四日目2


「ずいぶん広い……こんな農園は写真でしか見たことないぞ」

「嘘つけ」


 ヒュウガは農場の小道を見回して呟いた。俺はゼクスの赤を探して目を凝らす。


「嘘じゃないさ。東京にもあるのかな……」

「このくらいの規模じゃあ、どこにでもあんだろ」


 ほかの国やほかの領土と比べて、この街は平坦な土地が少ないため、畑として使うことのできる土地は限られている。少ない土地を有効に使って、この区画の人々は畑を耕しているのだ。


「ん、あれは……」


 ヒュウガが指を差したのは、ランプに照らされた時告げの花の群生だ。


「あんなものを育てて、なんだ? 売るのか?」

「売るのもあるが……まぁ、納税用と、食用だな」

「食用!? あんなアサガオみたいな花を食べるのかっ!?」


 なにをそんなに驚いているのか。彼は上ずった声を上げ、目を丸くしている。


「アサガオがなにかは知らないが……花っていうか、その種をだな。なんかすごい栄養があるらしいぜ。栄養失調防止のためにパンに混ぜてこねられてるんだってさ」


 いったい誰から聞いたのか。忘れてしまったが、おそらくはディエさんだろう。栄養とか健康とか、そういうのに詳しい知り合いはディエさんくらいなものだし。

 そういえば、問題の時告げの花農家の敷地はどのあたりなのだろう。男が行方不明で、奥さんが発狂しかけているとの噂もあった。肝心の奥さんはどうなったのか。奥さんはヴェルジュリアとつながっているのか。その確認もしなくてはならない。


「そんなに食に困っているのだな……」


 ヒュウガはなおも呆然としていた。そんなにおかしいことだろうか。向こうの世界の人は花を食うこと自体なく、それは異端であるのだろうか。いや、そんなことをせずとも、暮らしていけるほどに豊かであるのか。

 一人納得していると、あっ、とヒュウガが俺を叩いた。視線の先には赤の大群。見つけた。ゼクス農家の家だ。

 その家は、平野の端、森の際にちんまりと立っていた。木造の、今にも崩れそうな家である。隣には道具庫のようなものがあり、開きっぱなしであった。殻を割り、薄皮を取る機械の周りに赤い皮と殻が大量に散乱している。その眼前にはゼクスの低い木々が、垣根のように連なり、広がっていた。大地主であり、大農家なのだろう。そんな奴らなら金や食い物には困らないはずだが、なぜ盗みなんて働いたのか。

 腰ほどまでの木々には、赤黒い実が点々となっている。垣根の間を通っていると、その少ない実を収穫している小さな子どもがいた。


「アイツ……!」

「いや待て、まだあの家族が犯人と決まったわけじゃ……」

「なに言ってんだ。アイツらに決まってるだろ。

 ――おい! お前!」


 声を張り上げると、子どもは顔をがばっと上げた。怯えを顔全体に湛え、収穫籠を放り投げて垣根の間を駆け抜けていった。


「ほら、確定だろうが。おい! 逃げてんじゃねーぞ!」


 止めるヒュウガなど無視だ。俺は子どもの後を追う。後からヒュウガがついてきているようだが、入り組んだ細い垣根に苦戦しているようだ。子どもは小さくて細い。だから有利であったが、俺には狭い広いも関係ない。俺が走ると、艶めいた実がころがり落ちて行った。不思議な甘い匂いが、いやに鼻をついて離れなかった。

 道具庫に逃げ込んだ子どもの後を追う。が、目の前で扉は音を立てて閉まってしまった。


「クソっ……おい! 聞こえてんだろクソガキ! なに逃げてんだよ!」


 叩くが、頑丈な丸太づくりの扉はびくともしない。叫んでも、子どもは呼び声に応じない。警戒に張りつめた空気だけが扉越しにでも感じる。こうなったら強行突破か……。俺は聖剣を担ぎ、扉に向かって振り下ろす。


