第2話 朝食

「ちょっと待っててくれ」

男はミドリに言うと、携帯電話で誰かに連絡を取った。

5分ほど待つと、大通りの側に立つ二人に車が近づいてきた。

路肩に車が止まると、男はミドリに目配せした。

二人は車の後部座席に乗り込んだ。

「これ、あなたの車ですか?」

そうだよ、と男が続けた。

「日本の三菱製の車だよ。モンテロスポーツっていう名前だ。日本でパジェロって車、聞いたことあるだろう。フィリピンではモンテロっていうんだ」

フィリピン人ドライバーが運転する黒のSUV車は、前方にそびえる高層ビルの群れに向かって走っていた。


あの...ミドリが尋ねた。

「お名前、聞いてもいいですか?」

ああ、そうだな

「俺は大石。フィリピンは10年以上になる」

君は?

「吉岡です。吉岡翠と言います」

そうか、ヨシオカミドリ君か。

「ところで君、なんで教会で寝泊りしていたんだ?

 ふつう、日本人はなかなかそんなことしないぞ」

オオイシは笑いながら言った。

「どこにも行くあてがなかったからです。別にどこだって良かったんです」

いつからフィリピンにいるんだ?

「3日前です。ちょっといろいろあって、日本に帰らないつもりでフィリピンに来たんです」

オオイシは呆れ顔で言った

「日本に帰らないって? 君、ビザはあるのか? ノービザだと30日間が限度だぞ」

二人を乗せた車は、ショッピングモールやオフィスが立ち並ぶ通りを走っていた。

オオイシがミドリに聞いた。

「腹、減ってるだろ?何か食べたいもの、あるか?」

確かに空腹だったが、異国の地でこれといって食べたいものも思いつかなかった。

黙っていると、オオイシが

「まあ朝飯だから、この近くのブッフェでもいいか?」

ミドリは頷いた。


車は、ショッピングモールが連なる建物の一角で停まった。

ドアマンが開けるガラスの扉を進み、エレベーターで6階に上ると、そこはホテルのエントランスだった。

二人はフロントのそばにあるレストランに入っていった。

係の案内で、二人掛けのテーブルに着いた。

「なんていうホテルですか?」

「アスコットだよ。ここの朝飯はブッフェだが、結構美味いんだ。」

フィリピンに長くいると分かってくるが、この国では食べ物に困ることが多いんだ。なかなか日本人には合わない。

「ミドリ君、ビール飲まないか? フィリピンではサンミゲルというメーカのビールが一般的なんだ。サンミゲル・ライトをオーダーしてくれ」

オオイシは、ファーストネームで彼に言った。

ミドリは係の女性に合図をし、ビールを二本注文した。

「君、英語は話せるんだな。」

係とのやりとりを見て、オオイシは言った。

父親の仕事柄、海外で生活してた時期もあったんです。ミドリは答えた。


「またバクラランに戻るつもりなのか?」

食事があらかた終わると、オオイシはホットコーヒーを飲んだ。

「どこにも行くあてがないので、教会に戻るつもりです。」

食事、ありがとうございました。ミドリはオオイシに会釈した。

なあ、ミドリ君。オオイシは彼の目を見た。

「当面、俺の仕事の手伝いをしないか? そのかわり、君の生活は俺が手配しよう。仕事といっても大したことはない。だいいち、この国に来たばかりの君に重要な仕事など任せられるわけもない」

ミドリは驚いた。数時間前に異国の教会で偶然出会った目の前の男に朝食をご馳走になり、今度は仕事のオファーまでもらうとは。

「ありがとうございます...

 オオイシさんは、どんな仕事をしているんですか?」

ああ、それを言ってなかったな。

「俺は日系相手のコンサルティングをやっている。クライアントには法人もあれば個人もいる。個人と言っても、もっぱら富裕層だがな。」

ミドリ君。オオイシはコーヒーを飲み干した。

「君が当分この国に居ようと思うのなら、まず教会はダメだ。それと、ちゃんとメシくらい食え。」

そう言われると、なぜか教会でパンやご飯をくれた姉妹のことが頭に浮かんだ。どういうわけか、この国ではいろんな人々が食事の心配をしてくれる。

オオイシは続けた。

「まず、生活を組み立てろ。風呂も入ってないだろ。きちんとした日本人は、それではダメだ。」

食事はもう済んだか? オオイシはレストランを出てフロントに向かった。ミドリは追いかけた。

オオイシがフィリピン人のスタッフとしばらく話すと、ミドリに向かって言った。

「このホテルの部屋を押さえたから、ミドリ。君はここにしばらく泊まれ」

ミドリの返答も待たず、オオイシはチェックインの手続きを進めた。

「このホテルはファイブ・スターだ。君の身の安全は図れる。それに、ここマカティは治安も良いし、買い物や食事もしやすい。部屋には小さいがキッチンも、ひと通りの食器もあるはずだ。」

そう言うと、ミドリに部屋の鍵を手渡した。

「とにかく、部屋に荷物を置いてシャワーくらい浴びて来い。俺は仕事をひとつ済ませて戻ってくる。そうだな、午後2時にここ、エントランスで待ち合わせよう。」

オオイシはそう告げると、エレベーターに消えていった。


ミドリは客室に入ると、ソファに担いでいたバックパックを落とした。

ソファに座り、しばらく目を閉じた。

「いったい、どうなってるんだ...」

10分ほど経っただろうか。目を開けると、シャワーを浴びた。

シャワーを終え、窓の外を見た。

9階の部屋の窓から、階下に小さな公園が見えた。

人々が行き交う姿をしばらくぼんやりと眺めた。

バクララン教会を探そうとしたが、見つけることはできなかった。

そもそも、自分がどこに立っているのかもよく分かっていない。バクラランがどの方角かも見当がつかない。

彼はふたたびソファに戻り、目を閉じた。

しばらくうとうとしてしまったのか、ミドリが気付くと指定の時刻が近づいていた。

































































































































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翠の空と錆びた拳銃 (ミドリノソラトサビタケンジュウ) 流水 (リュウスイ) @ryusui2019

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