第十話 宴のあと

「ここン家、意外と人使い荒ぇ〜」


 と、裏庭の神域に続く生垣の補修を終えた大輝が肩をぐるぐる回しながら、ぼやいた。

 まぁ、神域に近づけば何が出るかわからないので、神人である自分がやったほうがいいというのはわかる。それに、屋敷は八ノ瀬山に出た毀猿の討伐準備で忙しいのも知っている。

 だが、補修は日が沈んでからやるものではないだろうと、屋敷の奴らに言ってやりたい。多少、金があるのかは知らないが、わざわざ火を焚いてまでやることではなかろう、と。


 これでも一応、次期ご当主様の客だぞと、呼びに来た老婆の視線を思い出して不機嫌になった。


 部屋に帰ったら、一風呂もらおう、と思いながら歩いていると、廊下に続く部屋から伊吹が出てくるのが見えた。

 あの部屋は、確か、この屋敷の奥方の、――つまり、楓の母親の部屋だ。

 月明かりに照らされた伊吹は、どこか不満そうだった。何か良くない知らせでもあったのだろうか。

 そう思って、大輝は小走りに伊吹に近づいて行った。


「先輩! 何してるんすか、こんなところで」

「大輝!?」


 何気なく声をかけたら、伊吹は驚いたようだった。


「部屋にいたんじゃないのか?」

「や、ここン家の人に頼まれて、ちょっと出てたんです」


 それを聞いて、伊吹の眉がしかめられる。


「勇輝は?」

「先輩ン所にいたんじゃないっすか」

「話している最中に、私が呼び出されてね。大輝がいるから部屋に戻るって言っていたんだけど……、会っていない?」

「会ってねーです」


 伊吹が心配そうな声を出すものだから、つられて大輝も心配になってしまった。

 何かまずいこと、致命的な失敗を犯してしまったような気にすらなる。

 その大輝の不安が伝わったのだろう。伊吹は励ますように笑顔になった。


「いや、大丈夫。私の取り越し苦労かもしれないから。ただ……」


 そこで思案し、やがて伊吹はきっぱりと顔を上げた。


「――大丈夫。まず、部屋に戻ろう。勇輝も暇をしていると思うから」


 だが、伊吹の心配は的中した。

 大輝たちの部屋は、伽藍堂がらんどうだった。

 よくないことの証のように、部屋の入り口に勇輝が持っていた八ノ瀬山の地図が一枚、落ちていた。


  ◇ ◇ ◇


 伊吹は、この屋敷に二人を連れてきた時から、嫌な雰囲気を感じていた。そして、それは奥方に会い、確信に変わる。


 二人はこの屋敷で歓迎されていない。


 だが、身分を考えれば、それも仕方がないことだと思う。

 しかし、奥方が二人を見る『目』が、今朝から変化していた。特に、勇輝を見る時、まるで新しい玩具を見るような目だったのが、ずっと引っかかっていた。


 ――それが、思い過ごしであれば。


 何事も起きていない段階で、懸念を口にするのははばかられた。それは、三条家を侮辱していると取られかねないからだ。

 だが、もぬけの殻になった客間を見て、それが懸念でなかったことを思い知る。


 ――どうか、暇を持て余した勇輝が、一人で散歩に行っているだけでありますように。


 そんなことはないと思いつつも、そうであることを願いながら、彼女の姿を探した。




 伊吹が大輝とともに、勇輝を探していると、楓を見つけた。

 楓がいれば、この屋敷の表だろうが、裏だろうが、入れないところはなくなる。だから、勇輝を探す手伝いをしてもらおうと思って、伊吹は楓に声を掛けた。


「楓!」

「……あぁ、伊吹兄様。どうされましたか」


 呼びかけに応えた楓は、ひどく気怠げだった。そして、今までとは違った色気のようなものを醸し出している。

 だが、焦っていた伊吹はそれに気が付かなかった。


「勇輝の姿が見えないんです。それで探しているのですが……」

「あぁ。勇輝ですか。勇輝なら、中にいます」


 と、先ほど出てきた部屋の襖を指差した。


「あぁ、楓と一緒だったのか。それだったら、よかった」


 ほっと胸を撫で下ろした伊吹に、楓はどうしましたか、と問いかけた。

 だが、楓の家の者の動きを疑っていると楓本人に言えるわけがない。

 それでなんと説明しようかと考えている伊吹の横を、大輝がすり抜けて行った。先ほど、楓が指し示した部屋の襖を開け放つ。


「おい、大輝――」

「てめぇ、何してやがる!?」


 楓の制止に被せるように、大輝の怒鳴り声が響いた。

 その怒声に、いつものようにはぁ、とため息をつく楓。

 その様子を見て、ようやく伊吹は楓がことに気がついた。


「……誰かいるのですか?」


 聞きたくないが、聞かなければならない。


「あぁ、家人がをしています」

「……後始末って……?」


 ふわり、と楓から香の匂いが漂ってくる。それは、伊吹も嗅いだことのある匂いだった。

 嗅いだ者の性的興奮を高め、乱れやすくする……。嘘か真か、そういう触れ込みで売られている香だった。そして、それは原材料が高価故、おいそれと使用できる物ではなかったが、上流階級ではしばし使用されていた。


