第八話 散花(わさび控えめ)

 どこからか、女の嬌声が聞こえてくる。その甘く、媚を売るような声には、なぜか聞き覚えがあった。

 勇輝は、半覚醒の中、とろりとした快感の中にいた。

 身体中、どこも気持ちがよく、特に腹は熱を帯びていた。

 体に触れられ、その快感に声が漏れる。その声が、自分の声だと気がつき、一気に覚醒した。


「……え? ……やっ、何!?」

「……気がついたか」


 勇輝を組み敷いていたのは、朝の能面男だった。相変わらず、白けた目線で勇輝を見ていた。その熱のない視線に、勇輝の肌が粟立つ。


「や、触んな!」


 身をよじったら、腕に痛みが走った。勇輝の腕は、背後で縛られていた。その縄がぎりぎりと食い込む。


「さっきまでは、従順で、はしたない声を出していたのに。やはり、目が覚めると駄目だな」


 能面男の言葉に、勇輝はゾッとした。さっきの声は、僕……!?


 まとまらない思考で、それでも何とか現状を整理する。

 自分は一糸まとわぬ姿だが、能面男の方は嫌味なくらいきっちりと服を着ている。まだ、なことはされていないはずだ。それが、幸か不幸かはわからないが。

 それなら逃げる隙はあるはずだと、算段をしている耳に、不可解な台詞せりふが飛び込んで来た。


「は? ……やっ、触ん……んあっ」


 能面男の手が無遠慮に伸びて来て、勇輝の体をまさぐる。


「やだっ、やだぁ……!」


 自分の意思に反して反応する体。その刺激に、勇輝の頭は混乱していた。


「怖いっ、なんか、変だっ……!」

「大丈夫だ。それが正常な反応だ」


 どこまでも、能面男は冷めていた。

 全く熱を帯びない声と体。それが勇輝には怖くて、怖くて、とうとう声を上げて泣き出してしまった。


  ◇ ◇ ◇


「全く。おぼろも偉くなったものだ。俺を呼びつけるとは」


 楓は独り言を言いながら、実家の廊下を歩いていた。先ほど、女中が、楓を呼びに来たのだ。朧が呼んでいる、と。

 いつもなら、用があれば楓の元へ来るのに、今日は自室に来いと言う。そこに違和感を感じながらも、楓は朧の言葉に従った。


「おい、朧。開けるぞ」


 楓は呼び出された部屋の襖を、遠慮なく開け放った。この家の中で、自分が開けてはいけないところはないからだ。

 その部屋の中は、薄暗かった。ほのかに光る行灯が部屋の隅に置かれ、その光がギリギリ届かないところに布団が敷かれているのがわかった。


「朧……?」


 その部屋の異常さを一瞬で感じ取った楓が、不審げな声を出す。

 その鼻に、焚きしめられたこうの香りと、ひどく生々しい何かの匂いが届いた。


「あぁ、楓様。襖を閉めて入って来てください」


 朧は布団の上で体を丸めていた。その体の下に、ひどく白い何かを見つけた。

 楓はここで回れ右をすることができた。だが、警戒よりも好奇心が勝ってしまい、その部屋に足を踏み入れてしまった。




 朧に言われた通り、そっと、後ろ手で襖を閉める。

 廊下からの光がなくなり、再び行灯の光だけになってしまった部屋に、楓の目が慣れるより早く、朧ではない声が聞こえた。


「……やだ……。来るな……」


 か細い女の声が聞こえる。その声は、勇輝の声に似ていた。


「――朧、何をしているんだ」


 声を発した瞬間、喉がカラカラに乾いていることに気がついた。

 恐怖とそれを上回る好奇心で、楓の瞳は布団の上に釘付けになっていた。

 朧の体の下の、白いものはなんだろう。気づいてはいけないと言う理性と、見るべきだと言う本能がせめぎ合う。


「――何って、そろそろ楓様も男になる頃だと思いまして。いい機会だったので、待っていたわけです」


 朧はそういうと、組み敷いていた女の体が楓によく見えるように移動した。

 果たして、その朧の体の下から出て来たのは、勇輝だった。

