第五話 毀猿(きえん)

 要石は予想通り、少し下った所で見つかった。

 元のところに戻したかったのだが、四人にはいささかおおきく、その場を清めるだけにとどめた。


「この要石が雨か何かで滑り落ち、結界に綻びが出たせいで、野干が出てきたのでしょう」

 とは、伊吹の推測だ。


 だが、それ以外に問題らしい問題はなく、この調子で行けば、予定通り、明後日には山を下りられるな、と話していた。


 何か落ち込んでいた楓も、勇輝と話したことで、気分を持ち直したようだ。

 あの時、勇輝に任せてよかった、と伊吹は思った。


 楓は、自分の家に次ぐ名家の出身だ。その期待と重圧は、伊吹もよく知っている。

 また、楓の生家は、少々、気位が高い。武家や公家でない者を見下しがちなところがあった。

 だが、人は生まれではない。そのことを、勇輝や大輝との付き合いの中で気が付いて欲しい、という思惑もあった。


(あの時、勇輝に任せて、本当によかった……)


 大輝に頼まなかったのは、喧嘩になるのが目に見えていたからだ。

 時には、喧嘩になることも構わない。だが、昨日は、勇輝の方が適任だろうと思えたのだ。


あのこは、自分が喧嘩がということに、気が付いているのでしょうか)


 伊吹や楓の身分で、喧嘩することは考えられなかった。

 どんな家の子弟も、伊吹や楓の身分をはばかって、衝突しないようにするからだ。


 だが、大輝にはそれが通用しない。

 そこが彼のいい所であり、伊吹が彼を、ひいては彼らふたごを重用している理由だった。


 他の者は、双子のいくさばたらきのみを見て、評価しているようだったが、伊吹は違った。


 確かに、今も二人は、最も大変な露払いを勘のいい勇輝が、最も危険な殿しんがりを大輝が務めているが、これくらいの実力者なら、渾天院では珍しくない。上の中。よくてそれくらいだ。


 だが、二人には、伊吹が求めてやまないものがあった。


 それに気が付いた時、誰になんと言われようと、絶対、自分の小隊に入れようと決意した。

 そして、その願いは叶い、今、こうやって背中を預けている。


 伊吹は、楓にも、これを幸運と感じ、そしてこの縁を大切にできるような人物になって欲しいと考えていた。

 それが、伊吹のことを兄と慕う、可愛い弟に対する、伊吹なりのお返しだった。


  ◇ ◇ ◇


なんか、聞こえません?」


 大輝の声に、伊吹はハッとなった。思ったより、考え込んでしまったようだ。


「……確かに」


 大輝の声に、伊吹が耳を澄ませた。その耳に、風の音ではない、「おぉい」という音が届く。


 伊吹達は、顔を見合わせた。

 (――こんな山奥に、人?)

 どの顔にも、そう書いてあった。


 今、伊吹達がいるところは、人里からかなり離れている。この山中に、集落があるという報告もない。猟師が迷い込んだことも考えられるが……こんな奥深くまで?


「……ここで、考えていても仕方がありません。聞こえてしまった声を無視することはできませんから、確認に行きましょう」

 ただし、慎重に。


 伊吹の決断に、四人は声のした方へ歩みだした。


 こんな所に、まず堅気の人間がいるわけがない。盗賊か、どこかの領地から出奔した者か。どちらにせよ、面倒なことには変わりない。


(面倒なことになった)


 だが、本当に人がいるなら、きちんと改めなければならない。

 一行は、警戒しながらも、声のした方へと向かった。


  ◇ ◇ ◇


 岩陰に、紅い着物の袖がひらひらと動いているのが見えた。


「――おい、誰かいるのか?」


 道に迷わぬように、慎重に歩みを進めていた伊吹達は、ようやく声の主を見つけたと思った。大輝が、刀の柄に手をかけたまま、岩の向こうへと声をかける。


 声の主の姿は、岩の陰に隠れていた。ひらひらと舞う袖の赤さが、いやに目に付く。その袖は、お世辞にも綺麗とは言い難かった。


 一行は、その袖の主が盗賊か何かである可能性を考えて、十分な間合いを取っていた。だが、その『十分さ』は、対人間を想定したものだった。


 大輝の声に、四人を呼んでいた声が途切れる。そして、一瞬の静寂の後、岩を飛び越えて、異形が降ってきた。


「大輝!」


 真っ先に反応したのは、勇輝だった。

 大輝に飛びつくように押し倒す。その二人の頭上を、鋭い爪がかすめていった。


 勇輝の声に、危険を察した伊吹が抜刀しながら、妖に斬りかかった。


 ギィン!


