呪い

 

「チッ、キリがねぇ」


 危うく見逃す所だったスモールボアの突進を食い止め、マルスは口元の血を拭った。


「悪態をついてる場合じゃないぞ!もう一波来る!ミラ、援護を!」


 デヴィスの声に再び身構える冒険者と騎士団員。王都を背後に、見据えるのは北の森。そこから魔物がとめどなく溢れ出て、ここまで押し寄せて来る。


「闇を照らし埋め尽くせ――ライトウェーブ!!」


 夜を照らす程の光は、巨大な波となり、魔物達に向かう。

 波にのまれた数多の魔物は、倒れるもの、傷を負いながらも変わらず向かって来るもの、全くダメージを受けていないもの、様々だ。


「もう一度……風刃ウィンドカッター!」


 無数の風圧は鋭く魔物達を切りつける。それでも夥しい数の敵は足を止めない。


 一体何が起きているのか。

「魔攻班!撃て!」

 掛け声と共に火球ファイアボールを放ちながら、ミラは思案する。


 獣族の里を降り、早い時間にケモンシティの宿に泊まったミラとデヴィスは、翌日のスイとの対面に備え、深夜まで休んだ。その後ケモンシティを出発し、 約束の朝を目指して王都に向かった。

 しかしその道中、二人は王都の上空に赤花火レッドシグナルが放たれたのを確認した。

 これは緊急を知らせるシグナルの一つで、赤い花火は危険度の高さが最も高い事を知らせている。

 二人は早急に王都へ向かった。途中、同じ様に王都へ応援に向かう冒険者を何人も発見したが、二人ほど速く移動出来る者はいなかった。

 北側の異変には直ぐに気が付いた。

 争いの音、血の匂い、緊迫した空気。

 遠くから見えた光景に、ミラは最初、大規模な災害訓練でも行なっているのかと思った。いや、そう思いたかった。

 王都を守る様に立ちはだかった戦士は既に百人近くいる。向かって来る魔物はいくつか。倍程度であれば、デヴィスとミラが到着したこの瞬間に形勢は逆転する。見た所脅威のある魔物はそれ程多くない。ミラには自信があった。

 しかし実際はその程度ではなかった。

 数の検討もつかない。

 森から出て来る魔物は無限かと思うほどで、兎に角我武者羅に殲滅を行う他に仕事など無かった。


 ここに到着してから月は大分傾いてきた。

 先程、魔物の波は一旦途切れたが、今再び二波目が来ている。

 要塞都市から花火が上がらなかった事を考慮すると、魔族が魔物を使役して海を越えたわけでは無いのだろうか。しかし自然の魔物が意思を持った様に集結するのはあまりにも不自然。第一、小さな村ならともかく、王都への襲撃など一体何十年ぶりか。少なくともミラの生の中で経験した事は無かった。


「ミライア様!補助魔法使いのポジションは……」

「後方よ。結界を張りながら負傷者の傷を癒してくれる?」

「はっ!」


 こんな災害時でもミラは落ち着いていた。

 次々と駆けつけてくれる冒険者に励まされた為でもあるが、間も無くそれよりも心強い存在が来る事を、ミラは予想している。

 呼び寄せた鳩にメールを送らせたのはミラ自身なのだから。

 デヴィスは何も言わなかったが、赤花火が上がった時、ミラはスイを呼ぼうと決めた。他の者だったら未だ冒険者に成り立てのスイに足を運ばせようとは思わないだろうが、今こそスイの力を伸ばす時だとミラは判断したのだ。

 因みにメール鳩は専用の餌を撒く事で呼ぶ事が出来るが、魔力を飛ばす事で呼び寄せ、魔力を与える事で急がせる事も出来ると、ミラは最近気付いた。近い内に魔法研究所の生物科に提出するつもりだ。


