第35話「真っ赤なラベンダー」






   35話「真っ赤なラベンダー」



 




   ★★★






 血が流れている。

 真っ赤で花のように鮮やかな彼女の血が。

 まるで、アネモネの色のようだ。

 そんな風に椋は思った。



 


 ラベンダー畑で檜山という麻薬屋の幹部の男が、直接取引をするという情報を聞き付けた。

 檜山は見た目は強面で恰幅の良い男だったけれど、臆病者なのか表に出て来ることはほとんどなかった。

 取引があったとしても、会員制のクラブを利用したり、部下にさせたりが多かった。そのため、椋は簡単に近づく事が出来なかった。



 しかし、今回の取引先は檜山にとって大切な客なのか、檜山自ら取引に参加していた。

 それの予定を掴んでから約1年以上。何度が取引があったが、今回のように一般人に危害を加えないで奇襲出来る機会を伺っていたのだ。


 その絶好のチャンスがこの日だった。


 椋は朝からラベンダー畑に張り込み、檜山が来るのをじっと伺っていた。

 唯一の仲間である雇われの探偵から「檜山が動いた。」と連絡があり、椋は車の中で拳銃の確認をした。


 そして、バックに入っている写真に手を伸ばそうとした。遥斗が写る写真を取ろうとしたが、ちらりとその後ろにある写真が目に入りそうになった。

 それは、花霞がドレス姿で微笑む写真だ。



 椋はそれを完璧に見てしまう前に、写真をバックの中に戻した。

 今、彼女の顔を見てしまえば、決心が鈍ってしまうような気がしてしまったのだ。

 何年も復讐のために生きてきたのに、ここで止めるわけにはいかない。花霞と離れたくないからと、計画を白紙になど今さら出来るはずもなかった。それは、遥斗を裏切るように感じてしまうのだ。



 自分の感情と葛藤しているうちに、椋は全く周りが見えなくなっていった。檜山という男だけを殺す事だけで、頭がいっぱいになっていたのだ。

 それは、その男が現れた瞬間に顕著になった。



 「檜山…………やっと、やっと………見つけた。」



 椋は檜山が乗車している車を見つけるとすぐに車を降りた。そして、1度はラベンダー畑の方まで行き、男が車から降りるのを待った。


 彼らがこの場所を選んでいたのは、程よい混雑があるが、駐車場などの広さもある所ためかもしれない。あとは、この香りだろう。麻薬を取り扱うため、匂いに敏感になっているのかもしれない。けれど、ラベンダーの香りが立ち込めるこの場所ならば、気にならなくなると思ったのかもしれない。

 だが、椋にとってもここは絶好の奇襲場所でもあった。



 そんな事を考えていると、檜山はやっとの事で車から出てきて、取引相手と何かをしゃべっている。


 椋はギュッと拳銃を握りしめて、ゆっくりと彼らに近づいた。


 

 失敗する訳にはいかない。

 遥斗のために、檜山だけは殺さなければいけない。

 檜山のボディーガードはパッと、見ただけでも3.4人はいる。かなり厳しい状況だが、あいつだけを殺せばいいだけの話だ。自分の命は、考えるな。


 椋は冷たい拳銃に全てを託して、ゆっくりと檜山に近づいた。



 無惨に殺された遥斗。

 まだ、沢山の人を救いたいと思っていたはずだ。俺なんかよりも、生きていく必要のある奴だと椋はずっと思っていた。

 そんな後輩でもあり、友人でもあり、そして小さなヒーローだった遥斗。



 それを目の前の男に殺された。


 

 遥斗の事を思い出すだけで、目の前がチカチカするぐらいに怒りが沸いてくる。


 

 椋が彼らに近づくと、さすがのボディーガードも椋の気配を察知し、こちらを向き始めた。けれど、椋の足は止まらない。



 

 「ひぃやまぁぁっっーーーっっ!!」



 気づくと椋は叫んでいた。

 今までずっと椋の中にあった恨みの気持ちが一気に吐き出されるようなそんな強く低い声が響いた。


 拳銃を向ける。

 

 檜山を殺すはずなのに、男は椋を見て楽しそうに笑っていた。

 椋はその表情を見た瞬間、最後の冷静さも失ってしまった。



 殺す。



 それだけが頭の中を支配した。



 ここで撃ってもボディーガードに当たるだけ。そんな事はわかっていたはずなのに、椋は引き金に力を込めようとした。

 


 けれど、体にドンッと衝撃が走った。


 始めは先に撃たれたのだと思った。

 しかし、それは違うとすぐにわかった。

 体に温かいぬくもり。そして、大好きだった香り。そして、髪の感触。

 それを感じて、すぐにその正体に気づいた。



 ずっと会いたかった人。

 最後にもう1度だけ会いたいと思った人が、自分に飛び込んできている。



 驚きと胸の高鳴りを感じ、愛しい人の名前を呼ぼうとした。


 けれど、その言葉は残酷な音に消されてしまった。


 パンッという聞きなれた銃声と、鈍い衝動を感じたのだ。

 


