第六話 三条本家

「まぁ、まぁ、お坊ちゃん! よくお戻りになられました! 奥様もお喜びになられますよ!」


 楓に連れられて行った三条本家は、武家屋敷の見本のようなお屋敷だった。

 家の周りにぐるりと張り巡らされた白壁は、遠近感が狂うほど先で折れ曲がっている。その白壁の正面に、寺の門か、というような立派な大門がそびえていた。

 その中には、広々とした庭。背後には鎮守の森。

 山の麓一帯が三条の屋敷だった。


 その門を叩き、待つことしばし。

 次期当主の急な帰還に、お屋敷中が一気に騒がしくなった。


「タエ、こちらは近衛家の伊吹様だ。何度もいらっしゃっているから、知っているだろう。言うまでもないことだが、失礼のないように。それと……、この二人は、伊吹様が選ばれた隊員だ。同じ隊員のよしみで連れて来た。まぁ、適当にしてくれ」

「あぁ、近衛様の!」

「突然お邪魔して、すみません」


 伊吹とタエと呼ばれた着物を着た女中が、お互いに恐縮しあって、頭を下げる。

 そんな二人の背後で、大輝と勇輝は、物珍しげに辺りを見回していた。

 二人の養父の屋敷も立派な屋敷だと思っていたが、ここはそれ以上だ。何をするために、こんなに大きな建物が必要なのだろう、とささやき合う。二人にとって、力を誇示するために大きな屋敷を造るという発想はなかった。


 と、そこに、凛とした声が降ってきた。


「タエさん。挨拶は後にして、まず、湯浴みを。それから、温かい食事でしょう。皆様の格好が目に入らないのかね」


 その声の主は、着物をきっちりと着た厳しそうな老女だった。楓によると、女中のまとめ役らしい。

 彼女の言う通り、四人の着物は、まだ濡れていた。服を乾かすより、山を降りることを優先したからだ。


 ああ、そうですよね、すみません、としきりに恐縮するタエに案内されて、四人は湯殿へと向かった。


  ◇ ◇ ◇


「広ぇ! これ、家の風呂?」


 大輝が驚いた声を出す。その目の前には、十人は足を伸ばしてゆったり入れそうな湯船になみなみとお湯が張ってあった。

 その湯気の暖かさに、寒さと緊張で強張り始めていた精神と筋肉が弛緩する。


 家に帰ってきた安心感で、楓は限界だった。早く風呂に入って、温かいものを食べて、温かい布団でぐっすり寝たい。それは、任務中には到底かなわない贅沢だった。


「驚いてないで、さっさと服を脱げ。早く上がって、夕餉にするぞ」


 大輝の驚きに構わず、楓はさっさと上の服を脱いだ。絞ったとはいえ、湿った服が体に張り付いていてずっと不快だったのだ。


「楓、勇輝はどうすれば?」


 その背中に、伊吹が声をかけてきた。何処と無く、困惑したような声だった。その隣では、勇輝が困ったように明後日の方向を見ていた。


「……? どうすれば、とは? 勇輝も入ればいいでしょう」

「おい、お前、本気で言ってる?」


 お風呂を覗いていた大輝が、振り返って大声を出した。こいつはいつもうるさい。もう少し、静かにできないものか。

 そう思って、顔をしかめた楓を置き去りに、意味不明な会話が続く。


「や、薄々思っていたけど、まさか楓まで間違ってるとはな〜」


 と、ガックリした声で勇輝がため息をつく。


「楓、勇輝は……」

「いや、先輩、いいです。今更言って、変になられるのも嫌だし。僕、入り口で待っています」

「ですが、これは失礼でしょう」


 憤慨したような伊吹の声に、何か失礼なことをしたかと楓は考えたが、何も思いつかなかった。


「伊吹兄様。私、何か失礼なことをしましたか」


 だから、素直に質問したら、伊吹は苦虫を噛み潰したような顔をした。その横で、苦笑する勇輝。

 その表情が、道理ものを知らない子供を見る目に見えて、カチンと来る。


「いや〜、お坊ちゃん。本気で気づいてないんだな〜」


 逆に大輝はからかうような表情で楓の顔を覗き込んできた。


「馴れ馴れしい。肩を抱くな」


 イライラを隠すつもりもなく、それを態度で表したが、大輝はどこ吹く風だった。

 あぁ、本当に、この男のこういうところが嫌いなんだ!と、八つ当たりのように思う。


「大輝、いいから。さっさと入って。僕もお腹が空いてるし」


 勇輝は呆れた声で大輝を制すと、くるりと楓たちに背を向けた。

 どうやら、本当に一緒に入らないらしい。

 そういう習慣がないのか、とも思ったが、大輝は平気そうに服を脱いでいる。

 大輝はよくて、勇輝が駄目なのは、どういう理屈だ?


