サーモン日記

白櫻詩子

プロローグ


駐車してある車の後部座席に熊が座っているのを見つけて、驚いたり興味を示す方が珍しい。初めてこの車の後部座席で人間に見つかった時は、とうとう見つかってしまった、どうしたものかと慌てたものだが、それもわずか。僕に驚かない人間に驚かされることになった。一先ず緊急事態は乗り切れた。もう一度サンプル品のお菓子を食べ始めると、今度は肩からショールをかけたお姉さん二人が「可愛い、休憩中かな?」と笑顔で話しながら通り過ぎた。そうか、誰も本物だとは思わないのか。そう気づいてからは、不必要に街を歩き回ることはしないものの、なるべく人間らしい仕草で堂々と人前を歩くようになった。


僕の生活範囲は居候中のきょーくんの家から一番近い商店街までだ。

「きょーくんおかえり。今日は鮭が安かったよ」

 仕事から帰ってきたきょーくんに今日の成果を報告する。

「ただいま。お前それはな、魚一さん所の奥さんが可愛い可愛いって熊割り引きしてくれるからだろ。ここのところ毎日鮭じゃねーか。」

 そう言いながらテキパキとエプロンを着けて夕食を作りはじめるきょーくんは、文句を言いながらもバリエーションに富んだ鮭料理を作ってくれる。きょーくんはいつも帰宅後必ず料理を作って食べ、歯磨きをすると直ぐに寝る。朝はテキパキとシャワーを浴びて仕事へ出て行く。人間って忙しない。


 きょーくんは、あの路地裏に停めてある車の後部座席でお菓子を食べる僕に「僕を食べてくれませんか」と近寄ってきた、とっても変な人間のオスである。頭の良さそうな顔つきに、スーツを几帳面に着こなしているというのに変なことを言う人間だ。

「僕を熊だと思ってるの?」

 そう聞くと少し恥ずかしそうに、そうだよなあ、熊がこんな所に居るわけ無いよなと手を出して僕の鼻をくすぐる。クシュッ!! くしゃみをすると一緒に獣らしい唸り声が漏れてしまった。

「本当に、本物じゃ無いんだよな?凄いリアルな鳴き声がしたけど…」

「うーん… ところでどうして僕に食べられようとなんて?」

「話すと長くなるけど、要するに死ぬ理由を探してたんだ。自ら死ぬのは後ろめたいし、他人に迷惑は掛けたくなくて。」

「熊にも迷惑は掛けないでよ!」

 すかさず僕がそう言うと、面白そうに笑って涙を滲ませ、「そうだな、勝手だったよ」と謝った。

「それに、確かに僕は食べ物に困っていて、いつもこのお菓子会社の車に忍び込んでお菓子を食べているけど、それは狩が苦手で、木の実や山菜ばかりの森の食事には飽きてしまったからなんだよ。人を狩るなんて出来るわけないよ!」

 こうして僕は、本物の熊である事をあっさりと明かしてしまった。

 

 鮭は食べれるのかと言うきょーくんの質問に、生き物を狩る行為そのものが苦手なだけでベジタリアンな訳ではないと言うと、これまた面白そうに笑って夕飯をご馳走してくれることになった。後日そのお礼に、僕の実家で採れた山菜やキノコを持って行くと、またご飯をご馳走してくれた。こうして定期的に遊びに行くうちに森に帰るのが面倒くさくなりこの家に住み着くようになったのだ。

 

 きょーくんはがんばり屋さんに勤めているらしく、たまにふらふらになって帰ってくる。以前無表情で「ただいま」と言った後、突然ぽろぽろと涙を流し始めてびっくりしたことがある。人間の生活も過酷なんだねと言うと、「がんばり屋さんだからしかたないんだ。」と言っていた。こういう日は決まって夕飯のメニューが一段と豪華になる。なんでも、一日中誰かのために働いて疲れ果てた自分自身に最高なご褒美が必要なんだとか。

「帰り掛けに魚一さんで刺身パックが半額になってたから、今日はこれでちらし寿しにするぞー!」

 いつもよりも調子の良い口ぶりで上機嫌に料理を始めたが、どこか落ち着きが無いような、何かに気を取られているように見える。

「きょーくんなんだか落ち着かないね。がんばり屋さんの仕事、まだ残ってるの?」

 よくきょーくんは仕事を家にお持ち帰りしてくる。持ち帰り仕事というらしく、きょーくんは「好きでやってるわけじゃ無い。」と言うが、眼鏡姿でカタカタとパソコンをする横で丸まって、その音を聞いているのが僕は好きだ。

「がんばり屋さんの仕事?まあそうね、持ち帰ってる時点でがんばり屋さんだよな。」

「僕はがんばり屋さんじゃ無いけど、お持ち帰りをしちゃう気持ちはわかるなぁ。」

 帰宅に合わせてタイマーで炊いてあったお米を取り出し、手際良く混ぜる手を止めずに「シソの葉とって来て。」と言うのでベランダへ向かう。人間の生活環境で暮らすうちに出来るようになったことがいくつかある。このシソの葉は最近では僕が毎朝水をあげていて、元気に沢山生えているので、きょーくんの料理に度々登場する。

