第5話

子どもの登校時間には少し早いが、俺の出勤時間に合わせて、一緒に登校することに決めた。


この子に何かあっても大変だし、両親に任せっきりにするわけにもいかない。


この子を守るのは、俺自身だ。


校門をくぐった後は、別々に分かれる。


彼がいま俺と同居していることは、他のみんなには内緒にしておくよう約束したし、登校時間前に教室に入ることにも、校長の許可を取ってある。


俺はいつものように、誰もいない職員室へと入った。


パソコンを立ち上げ、今日のスケジュールを再確認する。


学校の資料は外に持ち出せないのがやっかいだ。


俺はいつものように、一覧表にまとめられた児童の行動評価記録を見直す。


これをしっかりつけておけば、問題のある保護者へのよい反論材料にもなるし、個人面談の時にも役に立つ。


学期末の評価もあっという間だ。


そもそも、子ども一人一人の特性をよく理解し把握しておくのも、本来教師としての大切な仕事のはずだ。


朝のホームルームまでの時間を使って、俺は今日の授業の準備を始める。


この学校でも教科担任制がとられているので、実にありがたい。


一つの科目をじっくり教えられるということは、教師のやりがいにも繋がる。


俺はUSBからデータを取り出した。


あらかじめ自分で作ってある副教材を使って臨機応変に対応していけば、どんな授業のどんなレベルにも全て対応出来る。


そのように俺が苦心の上あらかじめ作ってあるので、なんの問題もない。


子どもたちの登校時間が始まって、すぐのことだった。


職員室のドアがガラリと開いて、俺のクラスの子どもたちが数人、そこに立っていた。


「先生、ちょっといいですか」


朝のホームルームまでには、まだ時間が残されている。


俺はこのまま授業の準備を続けていたかったが、他の先生たちの視線を感じて、重い腰をあげた。


「どうした。なんの用だ?」


「ちょっと大事なお話があって、他の人に聞かれたくないんですけど」


何かと徒党を組みたがる女子のリーダー格と、それに説得された仲間の女の子たち、それと一部の男子だ。


その男の子の中には、先日あの子を殴った子も入っている。


子どもたちがそう言うので、俺は仕方なく生徒指導室の鍵を開けた。


狭い部屋に向かい合う古びたソファ。


座ったとたんに、子どもたちは口々に鬱憤を噴きだした。


真面目に聞くのも耐えがたいほどの、どうでもいい話しばかりだ。


鉛筆を隠されたとか、積み上げていたノートの順番をぐちゃぐちゃにされたとかだ。


体操服の入った袋がロッカーから落ちてくるのは、その子がわざとやっているのではなく自然現象だろ。


その全てが、俺の預かることになった子どもの悪口だ。


「先生は、誰かの悪口みたいなのをずっと聞かされるのは、好きじゃないな」


俺は子どもたちが確実に黙るセリフを、常に用意している。


しばらくの沈黙の後、女子の一人が口を開いた。


「先生、いまあの子と、一緒に住んでるんですか?」


「どうして?」


俺は不機嫌にしていた表情を和らげた。


「自分は先生のうちの子どもになったって、さっき言ってました」


ここにいる子どもたちの視線が、俺に集まる。


あれほど他の子には言ってはならないと、ちゃんと約束させたのに。


「たとえそうだとしても、先生は誰かを特別扱いにしたりはしない。先生にとっては、クラスの全員、一人一人が特別だからだ」


救いのチャイムがなった。


俺は立ち上がる。


「分かった。先生が何とかしよう。もう教室に戻りなさい」


愚痴を全て吐き出した子どもたちは、満足した様子で部屋を出て行く。


まぁこうやって、担任の先生にちゃんと話しを聞いてもらうことで、彼らが満足するのであれば、それでいいのかもしれないな。


この件に関する俺の役目は終わりだ。


指導室の鍵を閉め直して、俺は自分のクラスへと向かった。

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