二十四話――全力で走った話




「――エレナっ!!」


 おかしい……。

 エレナに追いつけない。


 前方を走る小さな影――エレナは、確かに俺より魔術に長けているが、身体的能力はどう考えても俺の方が上だ。

 なのに、どんなに頑張って走ってもエレナに近づく気配はない。


 おかしい。

 魔術を使って身体能力を上げているのだろうか。

 可能性としては十分にある。


 ならば、俺にできることはただ全力で走るだけなのか……。


 幸いにも、エレナと俺を隔てる距離はさっきから変わる様子はない。

 見失う心配は、ないだろう。



「あっ、化け物。泣いてるのか?」


 嘲笑。

 きっとその三人の少年に悪気というものはあまりないのだろう。

 今現在、九歳であるエレナよりも少し年上である彼らは悪くも年相応で、究極的に言ってしまえば無邪気な悪意を抱えていた。


「……」


 高みから注がれる視線に耐えかねて、地に手と足をついていたエレナはよろよろと立ち上がる。

 膝の部分がじくじくと痛む。見ると傷口から血が出ていた。

 

 エレナがその少年たちを見上げると、彼らは意地の悪い表情を浮かべていた。


「……っ」

「ひさしぶりだな」


 少年たちの内の一人が、エレナに話しかける。

 エレナは黙ってそれを聞いてた。


「…………」

「なぁ、なんか言えよ」


 エレナは少し俯いて、唇をかんだ。


 どうして、こんなことになってしまったのか。

 分からない。

 自分の何が悪かったのか。分からない。


 エレナは、兄が薦められた通りに、小さな時から村の同年代の子供たちと一緒に遊ぶ機会がそれなりにあった。


 けれど、いつからか自分の目の色が左右で違うことを変だと罵られるようになり、いつからか『バケモノ』と呼ばれるようになった。

 それらの筆頭となるのが、今エレナの目の前にいる三人の少年である。

 エレナの胸中を埋める言葉は、分からない。

 兄であるウィルや共に住むソフィアと小さい頃から一緒にいることが多かったせいか、エレナは歳の割には聡く、賢い子供であった。

 だからこそ、何もわからない。どうして自分がそんな扱いを受けるのか、分からない。

 それも、エレナが村の子供の集団から弾かれた一つの要因であった。


 一言でソレラを言い表すと――『いじめ』。

 この世界には存在しない単語ではあるが、内容的には何一つ変わらなかった。

 

「おーい、聞いてるのかよ?」

「おいっ、化け物ーっ」

「化け物っ」


 嘲笑うように吐き出されるソレは、エレナの胸の内でぐるぐると回り続ける。


「……なに」

「あっ、ちゃんと聞こえてたみたいだぞ?」

「おー、化け物なのにちゃんと聞こえてたんだなっ」


 少年たちの笑い声が、河原に広がる。

 彼らはエレナの方を指差し、三人だけで何言か言葉を交わし、さらに大きな笑い声をあげた。

 ドクンと、鼓動が一瞬、嫌な加速を見せた。


 エレナは、一体どうすれば分からなかった。

 普段であれば、そんな嘲笑さえも我慢して、その場から立ち去ることができる。

 誰が何と言おうと、自分には兄がいたから。

 彼はどんな時でも自分に優しくて、自分を肯定してくれたから。

 兄だけが一緒に居てくれれば、それだけでよいと思えたから。

 どんな侮蔑や嘲りを受けても、最後の芯だけは折れずに、その場で怒りや不安を起こすことなく、黙って立ち去ることができた。

 お前らが自分を否定しても、兄がいるから大丈夫だと。


――けれど、今は、


 兄に拒絶されてしまった今のエレナには、どうすればいいのか分からない。


 不安。

 まずエレナの胸を満たした感情は、ソレだった。

 次にエレナの瞳からは、涙が溢れ出す。

 どちらも初めてのことだった。


 そんなエレナを見た少年たちは、大きく反応した。

 けして、エレナの身を案じるようなものではない。

 それどころか、彼らの嘲笑は、増大して加速する。


――あ、化け物が泣いてるぞ。

――化け物でも泣けるんだなーっ!

――普通の目じゃないくせに、泣いてるぞーっ。


 嘲笑。


――あっ、なんか化け物がこっち見てるぞ。

――気持ち悪い目でこっち見てるぞ。

――なんか文句でもあるのか?

――あるなら言ってみろよ。

――はははっ、やれるならやり返してみろよっ!


