記憶の花が枯れ果てる前に

いある

五年目

 白磁のベッドに縫い留められてからもう数週間経つ。いつまで自分がそうしていればいいのか、なんてことを考えるのが億劫になるまでにそう時間はかからなかった。

 毎日私のもとにはたくさんの科学者や医者、研究者がやってくる。いろんな機械を無遠慮に使いながらデータをこれでもかというくらい採集していく。

 それだけだった。誰も私を助けてくれはしない。

 私がかかっている病気は過去に類を見ない奇病の類で、花咲病というらしい。名前こそ儚げでロマンチックなものだが、私からすれば迷惑以外の何物でもなかった。

 この病気、症状自体がほとんど解明されていない。実際に花が咲くメカニズムなんてのは誰も知らないし、私が知らない症状もあるみたい。

 この病気になってから、私は昔の事が上手く思い出せなくなってきている。記憶能力がおかしくなったというよりは、今まであった記憶が薄らいだというような、そんな感じ。試しに覚えろと言われた何かしらの用語は一通り覚えられて、今でもそのいくつかは声に出して読むことができる。けれど昔のおばあちゃんとの記憶だとか、小さい頃一緒に遊んでくれたお友達の名前なんかはもうほとんど覚えていなくて。

 唯一と言っていいほど記憶にあるのは…こんな私に律儀にもこまめに会いに来てくれる、隣の家の少年だった。私より数個下の年齢の男の子。

 確か名前は――。

「…大翔はると少年、だっけか。君」

「…?そうだって言ってるじゃないですか。あ、これこっそり買ってきましたよ。へへ、逢坂さんもこれ好きなんすか?いやぁいけますよねコレ。俺なんてもう家に箱でストック有りますよ」

 子犬みたいに人懐っこく笑う少年。身長は高く、そこそこ鍛えられた体つきをしているのに、ひどくアンバランスな童顔の少年が私に向かって微笑んだ。

 どうやら彼が私の異変に素早く気が付いてくれたらしい。こうして私が病院で治療を受けているのも偏に彼のおかげというわけだ。感謝してもしきれない。毎日私にも会いに来てくれているし、人恋しい場所にいる私にとって彼の存在は救いだった。

 こっそり服の内側に忍ばせたコンビニの袋を取り出す少年。がさごそとそのビニール袋から取り出したのは、期間限定のチョコレート菓子だった。

 病院内でも見れるテレビで、毎日のようにCMが流れている甘いやつ。

 これは昨日私が彼に頼んだもの。体に悪影響は無いものの、病気の影響が未知数の為、口にするものは注意を払うように、と病院から出されたもの以外は食べるのを禁止されている。

 というわけで私としても表立って買い物にはいけず、彼に頼んで代わりに買ってきてもらっているという現状なのだ。

「ごめんね、近くに住んでるからって理由で毎日のように私のところに訪ねてきてもらっちゃって。いいんだよ、無理しなくて…あぁいや、嬉しいしありがたいんだけどさ。君、お医者さんの卵なんだよね。いっぱい勉強しなきゃいけないだろうし、無理してこなくても…ね?」

「はは…いえいえ、だって逢坂さん友達いるんですか?俺がいなくなったら一人になっちゃうじゃないっすか」

 渇いた笑いを漏らす彼。その表情はどこか懐かしくてこちらもつられて笑ってしまう。そっと窓から差し込む朝日が柔らかく私たちを照らしていくように、私たちの会話もどんどんと弾んでいく。

「なにさ、朝から私なんかに会いに来るってことは君も友達いないんでしょ?自分だけ大人ぶってるのは良くないぞ、少年。…それとも私のこと、好きになっちゃった?」

「…まぁ、当たらずとも遠からずって感じです」

「む、どういう意味さ。私みたいな人はタイプだけど、私みたいな人はダメってこと?」

「それもまた、当たらずとも遠からずですね。でもまぁ確かに、逢坂さんのことも好きですよ。でもまぁ、自分にはもっと好きな人がいるんで」

「む、どういう意味さそれ!私は愛人ってことかな、少年。もしかして都合のいい女として私をキープしようと考えてたりしてる?困るなぁ」

「いやいやいや!人聞きの悪いこと言わんでくださいよ!あーあ、このチョコ、逢坂さんが欲しいっていうから近所のコンビニまで買いに行ったんだけどなぁ、最後の一個だったんだけどなぁ!」

「あー!少年、そう言うことしてはダメですよ!あっ、ほんといい加減にっ、っ!」

「…!」

 ひょいと私の目の前でチョコを取り上げてぶらんぶらんと馬に付けた人参よろしく揺らしてくる。

 …といっても私がベッドの上から動けないことを知っているから、しばらくしたら渡してくれるのだけれども。なんというか、こう、上手な人だ。私が本当に嫌がるラインを知っていて決して越えようとしない。

「あれ?どした少年。もらっていいの?」

「あ、はい…そのために買ってきたんで。あと今…」

「今…?あぁ、チョコは食べれるよ。お医者様には内緒にしておいてね?共犯者君」

 目を丸くして、先ほどまでの様子は何処へやらと言った様子の少年。

 そっと私の手の上にお菓子を置いて、自分は何度か深呼吸をしはじめた。きっと私の匂いを肺に詰め込む魂胆だな?仕方ない、それくらいは許してあげよう。だって私はお姉さんだからな。

 私がお菓子を食べ始めてしばらくすると少年は微笑んでから『大丈夫です、心配かけました』とだけ言っていつも通り私が食べる様子をにこにこと眺めていた。毎度毎度思うのだけど、私が食べる様子ってそんなに興味深いものなのだろうか。

「…いっつも思うんだけどさ、少年。見てて楽しい?」

「はい。楽しいですよ。…って溢してます。ちゃんと俺じゃなくてチョコ見ながら食べてください。ばれたら怒られるんでしょう?」

「自意識過剰だなぁ。ま、消極的なことよりはいいことだよ、うん。大志を抱けよ、少年」

「意味分かっていってるんですか?」

「…んにゃ?全然。でもまぁ、少年は偉くなるよ、うん」

「そうですかね。ま、逢坂さんがそういうなら俺も頑張ってみますよ。へへ、俺が逢坂さんを救うヒーローになってあげます」

「…えー?少年がぁ?ちょっちイメージできないなぁ」

「……はは」

 医者の卵。将来有望株。朗らかで優しく、思いやりがある。端正な顔立ち。こういう人と結ばれたなら、冗談抜きで幸せなのだろう。本当なら全てをなげうって泣きついて『助けて』と懇願したい。大切だった記憶が『あったかもしれない』という恐怖は着実に私の精神を蝕んでいる。

 けれどそれは彼の人生を縛ることになってしまうから。こんな不甲斐ないお姉さんの為に、少年の人生を棒に振らせたくないというのもまた本音なのだ。

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