Johnny shall have a new bonnet

暗い海底から手を伸ばすような感覚で、目が開いた。また記憶がないというのは、言い訳になるだろうか。

寝たというよりも、その部分だけぽっかり食われたような、消えたというのがしっくりくる。誰かに操られているのか? この世界の不思議現象に?

体を起こして教室を出る。

水を出して、指先に当てた。ちゃんと伝わってくる、冷たさが。指の間を流れていく。

どれぐらいそれを続けていたかは分からない。気がつくと、隣にエースが立っていた。

「この水は一体どこから来ているんだろうね」

「不思議ですね」

「ねぇエース。前に言ってた……シンクに効果的な一撃だっけ。あれって何なの?」

「ふふ……大げさな言い方をしてしまったかもしれません。ただシンクは、僕がいないとダメだということですよ。自惚れではありません。シンクの自我を保つ為に、僕という存在が必要なのです」

水に触れたまま彼の話を聞く。水の音がちょうどよく耳に響いた。

「だからシンクの弱点は僕なんです。僕がいなくなればシンクも消える。エースの右腕というポジションがなくなればシンクは、シンクの自我は死ぬ」

「そんな……」

「これも大げさですか? でも実際そうなんだから、他に言いようがないです」

「でも、だったら他の皆は? エースを失ったら他にも、皆も崩れるんじゃないか」

「どうでしょうね。僕に分かるのは、シンクがそれを死んでしまうほど大事にしているということ。命よりプライドを取るんですよ。そういう子なんだ、シンクは」

「私と二人きりの時のシンクは、別人のようだった。火が消えたような、何事にも冷めたような感じだったよ」

「僕は見たことないですけど、きっとそれが元のシンクなんですよ。……僕にナイフを突き刺せば、シンクは自分にもそれを突き刺すでしょう」

「それが分かっているのも、辛いものだね。彼の分まで背負わなきゃいけない」

水を止めて、ハンカチを取り出す。手を拭いている間、エースは廊下の奥を見ていた。

「先生」

「どうしたの」

「シンクが消えました」

聞き返そうとした私の方に振り向いた。

「先程から全員で探しているのですが、見つかりません。上から下まで、隅々を見たのですが……」

「そ、それは……っ」

「先生のせいじゃありませんよ。結局あの後、数人が部屋から出ていってしまったのですから。その中にシンクも含まれていたみたいです。サイス達の話によると、初めはケイトと二人で外に出たがったみたいです。もちろん彼らは止めましたがすぐ帰ってくると、それを振り切って出ていったようです。しかし帰ってきたのはケイトだけだった。ケイトに聞いたら、いつの間にかシンクが消えていたというのです」

エースは腕を組みながら、薄い笑みを浮かべた。様々なことを諦めたような、そんな顔だ。

「さっきの作戦、使うところがなくなっちゃいましたね。こんなに簡単に消えるなんて、もう対策も何もないです。僕らはこの勝手な空間に振り回されるだけだ。じわじわと迫ってくる恐怖に怯え、疲れ、そのうち何も感じなくなって、終わる。消えるとは何を意味するのでしょう。シンクは一体、何をしているのでしょうか」

言葉だけではどうも信じることができない。確かめに行こうと歩き出したところで、数人の足音が近づいてきた。

全員いるようだ。シンク一人を除いて。

「……っ」

シンクが消えたという事実は、皆の顔を見れば明らかだった。

「やはりシンクは……」

「わ、私……っ」

「ケイト、落ち着け。誰もお前のせいだなんて思ってない」

「でも、シンクを一人にしちゃって……ちょっと目を離してしまって! その間にっ」

「シンクが自分から逃げたのかもしれない」

「は? どこに」

「抜け道が突然開いた……とか」

「お前も探してみるか? それ」

「おい、そこまでにしろ。そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

サイスの一言で場が静まる。何か切り出すべきかと考えていると。

「じゃあ何をする場合なんだ?」

トレイがバカにするように吐き出した。

「協力とか、作戦とか、話し合いとか、そんなのやってどうする。今からずっと全員で、片時も離れずに過ごすのか?」

「……トレイ」

「君はどうしたいの」

「さぁ別に考えてもいないけど……どうせ無駄なら自由に過ごそうぜ。超常現象なら、俺らには何もできないだろ。お前らがそれに立ち向かう方法を探してくれるのか?」

「じゃあトレイは一人でいればいいんじゃないの。寂しくても、かまってあげないからね〜」

クイーンの方を睨むと、背中を向けて歩き出してしまった。数人の足が動いたが、それには続かない。

「はぁ……仕方ないね。君達も一人で過ごしたいなら、好きにしていいよ。僕は止めない」

「おいエース。俺はまだ皆でいるべきだと……」

「この話がまとまることはなさそうだ。ずっと平行線だよ」

いつの間にか、私の近くに来ていたデュースが服を掴んだ。

「シンクどこかに行っちゃったの?」

「うん……そうみたいだ」

「シンク……もう会えない?」

「デュース、それは分からないよ」

エイトが代わりに答えた。

「……デュース、消えちゃう?」

「大丈夫だよ。皆と一緒にいればね」

つい条件反射のように、こんな言葉を吐き出してしまった。大丈夫なんて、安全なんてここにはないのに。しかしデュースは常に誰かといる。それなら……いや、一人だから襲われるとは限らない。数人が一気に消える可能性だってある。

「一度教室へ戻りましょうか」

「俺はやっぱりトレイが心配だ……」

「私も行っていいかしら」

「ケイト……」

「ただじっとしているのも辛いの。歩いていた方がまだ気が紛れるから……」

サイスとケイトが廊下の奥へ消えた。セブンも体を動かしていたかったのか、二人を追いかけていってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る