第三十四話 壮途

 近習になり、七日が過ぎた。




「お坊ちゃんの近習になったんだって?」


 ギャリリッと鉄の擦れる音がして、虎徹の持っている刀が地面を穿うがつ。

 うまく攻撃をなしたはずなのに、薙刀を持つ手はビリビリと痺れた。


「情報遅い」


 勇輝は虎徹が体勢を立て直す前に石突きを繰り出したが、それはヒラリとかわされた。


「お前が何にも言わねーからじゃん」


 代わりに下から掬い上げるような剣戟が襲ってくる。


「聞かれなかったからね」


 それを半身をひねる最小限の動きで躱す。ムッとした虎徹が、すぐに刀を振り下ろす。


「すげー出世じゃん。『おめでとう』?」


 次々と繰り出される攻撃を、嫌な顔をしながら躱す。虎徹の一撃は、力があるくせに速い。

 危なげなく躱してはいるが、それは躱すことに全力だからだ。これでは攻撃に移れない。


「それは、まだ。一ヶ月間のお試しだから」


 そもそも自分の獲物が薙刀で、こんなに接近を許している時点で詰んでいるのだ。

 距離を取ろうと試みるが、虎徹はこちらの心理など百もお見通しなのだろう。鋭い踏み込みで、なかなか距離が取れない。


「じゃ、『お坊ちゃんに気に入られて大変だな』?」


 胴を狙った横薙ぎを、薙刀で受け流した。

 面倒になったので、腹を蹴ってやろうと蹴りを繰り出したら、拳が死角から迫ってきた。慌てて蹴りの軌道を拳に合わせ、大きく後ろに飛び退すさる。


「……そうでもない」

「へぇ?」


 彼我の距離が開く。これは薙刀の間合いだ。

 息つく暇もなく、勇輝が喉、胸、腹を狙った三連突きを繰り出す。相手に休憩を与えてやる必要はない。


「今まで、同じ小隊で活動してきたからね」


 喉、胸は刀の腹で受けられたが、腹は間に合わないと思ったのだろう。身をひねって躱される。


「俺なら、餓鬼のおりなんか真っ平だけどな」


 それは読めていた。なので、最後の突きの軌道を変え、横にぐ。


「餓鬼って侮ってると、痛い目見るかもね」


 平衡を崩したところを好機と見て、連撃を繰り出すが紙一重で躱される。だが、虎徹の表情に余裕はない。それを見て、薙刀をくるりと大きく回すと、思いっきり叩きつけた。

 ガァンッと鉄同士が打ち合う音が響く。


「『落ち武者は薄の穂にも怖ず』だな」

「『千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず』だね」


 遠心力も上乗せした一撃を受け止められ、両者の動きが止まる。

 しばらく睨み合ったが、どちらからともなく構えを解いた。


「……己が主人を『馬』にたとえるたぁ、不敬だねぇ」

「僕の主人は、それくらいで怒るような器の狭いやつじゃないからさ」


 二人は、武器を納めながら、開始線へと戻り、一礼する。




   ◇ ◇ ◇




「お前ら、模擬戦なんだから、もちっと真面目にやれ〜」


 二人の模擬戦を見学していた大輝が野次を飛ばした。

 勇輝たちの戦いは高度だったが、軽口を叩いていたことからもわかるように、全力ではなかった。そのことを非難しているのだ。


「お前が『真面目に』とか、言うかぁ〜?」

「お〜、よしよし。構ってあげるからね〜」

「鬱陶しい! 暑い! 離れろ!」


 一試合終えて汗だくの虎徹と勇輝が、生意気を言う大輝にへばりつく。その二人を、両手を振って追い払う大輝。

 追い払ったら、虎徹は素直に散っていったが、勇輝は笑いながら大輝の隣に座った。

 こうして、二人ゆっくり話すのも久しぶりな感じがした。勇輝が二人部屋から消えて、まだ七日。

 なのに、ずいぶん遠くに行ってしまったように感じる。


「一人寝には、慣れたか」


 揶揄からかい半分で声をかけたら、「え、う〜ん……まぁ」と誤魔化された。


「お前、楓に無茶なこと言われてねーよな」


 心配になって、思わず確認する。楓は、生まれた時からお貴族様だから、息をするように我儘を言うことがある。それに振り回されているんじゃないかと、大輝は気が気じゃなかった。


