11話――駆け落ち



 目が覚めた。頭がなんとなくモヤモヤとする。寝起きだからだろうか。

 体を起こし、ぐるりと周囲を見回すと、どうやらここはどこかの宿屋の一室ようだった。

 中々に高級そうなところで、以前王都に行った時に泊まった宿屋がちょうどこんな感じだったと思い出す。


 俺はベッドに寝かされていた。周囲には誰もいない。

 

 というか、そもそもここはどこなんだ?

 昨晩、俺は確か何をして眠ったんだっ――


 ――ズキン、頭に鋭い痛みが走る。


 思わず額を掌で強く押さえた。


 とりあえず、ここがどこなのかを確認しないと……。


 フラつく体をなんとか上手く操って、俺はベッドから降りる。

 簡素で整頓された室内を横断し、扉に手をかける。


 ドアノブに手をかけ、捻ってみるが、ガチャと無機質な音を立ててそれ以上は回らない。

 どうやらカギがかかっているようだ。


 ……なんだ?


 そう思った時、突然ドアが開かれる。

 慌てて俺が飛び退くと、ソフィアが中に入ってきた。


「あ、ウィルくん起きたんだっ。おはよう」

「え、あ、あぁうん。ソフィアお姉ちゃん……、おはよう」


 戸惑う俺に、ソフィアが朗らかに笑いかける。

 何故だか・・・・、その無垢な笑顔を見た瞬間、再び脳に痛みが走った。

 同時に、目の前にいるソフィアにどうしようもない愛おしさ・・・・も感じた。


「ど、どうしたのウィルくん? 大丈夫?」


 痛みに軽く呻いた俺を見て、心配そうにソフィアが俺の背中に手を置いた。

 彼女を抱きしめたいという、突発的な衝動に襲われる。


 ソフィアは、部屋に入ってきた時から手に持っていたガラスのコップを俺に手渡した。


 軽く赤みがかかった透明というなんとも気味の悪い液体が、なみなみと注がれていた。

 

「ソフィアお姉ちゃん、……これは?」


「んー、健康ドリンクみたいな感じかなー? 寝起きだと頭フラフラするでしょ? 一気に飲んじゃってっ」


 ほらほらとでも言いたげな身振りをするソフィア。

 その言葉に、俺は大した疑問も抱かずにコップの中の液体を飲み干した。

 

 味はほとんど水のようで、冷たい感覚が喉を通して寝起きの頭も冷やしてくれる。

 それなのに、ジッと胃の奥でひりつくような熱も感じた気がした。

 たぶん、気のせいだと思う。


 まぁなんにせよスッキリした。


「ありがと、ソフィアお姉ちゃん」


「うんっ、私の可愛いウィルくんのためなら、お姉ちゃん何だってやっちゃうから」


 腕に力を込めるような仕草とともに、おどけたようにソフィアは微笑む。


 本当に、ソフィアは、可愛くて優しい最高の女性だと思った。


 ヤケにスッキリとした頭で、俺は目の前にいるソフィアに問いかけた。


「それよりもソフィアお姉ちゃん、ここってどこだっけ?」


 一緒にいるソフィアが大して慌ててもいないということは、然るべき状況なのだろう。

 けれど、寝起きの頭のせいか何なのか、この状況に至るまでの記憶が俺の中に存在しない。


「もー、忘れたの? ウィルくん。それはちょっとお姉ちゃん傷ついちゃうなぁ……」


 悲しそうな顔で、ソフィアが目を伏せる。


 ――イケナイ。


 目の前の彼女を、悲しませてはいけないと、俺の中で『何か』が叫んでいた。

 

 また、ズキリと頭がきしむ。


「ご、ごめんっ、ソフィアお姉ちゃん……。え、えっとっ? 確か昨日って何があったんだっけ、えー……」


 真剣に頭を悩ませる俺を見て、ソフィアがくすりと笑みをこぼした。

 俺は、ソフィアに、正面からそっと抱きしめられた。


 ギュッと、全身に直接伝わってくるソフィアの全てに、言いようのない多幸感を覚えた。

 ずっとこのままでいたいと、ソフィアの温もりを感じながら俺は思った。


 そんな俺の耳元で、ソフィアがささやくように言葉をこぼした。


「ずっと一緒に居てくれる、って言ってくれたよね? ウィルくん。だから二人で逃げ出・・・・・・したんでしょ・・・・・・?」


 カチリと、どこかで最後のピースがはまったような音が聞こえた気がした。



 ――あぁ、そうだった・・・・・



 昔からずっと側に居てくれた、ずっと味方でいてくれた唯一・・の存在。

 両親だって、ずっと側に居てくれたわけではない。

 そもそも、転生前の記憶を持つ俺にとって両親はどこか大事なところで希薄になってしまう。


 ――けれど、ソフィアはそうじゃない。


 いつだって、どんな時でも、俺の側に居て、俺の味方で、


 ――俺の大好きな女の子だ。


 そんな俺の想いにソフィアは真っ直ぐに応えてくれて、でも周りはそうじゃなかった。


 何と言っても、ソフィアはれっきとした貴族なのだから。


 だから、俺とソフィアは、故郷を離れて、駆け落ちを――


 ――ズキンと頭が痛む――


 ――――したのだ。


「あぁ、そうだった。ごめんソフィアお姉ちゃん……、俺は、いや、別に忘れたわけじゃないんだ。でも、なんか頭の中がごちゃごちゃしてて……」


 ソフィアは俺を抱きしめたまま、うんうんと頷く。 


「しょうがないよ。すごく、急なことだったんだから……」


 その優しい語りかけには、途方もない慈しみを感じた。

 俺もソフィアの背に手を回して、ソフィアの体をより自分に密着させた。


 不意に、ソフィアが呟く。

 

「ウィルくん、大好きだよ。愛してる……」


「ソフィアお姉ちゃ……、いや、ソフィア。俺も大好きだよ」


 気づいた時、俺とソフィアの唇は重なっていた。


 数分か、十数分にも思える口づけののち、赤く頬を染めたソフィアの澄んだ青い瞳がジッとこちらを見つめていた。


 いつもと変わらない表情で、何気なくソフィアが口を開く。


「ねぇ、ウィルくん。ちょっと訊いてもいい?」

「ん、なに? ソフィアお姉ちゃん」


「エレナちゃん、とか、アリアちゃんっていう子、知ってたりする?」


 聞いたことも、無い、名前だ。


 ――瞬間、先ほど起きてからのなかで最大の痛みが頭の中に突き刺さった。


 焼けるような痛みを、何とか平静を装って堪え、俺はソフィアに向かって口を開く。


 頰に一筋の汗が流れた。


「いや、知らないけど、どうかしたの?」

「ううん、なーんでもない」


 花が咲き誇ったような笑顔をたたえて、ソフィアは再度俺にキスをしてきた。


 そのキスが終わった後、俺の中に残っていた小さな疑問は消えていた。

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