 無邪気な悪意に苛まれて、エレナの心はボロボロと崩れ始める。

 兄という支えを失った心は、いとも簡単に崩れてしまった。


 エレナは前方にいる三人をぼんやりと眺めながら、魔術を操って彼らを痛め付けようと考えた。

 今までは、兄であるウィルに「エレナは魔術のすごい才能を持ってるけど、悪いことに使っちゃだめだぞ」と言われていたので、魔術を使って仕返しをしようとは、全く思わなかった。


 けれど、ココに、兄はいない。


「……」

 

 エレナはゆっくりと右手を彼らの方に向けて、しかしすぐに下ろした。

 

 エレナはどうして自分が魔術を使わなかったのか、分からなかった。

 ただ、


「……おにい、ちゃん」


 その言葉は、自然とエレナの口からこぼれ出てきた。


「お兄ちゃんだってよ」

「あぁ、あの女としか遊ばないよわむし男だ」

「おいっ、やめろって。またあの女の人がくるぞっ!」

「はっ? 何ビビってんだよお前。あのよわむし男はここにいないんだぜ? そんなの気にすんなよ」

「ていうかあのよわむし男ってあの女の人がいなかったら、なにもできないんだぜ」

「ははははっ、さすが弱虫だなっ! 化け物の兄は弱虫かっ」


「――やめて」


 少年たちが大声で笑い合う中に、一筋の冷たい言葉が差す。

 エレナは涙に溢れる左右色違いの瞳を少年たちに向けて、静かに口を開く。


「……お兄ちゃんのことをバカにするのはやめて」

「おいおいっ、なんか化け物が言ってるぞ」

「ははははっ、化け物が『お兄ちゃん』のことバカにされて怒ってるぞーっ」

「化け物は『お兄ちゃん』のことが大好きなんだってさぁっ」


 嘲笑が耳につく。


「やめて、やめて……」

「あんなよわむし男ことをバカにしてなにが悪いんだよっ」

「あのよわむし男、いっつも女と遊んでてニヤニヤ笑っててほんと気持ち悪いよなーっ」

「ほんだよ、すっげぇキモイ」


 少年たちは、ウィルのことを口にするたびに弱々しくも反抗するエレナを見て、面白がるように嘲笑を加速させる。

 それと同時にウィルに対する罵詈雑言も量を増す。


「おねがいやめて……、お兄ちゃんのことを言うのはやめて、……やめてよ」


 ぼろぼろとエレナの瞳から涙が溢れて、止まらない。

 どうしていいか分からない。

 出来ることは彼らに兄の悪口を言うのはやめてくれと懇願するだけで、その度にエレナの胸が刺すように痛む。


「きっと『お兄ちゃん』もお前のこと気持ち悪いって思ってるよな」


 ふと、少年の一人が気まぐれで口にしたその言葉。

 瞬間、エレナの表情が凍りついた。

 その反応を見て、少年たちは新しいオモチャを見つけたような笑みを浮かべる。


「化け物は『お兄ちゃん』のこと大好きだけど、『お兄ちゃん』はお前のこと気持ち悪いって思ってるよ」


「――――」


「目の色も違ってて普通じゃない、みんなにも嫌われてるお前なんて、『お兄ちゃん』も嫌いだよなっ」


「――――」


「あはははっ! 『お兄ちゃん』にも嫌われてるなんて、さすが化け物だよなっ!」


「――――」


 だめだ。終わった。


 いつの間にか、エレナの瞳から流れ出る涙は完全に止まっていた。

 体がやけに軽くて、胸の真ん中にぽっかりと黒い穴が空いている。

 

 終わった。終わった。

 そうだ、自分は兄に……――――。




 エレナがただぼんやりと見つめる前方では、三人の少年たちが大きな声で笑いあっていた。

 比較的強い風が吹くこの河原に、大きな嘲笑が上がり続けていた。

 そんな彼らの大声に掻き消されて、『彼』が荒々しく吐き出す息は彼らの耳には届かない。


「……はぁ、はぁ、……うぇげぇ」


 ぜいぜいと絶え絶えになっている息を無理やり吸って吐き出して、彼は自分の体を落ち着かせる。

 その間にも確かに耳に入り込んでくるのは、彼の妹を蔑む嘲笑。


 その時点で、彼は今までに得ていた情報をつなぎ合わせ、大方の状況を理解していた。


――ったく、こんなに走ったのは前世も合わせてこれが初めてだよ……。


 荒くなった息を整えて、彼はなんとか思考をするだけの余裕を取り戻す。

 次第に体もまともに言うことを聞くようになったので、ガクガクになった膝にムチを打って彼は妹の目の前に立った。


 目を大きく見開いて、信じられないような顔をしている――エレナ。


 自分より随分とちいさなエレナの頭に手を置いて、ウィルは、


「……ごめん、遅くなった」

 

 

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