6-3


 主は自分を頼りにしてくれるし、丁寧にも扱ってくれる。

 だから、好きだ。なんとしても、幸せになって欲しい。


 よく磨かれたガスコンロの黒々と光る五徳の上には、いかにも重そうなホーローの両手鍋が、堂々と鎮座している。煮物だろうが揚げ物だろうが、炒めものでも蒸しものでもなんでも来いのその鍋は、まさに炊事道具における王様だった。そのふちに小さな生き物が、足をぶらぶらさせながら腰掛けている。彼はホーローの両手鍋から生まれた、付喪神だ。

 外向きにくるんとカールしたご自慢の髪をいじりつつ、付喪神は物思いに耽っている。

 彼が生まれたばかりのひよっこだったとき、主である風吹には恋人がいた。平々凡々の、はっきり言ってつまらない若者だった。会社の同期だというその男が、風吹の部屋を我が物顔で訪ねてくるたび、付喪神は苦々しく思ったものだ。「主は、お前には勿体ない」、と。

 例えばその男は、風吹が付喪神の両手鍋を使ってどれだけ美味しい食事を作ろうとも、当たり前のように貪るだけだったのだ。ほかにも色々不満はあったが、炊事場を仕切る付喪神にとっては、それが一番許し難かった。

 感謝するでもなく、労うわけでもなく、出されたものをただ家畜のように胃に流し込むあいつは――ひどいときは携帯電話をいじりながら、肩肘をついて食べていたあのクソ男は、主や自分がどれだけの手間と労力をかけて、お前が今食べている料理を作ってやったと思っているのか!


 ――怒ってやればいいのに。追い出してやればいいのに。


 怒髪天を衝く付喪神の前で、それなのに風吹はニコニコしながら、あれこれ男の世話を焼いていた。「恋は盲目」というやつなのだろうか。こんなつまらない男に引っかかって、無礼を叱らない主に、付喪神は失望を覚えた。

 しかしそれからしばらくして、風吹と男は破局を迎えることになった。

 二人が最後に過ごした場所も、この部屋だった。

 どうやら男は会社を辞め、実家に戻ることにしたらしい。自信ありげな顔つきや態度からして、男は風吹がついて来てくれるものだと信じていたのだろう。

 ――それだけに、あの哀れな夜のことを、付喪神は忘れることができなかった。


「そっかあ。あっちでも頑張ってね。今までありがとう」


 温かく励まし、美しく笑う。二人の未来をあっさり打ち切った主を見て、付喪神はゾッと背筋が寒くなった。

 風吹は男の今後の事情を聞いた途端、二人の間に架かっていた梯子を、容赦なく外してしまったのだ。

 絶句している男に、風吹はにこやかに追い打ちをかける。


「あなたの荷物、まとめるね。大丈夫。ちょっとしかないし、すぐだから」


 男は下着やら歯ブラシといったどうでもいい小物の入った紙袋を渡され、トボトボと寂しそうに帰っていった。

 憎たらしい男だったが、あのときばかりは付喪神も、彼に同情したものだ。

「来る者は拒まず、丁寧に対応するが、去る者は追わず、むしろとっとと追い出す」。言うは易しいが、特に恋愛面では難しいそれを、風吹は涙ひとつ見せず、やってのけたのである。


 ――うちの主には、そういう冷たいところがある……。


 文句も言わず、失礼な態度を正そうともしない。それは甘やかしているというより、相手になんの期待もしていないということではないだろうか。

 男に求めるのは、孤独を埋めることだけ。

 依存どころか、頼ることさえない。自分のことは自分で決めて、一人で生きていく。それを可能にするだけの力が、風吹には備わっているのだ。

 だが。


 ――今度の男といるときの主は、いつもと少し違う気がするんだが。


 付喪神は鍋の上で腕を組んだ。最近この部屋に居座っている、イズーという名のあの男は、あまりに奇妙で、風吹の益になるのか害になるのか判断がつかない。

 住所不定無職のヒモ。しかしなによりも一番に風吹のことを考え、かいがいしく尽くしている。

 イズーの恋路を応援すべきなのか、追い払うべきなのか――。

 あれこれ悩んでいるうちに玄関のドアが開き、当人が帰ってきてしまった。


「ただいま」

「おう」


 まだイズーのことを認めたわけではないので「おかえり」などとは言わず、付喪神は鍋から飛び立った。


「首尾はどうだった?」

「上々だ」

「それはそれ……は…………?」


 付喪神は居間に入ってきたイズーの全身を眺め、呆れたように言った。


「そんな格好で、ここまで帰ってきたのか?」

「なおかつ、スーパーにも寄ってきたぞ」


 イズーは、パンパンに膨らんだレジ袋をいくつも提げていた。その姿はまるで果実をたわわに実らせた、大木のようである。

 ソファに腰掛けると、イズーは持って帰ってきたレジ袋をテーブルの上に置いた。なにが入っているのか、袋はガサガサと動いている。付喪神がそのうちのひとつを掴み、口を広げると、煙のような塊がふわっと飛び出してきた。