「あぁ、いや、それは大丈夫。他の近習の人も優しいし。いろいろ勉強になってるよ」


 本当かよ、と思うが、勇輝の呑気そうな顔を見ていたら、そんなにひどい扱いを受けているわけでもなさそうだ。

 それならいいか、と、次の模擬戦を眺める。


「……お前、楓のことが好きだったんだな」


 ぼうっと見ていたら、そんな言葉が口から出ていた。


「えっ!? ……いやぁ、まぁ。……なんか、改めて言われると、恥ずかしいね」


 横目で見た勇輝の頬は、ほんのり赤く染まっていた。はにかんで、えへへと笑う。


 大輝は、勇輝にそんな表情をさせたのが自分じゃないことに、不愉快になる。


 ――あんな奴の、どこがいいんだよ。

 ――あんなことされて、それでも好きってなんでなんだよ。

 ――あんなに泣いてたのは、なんだったんだ。


 ぐるぐると、疑問が大輝の頭の中を渦巻く。だが、そのどれも言うべきではないとわかって、全てを飲み込んだ。

 きっと、勇輝に嘘はない。泣いたのも、苦しんだのも本当で、それでもその上で、楓を好きになったんだろう。それは、どれほどの強い気持ちなのだろうか。


『兄妹は、いつか道が分かれる。それが今日であっていけないわけはない』


 不意に、楓の言葉が思い出される。


 楓の言葉は、悔しいが真実だった。

 双子といえども兄妹は別々の人間で、いつかそれぞれの道を歩んでいく。ずっと一緒にいられるわけではないのだ。

 だが、大輝は楓に指摘されるまで、そのことに気がつかなかった。それどころか、勇輝はずっと自分と一緒にいると思っていた。


 なのに、あの日、勇輝は別の道へと一歩踏み出した。


 ――




「……お前、俺に遠慮してないで、ここ、やめてもいいんだぜ」


 勇輝の影を見ながら、なんでもないことのように言う。本当は、なんでもなくないくせに。

 勇輝が、楓を選ぶと言うなら、その選択肢はあってもいいはずだ。その方が、――俺なんかのそばにいるより、幸せになれるはずだ。


「……何それ」

「あ?」


 低く、地を這うような声が聞こえて、聞き間違いかと顔を上げたら、隣には勇輝しか居なかった。

 勇輝が、キッとこちらを睨んでくる。その瞳には、怒りがあった。


「……何、それ! 何で大輝まで、そんなこと、言うの!?」


 勇輝は、怒りすぎて、目の端に涙を溜めていた。


「何で? 僕が色々面倒なこと起こすから、嫌になったの?」

「違ぇよ! お前が、楓になったから……」

「近習になったって言っても、一月ひとつきだけでしょ! それなのに、辞めてどうすんの!」


 泣き顔が見られたくないのか、ぷいとそっぽを向いてしまう。そして、そのまま膝に顔を埋める。

 それは、子供の頃、勇輝が拗ねた時によくやっていた仕草だった。


「悪ぃ! 辞めろって言いたいわけじゃないんだ。そう言う選択肢もあるってだけで。楓も言ってただろ。家にいれば安全だって」


 そう言っても、勇輝はしばらく動かなかった。こうなると、勇輝は長い。

 膝を抱える腕をぷにぷにと押す。髪の毛を、つんつんと引っ張る。だが勇輝は、反応しなかった。


「なぁ、勇輝。悪かった。俺が間違ってた。なぁ」


 機嫌をとるように、精一杯、優しい声を出す。そして、何度か謝った時に、勇輝がようやく口を開いた。


「……大ちゃん。僕たちの約束、覚えてる?」

「あ? 約束?」


 『約束』と言われても、パッと出てくる心当たりはなかった。次の休みに、どっか行こうって言ってたっけ……?