 楓は疑問に思ったが、勇輝は、入り口の守りはお任せくださいなんてうそぶきながら、脱衣所から出ていってしまった。

 失礼な。俺の家で、危険なことがあるか! と怒鳴りつけてやろうとしたが、伊吹兄様に止められたので、しぶしぶ風呂に入った。


 皆で入れば、効率がいいのに、何を我儘な、と思いながら入ったせいか、楓は少しのぼせてしまったのだった。


  ◇ ◇ ◇


「う、う〜ん」


 と、勇輝は気持ち良さそうな声を出して全身を伸ばした。少し熱めのお湯が、冷えた体に染み渡って行く。


 二番風呂であっても、楓の家の風呂は、一人で堪能するには贅沢だった。全身を伸ばして浮かんでも、余裕の広さがある。

 本当だったら、のぼせるまで入っていたい。だが、入れ違いで上がった楓が一緒に入ればすぐ済んだものを、とイライラしていたから、待たせるわけにはいかない。

 名残惜しいが、頼めば明日また入れるかもしれない。だから、早く上がらなければ、とは思うものの、この気持ちよさからはなかなか抜け出られなかった。


 お湯の中で伸ばした体を、見るともなしに見る。

 そこで、さっきの楓が思い出された。

 勇輝の性別を、男だと思って全く疑っていなかった。会話から察するかと思えたが、その様子もなかった。

 確かに胸は発育が良くないとはいえ、一応、女らしい丸みのある体をしていると思う。

 だが、なかなか女と気づいてもらえないのはなぜだろう。

 先輩だって、最初、自分たちを男同士の一卵性の双子だと思っていた。

 会う人は、大抵、勇輝のことを男だと思う。仲良くなるか、勇輝が自分から言わない限り、女だとは思われない。

 言葉遣いだろうか。それとも、大輝そっくりのこの顔か。自分では、あまり似ていないと思うのだが、周りに言わせればそっくりのこの顔がいけないのか。


 ――誰に男に間違われても、それほど衝撃はなかったが、同じ部隊で、何度も野営訓練を共にしている楓にすら気がついてもらえないのは、流石にどうなんだろう、と思う。


 女扱いされたいわけではないし、四至鎮守軍に入れば男も女も関係なくなることは理解している。

 だから、無駄な揉め事の種にならない自分の容姿を喜ぶべきなのだろうが、勇輝はまだそこまで達観できていなかった。


(……鈍いよな、あいつ


 女だと意識されても面倒臭いが、全く意識されないと言うのも、腹が立つ。なら、どうしてほしいのか。どうされたいのか。それは勇輝もわからなかったが、楓に対するもやもやは消えそうになかった。


(――あー、駄目だ、駄目だ)


 ごぼごぼと湯船に沈めば、全身が心地よいお湯に包まれる。

 勇輝は、息が苦しくなるまで沈むと、何かを吹っ切るように立ち上がった。


 こんな悩みは、自分らしくない。それよりも今は、中断した任務をどうするか、だ。

 勇輝は気持ちを切り替えると、用意された浴衣と茶羽織りに袖を通し、皆が待つ広間へと向かった。


  ◇ ◇ ◇


「や〜。お待たせしました」


 ほかほか、とは程遠いが、色々とさっぱりした勇輝が広間へ行くと、三人が手持ち無沙汰に待っていた。

 遅い、という楓に被せるように、「温まりましたか」と、伊吹が聞いてくれる。その優しさに、勇輝の胸は暖かくなった。

 この楓との違い。楓も爪の垢を煎じて飲めばいいのに。


 伊吹は、一年しか年が違わないとは思えないほど、大人びていた。戦闘中も、慌てたところを見たことがない。いつも冷静沈着で、周囲を気遣い、的確な指示を出す。彼の指揮下では、味方の損害が極端に少ないとの評判だ。