「おいやめろ!」


 ――のを、ヒュウガに止められた。息が切れたヒュウガに寄って手を押さえつけられ、聖剣は地面に深々と刺さる。なおも、扉は閉ざされたままだ。


「お前、なにすんだよ!」

「お前の方こそだ。相手は子どもだろう? どうせちょっとした悪ふざけだろうよ。躍起になってどうするのだ。お前らしくもない」

「その悪ふざけで疑われるのは俺らだぞ!? 下手すりゃお前も居場所がなくなるだろうがよ! しょーもないことで俺のせいにされんのは御免なんだよ!」

「悪ふざけっていうな!!」


 不意に響いた小生意気な声。籠った声が聞こえてくるのは、この扉の向こうだ。

 この期に及んで逆上とは……子どもらしい。どうやら少年らしい声の主に、俺は威嚇するように扉を叩いた。


「はぁ? なんだよ、悪ふざけじゃねぇって言うのか? なら正当な理由をダニエラに言いに行けよ。俺らの疑いも晴れるし万々歳じゃねぇかよ!」


 少年ははっと嘲るように、乾いた声で笑った。


「えいゆうも大したことないね。こんなこどもにキレてんだからさ。大人たちのいうとおりだね。たしかにアンタはおつむが足りてないみたいだ」

「んだとコノヤロ……」

「その頭ん中、だれかにぬすまれたんじゃないの?」

「クソガキが……!」

「カルマンド。止めろ見苦しい。この子どももそうだが、それに怒ってどうする。恥ずかしい」


 お前な……と掴みかかりたいところだが、今は確かにヒュウガの言うとおりだ。こんな小生意気なガキに怒ってどうする。ガキにはなにを言っても意味ない。


「でも、じゃあどうしろってんだよ」

「俺に任せろ。子どもの扱いには慣れている」


 ヒュウガは待てというように右手を広げた。自信ありげに胸なんかを叩いている。

 なら、ヒュウガに任せたほうが適作かもしれない。子どもなんて好き好んで近づきたくない。ヒュウガがやってくれるというなら、俺は下がるとしよう。まぁ、このガキを殴り飛ばしたい気持ちはあるが。

 ヒュウガは扉の前にしゃがみ込み、軽く戸を叩いた。


「すまないな。さっきのバカは放っておいてくれ。君の言う通り、おつむが弱いのだよ」

「テメェ……」


 声を漏らせば、静かにとヒュウガに睨みつけられる。任せるとは言ったが、好き勝手やっていいとは言っていない。だが、俺にはなにもできないので、ヒュウガを軽く蹴ってまた口を閉ざす。

 貴様……! とヒュウガは呟いたが、彼は軽く咳払い。視線を扉に戻した。


「へぇ、りかいがあるんじゃん。少しはマシなヤツなのかもね。兄ちゃん、なまえはなんていうのさ」

「さあな。だが、人は俺を大罪ベスティアの――」

「取りけすよ。アンタも十分イカれてる」

「まぁそう言うな。ヒュウガと呼んでくれ。お前は?」

「なのってどうなるのさ」

「強情なガキだ。そんなお前を俺はファミリアと呼ぼう」

「なんだよそれ。だっせぇの」

「で、ファミリアはなぜパンを盗んだのだ?」

「テオだよ。ファミリアは止めてよ。そんなセンスのないだっせぇなまえでよばれてるなんて知られたら、一生モンのはじだし」

「そうか。まぁ、俺は君をファミリアと呼ぶがな」

「うわ、コイツかんぜんにイカれてやがる」


 はっはっはと笑うヒュウガの目には、優しい光があった。その笑い声に安心しているのか、扉の奥から感じていた警戒の色は消えた。不安ではあったが、ヒュウガは子どもの扱いがうまいようだ。それに、彼自身も子どもが好きなのかもしれない。彼のこんな落ち着いた表情は初めて見た。


「どうだ、戸を開けて、訳を話してはくれないか?」

「やだね、えいゆうサンはぼくをなぐるもの」


 ヒュウガは視線をちらりとこちらにやった。俺は肩をすくめて見せる。このテオとかいうガキを殴らないという保証はなかった。


「じゃあ、その場でいいから話してくれたまえ。なぜ、パンを盗んだりした?」


 途端、テオからの返事は途絶えた。無音の小屋からは、なにやら重苦しい空気が漂っている。少年の顔がシワを刻んでいるのが安易に想像ができた。


「話したくないか?」


 ヒュウガの問いに、カサコソと音が鳴った。砂をひっかいたような音だ。なぜか自然と脳裏に浮かんだのは、悲劇に拗ねた子どもの姿だった。

 なにか、不吉な気配がした。

 テオの返事を固唾をのんで見守る。やがて、声が聞こえてきた。


「……もう、お金もおさめるものもないんだ。じいちゃんはころされて、とうちゃんは足やってさ。それでもなんとかぜいきんははらえたけど、はらえただけ。たすけてって言っても、ムシされてさ。もう、生きてけないから……っ」

「そういうことか……」


 嗚咽交じりの声に、俺は呟いた。

 一昨日広場で殺された大地主のじいさんは、テオのじいさんだったのだ。相続税が発生したため、テオ一家は多額の税を払わなければならなかった。だが、父は怪我人。なんとか収穫してあったゼクスを彼らは納めたのだろう。そのため、畑にゼクスの実はほとんどなっておらず、倉庫には殻と皮の赤でいっぱいとなっている。

