第3話 この世界で生きていくために

「あんたの力を譲渡するって……どういうことだよ?」


 竜夫は率直な疑問を竜に告げる。つい先ほど会ったばかりの自分にどうしてそんなことを言うのかよくわからなかったからだ。


「まあ、これも縁だ。いい機会だと思ってな」


 竜は地鳴りのような重さを感じる声で言う。その口調は、ユーモラスに喋っていた先ほどとは違い、真剣味が感じられるものだった。


「先ほども言った通り、わしは長く生き過ぎた。力も衰え、先も長くない。このまま人知れず、朽ちていくのも悪くない、そう思っておった。


 だが、ここ最近になって、そうもいかなくなってな」


 竜は射殺しそうな鋭さを持つ目を竜夫に向ける。


「人間の時間で言うと、三十年ほど前のことか。遥か昔に消えたはずの同胞の気配がうっすらと感じられるようになってたのだ。それがどうも気にかかってなぁ」


「……どうして?」


 自分と同じ存在が蘇ったのなら、それは喜ぶべきことなのではないのだろうか?

「この世界において頂点を極めたわしらは、ある日を境にわし以外すべて消え去った。我らが築いた文明のすべてを残してな。それが長い時間を経て突然蘇った。妙なことだとは思わんか?」


 竜は竜夫に問いかける。確かにそうだ、と竜夫は思ったが――


「どうして、あんた以外の竜は突然姿を消したんだ?」


 この世界において頂点に君臨した竜というのは、間違いなくいまこの目の前にいる存在と同じくらい力強い存在だったのだろう。いや、いま竜夫の前にいる竜は長い時間を生きていたせいで大きく力が衰えているらしいから、かつていた同胞というのはもっと力強い存在だったはずだ。


「それもどうしてか思い出せなくてなぁ。なにか事情があったことは間違いないんじゃが。一つ、確かなのは――」


 そこで竜は一度言葉を止める。


「頂点を極めたわしらは、自分たちが築き上げた文明が、そう遠くない未来に滅ぶことを予言しておった。わし以外が消えてしまったことと、その予言がなにか関係していることは間違いないだろう。


 それに、同胞の気配はおぼろげに感じられるのにどうしてか姿がどこにも見当たらん。わしを見ればわかるようにでかい図体をしているから、蘇ったのなら目につくはずなんじゃが――」


 竜は唸り声を上げて長い首を傾げる。やはりその動作はどこかユーモラスだ。


「それが、どうして僕に力を譲渡することに繋がるんだ?」


 竜夫はもう一度同じ疑問を竜に投げかけた。


「わしの力を使って、どうして消えたはずの同胞が復活したのか、どうして姿が見えないのか、調べてほしいのだ。


 そして、できることなら――」


 そこで竜は一度言葉を切り、竜夫を見つめ――


「復活した我が同胞に引導を渡してほしい」


 重く、真剣な口調でそう言った。


「……どうして?」


 竜夫は再び竜に問いかける。何故、復活した同胞に引導を渡してほしいなどと言うのか理解できなかったからだ。


「いまの世は、もうすでに我らのものではない。人の世だ。その世界を、過去の存在である我らがみだりに侵すべきではないと思うのだよ」


 竜は、遠くを見つめながら、どこか悲しげな口調で言う。


「それなら――」


 竜夫は口を開いた。


「どうして、僕に力を与える必要がある? あんた自身が復活した竜を探し出してやればいいだろう」


 竜夫は重く、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「確かにその通りだ。だが残念なことに、それができるような力は、いまのわしには残っていないのだよ。いまのわしは、武装した人間の軍勢に攻め立てられれば、いずれ狩られてしまう存在だ。それほどまでにわしの力は劣化している。


 しかし、若く先のあるお主にその力を与え、融合したのであれば、その程度の力しか残されていないわしの力であっても、先は見えてくる。人は、限りなく不完全であるがゆえにその力は成長するものだ。劣化しきったわしの力でもお主と混ざれば、それを大きなものに変え、成長させてくれるだろう。


 それに、この世界に無力なまま召喚されてしまったお主を助けるにはこうするしかないのだよ。そのお主に対し、わしがしてやれることは、わしの残った力のすべてを与え、もとの世界に戻る手段を見つけるまで、この世界で生き抜けるようにしてやることだけだ」


「僕に力を与えたら、あんたはどうなる?」


「消えるだろうな。なにしろすべてを与えるのだ。消えるのは道理だろう。でも、それでも構わんよ。なにしろわしは長く生き過ぎた。充分すぎるほどにな。だから、この世に対する執着はまったくない」