 「…………か、花霞ちゃん………。」



 花霞の体がガクンッと揺れた。

 彼女の顔はどんどん歪んでいく。それと同時に、体に力が入らなくなったのか、椋の体に倒れ込んでくる。それを支えた椋は肩の部分にぬるりとした生暖かい物を感じる。


 恐る恐るそちらを見ると、自分の右手が真っ赤に染まっていたのだ。

 椋はそれを目にした瞬間、血の気が引くのを感じた。



 彼女が撃たれた。

 それを理解した途端に、恐怖から体の震えを感じたのだ。


 

 

 「椋さん………やっと会えた………。」



 花霞の震える声が聞こえる。

 君のこんな声を聞きたかったんじゃない。明るく微笑みを浮かべた顔で自分の名前を呼んで欲しかった。そんな苦しさを押し込めて必死に笑おうとしている顔ではないのだ。

 

 椋は、花霞の揺れる瞳を見つめて、やっとの事で言葉を発した。




 「なんで、なんで君が…………どうして、君がここにいるんだ…………。」

 



 どうして花霞が撃たれなければいけない。

 どうして、花霞に助けられているのだ。

 どうして………いつも、大切な人を守れない。



 頭がガンガンする。


 

 彼女の背中から、沢山の血が流れ落ちている。花霞の服も真っ赤に染めて、アスファルトの地に花びらを敷き詰めたように赤くなっている。



 怖い。

 椋はまた、恐怖を感じた。



 何が怖いのか。

 自分が撃たれるのが、怖いのか?彼女の血が怖いのか?



 違う。

 花霞を失うのが怖いのだ。


 



 「ま、もりたか……たから………。」




 花霞は自分の手紙を見て追ってきてくれたのだ。守りたいという一心で。

 

 それが嬉しくも、悲しくもあった。

 あんな言葉を最後に別れたというのに。

 期間限定の偽りから始まった、バカのような結婚だというのに。

 自分をそこまで愛してくれた彼女の気持ちが嬉しかった。そして、答えられなかった自分が悲しかった。




 「………っっ………。」

 「生きて………ほし………。」



 突然、彼女の言葉が途切れる。

 花霞の顔は真っ白になり、瞳も虚ろになっている。

 椋は咄嗟に彼女の体を強く抱き寄せたけれど、花霞の体の力が抜け、瞳も閉じられてしまう。


 椋は彼女を抱き締めながら、ただ呆然とした。

 花霞の体から血液が、体温が流れ出ているのがわかる。

 それなのに、どうすればいいのかわからない。

 花霞からもう離れたくない。ずっと抱きしめて、守り続けたい。

 そんな思いで彼女の弱々しい鼓動を聞いていた。




 「かがみぃーーっっ!!」

 「………っっ!」



 椋を呼ぶ怒声が聞こえた。

 それは、懐かしくもあり、聞くと背筋が伸びるそんな声だった。



 その声を聞いて、ハッとした。

 

 花霞の体を抱きしめながら、その場の状況を見ると、檜山のボディーガードが数人倒れていた。それと、まだ銃声が響いていたり、怒鳴り声も、聞こえるのだ。


 檜山とボディーガード、そして取引相手の他にも何人かが増えているのがわかった。



 そして、拳銃を手にしながら椋達に近づく人物を発見した。

 椋はその男を見て、彼らの正体を知った。



 「滝川さん………。」



 椋の上司であった警視の滝川が何故かこの場所に居たのだ。

 椋は唖然としながら、彼を見つめた。



 「何やってんだ!周りを見ろ!辞めたらこんな使えない男に成り下がったのか!?」

 「………俺は……。」

 「しっかりしろ!彼女の守るんだろ!?ここは抑えるから、撃たれた彼女の手当てが先だ。さっさと離れろっ!」

 「……………っっ!!」



 滝川の必死の叫びに、椋は花霞を抱きかかえてその場から離れた。

 拳銃の音が響く中、必死に彼女を抱きしめて、ラベンダー畑の中へと避難した。


 

 椋は自分のジャケットからハンカチを取り出して彼女の傷口に当てるが、あっという間に血に染まってしまう。

 椋はシャツを脱いで、それを花霞の体に縛るように固定して、止血をした。そして、すぐに救急車を呼び、花霞に声を掛け続けた。



 ラベンダー畑の土は真っ赤になり、その場だけ血の匂いが漂っている。

 椋は手が真っ赤になるのもかまわずに、彼女の傷跡をシャツで押さえ続ける。



 「お願いだ………止まってくれ。………彼女を、助けたいんだ………。」



 少しずつ呼吸が浅くなる必死の思いで、願った。



 「花霞ちゃん。………死なないで…………。また、笑って欲しいんだ………。」



 救急車が到着する、僅かな時間。椋にとっては、とても長い時間に感じられた。







 

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