい。


 鼓動が早鐘のように鳴る。パイロットスーツの内側が、じっとりと汗で蒸れる。カズキが冷静さを保とうとしても、身体は背後に迫った危険に反応し、怯えているのだ。


 額を伝った汗が目に入り、カズキは思わず瞼を閉じる。すると、闇の中に白く丸い横顔が浮かび上がった。水族館で見た、アリスの横顔……なぜ今この状況でアリスのことを思い出しているのだろう? カズキが自問した瞬間、アリスがこちらを向き、口を動かす。


『カズキさん……生きて帰ってきて……』


 瞼を開けたカズキはHMDに「味方機・ミサイル発射」という表示を見る。


「……ッ⁉」


 スロットルを開いて急加速。敵機と距離をとる。次の瞬間、後ろから閃光が差す。バックミラーにはエンジンを破壊されて墜ちていくキラークラウンが映った。


〈カズキッ……無事かッ⁉〉


 シャオロンは今にも泣き出しそうな声で尋ねる。


「シャオロンが来てくれたおかげで無傷だよ……大丈夫だから、そんな声出さないで」


〈そうか……良かった……〉


 僚機がホッと息をつくのを聴きながら、カズキはHMDの表示のことを考える。


 あの表示は、RINNEが以前の問題を修正し、新しく追加した機能だろう。そう考える方が合理的だ。シャオロンはこの間のカズキと同じく、味方機に警告をしなかった。RINNEがそれを伝えなかったら、カズキはミサイルの爆発に巻き込まれていた可能性が高い。あんなに毛嫌いしていたRINNEのおかげで、カズキは命拾いしたのだ。


 しかし、カズキはさっきの表示に、AIが進化した以上の意味を感じていた。


「『幸運のお守り』……か」


 カズキは橘の言葉を思い出す。カズキが空で死ねば、アリスは心の支えを失うことになる。それだけはダメだ。何としてでも生きて彼女の元に帰らなければいけない……一週間前にはなかった感情が、スロットを操作したとも思えた。


 再びアラート。機体のレーダーが十時の方向に敵機を捕捉。


〈新たにバンディット四機を確認。その内の二機は翼下に巡航ミサイルを搭載している模様! 島に接近する前に叩くぞ!〉


「了解!」


 カズキは敵機の方に機首を向ける。武装は既に長距離ミサイルが選択されていた。


 もしかしたら、あの時RINNEはアリスの想いを伝えてくれたのかもしれない。カズキの帰りを待ち、無事を祈る少女の想いを……それが物言わぬ機械に何らかの影響を与えているというのは、バカげた妄想だろうか?


「仲良くやりましょう?」


 カズキはRINNE(あいぼう)に笑いかける。答えは返ってこない。それで良いんだ。


 RINNEにアリスの想いが作用しているとしたら、それは決して自分から翼を奪うものではないだろう。アリスはカズキが空を飛び続けることを望んでいるのだから……妄想でも良い。不合理だが、今はそんな風に考えたい。


「FOX3ッ!」


 敵機をロックし、ミサイルを二発発射。一発は敵機を撃墜するが、もう一発は護衛機が発射した迎撃ミサイルに撃ち落された。巡航ミサイルを積んだ機体は降下しつつ増速。振り切るつもりだ。


「逃がすかッ!」


 カズキはスロットル全開。最大推力で敵機を追う。


 この戦いをアリスが知ることはない。だが、カズキの機体が離陸し、戻ってくる。その繰り返しが彼女を勇気づけているとしたら、決して無意味ではないはずだ。


 キミを守るよ、アリス……カズキは胸の中でつぶやいた。


――つづく――

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東風ギャングエイジ 赤木フランカ(旧・赤木律夫) @writerakagi

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