六日目10

 シエラの家のリビングを覗くと、ディエさんだけでなく、ローガンとテオが座っていた。ティーカップを握って、硬い姿勢に強張った表情でじっとしている。


「お前ら、どうして……」

「あの場所じゃ、居づらいでしょ?」


 車椅子を操作してディエさんのそばまで寄ったシエラは、なにか話した後、奥の部屋へと消えた。どうやら、彼らはシエラが招き入れたようだ。確かに、あんなに敵対した手前、あの場所で無事な生活を送れるわけがない。

 ローガンを見ると、顔を背けられてしまった。それも仕方ない。俺は、テオのそばに腰かける。


「テオ、訊いてもいいか? その……親父さんのこと」


 彼は確か、足を怪我して寝込んでいたはずだ。彼は今、どこにいるのか。

 テオは目も合わせず、ミルクたっぷりの紅茶を一口すすると、小さく答えた。


「まだ畑の小屋にいるよ。……でも、たぶんイカれちまってる」

「そうか……」


 きっと悪魔にいつ襲われるかわからない恐怖と、襲い掛かる禁断症状に苦しんでいるのだろう。飢えも相当なものであるはずだ。

 彼らの救助も、急がねばならない。


「お前の親父さん、絶対助けるからな」


 こくりと、小さくテオが頷いた時だった。


「大丈夫!?」


 シエラの心配する声と、ガタリと音が奥から聞こえてきたのだ。ディエさんが奥を示す。


「レティーシア様でござ――」


 言い終わるのを待たず、俺は飛び上がって、奥の部屋へ飛びこんだ。そこには倒れた椅子とシエラ、ベッドか起き上がろうとするレティーシアの姿があった。


「レティーシア!」


 どうやらちょうど目を覚ましたようだ。痛々しい跡が見える顔色はすぐれないが、さっきよりはいい。どうやら彼女は薬物の脅威から生き残ったようだ。ものすごい生存力と回復力である。レティーシアの下に駆け寄ると、彼女は鬱陶しそうに目を細めた。シエラの手を借りて起き上がった彼女は辺りを見回すと、さっと顔を青ざめさせた。


「大丈夫? どこか痛いところが――」

「なぜヒュウガを守らなかったんだっ!」


 シエラの手を振り払ったレティーシアは、俺の胸ぐらを掴み上げ、素の声で怒鳴った。

 いつもと違う彼女の姿に驚愕しているのはシエラだけではなく、俺もだった。俺以外の前では常におとなしいレティーシアを演じてきた彼女が、素の声の低さで、おしとやかさも捨てて怒鳴り散らしている。その姿には、すさまじい迫力が感じられた。だから、俺は小さく答えるしかなかった。


「……ごめん」


 乱暴にほどかれ、ふらついた体をシエラが支えてくれる。困惑しているシエラなど眼中にないのか、レティーシアは拳をベッドに叩きつけた。軋むベッドにびくりと肩を震わせるシエラ。俺たちになんて目もくれず、レティーシアはベッドから飛び降りた。


「おいレティーシア!」


 追いかけようとしたとき、彼女は苦し気に呻いた。倒れそうになるのを、ティーワゴンと一緒にやってきたディエさんが抱き留める。そこで、落ち着きを取り戻したらしい。


「あ……あら、ディエさん、シエラちゃん」


 取り繕うように儚く笑んだレティーシアの手を、シエラがそっと取った。


「普通にしゃべってくれていいのよ?」


 気まずそうに目を逸らした彼女は、ディエさんの手を借りてベッドに戻った。彼女は苛立ちを鎮めるように、指を弄んでいた。その横顔には苛立ちだけでなく、どこか先を急ぐような焦りがある。後悔の念も、しばしば垣間見えた。

 いったい、なぜ彼女はここまで焦っているのだろうか。

 部屋にはまったりと深く沈みこむような香りが立ちこめていた。ディエさんの紅茶だ。幽玄で低い香気は、なんだか落ち着くようだ。紅茶を手渡され、レティーシアはぼうっと立ち上る湯気を見つめていた。


「……なぁ、ヒュウガがアイツらにとってなんなのか、知ってるのか?」


 ベッドのそばに腰かけると、彼女は眉を寄せ、歯を噛みしめた。


「……ヒュウガは、悪魔降臨の鍵なんだよ」


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