 愛人とのお楽しみに、倦怠期に入った夫婦に、そして、ねやが初めての者に――。


 そこまで思い至った伊吹の耳に、いつも通りの楓の声が入ってきた。


「閨のです」


 その声は、ただ事実を淡々と述べていた。そこには罪悪感も、決まりの悪さも、何の感情も見えなかった。

 自分なら、堂々と人に言えないであろうことを、楓は平然と言った。そこに、薄ら寒さを感じながら伊吹は確認する。


「閨……、君と、勇輝の?」

「そうですが、何か? ――おい、大輝、部屋の中で術を使うんじゃない!」


 楓の台詞の後半は、部屋の中に向けて怒鳴られた。

 その言い方は、いつも大輝が無茶をして、それに巻き込まれた時の楓のイライラした感じと全く同じだった。

 いつも通りではないとわかっているのに、いつも通りだとしか思えない。

 それが、伊吹の混乱を高める。


 足早に、来た道を戻る楓に、ふらふらとついていく伊吹。

 部屋に近づくたびに強くなる香の匂い。そして、それに混じる、男と女の淫靡いんびな匂い。悪い予感が、現実へと形作られていく。


「おい、大輝。何をしてるんだ」

「何をした、はこっちの台詞だよ! おめーら、勇輝に何しやがった!」


 伊吹は、楓について部屋の入り口に立ち、そのあまりの惨状に倒れそうになった。


 行灯の薄い明かりに照らされた室内は、情事のあとが色濃く残っていた。

 焚き染められた香の残骸。

 乱れた寝具。

 そして、朧に抱えられてぐったりした勇輝……。


 その悲惨な様子に、伊吹の血がざっと下がった。

 怒りか、絶望かわからない感情が、伊吹を支配する。

 大輝の怒鳴り声も、楓の苛ついた声も、わんわんと響くだけで、意味をなさなかった。


「……なさい」

「え?」


「――家人を下がらせなさい!」


「なぜです? 朧は――」


「いいから下がらせなさい!」


 慣れない怒鳴り声は、癇癪かんしゃくを起こしたように裏返ってしまった。

 だが、その迫力に楓は押されたのか、家人に「下がれ」と命を下した。それに素直に従う家人。


 獣の子でも放り投げるかのように、布団の上に投げ出された勇輝に、大輝は駆け寄った。

 勇輝は、未だ一糸まとわぬ姿だった。その体は、どちらのものともしれぬ体液で汚れ、白い肌には噛み跡や鬱血した跡がたくさん散っていた。

 何があったと聞くまでもなく、何が彼女の身に起きたのか、知れた。

 そのあまりの痛ましい様子に、伊吹は目線をらした。


「勇輝! 勇輝! ……手に、縄まで……!」


 大輝が必死な声で勇輝を呼ぶ。いまかつて、これほど悲壮感に満ちた彼の声を聞いたことがあっただろうか。その声に、伊吹の心が痛む。


 だが、楓は違った。


「おい。乱暴にするな。。いくら兄妹とて、節度をわきまえろ」


 その信じられない台詞に、大輝の堪忍袋の尾が切れた。


「てっめぇ! どこまでクズだよ!」

「はあ? お前にそんなこと言われる筋合いはない」


 冷えた視線で、大輝を見下す楓。それを受ける大輝は、怒りに全身を染めていた。


「てめぇ、ぶっ殺す!」

「とんだ猿だな。できるのならやってみろ!」


 二人が術を行使しようと力を溜める。ばちばちと部屋の中に気が乱れ飛ぶ。だが。


「両者、そこまで!」


 ビリビリと空気を震わせる伊吹の一喝で、二人の術は形を成す前に霧散してしまった。


「――大輝。君の怒りはわかる。が、まずは勇輝の手当だ。楓。湯と薬を用意させなさい」


 有無を言わせぬ強い調子で言われた言葉に、反論するものはいなかった。

 伊吹は辺りを見回すと、力なく言った。


「私の客間に移動しましょう。――ここは、あまりにも……無残だ」

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