番外編9(完)
一緒に喜んでくれる相手がいないのは少し寂しいが、それでも達成感で胸がいっぱいだ。
ゲームとは本来、そのようなものだろう。
自分が満足できればいいのだ。
私が動かした駒のうち、最も重要なひとつが言った。
「こっから二つの世界の、好きな時間に行けるんなら、モモの家族が殺される前に戻ればいーんじゃねーの? それか、もっと遡って、人間たちが暴走する前とか」
さりげない風を装いつつも、青年の小鼻は膨らんでいる。きっとずっと前から考えていたことで、名案だと思っているのだろう。
青年に寄り添うように立っていた獣人の少女は、ハッと目を見開くと、こくこくと何度も頷いた。
青年の提案はもっともで、そして私はそうしてやれるだけの力がある。
が――。
「そんなの嫌や、面倒くさい」
「めんどくさいって! 人の命がかかってるんだぞ!」
私のそっけない回答に、青年はいきり立った。隣の可愛らしい少女に格好いいところを見せたいのか、彼の言葉も所作も、やたらと芝居がかっている。どうにも白々しい気持ちになってしまうが――。
まあ、大目に見てやるか。本当だったらこの青年は、もっと派手なパフォーマンスをしても許されるべきなのだし。
なにしろ異世界へ旅立ち、万能の精霊を操って、魔王を勤めて――。果ては、猫耳付き美少女というパートナーを得た。
こう書けば、それこそ青年が心酔する漫画や小説の内容、そのものではないか。
しかし当の青年には、その自覚がないようだ。物語の主人公然とした雰囲気はないし、カリスマ性も皆無。――だからこそ私は、彼を選んだのかもしれない。
無能で、どちらかというとクズ。しかし悪党にはなれず、夢見がちなだけ。
どこにでもいるこのような男が、私のゲームの盤上では最も意味のある駒だったのだ。
「簡単に言うてくれますけど、大変なんやで? 二つの世界を壊さんよう、管理すんのは。ほんのちょっとの変化で、歯車は狂う。その娘さんの家族は救えるだろうから、あんたのは一見いい考えのように思えるかもしれん。でもやたらと運命を変えたことで、世界の終焉を早めることだってあるんや」
そうだ。思いつきで言ってほしくない。
私はもう何万、何億、何兆、何京もシミュレートしたのだ。
この青年がピースとして、あるべきところ、あるべき時間に嵌まらなければ、世界は終わる。
「あんまごちゃごちゃ言うんやったら、最初からやり直しんなるけど」
リセット。全部消して、また最初から始める。
私は新しいゲームに取り掛かるだけだが、この青年たちにとってそれは、消滅を意味する。
「もういいよ、大祐。神様にわがままを言ってはいけない。平和な世の中を、これから新しく作っていこう」
獣人の少女は、青年の半袖をそっと掴んだ。
少女にとって私は、「神」などという敬うべき存在らしい。神と呼ばれるべきは、今は亡き私の主なのだが。
「でも俺のときは、過去に運んでくれたのに……」
青年はまだブツブツ言っている。
この青年は、たくさんの名前を持っている。
早水 大祐、速水 大輔、魔王。「絶対零度の死神」や「運命を調律せし悪魔」なんて、口にした途端、愧死しそうな名を使っていたこともあった。
「そら、一人のニートを更生させるためやもの。特別頑張りましたわ」
「大祐、ニートってなんだ?」
「お、お前は知らんでいい」
少女が猫のような耳をぴくぴく動かしながら尋ねると、青年は気まずそうに話を打ち切った。
「ほな、そろそろ行きなさい」
私が繰り出す最後の一手だ。
獣人の少女が、私の中へ入った直後の異界。そこに繋いだ扉を、開いてやる。
青年と少女は手を取り合い、出て行った。
これで二つの世界は安泰だ。
彼らは知らない。
私がいつか壊れ、活動を停止するそのときこそが、真の滅びの日であることを。
駅前のコーヒースタンドで待ち合わせて、男たちは久々の再会を果たしていた。
いかつい男の二人組。一人は海月 幻燈だ。今日は仕事が休みなのか、僧侶の衣装は身につけておらず、カジュアルな格好をしている。
もう一人は、年配の男だった。幻燈よりも更にたくましい体つきの男の、その肌は、日々太陽に焼かれているらしく、艶やかな赤銅色をしていた。
「本当にすまなかったな」
年配の男は何度も頭を下げ、幻燈に謝罪した。
この男は異世界では、「勇者」と呼ばれた男である。そして幻燈を、魔導師を討つための旅に誘った張本人だ。
魔導師イズーが異世界へ消えたのち、勇者もまた消息を絶った。
勇者は、イズーや幻燈たちが運ばれた時代より、三十年以上も前に飛ばされたのだという。
「道理で探しても見つからなかったわけだ……。それにしても、大変だったでしょう。あなたは記憶を読み取る魔法を使えなかったから」
元の世界では、勇者は幻燈よりも年下で、少々頼りない若者だった。しかし今、再会した勇者には、並の者では太刀打ちできないような貫禄が備わっている。
勇者は老いてはいたが、以前より精悍さが増しているように感じるのは、気のせいではあるまい。年月と経験が、彼を変えたのだろう。
