♦︎10

貴方の為に祈りましょう。静かな場所へ行けるように。もう貴方を苦しめることがありませんように。

安らかに。安らかに。

「……呼びかけても、返事はくれないのですね」


テンは窓の近くで床に膝をつけていた。目を閉じ、手を組み、祈りを捧げている。その辺り一帯は、清廉な空気を感じた。

「……テン」

控えめに呼びかけると、そのままこちらを向いた。

「邪魔してしまったかな」

「いいえ。ごきげんよう、先生」

「あ、ああ……」

いつ見てもテンの顔は穏やかで、上品な笑みを浮かべている。ナインのことに関して後ろめたい気持ちもあったが、テンは何でも優しく受け入れてくれそうだ。

「誰かに話しかけていたの?」

「答えてくれたらいいなって……誰でもいいので」

「ごめんね、ナインのことを守れなくて」

テンはゆっくり首を振った。

「ナインは、ああ見えて強い子ですよ。だからきっと、シンクとケイトの様子を確かめに行ったのです。二人が安全なところにいるのか」

「……そうだね」

「先生」

テンが私の手を取った。観察するように、一本一本をなぞる。少しくすぐったかったが、テンの思うようにさせた。

「……ここに、傷が」

いつ作ったのかと思うほど古い傷が、未だに残っていた。

「どこで作ったものか、忘れてしまったよ」

「ふふ、こうしてみると先生が今までどんな人間だったのか分かるようで……面白いですね」

テンの指先は真っ白で、傷の一つもついていない。きっと天使はこんな手をしているのだろうと、ふと考えてしまった。

「先生……先生は、どの時間帯が好きですか」

「時間? ……そうだね。私は夜に起きていることが多かったように思う。想像した時、一番落ち着くというか。でも綺麗な場所なら何時でも美しいのだろうね。今一番見たいのは……」

頭から足の先まで真っ白なテンを見ていると、目が眩みそうになった。

「早朝の海なんかはどうかな。深い闇からだんだんと光が溢れる様子は、天国のようじゃないか。天使が迎えに来てくれるような……美しい時間帯だと、思う」

その様子を頭の中で描いたからだろうか。真っ暗だった窓の外が、僅かに明るくなった気がした。白いものを見続けていたせいだろうか。

「今、明るくならなかった?」

「すみません。目を閉じていたもので……ふふっ、誰かが先生に、その景色を見せてあげたいと願ったのかもしれませんね」

「気のせい、だと思うけど。そうだったら面白いね。もしかして願えば、色々なことを叶えてくれるのかな」

「今の願いの結果がこれですから、最小限の効果しかないのかもしれません」

「はは、そうみたいだね」

穏やかな時間が進む。彼となら永久の時を、このままの調子で進めるような気がした。

私達が過ごした時間は今、どのくらいになるのだろう。

「先生、占いを覚えていますか」

「猫とか月とか、妖精のやつ?」

「はい。そのうちのいくつが当たりましたかね」

「うーん……」

「ふふふ。よければ私が安らぎを授けましょう。どのぐらい受け取るかは、先生次第ですが」

椅子に座り、目を閉じるように言われた。ふわりと頭に軽い布がかけられる。テンもなかなか読めない子だ。

「想像してください。先生は今、妖精が住むと言われている森にいます。そこは自然豊かで、人間界には存在しない植物も生えています。さて、先生は今、どんな植物を想像しましたか?」

「これは……心理テスト?」

「のようなものですが、一番の目的はリラックスしてもらうことです。力を抜いて、美しい森を思い浮かべてみてください。爽やかな風が吹いて、髪を揺らしていますよ。小鳥がさえずり、小川は太陽の光が当たりキラキラと……」

「人間界にはないものか……それで、妖精」

ふわふわと頭にかけられた布が揺れる。だんだんとそれが心地良くなってきた。

「紫……の濃い植物なんかないよね。それがキャンディーみたいにくるくると回って、生えている。色は紫と白のストライプ」

「ふふ、可愛らしいですね。見た目はほとんどキャンディーでしょうか。紫という色がポイントですかね。紫は芸術性が高く……特に美意識でしょうか、神秘的なものに惹かれる傾向があるかもしれません。一見ポップな植物ですが、手に取るには少し警戒しそうです。毒キノコのような色をしていますからね。その点は攻撃性が感じられます。他人に踏み入られたくない領域が存在していて、それを守る為に、少々人間不信になっているのかもしれません」

「……凄いね、なかなかそれっぽいよ」

今の私は過去の記憶がないので、自分がそういう人間だと素直に頷くことができない。

「私が今作っている問題なので、信憑性はきっと、とても薄いですよ。ふふ、さて……次は」

この後もいくつか、テンの作った問題に答えていった。彼の話の作り方がうまくて、どちらかといえば物語を読んでもらっているかのような気分だった。

私の頭の中にはテンが想像した、メルヘンで楽しげな森が浮かんでいる。可愛らしい世界観だ。

「最後に訪れた場所。静かな教会には誰かが座っていました。それは誰だったでしょうか」

そのイメージは簡単にできた。

「君しかいないな」

見なくても彼が笑ったのが分かった。布が揺れて、頭から外される。

「先程は安らぎと言いましたが、私が貴方に授けたいものは別にあります」

テンの後ろに光が差し、本当に天使のように見えた。

「貴方に愛を……」

私も目を閉じ、手を組んで彼に誓いを捧げた。

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