 行灯のほのかな明かりに照らされて、涙に濡れた跡が光った。


「勇輝!? 何っ、お前っ、え??」


 何から聞いていいのかわからず、言葉に詰まった楓に、朧がわかります、というように首を縦に振った。


「やはり。楓様は気がついていなかったんですね。双子のこっちは女だったんですよ」


 朧は勇輝の身体がよく見えるように、その上半身を持ち上げた。


「やめろっ! 楓、見るな!」


 勇輝は嫌がって身をよじった。だが、朧の拘束は強固で、びくともしなかった。


「女……?」


 呆然とした声が、楓の口から漏れる。その目は勇輝の体に釘付けになっていた。

 初めて見る女の身体に、楓の本能が反応する。


「楓様。


 朧が囁く。


「この女は、哀れにも、兄とともに渾天院に入る道を選んでしまった。ですが、楓様、女の幸せは戦いの中にありますか」


 朧の問いかけに、いや、と楓は首を振る。

 楓は幼い頃から、耳にタコができるほど聞かされて来た。

 女の幸せは、子を成し、家を守ること。

 それは祖母から母へ。母から姉へ。連綿と続く呪いの言葉だった。だが、男の楓はそれが呪いだとは知らなかった。だから、女の幸せは子を成すことだと信じ込んでいる。


「……だが、勇輝は嫌がっているのではないか……?」


 その問いかけは、楓の最後の良心だった。その言葉に、勇輝が答えるより早く、朧が彼女の口を塞いでしまった。


「いいえ。突然のことで驚いているだけです。楓様も、が女だと知って、驚かれていますよね」

「……あぁ」

「それと一緒です。この女も、戦うしか道がなかった自分が、こうやって楓様に助けてもらえるかもしれないことに、驚いているだけです」


 勇輝は、違う、と言いたかった。だが、口を塞がれ、顔を固定されていては、自分の意思を楓に伝えるすべはなかった。

 せめても、と思い、楓に懇願するような視線を送る。僕は、自分でこの道を選んだのだ。助けなんか望んでいない、と。


 だが、その懇願を、楓は正しく受け取ることができなかった。


 ――求められている。


 そう思ってしまった。


 ゴクリ、と喉が鳴る。

 体の奥深くから、熱い塊が腹へと集まってくる。それは、腹に溜まり、吐き出される先を求めて、渦巻いた。


 朧は、洗脳するように、穏やかに声を紡ぐ。


「楓様。この女を助けてやれるのは、楓様だけです」

「――助ける……」


 それは、甘美な響きだった。いつも助けられている自分が、勇輝を助ける?


 先輩風を吹かせて、物分かりのいい顔で大輝との喧嘩の仲裁に入る勇輝。

 戦闘中は、あまねく戦場を俯瞰し、少しの違和感も見落とさない、鋭い勇輝。

 伊吹兄様の作戦を最も理解し、あまつさえそれに意見できる勇輝。


 普段の凛々しい勇輝の表情が脳裏に浮かぶ。

 だが、目の前のこの顔は何だ。今まで見たことのない表情をした勇輝によって、楓の心に火がついた。


「助けて欲しいのか、勇輝は」

「もちろんでございます」


 楓の問いかけに、朧が答えた。その歪さに、楓は気がつかない。

 楓は、勇輝を視姦してはいたが、観察してはいなかった。


「妻となり、母となる女が、戦の中におってはいけません。この女を、助けてやりましょう」

「……そう……だな」


 朧は今まで楓に嘘をついたことがなかった。朧の言う通りにしていたら、強くなれたし、伊吹兄様の隊にも入ることができた。


 朧は間違ったことを言わない。

 たとえ、見上げた勇輝の瞳が涙で濡れていても、だ。


「……どうしたらいい?」


 楓は朧を見上げて、訊ねた。

 楓の言葉に、朧は薄く微笑わらった。

 勇輝の懇願は、楓に届かず。勇輝は、朧の思惑通り、何度も楓に『助け』られてしまったのだった。

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