 ただ、ミラにとって一つ不安があるとすれば、この襲撃の規模の大きさだ。スイが足を引っ張るとは考えられないが、ミラはスイの実戦を見た事がない。どこまで戦えるのか、スイに万が一があったら、と考えてしまうのは当然だろう。

 その時、偵察部隊から声が上がった。


「…………ほ、北東にキメラとサイクロプス、北西にケンタウロス!!」

「な!!高ランクモンスターだぞ!?」

「う、うそ……アースリザードでキツイのに……」


 これにはミラも驚いた。この災厄は一体どこまで絶望を叩きつけて来るのか。



「このままじゃ袋のネズミだ……マルスッ!俺と来い!キメラとサイクロプスを抑える!第二、第五部隊はケンタウロスを!他はこのまま一歩も下がるな!!」

「「「うぉぉおぉおお!!」」」


 それでも、デヴィスは諦めない。

 騎士団は王都を守る。

 冒険者は敵を仕留める。


 だからミラも、一人の犠牲も出さぬ様、魔法を操る。


「氷棘!サンダージャベリン!」


 ある冒険者の死角にいた魔物を仕留め、ある騎士団員の不意を狙った魔物を行動不能にする。


「内に秘めし焰を今こそ解き放て――爆炎散エクスプロージョン!」


 そして、圧倒的な力で数を減らす。


「行げぇえぇぇ!引くなぁあ!」

「スライム一体通すんじゃねえぞぉお!」


 騎士団や魔法団に鼓舞されて冒険者達も白熱する。



 夜の闇。月は間も無く西に沈む。太陽は間も無く東から昇る。

 少し空が色付いてきた。

 その時に、ミラと偵察部隊は気付いた。


「空だ!!!!」


 魔物が移動するのは地上だけではない。

「ワイバーン……」

 青ざめた魔法団の攻撃など殆ど当たらない。

 ワイバーンは既に魔法団の上を通り過ぎ、補助魔法使い達の結界に挑んでいる。

 それはまるでゴミを漁る鴉の様に。

 果たして、王都にどれ程の魔法使いが残っているのだろうか。彼らだけでこの数のワイバーンを撃ち落とせるか。


 ――不可能だ。


 ミラは走り出した。

 魔力解放。

 既に消耗した力を更に大きく削る。

 身体から光が溢れる。光に包まれる。

 その光を足に収束させ、一気に放つ。弾丸の様に跳躍した彼女は容易く数体いるワイバーンの最後尾に迫る。


「グギェェァァアァ!」


 光を纏った長杖ロッドで殴れば、ミラの細い腕でも戦士並みの打撃を与える事が出来る。


聖矢セイントアロー


 ゼロ距離で放った矢は一体を地に落とした。

 次、次は――


「う……そ…」


 近くにいた敵に狙いを定めようとし、間に合わなかった事を悟る。


 補助魔法班の努力も虚しく、ワイバーンは二重結界を破壊し、遂に王都の北門に迫った。



「止めろぉぉおぉ!」


 遥か後方からマルスが投擲した短剣が一体を貫いた。

 補助魔法班の冒険者が放った雷魔法が一体を行動不能にした。

 門衛の爆槍術が辛うじて一体に届いた。

 魔力解放をしたままのミラが放った光の魔撃は三体を仕留めた。彼女はそのまま地に落ちる。

 眺めるしか出来なかった。後三体のワイバーンが、人々が眠る王都を破壊しようと口に火を溜めている場面を。


 そして――




「この世界は面倒事ばかりだ」



「――スイ」



 待ちわびた勇者が空を駆けて落下するミラを受け止めてくれた。彼はそのついでに、三体のワイバーンを切り捨てていた。正確には、彼の武器が。



 ミラを地面に降ろし、回転しながら戻ってくるブーメランを受け止めるスイは、ミラに状況を説明させた。


「ゆ、勇者様のご登場だ!」

「やった、これで……救われる……」




「森か……破壊するのは忍びないが……」


 スイは自分を呼ぶ声をシカトし、どんどん溢れてくる魔物達を見ながら送風魔法を操る。運ばれるのは三つのボール。


