獣人ロイ

 

「どうして僕らは追い出されるの?」


 少年ロイは、幼いながらに感じた世の理不尽を父に問う。


「種族が違うからさ。でも、きっと、いつか分かり合える。だからロイ、人族を恨んじゃダメだぞ?」


 優しい父の言葉に満足できないのは当然だろう。何度も人族の里を転々としてきたのに、隠して居た耳や尻尾を見られれば、どこでも同じように罵られ、石を投げられ追い出される。それも身重の母に対しても同じだ。


「じゃあどうしてお父さんとお母さんは僕と違うのに、僕を追い出さないの?」


 ロイの両親は人族だった。

 稀に純粋な人族の血からも獣族が産まれることがある。しかしその場合ほとんどが、産まれた獣族を捨てるか、或いは殺してしまう為、広く知られていない事だ。


「それはロイを愛しているからよ」


 しかしこの二人は違った。

 ロイが産まれて「獣だ、今すぐ殺せ」と騒ぐ助産師の首を、父がはねた時からこの家族は茨の道を進む事が決まった。そして父も母も、当時の事を後悔した事は一度もない。心からロイを愛していたし、次に産まれてくる子供がどんな姿だろうと、命に代えても守るつもりでいた。


「僕らの居場所はどこにあるの?」




 この日もまた、人の里から逃げ出していた。

 日が暮れているにも関わらず、村の外で父から教わった剣を練習しているロイを見て、人間達に追い出されたのだ。


 両親は人族だ。つまり自分がいなければ両親は苦しまずに済むと思い、ロイは何度も何度も申し訳なく思っていたし、事実一度だけ謝った事もある。

 しかしその時の両親は、ご飯をつまみ食いした時よりも、人間に石を投げられた時よりも、それよりももっと怒った。「お前は何も悪くない、自分がいなければなんて二度と考えるな」と言われた時、ロイは救われた気持ちになった。



 しかし、強くて優しい父に守られているロイとは違い、味方のいない世界で愛する者を守ろうとする父は、酷く傷付いていた。


「居場所……かどうかはわからないが、俺たちは今獣族の里に向かっている。ただ、厳しい山を越えるから、気を張って行くぞ」


 果たして獣族に受け入れてもらえるか。

 父とてそれを心配しなかったわけではない。

 人族に迫害された者が集まった里だ。故に自分達人間を拒絶する者ばかりだろう。

 それでも、行き場はそこしかなかった。

 せめて、妻とお腹の中の子供、それとロイだけでも里の隅に居座らせて欲しい。父はそんな最後の希望を持って、家族を連れて山を越えた。




 そして獣族長に許された。彼は、獣族の息子を愛する人族の親を見て、希望を持ったのだ。くだらない差別や迫害がいつか無くなることを。



 勿論優しいロイの両親だとわかっていても、人族に怯える獣族は多く、両親はあまり外に出られなかった。しかしロイは幸せそうだったし、そんなロイを見る両親もまた同じだった。