 いまいち理解できていないヒュウガを放って、テオは水洟をすすった。


「……神ってなんだよな。アイツの言うとおりにしたのがまちがいだった。アイツを信じて、なにになるってんだよ。……みんな、イカれてやがるよ」


 世をすねた少年の言葉は、ありとあらゆる呪詛が込められているように感じた。その様子は、確かに一度どこかで見たことがあった。

 飢えから、恐らくはほんの出来心で盗みを犯してしまった。

 あの雑な盗みは、あまりの飢えゆえに証拠のというものの抹消にまで頭が回らなかったのだろう。子どもらしいと言えば子どもらしい盗みだった。

 それは、幼い頃の自分によく似ていた。

 だからこそ、俺は抑えられなかったのだろう。

 気が付くと俺はヒュウガを突き飛ばしていた。力のある限り戸を叩き、出せる限りの大声で口走っていた。


「力もなんもねぇ口だけのガキのくせに、なに盗みなんてしてんだよ!」


 びくりと、戸の奥で大気が揺れた気がした。俺は戸を叩く。


「分かってんのか? ここは神狂いの街だ、下手したら殺されんだぞ!? 盗みは大罪だって、ガキでも知ってるだろうが!」

「……んなの、おまえにいわれるすじあいはない」

「あるに決まってんだろ俺だから言えるんだよ!」

「おいリューク!」


 ヒュウガに肩を叩かれ、ふっと後ろを見る。


「ダニエラか……」


 ヒュウガの指の先にいたのは、ランプを手に徘徊しているダニエラ、そして彼女率いる農業ギルドの奴らだった。なにかを探すようにしきりに辺りを見回している。そのなにかは、言うまでもない。奴らは憂さ晴らしにふさわしいものを求めているのだ。反射的に森側へ駆けようとして、俺は一瞬逡巡した。そして、扉について囁く。


「お前が盗んだと、誰にも言うな。そんで絶対にお前はこれから盗むな」

「ムチャいうなよ。うえじにしちまうだろ」

「バカヤロ犯罪者で殺されるなら飢え死ぬ方がカッコいいだろうが」

「はっ、ぼくにしねっていうんだ」

「血はなによりも尊いっつってんだよ」


 テオの意味不明だとでもいうようなため息に、ダニエラたちを観察する。まだこちらには気づいていないようだ。なら、今が絶好の機会。

 俺はせわしなく後ろをチラチラ見ているヒュウガの肩を叩く。


「帰り道、覚えているか?」

「道か……」

「まぁ、ベスなんとかさんが導いてくれるか」

「もちろんだ! 大罪ベスティアこの身に宿したこの俺にとって、迷子などありえぬ!」


 自信がないだけで、必ず人は意識の中に一度見たものを記憶している。その自信をつけてやれば、一人でも家に帰れるはずだ。


「じゃあ、ヒュウガはあの垣根と畑に沿って走れ」

「え、お前はどうするんだ?」

「バカか。二手に分かれるに決まってんだろ。早く、行け!」


 ヒュウガを突き飛ばすと、彼は困惑げな表情で駆けて行った。狭い垣根にふらつく足は心配でしかなかったが、俺が出て行けば安全というわけだ。

 腰をあげようとしたとき、戸の中から声が聞こえてきた。


「おまえ、なにする気なのさ」


 勘の鋭い奴だ。いや、どちらかというとさっきのヒュウガの勘が悪すぎるのだろう。

 俺はため息をつき、戸を撫でた。


「ちょっと英雄サンしてくんだよ」


 俺は駆けだした。先ほどまで鮮明に見えたヒュウガの姿は見えず、代わりに奴らの姿だけが鮮明に映った。ランプ片手に徘徊する様子――殺せ。また右目が疼いた。辺りが燃えている。その中で、奴らがランプを手に俺を探している。そして、一人が俺を見つけ、その手に携えたナイフで俺の目を抉る――殺してやれ。

 俺は頭を振った。剣に向かおうとする手を押さえつけ、大きく息を吐いた。……落ち着け。思い通りになってどうする。あの日を繰り返してどうなるのだ。そう、自らに言い聞かせた。深呼吸を繰り返すと、右目の疼きは治まった。


「……よし」


 集団の一人が隠れもしない俺を指差した。ランプを振り回して近づいてくる狩人たち。悠然と歩くダニエラの表情を、俺は見た。獲物に出会えた飢えた獣のような、狂った凄みのある顔だ。

 血はなによりも、この街のものにとっての一番のつながりである。その血を持つものは、文字通り血に庇護される。


「……静かにしといてくれよ」


 俺はそっと右目を撫でた。ダニエラは俺を睨み、はっと嘲るように笑った。


「やっぱ、アンタなんだ」


 そしてその血を持つものは、持たざる者で留飲を下げるのだ。


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