「背に腹はかえられぬ」



 優しくスピーディに運ばれた三つのボールは等間隔で最前線の人間の頭上を通り過ぎ、森に落ちるかと思われた瞬間――



 ――ゴォオォォォッ



 森は強制的に昼ほどの明かりを灯す事になった。


「うわっっ!あっちちぃ!」

「ちょっ!勇者様!!驚かさねぇで下さい!」



「五月蝿い奴らだ。もう一度……」


 再び落とされた二つのボールは、今度は激しい風を巻き起こし、燃え上がった炎を霧散させ、弱っていた魔物達を切り刻んだ。


「……なるほど……そんな使い方が……」


 ミラはスイの氷球の仕組みを理解した様で、一人感心している。


 二度見ただけでわかるとは、とスイもミラの才能に感心しながら戦況を把握した。

 スイは副団長のマルスを初めて見たが、デヴィスと彼がいれば北東は問題ないだろう。

 中央も人手が多い、心配なのは北西か。地味な騎士団員がケンタウロスに翻弄されている様だと判断し、スイは走り出した。


「スイ!気を付けて!」



 月並みな言葉だと思いながらもスイは片手を上げて答え、北西に参上した。



氷剣アイスソード


 右手に聖剣を、左手に氷の剣を持ち、ケンタウロスに肉迫する。


「ムグォオォォォ!!」



「「勇者様!!」」


 スイの双剣の乱舞を浴びたケンタウロスは傷付く躰をそのままに、右手の斧で周囲を薙ぎ払う。

 滑らかな剣の連撃を切り上げ、宙に逃げ出したスイは聖剣を鞘に戻し、逆手に持った氷剣を下に向け、両手で振りかぶる。


「安らかに」


 宙に居るスイに気付いたケンタウロスは、上から振り下ろされる剣先を両目で捉えたまま避ける時間も与えられずに、深く深く突き刺された。



「勇者様、助太刀感謝します!見事な剣技でありました!」

「いいから王都を守れ」


 スイが気分悪そうに顔を顰めて言った言葉に騎士団員達は、真面目な方だ、と勇者への印象を良くした。

 だがスイは相変わらず命を殺す手応えが苦手で、早くも参っていた。




「勇者様が来たぞぉぉ!形成逆転だぁ!」

「守れ!ここを通すなぁ!」

「活躍して勇者様に気に入られるぞー!」



 だが王都を守ろうとする人たちの声に、自身に期待する声に、スイは腹をくくらされた。


(やるしか、ないか)


 いつか精霊が言っていた“精神補助”を今こそ受け付けたいが、スイ自身でも理由が不明で補助など無い。

 だからスイは平凡よりも少し欠落した心で命を奪う。


 大きく振りかぶって投げたブーメランは、魔物の肉を抉りながら群れの中心まで進み、その場で自由に躍り狂う。正に血の乱舞。

 それを意識の片隅で操りながらスイの聖剣は輝きながら敵を斬る。何度も斬る。スイにとって唯一の救いは、幾ら斬っても切れ味が落ちない事だろう。自身よりも大きな生物を何度も叩いて殺すのはきっと、もっと残酷だ。


電光ライトニング炎散ファイアワーク


 中央の群れの中心に稲妻が落ち、黒く焦げた数体を中心に、炎の弾丸が四方八方に飛び散る。まるで地面に咲いた花火の様に散った炎は、美しく魔物の命をも散らす。



 剣を振るいながら、ブーメランを操りながら、目の前に敵がいなくなったら魔法を落とす。そしてまた敵に接近し、剣を振るいながら魔物発生の原因を探す。


 きっと、かなり消耗していた。

 何よりも多くの命を奪い過ぎていた。



 空気が変わった、そう感じたのは何故か。


「グモォォ……」


 戦場の音は変わらずに鳴り響いている。

 目の前の魔物を切り捨て、スイは探った。


 どよめき。

 同時に、

 静寂。

 北東だ。


 いつの間にか北西の魔物は大きく減っていた。無論スイの活躍のお陰である。



 ――こんなに頑張ったのなら、いいじゃないか。


 それは何に対する言い訳か?

