第2話 地平線1

 ジェレミーが門のインターフォンに来訪を告げると、ゆっくり電動の門扉が開いた。門と門扉、敷地を取り囲む石塀は中世よりは新しいようだが、現代に改装され、機械化できるところはしている様子。

 車は私道に入った後も走り続ける。道は左右に曲がりくねり、植木も巧みに配置され、建物がすぐには見えない工夫がなされていた。これは、現代において必要があった事だと思う。建設当時は、領民や他国に対してアピールするため、建物は目立つようにしていたのではないだろうか。

 ようやく最後の曲がり角を過ぎ、石造りの建物が姿を現した。「…お城じゃん!」私は驚きのあまり"あわあわ"状態。「そうだ。城だ。〈ロックハート城(作者注:実際にあったスコットランドの中世の城ですが、今は日本に移築されて観光名所になっています。名前を借りました)〉だ。なに焦ってんだよ?」「そ、そうだよねえ…大貴族様だもんねえ、お城に住んでて当たり前かー。…日本じゃ貴族なんて私の生まれる前からいなかったし、個人所有の城もひとつだけだったんじゃないかなぁ…。実際そこに住んでるわけでもないだろうしね」「ここん家もそうだ。政治だの会社経営だのやるにゃ、こんな田舎じゃ不便だろう。使うのは親族会議やらある時か、長期休暇を過ごす時くらいだって言ってたぜ」普段は地所と建物の維持管理を任されている人達だけが居るそうだ。


 私達は執事やメイド達に迎えられ、案内され、現在の当主に引き合わされた。(〈サー〉の付く人に初めて会ったよー。絵本や映画の世界だよー)彼はジェームズの長兄で、最近〈サー〉を嗣いだそうだ。彼は私に手を差し出し「マドモアゼル、どうかエドワードと呼んでください」と流暢なフランス語で言った。随分と気さくな人のようだが、それにしても英国人は特に親しい間柄でないとファーストネームで呼びあわないと、勉強は出来ないが雑学豊富な私は知っている。不思議に思いつつも、その手を握る。

 エドワード卿はジェームズより15歳も年上で、ほっそりした体型の、あまり弟とは似ていない人だった。彼は私の疑問に気がつき、微笑んだ。「あなたの事はフィンチ曹長から聴いていますよ。何度も弟を助けてくれたと」(なるほど、敬意の表れかー)私は彼の言葉を素直に受け止めた。

 私の次にジェレミーが彼の手を握って言う。「卿、『曹長』はやめてください。今は民間人です」照れたようなジェレミーに、実業家で政治家のエドワードは笑っただけだった。ジェレミーは名前については何も言っていない。それに気づいた私に、エドワードが気づく。私に「城内の安全は保証します。どうぞ寛いでください」と言った。それからジェレミーに「『卿』もやめてください」と言って、2人ともファーストネームで呼びあう事に(ジェレミーはもちろん元の名前の方)。ふと見れば、ジェレミーはサングラスを外していた。

 挨拶がひと通り終わったところで、私はジェームズの遺髪が入った金属容器をエドワード卿に手渡した。卿は丁寧に礼を言い、容器を自分の座る場所から一番近いテーブルに置いた。自分の視界に入るように。


 夕食の前に、もう1人の兄弟が到着した。やはりジェームズと似ていない、13歳上の次兄。ジェームズは三人兄弟の、歳の離れた末っ子だった。エドワードとエリオットと、ウィリアム。名前も似ていない。

 エドワードは、お城の立派なダイニングにも金属容器を持ってきた。巨大な食卓に着くのは今夜は兄弟と私とジェレミーのみ。何世代にも渡って受け継がれてきたであろう銀食器で食事中、エドワードがぽつりぽつり、弟の事を話した。「私とエリオットは歳が近かったのもあって仲の良い兄弟でしたが、ウィリアムとは疎遠な関係でした。彼が生まれる前に、2人とも家を離れていましたしね」末っ子がやっと5歳の時、長兄は20歳で次兄は18歳だ。寄宿学校に早くから行っていれば、そうなるだろう。「私は従軍経験はありませんが、エリオットは海軍におりましてね。ですが、ウィリアムが陸軍に入る前に家族の実業を手伝うため退役していました」

 兄達は会える時には弟を可愛がったと言った。しかし両親は、末っ子だからと甘やかさず、むしろ上の子達より厳しく躾けたと言う。「弟は、自分が両親の予定外の子どもと思っていました。実際そうだったのですが、両親は愛情から厳しくしたのです。歳をとってからの子で、長く側にいられないかもしれない、その分早く躾けなければ、と。私とエリオットはそれが不憫で、何時も弟を気にかけていました」

 「身近に居ない家族がいくらそう思っていても、なかなか通じるものではありません。弟も、入隊してからは任務最優先で実家に帰る事は稀でした…部隊の方がが家族に思えていたのかもしれませんね。それでも、絶対出席せよと父に厳命された催しでガートルードに出会い、結婚してほっとしましたが…」その後に続く言葉が何なのか、この場の皆がわかっている。沈鬱な雰囲気で食事が終わった。

 暖炉に火を入れるのは久しぶりに違いないリビングで、この家が所有する蒸溜所が作っているスコッチを振る舞われた。私は、この旅でのもうひとつの仕事を始める。故人のメッセージを、遺された家族に伝える。(ジェレミーは私の事を彼らに『優れた霊媒』でもある、と言っていた。我々の会社の"諜報担当"とは、無論伝えていない)悲しみに沈んだ部屋の空気が幾分和らいで、私は良い仕事をしたと思う。


 あてがわれた部屋で眠れず、私は起き出して隣のジェレミーの部屋をノックした。二重のドア(廊下から直接部屋ではなく、前室なんてものがある)の向こうから、くぐもった返事があり、彼もまだ起きていた。「一緒に寝ていい?」ジェレミーはスコッチを吹き出しそうになった。「なんか寂しくて心細いんだー」「阿保か!…初めて来た国の、田舎で周りに何もない、見た事もない城の中じゃ無理もねえが。俺にとっちゃジェニファと寝るのと同じ意味だがな、よせよ、ヤンに殺されちまう」「アハ、未だになんで私なんか相手にやきもち焼くのかわかんないけど」

 ベッドの上に腰掛けていたジェレミーが少し移動して、私に横へ座れと手で示した。さらに、スコッチを高価に違いないクリスタルガラスから、揃いのグラスに注いで渡してくれる。「それ飲んだら、自分の部屋に戻るんだぞ?」「うん。ありがと」

 ジェレミーは私の格好を見て「寒くねえのか?」と尋いた。「石造りの建物って冷えるねー!それ、ヤンから聴いてたから、使い捨てカイロいっぱい持ってきた」それから、私のガウンの襟元から覗いている、大き過ぎるTシャツに目を止めた。「おまえ、それ、ヤンのか?」私は照れ笑いする。「えへへ、離れてると寂しくてー。お古を貰ったの。前に、おろしたてを勝手に着てて怒られたんだ」ジェレミーは呆れて、次に優しく微笑んだ。

 私は、ジェレミーの微笑みに混じる悲しみを感じた。「…あのね、ジェレミー。立派な家柄でも、優しい兄弟がいても、家族縁が薄い人っているんだね…」彼から微笑みが消えた。「やつから家族とは疎遠だと、聞いた事はあったが…やつの父親もな、懐の深い大人物と言われていたんだ。母親も穏やかな性格の淑女の鑑だ、と。…心を閉ざしてると、そうなる」

 その目に哀しみを浮かべ、ジェレミーは私のグラスにお代わりを注いだ。話がしたいという意思表示だ。

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