第四十一話 声聞くときぞ 秋はかなしき

 勇輝は紅葉の小枝を持ったまま、楓の屋敷の裏をうろうろしていた。

 勇輝はこの屋敷に来るのは二回目だ。まだ、どこに何の部屋があるのか把握していなかった。誰かに楓の居場所を聞けばいいのだが、皆、忙しそうだったため、それも躊躇ためらわれた。


 ――とは、言い訳で。楓に直接渡したくなくて、誰かに押し付けられないかと思案していたのだ。


 と、そこに、厠から青羽が出てくるのが見えた。


「青羽!」


 声をかけると、驚いたように目を見張ったが、立ち止まってくれた。


「ちょうどよかった。呼びに行こうと思っていたのですよ」


 都合よかったのは向こうあおばも同じらしい。


「僕に用?」

「ええ。楓様がお呼びです」


 青羽の答えを聞いて、聞かなければよかったと顔をしかめた。


「なんですか、その顔は」


 目ざとく見られて、たしなめられる。確かに、主人に呼ばれて、顔を顰める近習はいない。だが、顔を顰めるだけの理由があるのだと、勇輝は手に持っていたものを青羽に見せた。


「これなんだけど……」

「あなたがもらったのですか?」

「違う、違うよ! ……楓にって。葵の君の女御から」

「あぁ……」


 それだけで色々察したのだろう青羽は、ため息のような声を漏らした。


「これ、青羽から楓に渡してもらえないかな?」

「そうですね……。私から……いや、あなたから楓様にお渡ししなさい。あなたが頼まれたのでしょう?」


 青羽は、勇輝の顔を見て、意見を変えた。にやりと意味深な笑顔を見せる。それは意地悪というより、おもしろがっている笑顔だった。


「ちょっと待って! 確かに頼まれたのは、僕だけど……」


 そこで少し言葉を切って、勇輝は青羽を見上げた。だが、すぐにしおしおと視線が下がる。


「僕は、これ、楓に渡せないよ……」


 楓との関係は青羽も知っているはずだ。というか、すべて筒抜けだ。楓に隠す気がないのだから。

 だから、自分が渡せないというのもわかってくれるだろうと思っていたのに、おもしろがられるなんて。

 勇輝の胸はずきずきと痛みっぱなしだった。

 しょんぼりした勇輝を見かねたのか、青羽が慌てて言いつくろった。


「いや、別にあなたに意地悪しているわけではありませんよ? 大丈夫ですから、その顔でこれを持っていきなさい」


 どの顔で?


 勇輝は今、自分がどんな顔をしているか、自覚がなかった。だが、青羽は自信満々だった。その根拠がわからない。


 勇輝は青羽に連れられて、楓の部屋へと向かった。

 楓はすでに本邸へと戻ったらしい。宴もたけなわであるが、少々発酵し始めた感じは否めない。もうすぐ無礼講になるだろう。その前にと、来客の一部にもお暇し始めた者もいる。楓はまだ成人でないという理由から、部屋に早めに戻されたのだろう。