 そんな伊吹だから、隊員希望者はそれこそ掃いて捨てるほどいた。

 その沢山の中から、先輩は僕たちに可能性を感じて、選んでくれた。

 伊吹に認められて、小隊に入れてもらえたのは、人生最大の幸運だったと思う。

 だから、伊吹の見る目があったと証明するために、大輝も勇輝も必死で頑張ってきた。できることは確実に、できないこともできるようになるために、必死に修練を積んできた。

 そのおかげか、最初こそ嫉妬や嫌がらせがあったが、今ではそれもめっきり少なくなった。それが、周りに認められたことを意味しているようで、勇輝は嬉しかった。


 勇輝は、伊吹に少しでも追いつくために、積極的にその戦術、思考を学んでいる。

 今回も、中断した任務をどうするか、空いた時間を利用して二人で相談する。と言っても、伊吹が自分の考えを話し、それに相槌を打つだけだったが。

 ちなみに、脳筋気味の大輝は、楓をからかって遊んでいる。


 四人がめいめい過ごしていたら、襖がスッと開いて、先ほどの老女が姿を見せた。


「皆様、夕餉の支度ができました」




 老女に案内された一室は、一体、何人入れるのだ、というほど大きな広間で、そこに五人分のお膳が置かれていた。


 その上座には、豪華な着物を着た女性が。緋色も鮮やかな打掛。それに流れる黒髪は、ツヤツヤときらめいている。彼女は、少女とも、妙齢の女性ともつかない蠱惑的な色気を放っていた。

 同性の勇輝でさえ、その魅力に圧倒されてしまう。だが、楓は眉一つ動かさず、畳に膝をつくと平然と挨拶をした。


「お母様、お久しぶりでございます」


 その楓の言葉に、大輝と勇輝は目を剥いた。この女の人が、楓の母親?

 だが、そう言われてみれば、切れ長の目など似ている所もなくはなかった。


「突発的なこととはいえ、息子が帰ってくることは嬉しいもの。ゆっくりしていきなさい」


 鷹揚に返す女性が、ちらりと伊吹を見る。それに合わせて、伊吹が楓の横ににじり出た。


「楓殿のお言葉に甘えたとはいえ、急なご訪問をご容赦いただき、誠に感謝の念に堪えません」

「構いませんわ。我が子がまた、我儘を申したのでしょう。こちらこそ、いつもありがたいことです。――ところで、そちらは?」


 立ったままの勇輝と大輝にチラリ、と視線が投げかけられる。

 その視線は、伊吹に向けられたものと違い、温度がなかった。同じ『人』を見る目ではない。その冷たさに、二人は背中に冷水を浴びせられたようにゾッとした。


 その視線から二人をかばうように、伊吹がすっと体をずらす。


「この二人は我が隊の隊員です。優秀な二人で、私も助けられています」

「……まぁ、そうなの」


 伊吹は家名を言わなかった。楓の母親も、尋ねなかった。尋ねずとも、この二人の出身は高が知れていると察したのだろう。すぐに興味をなくしたように視線を逸らすと、近くに控えていた女中に、夕餉を始めるように、と指示を出した。

 楓の父親、つまり、三条家当主は、中央の屋敷に行っており、不在らしい。彼らにとってそれはいつものことらしく、ここの屋敷の采配は、すべて楓の母親が行なっているそうだ。

 彼女の合図を機に、おひつや汁物が運ばれてくる。


「では、いただきましょう」


 そうやって始まった夕餉の味は、勇輝には全くわからなかった。

 寮の食事よりも、数段手間暇をかけて作られた夕食だったが、なぜか飲み込みづらく、なかなか箸が進まなかった。

 それは、普段食べなれない高級な食材のせいかもしれないし、一切、こちらを見ない楓の母親せいかもしれなかった。


  ◇ ◇ ◇


 夕食が終わった後、伊吹は楓の母親に、ここにお邪魔することになった経緯を話した。


 八ノ瀬山で会った妖。知能が高く、もう何人も人を喰ったとおぼしきそそれは、脅威だった。

 伊吹は誇張せず、しかし過小評価もせずに、出会った妖について説明する。

 楓の母親は、話を聞き終えると、屋敷の者を討伐に向かわせると言った。元々、都のきもんを守るのが、三条家の役割だ。異変に対応できるくらいの武力は持っている。

 だが、さすがの奥方といえど、討伐の指揮までは取れない。お屋形様不在の今、すぐに出立とはいかなかった。

 伊吹隊も、ここで討伐の手伝いをするのか、それとも帰るのか、渾天院に指示をもらわなければならなかった。

 そう言うと、明日の朝、早馬を出してもらえることになった。楓の父親と、渾天院へだ。

 伊吹隊の面々は、その結果を待って動くことになる。つまり、しばらく楓の実家にご厄介になると言うことだ。

 楓は自室があるが、客である勇輝たちには、それぞれ客間があてがわれた。




 勇輝と大輝は、自分に割り当てられた客間へ向かう直前、伊吹に囁かれた。


「二人とも。はっきり言えませんが、用心しなさい。この家では、決して一人にならないように」


 なぜ、友人の家で用心を?と思ったが、伊吹の真面目な表情に、はいと答えるしかなかった。

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