「わっ!? もしかして、これが川の神様か!?」

「そうだ」


 両手鍋の付喪神も、八百万の神を実際に目にするのは初めてだった。それはほかの付喪神たちも同じらしく、彼らも神様を一目見ようと、部屋中からわさわさと集まってくる。

「多魔川」から採取された川の神は、水色の蒸気のような生き物だった。どこへ行ってしまうでもなく、イズーの近くにふわふわと浮きながら留まっている。


「土手にほかのもいたから、捕まえてきたぞ。草の神様、土の神様、石の神様……。お前が言うとおり、あの川は古くて、力のある川だったんだな。そういうところに、神様たちは集まるんだろう」


 イズーの言うとおり、袋の中には色とりどりの煙が入っていた。それらひとつひとつが神様なのである。


「おおお……!」


 付喪神たちのような不思議なあやかしにとって、八百万の神は敬うべき祖先のようなものである。尊い存在に会えて、感動しているようだ。


「それにしてもお前、もうちょっといい入れ物に入れてやれや。レジ袋って、失礼だろ!」

「なにを言うか。軽くて丈夫で持ち運びしやすいし、レジ袋は最高だろうが。コンビニのような高級店で買い物をしないと、無料で貰えなくなってしまったくらい、価値があるんだぞ!」


 きっちり反論してから、イズーは八百万の神々を運ぶのに使ったレジ袋を、折り目正しく丁寧に畳み始めた。レジ袋へのアツイ想いは、なにかの皮肉なのかと勘ぐったが、イズーは心からそう思っているらしい。付喪神は無言にならざるを得なかった。


 ――ズレてるんだよなあ……。


 イズーの言動や考え方は、あまり一般的ではない。指摘しようにもあまりに数が多く、面倒なので放っておくが、こんな男を大切な主のそばに置いておいていいのか――。ますます悩ましいところである。


「でもこいつら、思ったよりも魔力が弱いな。精霊に比べて、半分の力もない」


 イズーは小さな綿あめのような神を、そっとつついた。


「神様たちも、昔はもっとおっきな力を持っていたと聞くぞ。きっと環境破壊のせいだ! 自然が少なくなったから、神様たちの力が弱くなったんだ! 人間のせいだ!」

「別にいいんじゃないか?」

「えっ」


 怒りに燃える付喪神たちに、イズーは冷水をぶっ掛けるかのような答えを返した。付喪神たちは目を丸くする。


「俺たちの世界の精霊は、生活に欠かせない存在だったからこそ大事にされて、磨かれて、強い力を維持し続けている。でもこっちの世界では、便利な機械があるだろ? たいていのことは、人間が自分たちでなんとかできる。八百万の神の代わりに、お前ら付喪神が頑張ってるんだし」

「まあ、そうだけどよ……」

「だから神々の力が弱くなっても、別にどうってことはないんじゃないか?」


 両手鍋の付喪神は、不満気に唇を尖らせている。


「なんだか全部、人間の都合で回ってるんだなあ……」

「それは仕方がないだろう。今のところの覇者は、人間だからな。だが――」


 テーブルの上には、夕飯の材料が入った袋だけが残った。イズーはそれを持って、台所へ向かう。そのあとを、両手鍋の付喪神がついて来る。二人は話を続けた。


「こちらの世界の人間は、八百万の神をあてにはしない。だが、恐れてはいる。日照りや大雨、暴風、地震に雷。時に猛威を振るう自然の、八百万の神々はその源だ。そしてそれらは決して御せないものだと、人々はきちんと理解しているんだ。そういう形での共存もあるのかと、興味深い」

「ふーん……」

「さっ、夜メシを作るぞ。このあとやることがあるから、煮込むだけのおでんだ。頼んだぞ、付喪神」


 イズーはコンロの上の両手鍋に買ってきたおでんダネを放り込み、インスタントのだし汁を足して、火にかけた。


「油抜きしねーのか?」

「面倒だからしない。むしろ、いい味になるだろ」

「変なとこだけ要領良くなりやがって……。それはそうと、お前、こんなに八百万の神様たちを集めてきて、どーすんだ?」

「まあ色々と研究したいし……。あとは、今作ってる御札に使えないかと……?」


 ガスの火から赤い塊が浮かんできて、イズーたちは会話を中断した。


「これも神様かな?」

「そうだな。多分、火の神だろう。仲間がたくさん集ってるから、生まれやすくなってるのか?」


 イズーは新たにお出ましになった火の神に、従属の魔法をかけた。


「さあ、神様、どうぞこちらへお越しくださいませ」


 両手鍋の付喪神は、火の神をほかの神々が待機している居間へ連れて行った。付喪神は恭しく掲げているつもりなのだろうが、火の神は付喪神の小さな手に触れるたびにぽーんと浮き、その様は幼子がボールで遊んでいるようにしか見えない。


「しかし、火の神か……」


 イズーが元いた世界では、精霊の持つ魔力をなにかの道具に宿らせ、利用することもあった。例えば剣や槍に精霊を宿らせ、攻撃力を上げたりもしたのだ。


 ――同じように、採ってきた八百万の神の力を、俺の作る御札に活かせられないか。


 おでんのマストアイテムである大根を輪切りにしながら、イズーは考えてみた。

 精霊が――こちらの世界では八百万の神と呼ばれる彼らが持つ力は、その種類によって異なる。水の精霊ならば人を健康に、草木の精霊ならば心を安定させ、そして、火の精霊ならば――。


「情熱を掻き立て、それから――」


 イズーは包丁を止めて、邪な笑みを浮かべた。





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