「楓様。勇輝を連れてまいりました」

「入れ」


 楓の短い返答を聞いただけなのに、勇輝の胸はドクンと大きく跳ねた。

 今日は朝からまだ一言も交わしていない。近くにいて、姿を見ているのに話せないのがこんなに苦しいとは知らなかった。


 こんなことを考える自分は、すごく女々しいのではないか。

 そう思った勇輝だが、部屋に入った途端、楓が抱きついてきて、自分だけが寂しかったのではないと知った。


「勇輝! 今日の俺を見たか?」


 キラキラとした瞳で見上げてくる楓は、今日、自分が勇輝に勇姿を見せられたかと心配そうだった。

 そのいつもの楓の様子に、どこかほっとしている自分ゆうきがいた。


「うん、見たよ。とっても格好良かった」


 勇輝がそういうと、楓は顔をくしゃりと崩して笑った。そして、ふふん、そうだろうと言いたげに、満足げに胸をそらした。

 その様子は、昼間の武人然とした楓と違い、年相応でかわいらしかった。――楓には言えないが。


 いつもの楓が見られて、勇輝の心はぽかぽかと暖かくなる。

 たったこれだけのことなのに、それが嬉しいなんて、自分はどこまでお手軽なのだろう、と自嘲する。


 だが、その気分も楓の一言でまた冷え始めた。


「勇輝。それは何だ?」


 楓が、勇輝が手に持っている紅葉の小枝を見つけて、何気なく尋ねた。それだけで、勇輝の心は縮み上がった。


「こ、れは、その――」


 助けを求めて後ろを振り返ったが、すでに青羽の姿なく、襖はきっちりと閉められていた。

 助けがないと悟った勇輝は、渋々口を開いた。


「……これは、葵の君の女御から預かったんだ。楓にって」

「……お前は、これが何か知っているのか」


 勇輝の言葉を聞いた途端、楓は一気に不機嫌になった。それが、叱られているように感じて、ますます勇輝は縮こまる。


「知ってるよ。……恋文だろ」

「知っているのに、お前は預かったのか?」


 楓の表情が、ますます険しくなる。その怒りの原因がわからず、勇輝はおずおずと尋ねた。


「葵の君からの文って、預かっちゃダメだったの?」

「違う。違うだろ、勇輝」


 否定されて、勇輝はきょとんとした。だが、楓は怒りのままに続ける。


?」

「――ッ!!」


 楓の瞳の奥に、今まで見たことがない感情が浮かぶ。それから勇輝は目が離せなくなった。


 きりり、と心が痛む。

 勇輝だって、本当は渡したくなかった。誰かに預けられれば――、否、捨ててしまえればどんなによかったか。


 だが、勇輝にはそれはできなかった。

 楓の近習であるということ以上に、一人の楓を好きな者として、同じ思いの人の恋心を捨ててしまえなかったのだ。


 あの、この世の美しい物全てを集めて造られたような綺麗なお姫様。きっと楓の隣に並ぶと、お雛様とお内裏様のようにぴったりとはまるに違いない。

 誰からも祝福されるであろう二人で、それが故に一片の曇りもないであろう葵の君の恋心。

 その、キラキラとした美しいものを、勇輝は捨ててしまえなかった。


 もし、捨ててしまえば、勇輝の恋心は、罪悪感できっとしおれてしまう。近習としても、楓の先輩としても、そばにいることが許せなくなってしまう。

 近習としてそばにいられなくなるくらいならと、勇輝は自分の心を押し殺して楓に渡したのに。なのに、それを楓に非難されるのか。


「……だって。だって、僕は、楓の近習じゃないか。楓が僕を近習じぶんのものにしたんだろ。だったら、頼まれたら、渡すしかないじゃないか!」


 ぐいっと、紅葉の小枝を楓の胸に押し付ける。目頭が熱くなっているのを、頭の片隅で感じた。


 あぁ、駄目だ。このまま、ここにいては。

 そう思った勇輝は、楓に小枝を押し付けると、部屋から逃げ出そうとした。


 その両腕を楓につかまれる。


「離して!」

「離さない。顔を、よく見せろ」

「やめて。見ないで……」


 勇輝が顔を伏せても、楓の方が身長が低い。両腕を楓につかまれているから、顔を隠すこともできずに、下から覗き込まれてしまう。

 せめて、と思った勇輝が瞳を閉じる。すると、楓が首に腕を回してきた。そのまま引き寄せられ、楓の首に顔を埋める形になる。


「悪かった。意地悪なことを言ったな」


 そう言って、楓が勇輝をあやすようにぽんぽんと叩く。これではどちらが年上かわからない。

 それでも勇輝は、楓の体温、楓の匂いに安心してしまう。

 勇輝が落ち着くのを待って、楓が言った。


「お前でも、そんな顔をするんだな」


 先ほどの青羽と同じことを言われ、勇輝は戸惑った。自分はどんな顔をしているのだろう。勇輝は自覚のないまま、楓を見返した。


 楓は慈しむような顔をすると、来いと腕をゆるりと引っ張った。


「来い。今日は、甘やかしてやる」

 にこりと笑った顔は、昼間の貴族の――大人の顔をしていた。



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読んでくださっている方には申し訳ないのですが、ストックがなくなったので、不定期更新に変更します。

できるだけ月・水に更新できるよう頑張ります。ますが……最近の体調を考えると少し難しいと思います。

気長に完結まで待っていただけると幸いです。

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秋の鹿は笛に寄る 川津 聡 @KAWAZU_satoshi

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