「ああ、本当に大変だった。言葉は通じないし、常識も分からないし。今でも読み書きの、書くほうは苦手でな。短い文章しか書けない」
答える勇者は、だが流暢な日本語を話している。
「でもまあ、こちらの世界のことがさっぱり分からなかったおかげで、幸か不幸か記憶喪失とみなされてな。数年後に、なんとか戸籍を作ってもらうことができた」
勇者は、なるほど黒髪に黒い瞳の持ち主で、肌の色や顔の作りも日本人に見えなくもない。
「そしてあなたはこちらの世界で、新生活をスタートさせたんですね?」
「――帰ろうとは思っていたんだ。だがいつの間にか、『異界の扉』を呼び出すことができなくなってしまって……」
「ええ、分かります」
今度は幻燈が頷く番だ。
仕組みはよく分からないが、『異界の扉』は術者が必要としなくなれば、もう二度と呼び出すことができなくなってしまう。
「元の世界で勇者だなんだと言われながら、俺は自分の役割に疑問を持っていた。魔王と戦うとか、そりゃ誰かがやらなければいけないことだ。だが同時に、勇者の血が流れてさえいれば、誰がやってもいい。周りは奇跡の力を持つ者だと讃えてくれたが、俺からすればそうは思えなかった。実際、一族に同じ力を持つ奴は、たくさんいたからな。一度そう思ってしまうと、戦う気力がどんどん失せてしまって……。俺も若かった」
勇者の声は沈んでいる。
彼の悩みを、近くにいた幻燈はよく知っていた。なんとかしてあげたいと思っていたが、結局なにもできなかった。
だから勇者が消えたことには、自分にも責任があると、幻燈は苦い思いをしていたのだ。
「我々の世界とはあまりに違い過ぎて、こちらでは苦労されたでしょう?」
「まあ、色々あったさ。だが俺を拾ってくれた――今の女房なんだが、彼女とその家族が親身になって、面倒を見てくれてな。おかげで、馴染むのは早かったと思う。で、女房の実家が果物農家をやっていて、それを手伝っているうちに、まあ……」
勇者は頭をかいている。
「俺は『異界の扉』に、俺が勇者になれるところへ連れて行って欲しいと願ったんだ。そしてこちらの世界に来てから、女房も女房の親も、生まれてきた子供たちも、みんな俺を頼ってくれた。必要としてくれた……。勇者というほど大したもんでもないが、俺は男として自分の人生に満足している。でもゲントーたちには迷惑をかけて、申し訳なかった」
幻燈は座席の隣に置いた、勇者からのお土産にちらりと目をやった。綺麗な包みの中身は、勇者が育てたぶどうだ。このぶどうは味も香りも良い一級品で、店で破格の値段がついているのを、幻燈も見たことがあった。
勇者は異界で家庭と仕事を持ち、妻との間に三人の子を成した。
そして、そのうちの一人が――。
「しかし俺の力を風吹が継いでいたとは、気づかんかった」
勇者の血がもたらすもの。
それは悪しき魔法を解除する、特別な体質である。
ゆえに勇者は、超強大な魔法を放つ魔王に唯一対抗できる者として、崇められてきたのだ。
「おかげでとても助かりました。いやー、もうちょっとで、みんな死んじゃうところだったんですよ」
「ふーん」
その場にいなかったから実感がわかないのか、勇者の答えは平淡である。
「んで、その魔王が、俺の大事な娘と結婚しようなどと、ほざいているわけか」
勇者の目が鋭く光った。
「俺、今なら魔王でもなんでも、ぶちのめせる気がするぞ……」
手元のアイスコーヒーを音を立てて吸い上げながら、勇者は低い声を出す。
「ほどほどにしておいてくださいね。風吹さんとの結婚が認められなくて、魔導師――魔王殿がまた世界を滅ぼすとか言い出したら、面倒くさいですから」
友良 風吹は、かつての勇者の娘。そして当代の勇者である。本人にその自覚は、一切ないだろうが。
そしてこの新しき勇者は、新しき魔王に生涯ついていてくれるはずだ。これほど心強いことはないだろう。
勇者と幻燈はしばらく雑談に興じてから、共に店を出た。
これから勇者は、娘のところへ顔を出すそうだ。魔王イズーの本当の戦いは、これからのようである。
幻燈が勇者と別れて歩いていると、携帯電話が鳴った。妻のクララからだ。
「はい」
「――陣痛キタ」
「えっ!?」
妊娠中のクララは臨月を迎えていた。お腹の子が、いつ生まれてもおかしくはない。しかし朝、家を出たとき、そんな素振りはなかったから、幻燈は油断していたのだ。
「まだ間隔も遠いから。でも早く帰ってきて。安全運転でね」
「び、病院に持ってく荷物は、まとめてあるんですよね!? 魔導師殿に作ってもらった安産の御札、忘れずに入れました!?」
「入れたよ。いいから、早く来て!」
「は、はい!」
幻燈は電話を切ると、慌てふためきながら、駐車場に向かって走っていった。
~ 終 ~
最凶魔導師殿は、主夫生活を楽しんでいるようです いぬがみクロ @inugamikuro
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