6-4
食事を終えて、寝室に引っ込んだあとも、風吹は機嫌良く喋り続けている。
「あー、美味しかった。やっぱり、おでんはいいね~!」
「冬の食べものらしいから、どうかとも思ったんだが」
「ううん! 私、おでん大好きだから、一年中食べたいよ。ほんと、美味しかったな~。定番のはもちろん、タコにウィンナーに、あとチーズ巾着! あれには衝撃を受けたね!」
「前にテレビでやってたから、真似してみたんだ」
「そうなんだ。すごいね、イズー。いつもアンテナ張ってるんだね。美味しいご飯、作ってくれてありがとう。そうそう、この間のあれも」
過去にまで遡り、風吹はイズーの料理を褒め称えた。イズーとしては喜んでもらえて嬉しいが、しかしいつまでも少し大げさなほどの賞賛を聞いているわけにはいかない。夜は短いのだ。
「風吹……」
ベッドの上で、イズーは風吹を抱き寄せた。口づけを交わし、見詰め合う。
「えっと……する?」
「ああ」
「じゃあちょっと、ゴム取ってくる」
よいしょ、と風吹はベッドから降りると、数歩先のチェストに仕舞ってある避妊具を取りに行った。
ムードもなにもないが、風吹の察しの良さがとても好きだ。そう思いながら、イズーはハーフパンツのポケットから、一枚の紙を取り出した。
紅を溶かしたような赤い和紙の中央に、墨で書かれた不思議な文字が並んでいる。これはイズーが本日、風吹が帰ってくる直前に作った御札である。
したためてあるのは、福文字だ。様々な幸運をもたらしてくれる特別な文字で、今回書いたものには「精力増強」の効果が込められている。
この御札を使えば、男性ならば絶倫間違いなし、女性が使えば濡れっぱなしとなるはずだ。
そして今回はもうひとつ、特別な細工がしてある。
八百万の神が一体、火の神の力を加えたのだ。
イズーの元いた世界で火の精霊が司っていたのは、喜びや情熱、そして性衝動である。きっと同じ属性の八百万の神にも、同じ能力を期待できるだろう。火の力を授かった者は、性欲が漲り、交わりたくて交わりたくて仕方がなくなるはずなのだ。
ところでイズーがどのようにして、火の神の加護を御札に与えたかというと――物理的に潰して、塗りたくったのだ。御札を赤く染めたのは、実は火の神の亡骸だった。
「なんてことを……! お前は鬼か!」
台所にあったすり鉢とすりこぎを使って、火の神を粉々に砕いたイズーを、付喪神たちはガタガタと震えながら非難した。しかし言われ慣れていることだから、イズーは少しも動じない。
「罰当たり」という言葉だけでは足りぬ、文字どおり神をも恐れぬ所業。
この黒き魔法使いにとっては、精霊だろうが神様だろうが、使えるものは全て実験の道具でしかないのだ。
ほのぼのとおでんを煮込みつつ、そのすぐ横で神をすり潰す。イズーという男の本質は、このように非情かつ自己中心的な――つまり、ただの人でなしであった。
イズーはこの新作の御札を、風吹に使うつもりだ。
初めて床を共にしたときから、イニシアチブを取られっぱなし。試合に例えるならば、連戦連敗。手加減してもらって、なんとかドロー。イズーのセックスは、このような悲しいスコアが続いている。
これはひとえに経験の差だ。なにしろイズーは、当の風吹に筆おろしをしてもらったのだから。
つまりイズーと風吹の関係は、弟子と師匠のようなものではないか。
そんな強敵に、ノープランで挑もうとしても勝てるはずがない。なにか策を立てねば――。
ということで、イズーは火の神の札を使うことにしたのだった。風吹にこの御札を貼れば、彼女の性感は数倍に跳ね上がり、イキっぱなしになるはずだ。そこを仕留める。
――そう。弟子はいつか師を超えるものなのだ。
イズーはほくそ笑んだ。
「はい、これ」
ベッドに戻ってきた風吹が、避妊具を差し出す。それを受け取ってから、イズーは風吹を抱き締めた。腕を回し、Tシャツの裾を捲ると、気づかれないようにそっと、彼女の背中に御札を貼る。
風吹はイズーの企みに気づくこともなく、おとなしく抱かれている。
「風吹、その……体調はどうだ? なんかこう、熱っぽいとか……」
「え? 平気だよ? 生理ももう終わったし、元気です。心配してくれてありがとう」
この間、生理痛で調子を崩したことが頭にあるのか、風吹はイズーが自分を気遣ってくれているのだと勘違いしたらしい。
「そ、そうか。それは良かった……」
おかしい。即時、効果が出るように作ったはずなのだが。
風吹に御札は効かないのだろうか。いやしかし、生理痛で苦しんでいたあのときにも、快復を促す福文字付きのカイロを貼ってやったが、それは確かに効いたはずだ。だからこそ今回、このような卑怯な作戦を思いついたわけなのだが。
――もしかして、御札の作り方を間違えたか?