 嘘を言っているようには聞こえなかった。この竜は、本当にこの世に対する執着がないのだろう。


「でも、僕があんたとの約束を守るとは限らないぞ。手に入れたあんたの力を使って、さっさともとの世界に戻るかもしれない。あんたの目的は、復活した竜を見つけ出して、やつらに引導を渡すことなんだろ? それでもいいのか?」


「構わんよ。わしの力はお主に譲渡した時点ですべてお主のものじゃ。それをどう使うのかはお主に任せる」


 竜の言葉には迷いはなかった。本当に、自分が与えた力をどう使うかを、竜夫に一任するつもりらしい。ここまで迷いなく言われてしまうと、竜夫のほうが戸惑ってしまう。


「わざわざそんなことを言うとは律儀な奴じゃのう。そのあたりも好感が持てるな」


 楽しげな口調で竜は言う。こちらが考えていることをすべて見透かされているような気がして、恥ずかしくなった。


「だが、一つだけ言っておこう。わしの力を得たら、わしの力だけで、もとの世界に戻るのは不可能だ」


「……どうして?」


「わしの力を得れば、お主はただの人間ではなくなる。いや、もっと正確に言うのなら、大きな力を持った、人間に似た『なにか』に生まれ変わるのだ。人の身のまま、我らのごとき大きな存在にな。


 そして、大きなものを動かすには、より大きな力が必要なるのは必然。ましてやそれが、本来であれば交わらぬはずの世界間の移動ともなればな」


「大きな力を持つことで、ただでさえ難しいことがより難しくなる……ってことか?」


「そういうことだ」


 竜は満足そうに頷いた。


「この世界において頂点を極めたわしらは、他世界への拡大も考えておったから、力を得たおぬしを移動させる手段もなんらかの形で残っているはずだ。もとの戻りたいと思うのであれば、それを探すといいだろう」


 世界を移動する手段。それは途方もないことのように思えるが、見つけるしかない。召喚されてしまった、この世界を生き抜いて。


「……最後にもう一度問おう。わしの力を得れば、お主はこの世界で生き抜く力を手に入れられる。だが、それと同時に力を得れば、力あるもの――具体的に言えば、どこかいる復活した我が同胞と――惹かれることになるだろう。それは、お主に並々ならぬ試練を与えることになる。それでも構わないか?」


 竜は厳かに、この世界すべてに響いていると思えるほど重い声で言う。


「ああ。なにもせず、無駄死にするくらいなら」


 竜夫は拳を強く握り込みつつ、即答する。そもそも、無力な竜夫には選択の余地はないのだ。


「力を得て、人ではなくなっても?」


「構わない。どうせそうならなきゃ僕は生きていけないんだ」


 力強く、覚悟を持って竜夫は答えた。


「了解した。その覚悟、見事なり。残された、我が力のすべてをお主に与えよう。お主はいまこの瞬間、我が力を得たときから生まれ変わる。それは、お主に想像を絶する苦痛を伴うだろう。それが最初の試練だ。耐えるがよい。この世界で生き抜く力を手に入れるために」


 竜がそう言うと、確かにあった輪郭がぼやけて融けていく。融けたものが竜夫の頭に降り注いだ。


「ぐ……」


 たったひとしずく当たっただけで、身体の芯から燃えるような激痛と衝撃があった。それが怒涛の勢いで竜夫の頭の上からいくつも襲いかかってくる。


 それでも、それでも耐えなければならないのだ。


 生きたいと願うのならば。

 もとの世界に戻りたいと願うのならば。


 この想像を絶する苦痛にも耐えなければならない。


 自分は無力だ。この世界において、なによりも持たざる者だろう。


 自分の身体がどうなっているのかもわからなかった。外の世界がどうなっているのかもわからなかった。


 耐えろ耐えろ耐えろと自分自身の存在すらも曖昧になるほどの苦痛の中でそれだけを唱え続ける。


 竜夫に襲いかかる熱の雫は、なおも勢いを増して降り続けた。 


 耐えろ。そう自分に言い聞かせた。


 しかし、竜夫の精神と肉体の融解は止まらない。耐えろと思うほど、その融解は強くなるのではないかと思えるほどだった。


 いつまでこれが続くのだろう? 途方もない時間が経ったような気がした。


 だが、それでも精神と肉体の融解は続く。


 耐えろ。そう願いながら、竜夫の精神と肉体の融解は続き、すべてが融けて混ざり合って――


 氷室竜夫を構成していた『なにか』はすべてが混ざり合い、混沌の中へと消えていった。

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