 刀と爪がぶつかり合う硬質な音が響く。


 間近で見たソレは、人にはあらざる真っ赤な目をしていた。人の虹彩にあたる部分だけ、闇を塗りこめたかのように真っ黒だった。


 ソレが全身に力を入れて、ググッと押してくる。が、すぐに飛び退いた。その足元を、体勢を立て直した大輝の刃がいでいく。

 ソレの着地地点に勇輝の矢が飛翔する。だが、それも易々とかわされる。


 姿を現したのは、『毀猿きえん』と呼ばれる妖だった。猿の上半身に、熊の足を持つ。

 力も強く、頭も切れ、何よりなかなか死ななかった。一説には、上半身だけで一晩、生きていたという話もある。大物の妖怪だった。


「撤退します!」


 一目見て、これは自分達の手に負えないと判断した伊吹が声を張り上げた。


「勇輝、足止めの結界を」


 伊吹の指示と同時に、勇輝が結界を張るため、弓を手に取った。


「行くぞ、楓」


 大輝に声をかけられて、ようやく楓が反応した。それまで、あまりに急な展開に、傍観してしまっていたのだ。


 ゲラゲラと妖がわらう。抵抗する四人を、無駄な努力だと嘲笑あざわらう。


 今までにも撤退したことは何度もあった。そのための訓練だって、怠っていない。

 これから大輝と楓の二人は、勇輝の結界が完成するまで、あの妖の気をらす。伊吹は、万一のことを考えて、勇輝を守る役目だ。それが、撤退の時のいつものやり方だ。


 ――だが、こんな大物、想定していない。


 妖が戯れに腕を振る。それははやく重く、受けるだけで精一杯なようだった。受け止めた大輝の顔が歪む。


 大輝と楓は、積極的には攻撃せず、妖の攻撃を躱すのに専念していた。伊吹が撤退と判断したなら、それは自分達の手に負えないということだ。下手に手を出して、怪我でもしようものなら、撤退すらできなくなる。そのことを二人ともわかっているのだろう。


 慎重に動く二人とは対照的に、毀猿は、ニタニタとわらっていた。楽しそうに、獲物を甚振いたぶるように大輝達を攻撃する。

 人より長い手足を振り回し、その爪で切り裂こうとする。凶悪な歯で、手足の肉を狙う。

 それを、身を翻し、時には刀で受け、大輝達は時間を稼いでいた。


(早く、早く……!)


 勇輝を急かすことはできないとわかりつつも、伊吹は祈っていた。あの二人に、凶刃が届く前に、と祈るしかできなかった。


 幾度かの攻撃の後、勇輝から準備が整ったとの声が掛けられた。

 それを、間髪を入れずに二人に伝える。伊吹の声を聞いた二人の動きは早かった。


 楓が身を引くのに合わせて、大輝が目潰しの粉末を投げつける。


「ぎゃっ!」


 ぱんと、妖の鼻っ面で弾けたそれは、唐辛子や毒虫を粉末状にした渾天院の特製の目潰しだった。


「うぎゃ、ぎゃ、ぎゃぎゃっ!」


 よほど効いたのだろう。毀猿は顔を抑えて地面に倒れ伏した。

 その隙を見逃す彼らではなかった。


掛巻かけまくもかしこ建御雷之男神たけみかづちのおのかみよ。萬物よろずもの禍事まがごとを、取りめし給う力をこの矢に祈願こいねがいたてまつる!」


 勇輝はそう叫ぶと、天に向けて弓を鳴らした。その音とともに、光の矢が飛んでいく。その矢はいただきまで到達すると、四つに分かれ、地面に突き刺さった。その矢を結ぶように、光の壁が出現する。


