七日目2

 蓑に包まれた牛に火を放つと、大きく吠えて屋敷へと駆け抜けていった。威勢良く現れたセグレタを怯ませていく。その炎の隙間を縫うように、俺は裏口から屋敷へと侵入する。

 屋敷内は外の騒ぎなど嘘のようで、静寂に包まれていた。濃い黒を点々と切っていく燭台の陰に隠れながら、俺は目についた扉を開け進んでいった。

 一番落ち着いた扉を開くと、そこは書斎だった。古書や写本が並んでいる。机の上には開きっぱなしの本と、よくわからない箱が置いてあった。鉄で作った異様なオルゴールのような姿だ。異様なのは、突起がいくつかある点と、ひとつの面が網目状であることだ。

 好奇心から、俺はその突起に触れてみた。すると箱の一点が蛍のように光り始めた。ほどなくして、どこからか俺ではない者の声が聞こえてくる。

 耳をそばだて、音の出所を探る。どうやら音は、オルゴールの先の、麻縄のようなものに小さな鉄塊をつけたみたいなものから聞こえているようだった。そこに耳を近づける。


 ――革命の方はどうなっているのかなぁ。

 ――さぁ? まぁ、今の若者はすごいですからね。悪魔なんかには負けはしませんよ。


 この声は、広場で待っている子どもや老人たち声だ。

 それが、この箱を通じて聞こえてきている。

 と、いうことは、だ。


「常に奴らが一歩先を行っていたのは、そういうことだったのか……!」


 この箱を通じて、情報が漏れていた、ということだ。

 いろんな突起を押してみると、ざざっと砂利道を擦ったような音が走り、別の声が聞こえてきた。その感覚が気持ち悪くて、もとの突起を押した。


「……おっと」


 手に当たったのは本。そこから一枚の羊皮紙がひらりと舞い落ちる。手に取って見ると、そこには短く、「準備は整った。心して待つ」とだけ書かれてあった。

 どういうことだろう。首を捻ったとき、焦げたような臭いが鼻先を掠めた。ゆっくりしている暇は、もはや残されてはいない。俺は急いで書斎を出、捜索を進めた。

 扉を開いていくうちに、俺はおかしな点に気づいた。

 ――なぜ、誰もいない?

 敵が攻めてきた。だから全精力を駆り出すような真似を、ギルドラートがするだろうか。自分の護衛は少なくとも数人、残すはずである。それがないということは。

 疑いに確証を得たのは、ある部屋の扉を開けてからだった。


「これって、アイツの……」


 とても豪勢な部屋だ。絢爛豪華。やけに眩い室内の真ん中にあるベッドのそばの床に落ちていたのは、ヒュウガが常につけていた指輪だった。

 指輪を拾い上げながら、先ほどの手紙の文面を思い出す。「準備は整った。心して待つ」。たしかに、ヒュウガはここにいたのだ。だが、過去形だ。今は、いない。ギルドラートも同様に。ヒュウガは悪魔の封印を解く鍵として、本部に連行されている……?

 ひんやりとしたものが背を撫でたような気がして、俺は部屋を飛び出した。兵士の全員が殺られる前に、ヒュウガの行き先をなんとかして訊きださなければ。走っていると、俺の耳はこの屋敷には似つかわしくない音を捉えた。

 馬のいななきだ。

 音の行方を辿り、着いたのは、連なる物置き小屋のような部屋のひとつだった。その前には、痛々しく関節が変な方向に曲がった兵士が倒れていた。セグレタにやられたのだろう。荒々しく呼吸をしながら、怯えたように上擦った声を上げている。剣で喉元を掻き切ると、蛙のような悲鳴を上げて、動かなくなった。剣の血を装束で拭い、扉を見つめる。ここだけほかの扉に比べ、埃が積もっていなかった。人の出入りがあったのは確実だ。扉を開き、俺は唇を舐める。


「……当たりだ」


 そこには、地下へと続く梯子があった。暗闇を覗くと真っ白な馬の頭が見えている。恐らく、先ほど殺した奴が乗ろうとしていたものだろう。しめた、と俺は梯子を滑り降りた。

 地上に降り立って再認識する馬は、毛並みも体格も立派なものだった。これは長旅用のものに違いない。隣には車輪のようなものの跡と蹄の後がいくつも残されていた。どうやら馬車にヒュウガを放り込み、護衛を連れて本部へ送り届けるつもりだったのだろう。

 部屋の前で息絶えた兵士は、セグレタが革命軍の前に現れた時間から計算するに、まだ関節をやられてからそんなに時間が経っていないはずだ。

 まだ間に合うはずだ。いや、間に合ってくれ……!