「それでね、僕もよく商店街にお買い物に行くけど、ホクホクホクトのコロッケとか、ハルちゃん家のコッペパンとかを買って、歩きながら食べちゃおうか、近くの公園でゆっくり食べるかとっても悩ましいんだ。家に帰ってきょーくんとゆっくり食べるのもいいしね。お持ち帰りってワクワクするよね。」

 手を止めたきょーくんは、じーっと僕を見つめてお腹の周りをペチペチと叩く。

「最近餌付けして太って来たと思ったら買い食いばっかりしてるのか!」

「餌付けって酷いなぁ!それに今までは森の味気ない木の実とか、たまに街で入手したスナック菓子ばかり食べてたから痩せていたんだよ!むしろ今くらいが適正体重、愛らしい熊さんのベストコンディションなんだから!」

 そーかいそーかいと適当な返事をすると、野菜を保存する用のビニール袋を2枚重ねて前足に装着してくれた。言われた通り適当に、混ぜ込んであるご飯にお刺身を散らしていく。そんなに器用には出来ないが、両手ですくってぽとぽとと落としていくだけなら僕にも出来た。

 全ての具材をのせ終えると今度は布巾を渡されリビングのテーブルを拭きに行く。我ながらよく出来た熊だと思う。まあそれは、きょーくんが僕に出来る仕事を与えるのが上手いのもあるだろう。きょーくんは頑張り屋さんの中でもそういう立場らしく、後輩の教育係やプロジェクトのまとめ役をやっている。僕に対してはお前とかいうし話し方も砕けたにーちゃんといった感じだが、”外では上手くやってる”らしく、よく「上からも下からも面倒事ばかり回ってきて嫌になる!」と嘆いている。

 「いただきます。」

 最近きょーくんが僕のために大きなスプーンとフォークを買って来てくれたのでとてもお行儀よく食事が出来るようになった。人間の生活にも慣れたものだ。

「お口に合いますね!」

 初めて食べるちらし寿しはほのかに甘酸っぱくて、お魚も新鮮、そして色んな味がして面白い。僕がそう言うと「なんだそりゃ」と小さく笑い、「普通に美味しいで良いだろ。」と言った。

「美味しいって言葉は知ってるけど、お口に合いますが一番かと思って。きょーくんいつもお口に合いますか?って言うから。」

「そういうことね。そのままでいいよ。」

 嬉しそうに微笑むと、俺もお口に合います。と言って満足げな表情でまたちらし寿しを頬張った。

 夕飯を食べ終わるときょーくんは直ぐに洗い物をする。商店街で仲良くなった新井さんの奥さんと、百田さんの奥さんはよくご主人のだめなところを言い合っていて、この前は洗い物くらいやって欲しいもんだわ〜と言っていた。僕がきょーくんのことを言うととても褒めていたが、当の本人は「熊がいると家が狭いから早く片さなきゃいけないんだ。」と憎まれ口を叩いた。以前、あらいぐまにも出来るんだからと洗い物に挑戦してみたが、両前足がビシャビシャになったところで強制終了された。しかし、この度僕に、もう一つ出来る事が増えたのだ。それはアイスを盛り付けることだ。

「さーて、きょーくんが洗い物をしている間にアイスを盛り付けちゃおっかなぁ。」

 アイスをまん丸にすくうスプーンを握りバニラ、抹茶、キャラメルの三種類をそれぞれの器に一つずつ盛り付けた。

「え、アイス三つも食べるの?本当にぶくぶくの熊になるぞ。」

 ぶくぶくま、と僕のお腹をつつくとアイスを持ってリビングへ戻り、パソコンを開いた。

「さっそくテイクアウトですか!ご一緒に熊の温もりはいかがですか?」

「えー熊の温もり気持ちいいけど肩こるんだよな。」

 まあまあそう言わずに、そう言ってきょーくんと背中合わせに座りアイスを頬張った。

「アイス三つくらいさ、食べてもいいよね。きょーくん今日もがんばり屋さん大変だったもんね。はちみつもかける?」

「そうね、でも頑張り屋さんはまだまだここからなのよね。ってお前こそ今日はアイス三個に匹敵するのか?」

「もちろん。今日はなんと澤野のじっちゃんがお米買ったのに、重たくてちっとも歩けてないからお家まで運んであげたり、学校帰りのはるちゃんが疲れたって抱きついてきたからそのままお家まで運んであげたり、ってあれ?僕ってば力持ち!」

「そうか、まあそれはアイス三個に匹敵する頑張りだな。お疲れ様。」

 そう言いながらもカタカタと手を止めずに仕事をするきょーくん。

「今日は頑張り延長戦だから、明日の分はもーーーっと豪華なご褒美かもね!」

「そういうことなら仕方ないな。明日のご褒美考えながらいっぱい頑張るよ。」

 明日のご褒美は何にしようか。ハルちゃん家のご馳走食パンを買いに行こうか。それともピラタのハニーロールケーキが良いかな?僕は美味しいもののことを考えながら、今日も快適な人間界で眠りにつくのだった。

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サーモン日記 白櫻詩子 @shrozakura_utako

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