 嫌な予感。

 背けたくなる。

 知らぬふりを。

 戦に夢中になれ。

 しかし行かなければ後悔する。

 知った事か。

 ただでさえ気分が悪い。

 今すぐに吐きそうだ。

 どうして?

 殺したから?

 誰を?

 魔物?

 それとも――



 スイは向かった。

 北東に。

 騒がしい戦場のど真ん中に孤立した静けさに。


 マルスは目を見開いていた。

 その目のまま更に驚いたのは、一瞬にして現れたスイに対してだ。

 では最初は何に驚いていたのか?


 見たくない。

 どうして?

 来なければよかった。

 責任逃れか?

 お前なら守れた。

 誰だ?

 誰から守るんだ?

 目の前には化け物がいた。

 気持ちの悪い魔力。

 これが人族が言っていた魔族か。

 では魔大陸の魔族とは別種族?

 そうじゃないだろ。

 そんな事よりも。

 そんな事よりも。


 化け物に腹を貫かれて、

 跪いている彼は、

 誰だ?



「ぅ……そだ……」


 自分の声?

 自分は誰?

 俺は睡無だ。

 違うだろう。

 この世界ではスイ。

 そう、勇者だ。

 皆を守る勇者。

 では。

 勇者の目の前で、

 化け物の目の前で、

 倒れている彼は。


「デヴィ……ス……」


 騎士団長デヴィス。

 彼が顔を上げた。

 なんて顔をしている。

 口から血が出てるぞ。

 腹に風穴が空いてるぞ。

 お前らしくないじゃないか。

 おかしい。

 言葉が出て来ない。

 いつも通りに、

 怠惰に声を掛けてやろうと、

 思ったのに。


「ゃ………嘘だ…………やめろ……待って…………嫌だ………………いぐな…………デビ……ス…………おい………何故だ………デヴィス…………」


 堰き止められていた言葉が決壊して溢れてきた。伝えたい事もわからずに、思いの丈も口に出せず。


「勇者様をお守りしろぉ!」


 誰の声かわからなかった。しかし言葉の意味はわかる。戦場のど真ん中で膝をついて震えている子供が邪魔な事も、スイには理解できた。

 一つ理解したくないのは、スローモーションで沈んでいく友の――そう、友の笑顔の意味。

 稽古の時も、共に街を歩いた時も、酒を飲み、言葉を交わした時も、何度も目にした表情だったけど。


 ――どうして何も言わない?


 やめてほしい。

 口で語ってくれ。

 考えたくないんだ。

 思考が現実の重さを、

 苦しみを理解させようと、

 残酷にのしかかってくるから。


 それでも脳裏によぎるのは。


 初めての稽古時の不敵な笑顔。

 怠惰に対する呆れた笑顔。

 わがままを聞いた時の苦そうな笑顔。

 思い遣ってくれた寂しげな笑顔。

 仲間だと言ってくれた頼もしい笑顔。


 そして、


 真っ直ぐ目を合わせた、別れの笑顔。




「で……ゔぃす……」



 スイの哀しみの重さとは比較の対象にもならないほど軽そうな音を立てて、彼は倒れた。






「デヴィィィィィィィイイィイイィィイイイイイイィィィィィイッスッッッ!!!!!」




 音の鳴り止まない戦場で、スイの悲痛な叫びだけがどこまでも響いていた。










 そんな時だった。







「俺が代わってやろうか?」






 内側から聞こえた声に耳を傾けた瞬間、スイの意識は暗転した。


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