第45話 同情できねえぞ

 深い森の闇の中、白い乳房は異様だった。


 何事もなく夜が明けるよう祈って眠ることもできず、根拠のない予感に部屋を飛び出して。

 星明かり程度でも、竜頭りゅうずの情報に間違いはない。

 もう人ではなかったのだ。いや、半人半妖ということなのか。

 下半身は黒い馬脚を露わす。ああ、この世界でもとは。

 夜馬ナイトメアとも違う。胸元に抱えたが違う。

「俺が生み出したのだ。『頭拉膰ずらはん』という。最初は偶然の産物だったが」

 妖馬の後ろから、誇らしさすら感じる声音で語る鵺羽の首領。

 その隣には、虚ろな目で俯く……はじめ

「元凶、なんですか」

「原罪のことか?」

「バケモノ作っといてなにすっとぼけてんだよ!」

 踏み込もうとすると、頭拉膰ずらはんとやらが遮る。

「うぜえ……」怒りに震えながらも観察する。肘までの長手袋かと思ったが、腕は猿なんだな。幅の狭く長い手。夜馬ナイトメアの手。

「バケモノとは失礼ねぇ」抱えたが、喋りながら宙に浮き始める。

「あなたも私の中でお眠りなさい」

 翼のように広げた腕。宙に浮く首。なので全然おっぱいに感動しない。

「バケモノじゃねえか。ジなんとかオングか、どっちかにしろや!」

 盛大にツッコんだが、状況はよくない。備えはあるが相手はまさかの妖馬だ。専門家が作った攻撃用デバイスがないのは厳しい。

「おい! 逃げっぞはじめ!」

 反応がない。何かされたのか?

「この子らが選んだことだ」

「利用してるだけだろ」うぜえ、まずは爺さん殴っとくか。

 大きく横に飛ぶ。回り込むためだ。

 女も対応してくる。反応もいいし速度もある。

 逆に切り返す。女も対応してくる。

 馬鹿め、そっちは妖気だ。獣はもっと賢い。まだ成り立てということだろう。

 一気に突破する。

「大したものだ。だが、正攻法ではどうにもならないこともあるのだよ」

 爺さんが五芒星を切る。何をする気だ。

「契戒流妖術――【戯汀あじゃらてい】――」

 まだ何も起きない。届く。間に合った!

 そのはずの拳は……まるで羽毛でも殴ったかのよう。いや羽毛ですらない。空気だ。

 構えてすらいない。幻覚ではないのに。

〔知性:古式妖術のようです。ネットワークエラー〕

〔理性:解析中。しばらくお待ちください〕

 どれだけ攻めても当たる気がしない。ギリギリで当たらないのがまたムカつく。インチキだろ!

 木に追い込んでもだめだった。するっと抜けていくのを見越して殴ったが、それもするっと躱されただけだった。

 位置取りに気を付けないと、女が掴み掛かってくる。

〔知性:高圧縮アーカイブに情報あり。古くは契戒流の召喚術士が時間稼ぎに使用したようです〕

〔理性:解析完了。原理としては、空気の一部を召喚体として瞬時に入れ替わるようです〕

 常時召喚し続ける燃費の悪い術だが、確実に時間を稼げると。

「当たらないって言われると、当てたくなんだよなー」

「言っただろう。正攻法ではどうにもならない。高性能なデバイスに優秀な使い手。だがそれだけでは、妖術士として真っ直ぐに過ぎるぞ」

 切り札は、ある。

 契闇流妖術【貌喰かおぐらい幻螺旋げんのらせん】。それによって溜めておいたもの。

 後ろをちらっと見る。

「おい女ア! 掴んだら放すんじゃねえぞ!」

 煽られた頭拉膰ずらはんが、さすがの速度で突進してくる。

 今だ――

 溜めておいたもの。それは

 ――馬って日中は存在が曖昧なのよ――

 リン少尉の言葉。半妖とはいえ、この状態なら。

 存在が薄らいだ!

 ならば、この勝機を生かす妖術を仕掛ける。

「契光流妖術――【火食かじき】!」

「なっ、新興の妖術だと!」

 俺の姿が消えたように見えただろう。練習しといてよかった。

 契光流の極意は、妖気の純化。【火食かじき】は自らを妖気の弾丸とした【単圧ひとえあつ】と言える。

 攻撃に転じれば空気と入れ替わろうがその先に必中。つまりこの拳、盾で受けるしかないのだ。

「がはっ!」

 鳩尾を突く。殺さないよ。そのためのだ。

 光が消えると入れ替わりに現れた女は、指示通りに爺さんを放さない。

「妖術士じゃない。俺は『妖術師』だ」

 まともに息の出来ない状態では大変そうだ……おい、殺すなよ?


         ☆


「帰っぞ、はじめ

「……もういいんだよ。ありがとな、つよし

「これ見てまだわかんねえのかよ」

「他所じゃ生きられねえよ。もう生きられねえよ」

〔知性:薬物により経絡に損傷あり。修復は不可能です〕

「だって今日、将来の話をしてただろ。頭で考えんなよ。体を生かす計算器が、体を壊してどうすんだよ」

「優等生のアドバイスうざいわ~」

「うるせえなあ女。てめえオタク虐めからてめえの数倍オタクばれて数倍虐められたとか同情できねえぞ」

「うざいわ~」

「もういいっすよ。会長、社員にしてくれるんすよね」

「約束だからな。彼女のように、俺と契約して〝洒湮しゃいん〟になってよ!」

「いや明らかにだめだろ、こんなんになりたいんか!」

「これでもう……悩まないで済む……」

 それを聞いて。俺は、力が抜けた。


 昨日今日の付き合いじゃないというのに。

 鵺羽の首領は事務処理でもするかのように。

 その指は五芒星を描いて。


「契戒流妖術――【出膰いでおろぎ】――」

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