「『いつかここを二人で出て行こう』って、ずっと言ってたじゃん」

「!!」


 それは、大輝の心の支えだった。それを、忘れるわけがない。


「覚えてる! 覚えてるぞ!」


 勇輝も覚えていたのか、と勢い込んで返事をしたら、腕の隙間から、じとっとした視線が返ってきた。勢いが良すぎて、誤魔化したように受け取られたらしい。


「ホントに〜?」

「ホントだって! その約束があったから、俺たち、渾天院ここまで、来たんだろ?」


 忘れていない、ちゃんと覚えていたと言うと、勇輝は半信半疑ながら一応は信じてくれたようだった。

 ぽすっと膝の上に顎を乗せる。目はまだ赤いが、天岩戸あまのいわとに隠れるのはやめたらしい。


「あの約束ってさ、ただ鱶河城の外に出ればいいってわけじゃないでしょ。外に出て、『真っ当な生活』ができなきゃ、外に出た意味、ないじゃん」


 大輝は、外に出たらそれでいいと思っていたが、勇輝は違うらしい。

 だが、勇輝の言う『真っ当な生活』とは?


「外の人たちの、『真っ当な生活』って、僕も何かよくわかんないけど。でも、それって、自分の力で生きていくことだと思うんだよね」

「自分の力で……、一人っきりってことか?」


 反射的に、俺はいらなかったのかと思ってしまったが、そうではないらしい。


「もう! 違うでしょ! ちゃんと『二人で』って言ってるじゃん! 僕は、助け合うのはいいけど、一方的に助けられるだけなのは嫌なの。僕も、ちゃんと役に立ちたいの」


 どかっと勇輝が肩をぶつけてくる。それは勇輝の全体重を乗せた体当たりだったが、大輝は微動だにせず受け止めた。勇輝は、大輝に寄り掛かったまま言葉を続けた。


「僕達、まだ、渾天院ここだよ? まだまだ先は長いし、やらなくちゃいけないことも、やりたいことも沢山あるんだ。でしょ?」

「……だな」


 孤児の自分達にとって、『真っ当な生活』とは何か、わからない。わからないと言うことは、つまりまだ『真っ当』ではないと言うことなのだろう。

 だったら、それに向かって進むべきだ。勇輝の言う通り、自分達はただ鱶河城あそこから抜け出したかったわけではない。抜け出した先、その先に輝く未来を夢見ていたのではなかったか。


「なのに、僕一人だけ家の中で、ぬくぬくと暮らしていられないよ。言ったでしょ、僕は戦さ場にあってこそなんだって」


 誰が理解せずとも、大輝にだけはわかって欲しいんだ、と言われたら、わかると言うしかない。


 勇輝がそんなふうに考えていたとは、気がつかなかった。だが、まだ道半ばだと言われたら、それはしっくりきた。それなら、自分もこんなところで止まっていられない。

 そう伝えると、勇輝は、得意そうに「でしょ〜?」と笑った。


「あのさ、僕が楓の近習になるなら、俺も伊吹先輩の近習になる! くらいのことは言って欲しいよ」


 さらりと勇輝がとんでもないことを言った。それは、対等に、上を目指してくれ、と言う意味だったが、大輝はそう受け止められなかった。隠していた胸の内を見透かされた気がして、慌ててしまった。


「お前っ! 伊吹さんは、近習を持たない主義だって」

「知ってるよ〜、それくらい。本当になれって言ってるんじゃなくて、それくらいの気概を持てって意味」


 大輝の動揺に、何をそんなに慌てているんだ、と勇輝が冷たい視線を送ってくる。


「『俺が、伊吹先輩の信念を変えてやる!』くらいの強引さはあってもいいと思うんだけどな〜」


 人ごとだと思って、勇輝が無責任なことを言う。




『……大輝は、楓の近習になりたいのですか……』




 そう言って、大輝を不安げに見上げる伊吹の顔が、脳裏に浮かぶ。

 どうして、あの時、「ダメ」と言ったのか。

 どうして、あの時、不安そうだったのか。


 それを尋ねれば、きっと後戻り出来なくなる。今までの、心地よい関係が、変わってしまう。

 だから、大輝は尋ねなかった。伊吹も、あの時の話を蒸し返すつもりはなさそうだ。


 だが、勇輝は一歩踏み出した。

 なのに、自分は、歩き始めなくていいのだろうか。

 考え込んだ大輝のそばで、いつも通り勇輝は微笑んでいた。

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