「あ、ティッシュも、残り少なかったんだっけ」
風吹はまたベッドを降り、消耗品のストックを置いてある廊下の棚へ取りに行った。
「失敗作なのか……?」
部屋にひとりきりになったところで、イズーは予備で持っていた同じ御札を、自分の腕に貼ってみた。
肌に触れた途端、赤い煙が立ち、御札は溶けるように消えてしまった。
貼った箇所がカッと熱くなったかと思うと、その凶暴な熱が急速に全身に伝わっていく。まるで血管に熱湯を流されたかのように四肢は滾り、内側から燃え出してしまいそうだ。
「ぐうっ……!」
苦痛に、イズーは呻く。熱さにひたすら耐えていると、いつの間にか局所が膨れ上がり、服の上からも分かるくらい存在を主張し始めた。
――なんだ、ちゃんと効くんじゃないか。
しかし、喜んでいる場合ではなかった。
風吹が戻ってきたのだ。
「お待たせしました」
「あ」
「どうしたの?」
全身に汗をかき、青い瞳を潤ませているイズーを見て、風吹は首を傾げた。不思議そうに観察する視線は、イズーの下半身の上で止まった。
「あれ? そんなに溜まっちゃった?」
「あっ……」
風吹は床に立ったまま、イズーのハーフパンツを下着ごと剥がしてしまった。その拍子に、ポロリと怒張したものがこぼれ出る。
一人だけやる気満々で、イズーは恥ずかしさのあまり、どこかへ隠れたくなった。
「すごいねー、カチカチじゃない。なにを考えてたのかな?」
からかいながら、風吹は跪き、イズーの股間に顔を寄せた。
美しい風吹を、己の吐き出したもので汚し、イズーの興奮は募る。しかしすぐ我に返り、慌てふためいた。
「うわっ! すまない!」
「うー」
風吹は手のひらを顎の下に置き、大量に発射された体液が床に落ちないようにしている。もう片方の手でなにかを探す仕草をしていたので、イズーは急いでティッシュペーパーの箱を取り、何枚か抜き取って渡してやった。
辺りには、出した本人でも気分が悪くなるくらい、濃い雄の匂いが充満している。イズーはいたたまれなくなった。
「ごめん……」
イズーは再度謝るが、風吹はこともなげに言った。
「口に出して良かったのに」
「そんなことできるか! あんな汚いものを! で、でも、顔にかけるのは、もっと迷惑だな……。すまん」
ますます小さくなるイズーに、「気にしないで」と声を掛けてから、風吹は部屋を出て行った。洗面所のほうから水を使う音が聞こえてきたから、顔を洗っているのだろう。
恥ずかしい失敗をしてしまったと、イズーは落ち込んでしまう。先ほど貼った御札のせいだろうか。いつにも増して、感じやすくなっている。
――本当だったら、そうなっているのは、風吹のはずだったのに。
イズーには十二分に効いている御札は、風吹にはちっともその効果をあらわしてくれない。
しかし――。福文字は、高位の僧侶のみに伝わる、聖なる魔法の一種だ。それが書かれた御札や護符は、魔族の頂点である魔王にもダメージを与えられるという。
それほど力のあるものを、風吹は退けたということだろうか。
――風吹に備わっている魔法への耐性は、魔王以上ということか?
だとしたら、彼女はいったい何者なのだろう。
そしてついでに言えば、エロい御札も効かないというならば、打つ手なしということだ。これからもイズーは、負け試合を続けていかなければいけない……。
「お待たせしました!」
「わっ!」
絶望に打ちひしがれているところへ、背中から抱きつかれた。戻ってきた風吹からは、ミントの香りがする。
「へへ、ちゃんとうがいもしてきたから、チューもしてね」
本当に気の利く女性である。感心するやら恥ずかしいやらで、イズーはなんと答えていいか分からなかった。
「もう一回できる? ――できるみたいだね」
くすくす笑いながら、風吹はイズーの体を軽く押した。意図を汲み取り、イズーはベッドの上に倒れた。
下半身だけ裸になった風吹は、イズーに跨がった。
「入れちゃうね」
イズーは返事をする余裕すらなく、こくこくと頷いた。
初手をかわされて、返り討ちに遭い、もう為す術はない。頭から食べられる自分を、指を咥えて見ているしかないのだ。
「んっ」
一瞬だけ顔をしかめた風吹の表情が、緩んでいく。男を受け入れた充実感と興奮に染まるこのときの風吹は、最高にいやらしくて、美しい。イズーはいつもそう思う。
風吹に揺さぶられていると、イズーは自分はこの女のための、ただの椅子なのではないかと思うことがある。座り心地を確かめられているだけのような、そんな錯覚がするのだ。
――温度差があり過ぎる。
自分は風吹のことで頭も心もいっぱいになって、なにも考えられなくなるのに、風吹は快楽に溺れることなく、きっとなにか別のことを思っている。
イズーは奥歯を噛み締め、なんとか声を殺そうとした。ささやかな抵抗だが、風吹が望む反応を見せるのが悔しかったのだ。
「なんでお前は、そんなに意地悪なんだ……っ!」
負け惜しみのようなイズーの抗議を聞いて、風吹の浮かべる笑みは濃くなった。
「そう思うの? イズー。私はあなたの望みどおりに、してあげてるつもりなんだけどな」
「え……?」
風吹は動きを止め、イズーとじっと目を合わせたまま続けた。
「私は上でも下でも、どっちでもいいんだよ。両方とも気持ちいいから。でもイズーがして欲しそうだから、こうやってあなたに乗っかって、いじめてあげてるんだよ?」
「そ……っ!」
そんなことはない。断じて違う。否定したいのに、それができない自分がいる。
きっとわざとなのだろう、演技がかった風吹の話しぶりには傲慢さが滲み出ていた。だがそれが余計、イズーの心を掻き立てる。
認めないわけにはいかない。自分には、そういう性癖があるのだ。
いじめて欲しい、組み伏せて欲しい、無理矢理して欲しい……。
――そうだ。俺は自ら、告白したことがあるじゃないか。
いつ、どこで、誰に?