 だが、それは長く続かなかった。


 二人目の子供を産んですぐ、母は息を引き取った。

 妊娠中もずっと弱っていた母だ、哀しくも覚悟が出来ていなかったわけではない。

 生まれたのは、ロイと同じ赤髪に白い耳と尻尾の、獣族の娘だった。


 父は、母の分も二人を愛し、守り続けようと心に誓った。


 しかし悲劇は終わらない。


 娘が大きくなる前に、獣族の里は魔物の襲撃に遭う。

 人が多く集まる場所には滅多に近寄らない魔物だが、この時期の魔物は激しく興奮していた。



「ロイ!ロナと一緒にここから動くな!大丈夫、お父さんがなんとかする」


 そう言って小屋を飛び出す父はとても頼もしく格好良かったのに、ロイは何故か寂しかった。









 しばらく時間が経って、ロイはロナと一緒にいつまでも父を待って。







 しかし父が帰ることはなかった。





 日が沈んで再び昇った時、ボロボロの獣族長がやって来てこう言った。


「ロイ、ロナ。お前らの父は立派に戦った。……あいつのおかげで……俺たちは救われたんだ、本当に強く、優しい…………」


 幼くてよくわかっていないロナとは違い、ロイは聡くて心の強い子だ。直ぐに父が何処へいってしまったか悟ったし、獣族に感謝されるほど戦った父を誇らしくも思っていた。



 だから決して力不足だと獣族を恨んだりしない。


 ただ、たった一言だけ、最後のわがままを許されるとしたら。




「僕も連れてってよ……」



 ロイは寂しかった。





 ――――――――――――――





「ロイ、お前の父は人族だが、立派だった。しかし、他の人族はそうではない!山を越えるのは危険だ!」


「でも、このままじゃここは魔物の巣だ!助けを呼ぶにしろ、里を移すにしろ、人族に頼る他に方法があるのかよ!」



 獣族長の小屋で言い争うのは十歳になったロイ。


 コッソリと窓から覗いているのは五歳になったロナ。



 ここ数年、魔物の襲撃が絶えない。山に魔物が増えたせいか、他に何か理由があるのか。

 獣族は弱くはないが、毎回負傷者は出るし、いつ襲撃に遭うか警戒しながら過ごすのは気が滅入る。



 そんな里で、状況を解決しようと動き出したのは、ロイである。


 人族の両親に愛されていたロイは、他の人族に未だ期待している。父の様に優しく、母の様に慈しみ深い人族がいることを。


 そして他の獣族もそれに影響されていた。誰かが、人族と獣族を繋げてくれると。

 いつしかロイは、獣族の希望になっていた。




 皆は口では止めるものの、本当は救いが欲しかったのだ。だからロイを強くは止めなかった。



 一方でロイも守りたかった。

 父が連れてきてくれたこの居場所を。

 父が守った里の者たちを。

 今まで家族の様に接してくれた獣族を。


 だから遂に、里を飛び出した。

 獣族長と言い争ったのは所詮旅立ちの挨拶だ。

 他の人、ましてはロナに言ったら泣きついてくるだろう。だから族長に言った後に、ロイは直ぐ里を出た。


 何より死ぬつもりはない。腕っ節には自信があったし、危険なんて皆の希望を叶えるためにはつきものだ。











 そしてその希望は、直ぐに叩き潰される。




 里から出て少しだけ山を登れば山頂だ。降れば人族の街が近い。

 そう奮起して一気に頂上に登ったロイが遭遇したのはグリーンリザード。何体いるのか数える事も億劫、いや、恐ろしい。


 しかし自分は獣族の里で一番強かった父の息子だ。父が帰らぬ人となってから剣の訓練を怠った事はない。あいつらを斬り捨てながら逃げる事は出来るだろう。全員を相手しなくていい、目的は人族の里に降りること。


 どこを潜り抜けて行こうか考えながら、身を低くして地面を蹴ろうとした時、背後から小さな悲鳴が聞こえた。


「ゃ、行かないで……」


 その声に振り向いたロイは真っ青になった。


「ロナ……どうして……」


 獣族長の小屋から着いて来ていたロナに、ロイは全く気付いていなかった。それほどに緊迫していたのだ。


 しかしロイがロナに問う時間も、叱る暇も与えずにグリーンリザードは動き出す。


「グギャァァ!」


 正面から飛び掛かってくる牙、左右から振り抜かれる尻尾、上から振り下ろされる爪。

 全てを避け、或いは剣で防ぎながらロイはロナの元へ下がった。


「何やってる!今すぐ里へ………」


 改めて背後を向いたロイは、今度は顔を蒼白にした。


「いつの間に……囲まれて……」


 背後にまで陣取ったグリーンリザード。そして膝を震わせて地面に座り込んだロナ。


 絶望しなかったのは、妹への愛や、期待してくれている里の者たちへの罪悪感。そしてそれを背負うロイの強さだろう。


 ロイは心を無にして剣を抜いた。


 恐怖や慢心は剣を鈍らせると、父はよく言った。

 だからロイは作業を行う。

 グリーンリザードを片付けるのだ。




 何度も打ち付けられ、傷をつけられた。

 それでも敵がロナに向かうたびに起き上がり、その首を叩き斬った。



 こんな所で、妹一人守れない様では誰も救えない。



 ロイはひたすら剣を振り続けた。








 限界はあっけなく訪れた。





 十数体目の敵を葬り、ロナをかばう様にグリーンリザードに向き直った時、何かが抜け落ちた気がした。



「おにぃ……ちゃん……」


 自分がどんな姿をしているかわからないが、地面に足をつけて剣を構えているつもりだった。口から何か溢れている気がするけど、考えない様にした。


 だからロナの涙交じりの声を気にしなかった。


 しかし何故だか身体がピクリとも動かない。



 気持ちだけは、豪速で剣を振っていた。

 しかしその気持ちについてくる身体がなかった。

 辛うじて二本の足で立っているが、それだけだ。ロイの精神力が無ければ、とうに倒れていただろう。




「ゔごげょ……ぅごけよぉぉ!!」



 作った握り拳で足を叩いても痛みはなく、それより拳はしっかり握れていたのだろうか。



 それでもロイは諦めない。

 迫り来る正面のグリーンリザードを迎え撃とうとして――




 ――ザンッ。







「………ぁ、ぁんたは……」




 湾曲した光沢のある美しい木材で出来た何かが目の前の敵を葬り、それと同時に目の前に降り立ったのは美しい金色の髪とサファイアブルーの瞳の人族。



 状況を理解できない頭だが、目の前の人族に安心感を与えられた本能は、限界を超えた身体をその場に座り込ませた。



 背中に感じた愛情と涙に、二人とも無事なんだと思いつつ、目の前で舞い踊る人族を見て呟いた。


「勇者様……」


 彼こそがロイの探し求めていた、父や母の様に美しい人族で、獣族の救いだろう。


 朦朧とする意識の中でそう感じた。


 やっと獣族は救われる。人族を恨むなと言った父のおかげで、目の前の人族を信頼できた。



「よかった……」


 父の希望が叶ってよかった。

 獣族の仲間の期待に応えられてよかった。

 ロナを救えてよかった。




 ロイは穏やかに意識を手放した。

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