 それは、妖を閉じ込める結界だった。異変に気付いた毀猿が、力任せに光の壁を殴った。

 一度の衝撃では、ビクともしなかったが、二度、三度と続くうちに、壁に亀裂が走る。


「撤退します!」


 伊吹の掛け声のもと、四人は一目散に駆け出した。


 あの様子では、結界は長く持たないだろう。それまでに、できるだけ距離を稼がなければ。

 焦る気持ちを抑え、隊列を組んで逃げる。


と、


「伊吹兄様、このまま行くと川に出ます!」


 楓の言葉通り、すぐに木々が切れ、川に出てしまった。そこは、山から里へと流れる川の本流だった。


 轟々ごうごうと音を立てる川面を見て、躊躇したのは一瞬。


「飛び込みます!」

「――え?」


 楓が聞き返した時には、すでに伊吹の身は、川へと落ちていっていた。

 その後を追うように、勇輝を抱えた大輝が飛び込んだ。


「あぁ、もう!」


 あっという間に一人になった楓は、悪態をつきながら、その身を川の流れに委ねたのだった。


  ◇ ◇ ◇


「流石に、ここまでは追ってこないでしょう」


 ざばっと飛沫をあげながら、川から伊吹が上がってきた。


「大丈夫か?」


 勇輝を支えながら、川岸へ向かうのは、大輝だ。


「僕は大丈夫。――楓は?」

「……ここにいる」


 二人からやや離れた川面から、楓が顔を出した。


 川に流されながらも、川岸へ向かい、ざばっと川から上がった。そんな楓に、勇輝は川岸から手を差し伸べたが、無視されてしまった。


 (これくらい、気にしなくてもいいのに)


 自分たちよりも年下のこの少年は、こうやって助けられることを嫌う。それが、身分差によるものか、幼さによるものかはわからなかったが、勇輝はそんなこと気にしなくてもいいのに、と思っている。

 こうやって、仲間内で助け合うことなど、借りにもならない。むしろ、助け合えない部隊の方が問題がある。

 だから、勇輝は無視されても、こうやって手を差し伸べる。いつか手を取ってくれる日が来ることを信じて。


 勇輝の手を無視した楓は、川原へと歩みを進めていく。そこには、大輝がいた。


 大輝はぶわぁと意味不明な声を出しながら、ぶるぶると頭を振った。びちゃびちゃと周りに水が飛ぶ。それが、まるで大型犬のように見えて、勇輝は笑ってしまった。


「獣のようだな。これだから、下賤の者は……」

「あぁ?」


 楓がいつものように、憎まれ口を叩く。それに大輝も負けじと言い返したが、どこか無理して『いつものやり取り』を演じている風があった。


 睨み合う二人をよそに、勇輝が伊吹に声をかけた。


「先輩、どうしましょうか。このままだと、僕たち風邪をひいちゃいますよ」

「そうですね……」


 そう言ったきり、伊吹は考え込んだ。


 今は、まだ日があるから暖かいが、最近は朝晩になるとめっきり冷え込む。だから、服は乾かさなければならないのだが、そのままここで野営となると、毀猿が追ってこないとも限らない。


「火は焚かないといけないのでしょうが、野営となると……」

「ですよね。僕もあまりここに長居しない方がいいと思います」


 二人でそんな話をしていることにようやく楓が気づいた。「乾かすの手伝ってやるよ」と言いながら、がしがしと頭を撫で回す大輝の手を振りほどき、「それなら」と声を上げる。


「日のあるうちに、山を下りましょう。ここまで来たら、麓のほうが近い。麓へ行けば、私の屋敷があります。そこで事情を話して、渾天院からの指示を待ちましょう」


 確かに、あの妖を放置することはできない。ここを管理している三条家に報告をすることも、渾天院に指示を仰ぐことも妥当な策と言えた。

 渾天院も、もし想定外の事態に陥った場合、他者の手を借りる事を禁じていない。それよりも、任務を遂行しようと無茶をすることのほうが、厳しい処分の対象になる。――処分される者が生きていたら、だが。


「楓。かなり道をれてしまいましたが、帰り道はわかりますか」

「任せてください」


 そう胸を張る楓を見て、伊吹は決断したようだった。


「なら、楓の言う通り、お邪魔しましょう」


 そう言うと、目に見えて顔が明るくなる。伊吹の役に立てて、嬉しいのだろう。


 そんな様子を、微笑ましく見ていると、楓がこちらに向き直った。その顔には、いつもの居丈高な表情が張り付いていた。


「――おい、大輝に勇輝。お前たちも連れて行ってやる。だが、みっともない真似はするなよ」


 その言葉に、大輝はまた反応するが、勇輝は笑ってしまった。

 どう見ても、子供が精一杯、大人ぶって、偉そうにしているようにしか見えない。

 てめぇなぁ、と楓に絡む大輝は、きっと精神年齢が近いのだろう。


 危険から遠ざかった一行は、その反動が出たのか、やや騒がしく、山を下っていったのだった。

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