六日目9

 死の香りがする通りの先には、砂利道と森が広がっている。その先には高い塔が連なった屋敷がある。あの場所にはヒュウガが捕らえられているのだろう。なぜ、ヒュウガを殺さずに捕らえたのか。謎だが、今はそんなこと気にしている場合ではない。早く、彼を助けなければ。そう気持ちが急いで、自然と足は早くなっていく。


「リューク!」


 いつかのように俺を呼び止めたのは、もちろんシエラだった。走ってきたのか、息を切らせている。きっとそれほどアイツらを鎮めるのにずいぶん苦労したんだろう。その苦労は察するが。


「お疲れさん。ごめんな、丸投げしちゃって」


 言った途端だった。

 顔を伏せ一心に車椅子をこぐシエラが近づいてきたのだ。そのなにかに憑かれたような一心不乱さにぎょっとして身を引いた時、柔らかいものが俺の手を強く掴んだ。

 シエラの手だ。

 まるで親を求める子どものように、強く、固く、離そうとしない。


「ど、どうした――」


 仰いだシエラの顔に、思わず息を詰まらせた。

 両目いっぱいに溜まった涙が、まるでソリアの上を滑り落ちる雨のように、その白い肌に流れていたのだ。髪は頬でもつれている。瞬いた瞳から流れる涙雫は、彼女のワンピースに模様を描いていた。

 すがるように俺の腕を抱きしめ、彼女は零した。


「なんで……なんであんなこと言ったのよ……!」


 涙声の少女は、噛みしめるように言った言葉に嗚咽した。声をしゃくり上げて、洟をすすり上げて。その姿は小さく、脆そうで、ガラス細工のように繊細だった。俺の目には、革命を指揮するシエラではなく、ただの少女のシエラに映った。

 俺はそんな彼女に、突き放すように言う。


「いいだろ? 別に。そうでもしなきゃ、アイツらは動こうとしないし」

「よくないよっ! 絶対別の方法があるはずよ。それで説得したら……」

「無理だよ」


 冷たく言い放つと、シエラは目を伏せた。腕を握る手が、力なく垂れる。スカートの裾を、彼女はぎゅっと握りしめた。

 シエラだってその事実を理解していないほど馬鹿じゃないだろう。今まで足のせいで会議に参加できず、内情というものを知らなかった。それを目の当たりにしてしまった今、もう別の打開策なんて残されていないなんて、火を見るより明らかだ。

 自分が犠牲になることで、シエラが、ヒュウガが救われるというのなら。

 俺は、喜んで身を捧げた。


「……それに、これは俺の贖罪でもあるんだよ。お前の足を壊して、ヒュウガを召喚してしまったことへの、贖罪なんだよ」


 悪魔にそそのかされるがまま、火を放ったこと。

 俺の力不足により、本来ここと似て非なる世界から連れてくるはずの乙女が、ヒュウガになってしまったこと。

 一生悔やんでも悔やみきれない罪の数々。

 死が穢れを浄化するというなら、俺は死をもって償いたい。そう、切に願っている。

 だから、とシエラは俺の腰に触れた。そこには、銀の剣が刺さっている。


「これ、ずっと持ってたのね……」

「逃げないようにな」


 リードラット家にやってきたとき、命に代えても守れと先代からもらった剣。リードラット家を去る、その時に返せとされた剣だ。精巧な天使が絡み合った柄は手になじみやすく、刀身に刻み込まれた文言は繊細だ。

 リードラット家を守れとされたが、俺は結局リードラット家を傷つけた。泥を塗った。逃げるように裏世界に飛び込んだが、売ることもできずに、悔恨の念を抱きながら、今も握り続けている。

 罪は、忘れてはならない。


「……ごめんな、これ、返さなくて。革命が終わって、その時には――」

「いらない。知らない、こんなガラクタ。だから……お願いだから……っ」


 シエラは顔を覆った。指の隙間から零れ落ちた雫に、棘が刺さったような痛みが走る。後悔や恐れに似たような念が押し寄せた。この世界に未練なんてないはずだった。だが、なぜか……目頭が熱くなったのを隠したくて、俺は顔を背けた。


「……絶対、生きて返すから。罪が贖える、その時に」


 彼女は頷きもしなかった。俺は彼女の頭をくしゃっと撫で、そのまま車椅子を押して彼女の家へと向かう。


「……生きて、返してね」


 ぽつりと呟くようなシエラの声は、涙に濡れていた。


「あぁ、約束だ」


 うん。小さく頷いて、彼女は目を擦った。


「信じてるから。絶対、すぐに返しなさいよ」


 そう言ったシエラの声は、はきはきとして、どこか気の強い上から目線な声だった。いつかを思い出して、俺は苦笑した。


「相変わらず、高飛車で傲慢だな」

「相変わらずって、どういうことよ」

「なに、お前、俺がカッコよく助けてやったあの感動的な出来事を忘れたってのか?」

「そんなことあったかしら?」

「お前な……」


 そう言って笑いあう。幸せな時間が続いた。

 シエラはわかってくれている。生きて返すの、その意味を。受け入れてくれている。

 その意思の強さも、俺は好きだった。

 いや、彼女のすべてが好きだった。

 路肩の時告げの花が一枚枯れ始めた夕刻の砂利道を、笑いながら歩いた。

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