 俺はその馬に跨った。見知らぬ馬をいなす術も、逃げられた獲物を追う術も、さんざん本業の方でやってきたことだ。呼吸をするようにそれらを行い、俺は馬を蹴りだした。夜目が聞くおかげで、うまく操ることができている。やがて、両脇にケルズが咲き乱れる血生臭い通路にやってきた。ここでいろんな奴を殺してきたのだろう。馬を蹴り飛ばし、ぐんとスピードを上げると、やがて道はごつごつとしてきた。視界が明るくなってくる――そう思った瞬間、水しぶきが襲った。肌を刺すような冷たさと塩辛さは、海水のそれである。こんな抜け道があったのか。岩肌から落ちないように馬を操る。

 その先に、馬車の姿が見えた。平原を猛スピードで駆け抜けている。その横に兵士が二人、それぞれが馬にまたがってついていた。おおよそ、兵士が三人、荷台にヒュウガとギルドラートがいるといったところだろう。混乱に乗じて裏口から脱出、という寸法だったのだろう。

 飛び出して殺るか。いや、それでは俺の安全もヒュウガの安全も保障できない。一人ずつ消していくのが得策か。ならば。

 俺は手綱を手放した。背から小形の弓を取り出す。力も少なく済むし、場所も取らない。この弓が俺の愛用の武器だった。現役のようにはうまくいかないかもしれない。だが、あるいは――その思いで、俺は狙いを定めた。

 撃ったらその後は、現役のころの機転だけが命綱だ。

 目を閉じ、息を吐く。そして思いっきり弓を引き、後方で馬車を追う兵士の首元に向け、思いっきり放った。

 ひゅんっと小気味のいい音とともに兵士が馬から崩れ落ちた。主を失った馬は、平原の方へと駆けて行く。その騒ぎに、もう一人の兵士が気づいてしまった。片手に持ったなにかを差し向ける。一瞬、目が捉えたのは、オルガンが持っていた鉄筒のようなものだった。俺は咄嗟に投げナイフを馬の腱目がけ投げた。暴れだす馬に、兵士は振り落とされる。ソイツに止めの投げナイフを喉元に放り投げた。鮮血が風景となって流れる。騒ぎに気づいたか、馬車はスピードを上げていた。


「逃がすかよ……!」


 俺は馬を蹴り上げ、精一杯近づいた。追い越せそうで追い越せない。ならば――俺は馬の上に立ち上がり、馬車の上に静かに飛び乗った。兵士の背後に降り立つ。彼が振り返ったと同時に、俺は剣を振り払った。頸動脈から血が噴き出る。兵士を蹴落とし、馬と車を繋ぎ止める革を断ち切った。そのまま馬は走り去り、車だけが速度を落とす。

 やがて、止まった。

 ほうっと息をつく。馬車の扉を引くが、開かない。どうやら鍵がかかっているようだ。馬車の横に回り、窓を覗く。


「ヒュウガ!」


 そこには、縄で縛られたヒュウガの姿があった。彼はふるふると首を振り、なにか伝えようとしているようだった。今出してやるからな。剣の柄を窓ガラスに叩きつけた、その時だった。

 ガラスが割れた音に交じって聞こえた破裂音。頭が真っ白になるような衝撃。


「あ、あぁ……っ!」


 肩から流れてきた、生温かいもの。血だ。毒々しい極彩色。それを認識した途端、激痛が走った。体を抉って抜けていくような痛みだ。そして、体内に明らかに異物が入っているという感覚。それが、連続してまた耳に届いた。肩、腹、足、足。あまりの痛みに崩れ落ち、俺はもがくように転がりまわった。血が失われていく。同時に、超常的ななにかが体の組織を再構成していっているのを感じた。苦しい。涙が出る。滲んだ視界の中に立っていたのは、忌々しいベルベット、悪魔ギルドラートだった。


「お、まえ……っ!」


 剣に手をかける。その前に、ギルドラートが鉄塊を差し向けた。強張った俺に、彼はふんと笑う。


「やぁ、リューク君。釣られてきてくれて僕は嬉しいよ」

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