06. マジらしい

「私もミャアの目的は聞きたいけどさ」

「けど、何?」

「パン屑、払いなよ」


 口の周りが粉を噴いたようで、真面目な話をするには締まりが悪い。

 カワウソが深刻な顔を作るのも、大概な珍妙さだけど。


 招き猫さながらに右手で顔を擦り、口元の毛を撫で整えたミャアは、改めて厳粛に語り始めた。


「ボク……、ワレはキュウセイシュなり」

「それは聞いた」

「練習したんだから聞いてよ。助けに来たんだ。このままじゃ、大変なことになってしまう」

「どうなるって……いやまず、何から助けるっていうの?」

「キミはね、嘘をつき過ぎた」


 否定はしない。でも、それの何がダメなのか。

 まあ、少しトラブルになることはあるけど、日常の楽しい潤滑油だと思う。

 小さい頃から修練を積んだお蔭で、嘘に怒る相手はほぼいなくなった。それだけ嘘が上達したってこと。


「何でもかんでも嘘がいけないわけじゃない。誰かを悲しませたらダメ」

「そんなことしてないよ。みんな笑ってるって」

「大抵はね。だけど、失敗だってあった。その数はなんと……」

「いくつよ?」


 嫌な予感を覚えつつ、言葉を切ったミャアを見つめる。

 いつやら聞いた忠告が、耳の奥で再現されていた。


「なんと、百六回。あと二回で達成だ」

「それってまさか――」


 “百八回、嘘をつくと、カワウソになっちゃう”


 そう宣告するミャアのセリフは、思い出と重なって別人の声に聞こえた。

 なんてこと。

 あれ、マジ話なの?


 どうせなら、事前にカワウソが登場することも教えておいてほしかった。

 いやそんな、カワウソになるって、なによ!?


「梅沢さんだって、前田さんだって、嘘ばっかりついてるじゃん。適当な噂話を広めたり、根拠も無い悪口を言いあったり」

「それは――」

「渋井さんなんて、他人の体験を自分のことみたいに投稿したり、余所から写真を盗ってきてコメントつけてさ」

「それも嘘の一種だろうけど――」

「ほら! なんで皆はカワウソにならないのよ。クラス全員カワウソになるはずでしょ。あいつらカワウソなの? 見た目は人間でも、中身は毛だらけ?」

「だからね、悲しませたらアウトなんだって」


 それこそ私とは無縁、カウントミスだと主張する。

 メロンパンは元々メロンを挟んだパンだったとか、袋が二つあるカンガルーは双子を産むとか、そんな他愛ない嘘で誰が悲しむと?


 口から泡を飛ばして反論する私へ、ミャアは丸っこい右手の拳を突き付けた。

 指で差したつもりかもしれないが、小さな掌ではジャンケンをしているみたいだ。

 最初はグー。パーではたいてやろうかな。


「山崎さん、泣いてたよ?」

「誰?」

「受験合格のおまじない」

「あぁ……」


 直接謝罪はしたものの、彼女とは進学先も違い、まともに話す機会は二度と訪れなかった。

 避けられていたのは間違いない。本気で怒っていたと、友人の友人経由で耳に挟んだ。

 だからって、それは特殊な一例だと言い返したところ、ミャアは次々と名前を挙げて私を糾弾する。


 冬だというのに、水着を制服の下に着込んできた安原さん。

 数学の予習を、十五ページも余計にやった鈴木くん。

 オーストラリアの首都をオーストリアだと言って、親戚一同に笑われた田所さん。

 バレンタインに、歳の数だけ手作りチョコを用意した三木さんってのもいた。


 被害の大小はあるにしても、確かに迷惑をかけた友人は多い。改めてあげつらわれると、被害者の数に自分でも驚いた。


「アヤちゃんは、みんな笑ってたって言うけどさ」

「うん」

「嘘をつかれた当人も笑顔だった?」

「……」


 いつものことだと、紗代なら流してくれる。彼女じゃなくても、大して叱られないことがほとんどだ。

 ただ、真っ赤に顔を染めて俯くクラスメイトや、ぎこちない苦笑いにも覚えがあった。

 それら失敗例を集めたら――百は超す、のか。

 えぇ、百もやってたんだ……。


「ちょっと厳しすぎない?」

「ダーメ! もうここで嘘は卒業しよ。ボクがきっちり監視してあげるから」

「えっ、ついて回る気?」

「任せといて」

「やめてよ!」


 家の外までついて来られたら、周りにどう言い訳すればいいんだ。

 電車に乗るつもり? カワウソが? 子供料金か知らないけど、払わないからね!


 不審カワウソで捕まりたくなかったら、家で大人しくしておけと、トーストを食べる手も止めて叱りつける。

 一方、私の剣幕も意に介さず、ミャアはまた自分の食事を再開した。


「ぎゅうぅっ。おいしいね、ぶるべりい」

「どうなっても、私はスルーするよ。赤の他人――他カワウソだって言う」

「大丈夫だって。無関係な人に見つかるようなヘマはしないもん」

「……特殊能力があるとか?」

「うん。臭いに敏感だったりとかね」


 また微妙な。それって特殊?

 しかし、ミャアの監視方法に考えを巡らせるより先に、根本的な疑問が残っている。


「理由」

「りゆうって?」

「ミャアが来た理由」

「言ったじゃん、アヤちゃんが嘘をつきすぎたからだって」

「違う、どうしてミャアが助けるの? つまるところ、あんたは何者?」


 トーストを最後まで平らげ、ジュースをゴキュゴキュと飲んでから、ミャアは居住まいを正す。

 テーブルの縁に両手を突いたのを見て、そのまま上がり込むのかと思いきや、支えがほしかっただけのようだ。

 なんとこのカワウソ、椅子の上に二本足で立ち、ピンと背筋を伸ばした。


「アヤちゃんの好きに考えていいよ。神さまでも、アス、アスシト……、ぎゅえー」

「アシスタント?」

「そう、それ」

「カワウソの神なんていません。妖怪でいいや。そのお助け妖怪が、なんで現れたのよ」

「んんー、恩返しかなあ」


 これまでの人生で、カワウソに恩を返される善行は積んでいない。

 勘違いではないのか、人を間違えたのでは、と言う私へ、ミャアはまた右手を掲げた。


「アヤちゃんで合ってる。そんなことより、時間大丈夫?」

「え、ああっ!」


 壁に掛かった丸時計が、七時四十三分を指す。走らないと間に合わない時間だ。

 皿をシンクに重ね、洗う手間も惜しんでバッグを掴む。


 せっかくの早起きも、一転、遅刻のピンチに変わった。

 ダメもとで、ついてくるなとミャアへ釘を刺すと、無言で首を傾げて応じられた。

 ジュースが残っているからか、ダイニングから動く様子が無いので、カワウソは放置して玄関へ急ぐ。


 ドアに鍵を掛けたので、外には出られないはずだが、果して。

 やや混乱した心持ちのまま、私は駅まで全力で駆けた。

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