第三話 ラスタは目を覚まして、一匹のゴブリンに救われたことを知る


 目が覚めた。


 仰向けのまま上を見る。

 土が見えた。


 ちょっと顔を動かして、光がさしている方を見る。

 草が見えた。


 どうやらここは、小さなほら穴らしい。


 体が重い。


 でも僕は、生きていた。


「なんで……? 僕、ゴブリンに連れ去られて……」


「ゲギャ」


 鳴き声が聞こえた。


 おそるおそる、顔を反対側に向ける。


 そこには、ゴブリンがいた。

 たぶん僕を連れ去ったヤツだ。


 ゴブリンは、広げた僕の服の前にいた。


 まるで、、服の前に。


「……え?」


「グギャ」


 あまりのことに目を見張る。

 ゆっくり上体を起こした僕に、ゴブリンが近づいてきた。


 僕の服はあそこにあるわけで、つまり僕は全裸だ。

 ゴブリンは腰にボロ布を巻いているだけだ。


「僕は貧民だけど、体を売ったことはなくて」


 ゴブリンは僕の言葉を無視して、皮の袋を差し出してきた。


「グギャ」


 受け取ってみる。

 ゴブリンは動かない。

 ふくらんだ皮の袋をむにむに触ってみる。

 ゴブリンは僕を見つめている。


「グギャ」


 袋の口を開いてみる。

 中身は、皮袋の感触で僕が想像した通りだった。


 水だ。


「グギャ」


「……飲めってこと?」


 ゴブリンの答えはない。

 そりゃそうだ、ゴブリンが人の言葉を理解するなんて聞いたことがない。


 ノドは乾いている。

 でも、中身が本当に水かどうかはわからない。


 ……本当なら、あそこで野垂れ死んでたんだ、何をいまさら。

 自分に言い聞かせて、僕は皮袋に口をつけ、傾けた。


 ゴクリと飲み込む。


 水だ。


 変な液体でもなくて、呪術めいた何かでもなくて、水だ。

 もっとも、魔法や呪術は僕にはわからないんだけど。

 たぶんただの水だと思う。


 水が、起き抜けの体に染み渡った。


「ぷはっ。生き返った」


 もちろん、本当に死んでたわけでも生き返ったわけでもない。

 アンデッドでもなければ、そんな存在はいない。


 くーっと腹の音が鳴る。


 どれだけ寝ていたかわからないけれど、どうやら僕は腹痛がおさまったらしい。


 ゴブリンは僕をどうするつもりなのか。

 何のためにこの小さなほら穴に連れてきたのか。


 わからないことだらけで、僕は開き直った。


 ヒザ立ちになってにじりより、僕の服に手を伸ばす。

 ゴブリンは、じっと僕を見つめるだけでジャマしてこない。

 どうやら僕の服が欲しかったわけでもないらしい。


 僕は、服のポケットから木の実を取り出した。

 あの街を出てからずっと、僕が口にしていた唯一の食料だ。


「ゲギャゲギャ!」


「わっ! な、なに?」


 僕の手にある木の実を見て、急にゴブリンが騒ぎ出した。


「これ? これが欲しいの?」


「グギャ!」


 手を差し出すと、サッと木の実を奪い取ったゴブリン。

 さらに僕の服のポケットに手を突っ込んで、残っていた木の実も取り出す。


 いきなり、ゴブリンは外に向けて駆け出して。


「ゲギャゲギャ!」


 理解できない言葉を叫びながら、木の実を外に投げ捨てた。


「えっ!? それ、僕の唯一の食料だったんだけど……」


「ゲギャゲギャ!」


 何か言いながらドタドタ戻ってくるゴブリン。

 言ってることはわからないけれど、怒ってるっぽいことはわかる。

 ゴブリンはほら穴の奥に戻ってしゃがみ込む。


「……え?」


 戻ってきたゴブリンの手の中には、いくつもの木の実があった。

 薄茶色で堅そうな木の実だ。


「グギャ!」


 僕に差し出してくる。

 水をくれたのと、同じ印象の鳴き声で。


 薄茶色の木の実をひとつ手に取ってみる。

 堅い。

 叩いてみるとカンカン音がして、食べられそうにない。


 戸惑う僕を見て、ゴブリンはがっくりと肩を落とした。

 え、何か僕、ゴブリンに憐れみの目で見られてる気がする。


「グギャゲギャ」


 ゴブリンは手に残ってた木の実を握りしめて、僕の目を見つめた。


「グギャ!」


 木の実を握った拳ごと、ドンと地面に叩き付けるゴブリン。拳の中で、ガキッと音がする。

 ゴブリンが手を開くと、木の実は割れていた。


「これ……殻だったの?」


 ゴブリンは僕の質問に答えるように、薄茶色の木の実の中身をつまんで口に入れる。

 ポリポリと音を立てて噛みしめるゴブリン。

 空腹な僕は、ゴクリと唾を飲み込む。


 僕はゴブリンの真似をして、いくつか木の実を握り込み、地面に手を打ちつけた。


「いてっ!」


 当然そうなる。


「グギャ」


 ゴブリンがまた憐れみの目で僕を見ながら、手を差し出してきた。

 手には、殻を割った木の実の中身が乗っている。


「……ありがとう」


 受け取って、口に入れる。

 ポリポリと音を立てて噛み砕いて飲み込む。

 味はないけど、食感は悪くない。


 ゴブリンが皮袋を差し出してくる。

 受け取って水を飲む。


 ゴブリンが木の実の中身を差し出してくる。

 受け取って食べる。


 ゴブリンが立ち上がって僕の服を取り、差し出してくる。

 受け取って着る。


「はは、なんだこれ」


 僕が乾いた声で呟くのもしょうがないだろう。


 ゴブリンに世話される行き倒れの貧民。


 なんだこれ。

 こんなの、宿屋で働いていた時に聞いた物語にもなかった。


 なんだこれ。

 こんなに僕のことを気にかけてくれるなんて、母さん以来だ。


「なんだこれ」


 僕の目から涙がこぼれ落ちる。


 僕が腹を壊したのは、きっとさっきゴブリンが投げ捨てたあの木の実が原因なんだろう。


 雑魚でバカな魔物の代名詞のゴブリンより、僕は何も知らない。


 情けなさと、たとえ魔物でも意図がわからなくても、孤独じゃない喜びと。


 よくわからなくなって、僕はただ泣いていた。


 母さんが死んで以来、初めて。


 ゴブリンはそんな僕を、ただ見つめていた。


 いやほんと、なんだこれ。


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