08. アルティメット

 五、六限と無難に終了し、疲れたこめかみをグリグリ押さえる。

 昼休みのあとは、いくら目を凝らして探してもミャアは教室内にいなかった。

 キョロキョロ見回す様子は遠藤さんの疑念を深めてしまい、何度も体調を気遣われてしまう。


 カワウソがいようが無害だと思い直してみても、気になるものは気になる。監視されているみたいじゃないか。

 ……いや、ミャア自ら、私を監視するんだと言ってたな。


 下校になって教室を出ると、先にホームルームが終わった紗代が待っていた。

 彼女にもミャアについて話そうかと考えたが、勝巳の二の舞になりそうでやめておく。


 電車の中でも当たり障りの無い話に終始しながら、今晩どうするかを考え続けた。

 家に向かう駅前、私はスーパーに寄るからここで別れようと伝える。

 夕食用の買い出しにはよくあることで、紗代が付き合うと言い出したのに軽く驚いた。


「晩御飯の材料だよね?」

「他に歯磨き粉とか、細々とね。見てて面白いもんじゃないと思うけど」

「いいの。暗くなるから、早く行こ」


 スーパーは駅の横手に在り、家に帰るには少し遠回りとなる。紗代の家は真反対の方向だから、さらに遠い。

 一緒に行くのは初めてだ。こういうのも悪くないかと二人並んで歩き出した。


 夕方の混雑した店内では、紗代が物珍しそうに野菜や魚をチェックする。

 普段は家の手伝いなんてしないんだろうというのが、そんな仕草から透けて見えた。


 食材をカゴに入れ、歯磨き粉と替えの電球も取り、最後に殺虫剤のコーナーへ向かう。

 一つずつ缶を選び、熱心に効能を読む私へ、紗代が訝しく尋ねた。


「対ゴキ、じゃなさそうね。それって蜂用だよ?」

「うん、強い方がいいから」

「巣でも作られた?」

「そうかな。そんな感じ……」


 “狭い隙間にも直撃!”などとうたう、ロングノズル付きの新製品を一本、これまたカゴへ。

 レジで支払いを済ませ、店を出た時には空は薄暗くなっていた。

 荷物を半分持ってくれた紗代に感謝しつつ、街灯が点き始めた道を歩く。


「あのさ、なんか悩んでるよね?」

「私が?」


 紗代の問い掛けに戸惑い、どう返事をしたものか迷った。


「ずっと考え事してるみたいだし。余計なこと言っちゃったかな」

「余計って?」

「勝巳のこと」


 あー、すっかり忘れてたよ。

 いつもなら悩んだかもしれないけど、昨晩の出来事が衝撃的過ぎて吹っ飛んだ。


 違う、悩んでないと答えても、紗代は疑いの目を逸らそうとしない。

 だからって、ミャアの話をするわけにも……。


「独りで考えてないで、喋ってみなよ。ね?」

「う、うん」


 さあ、どうしよう。

 また流される可能性は高くとも、紗代でダメなら、もう他の誰に言っても無駄だろう。

 とすると、考えるべきは言い方か。

 馬鹿正直にカワウソが登場したとか言うから、話がややこしくなるんだ。


「なんかね、ちょっと込み入った事情なんだけど」

「うんうん。長くなる話?」

「そうでもない、かなあ。私って、作り話が好きじゃん?」

「だよね」

「それを禁止されてさ」

「誰に?」


 当然、こう返されるよねえ。

 でも問題はそこじゃない。カワウソだなんて、言うもんか。余計なことは流してしまえ。


「お告げみたいなものかな。私も半信半疑だけど、なんか気になっちゃって」

「夢で見たとか?」

「これ以上、嘘をついたら酷い目に遭うらしいんだ」

「あ、ひょっとしてさ。さっきの殺虫剤も関係する話なの?」


 鋭いな、紗代。

 私が気もそぞろだったのは、とっくに彼女には見透かされており、てっきり勝巳関連の悩みだと考えたそうだ。

 殺虫剤をえらく真剣に選んでいた私の姿に、それがどう恋愛話に繋がるか首を捻っていたらしい。


「部屋にね、出るんだ」

「やめてよ、アヤちゃん。オカルトは苦手なんだから」

「そう怖くはないんだ。だけど嘘をついたら、罰があるって……」

「呪われるってこと? ヤバいじゃん。激ヤバいんぐ」

「アルティメット・ヤババよ」


 頭のおかしい軽口の応酬は、恐怖を紛らわすため。

 紗代は怖がりなので、それが今回は有利に働いた。

 突拍子も無い話なのに、彼女は実に神妙な顔で会話を続ける。


 嘘は言わないように注意しなよ、そうアドバイスする紗代が随分と頼もしく感じた。

 殺虫剤よりも、霊に効くのはお守りとかお札だろうと、彼女なりに対策も考えてくれる。

 ミャアはちっとも怨霊に見えないが、そこは黙っておこう――そう心に期した私へ、タイミングを計ったように紗代が嫌な質問を投げてきた。


「どんな呪いか、分かってるの?」


 どう答えるのが正解なんだ。

 でっちあげた呪いを膨らませて話すのか。ありのままを打ち明けるのか。


 決断を後押ししたのは、紗代の心配顔と、嘘は危険という思い。

 彼女にも注意されたばかりなのに、ここで嘘を重ねるのは道理に合わない気がした。


「……になっちゃう」

「え、なに?」

「私も馬鹿げてると思うよ。でも言われたんだ。これ以上、嘘をつくと――」

「ど、どうなるの?」


 ゴクリと紗代の喉が鳴る。


「カワウソにされちゃう」

「…………」

「マジだって。そんなの有り得ないとは思うけど」

「幽霊に言われたの?」

「霊っていうか、カワウソそっくりの妖怪が現れてね、夜中に。そいつが喋るんだ。嘘をつくとカワウソになるぞって。目の前で喋られたら、私も信じないわけには――」


 紗代は盛大に自分の鼻を摘んだ。吹き出すのを我慢した彼女から、くふっと一息漏れる。


「嘘みたいだけど、本当なんだってば。カワウソが部屋にいきなり出たんだよ!」

「んふふっ……、あははははっ! やめて、やめてよ、アヤちゃん」


 素晴らしい笑顔だと思う。親友って素敵。

 こうやって楽しく笑わせられるから、嘘はやめられない。

 しかし、今ばかりは最悪の展開だった。


「んもうっ、ちょっと信じちゃったじゃん。前フリに仕込み過ぎだよ」

「いや、本当に殺虫剤で撃退できないかなって」

「カワウソを? 殺虫剤で? あははっ!」


 無益なやり取りは、彼女と別れる交差点まで続く。

 満面の笑みを浮かべた紗代は、しっかりと鼻は摘んだまま、そこで自分の家路へと道を別れた。

 振られた手に私も腕を掲げて応じたものの、すぐに力無くだらりと下ろす。


 十二月の夜風は冷たい。

 コートの襟を立て、足を早めてみたところで、寒さは少しもマシにならなかった。

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