あれは――。
『どこへ行きたい?』
至極シンプルな問いに答えられず、イズーは暗闇の中、長いこと悩んでいた。
『あんたの頭、覗いてみても、これってもんが出てこんのなあ。魔法使いは魔法への防御力が高くて、かなわんわ』
「異界の扉」を開けて飛び込んだまではいいが、では異界のどこへ向かうか、具体的な行く先は自分で決めなければならないらしい。
目標があるからこそ、わざわざ面倒な封印を解いてまで扉を開けたはずだったのに、いざ姿なき番人に尋ねられてみると、迷いが生じてしまった。
自分は本当は、どこへ行きたいのか――。
「ここへ来るまでは、魔王のところへ行こうと思っていたんだがな……」
「そういう人、いっぱいいてますー。いざってときに、やっぱ違うってなる。ホンマの望みやないんやね。建前ってやつや」
最初のうちは標準語を使っていた番人も、優柔不断な訪問者の相手に疲れたのか、訛りを隠そうとせず、ざっくばらんな話し方になっている。
「まあ、なあ……。学べることは全て学んで、やることがなくなってしまったから、しょうがなく魔王を追いかけることにしただけだ。心から望んで、というわけではないな。かと言って、それ以外に行きたいところも思いつかん」
「魔法のべんきょー以外に、なにかないん? まだ若いんやから、女にモテたいとかな。言うてくれれば、酒池肉林のとこへも連れてってやれるで」
「女? ふん、バカバカしい。あんな汚れた生き物と戯れて、なにが楽しいんだ」
少し間が空いたかと思うと、扉の番人は冷え冷えとした声で言った。
「……あんた、童貞やろ?」
「なっ!? 『異界の扉』を守る者には、そんなことまで分かるのか! お、恐ろしい……!」
「別にそないなの、お前見てれば、どなたはんにでも分かるわ。そや、女にしようか。お前みたいなこじらせた童貞を愛してくれる、懐のでかい女のとこへ送ってやるわ」
「ちょ、ちょっと待て!」
自分の意思に関係なく、話がどんどん進んでしまっている。
魔王城地下に封印されていたこの「異界の扉」へ入るため、イズーはそれなりに苦労したのだ。
その報酬が女だなんて、割に合わない。
――女なんて、女なんて、バカバカしい。女なんて。俺を愛してくれるなんて、そんな女なんているわけないし。女なんて。
イズーはなにか言いかけたが、結局黙ってしまった。姿の見えない扉の番人の、生暖かい視線をひしひしと感じる。
「どないな女がええ? おっぱいがどーんとでかいのがええか? 年上と年下やったら、どっちが好み?」
「別にそんなのは」
「色々あるやろ」
イズーは戸惑った。どんな女性が好きかと聞かれても、答えが頭に浮かばないのだ。
「お前、元のとこでは破壊神だのなんだの言われてたんやから、えげつないセックスしそうやな。征服欲を満たすような、M子にしとこうか」
「いやいやいや。俺に征服欲なんてものはない!」
「なんや。お前のほうがM豚なんか」
童貞になんてことを言うのだろう、この番人は。だいたいこう見えて、イズーの性的嗜好はごくごくノーマルなのだ。いくら人々に恐れられた身だとしても、愛し、愛される甘いセックスがしたいと思っている。
気が逸れたせいで、イズーが心に張っていた魔法障壁が崩れる。その隙を突いて、扉の番人が放った呪文が襲い掛かってきた。
それは精神魔法のひとつ。本人さえ気づいていない欲求を、曝け出させる呪文である。
「身も心も、愛する女に捧げたい! 甘く優しく、とろけるように、征服されたい……!」
全世界が震撼するような、こっ恥ずかしい願望を力いっぱい叫んだところで、イズーの視界は闇に包まれた。
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