第40話 消える思い

 都内の病院。


 医者が言う事を聞かない人種はどこにでもいる。

 先島もその一人だ。傍に居る医者は渋い顔をしていた。


「どうしても。 仕事に戻らないといけないんですよ」


 病院のベッドから起き上がった先島は、そんな言い訳にもならない事口にしていた。

 ところが、先島の担当医は首を縦に振らない。一緒に居た看護師もあきれた顔をしている。


「せめて縫い合わせた所が融着するまでは退院は許可できません」


 そう言ってメガネの下から先島を睨んでいる。

 致命傷では無かったが、弾は身体をすり抜けているのだ。少し動けば再び出血してしまうのが分かっている。そうなれば命に係わるので反対しているのだった。


「いいえ。 自分が担当している事件は時間との勝負なので……」


 そんな事は意にも介さずに自分の荷物(元々そんなに無かったが)をまとめ上げていた。

 病院に見舞いに来ていた青山に、車を置いていってくれと頼んでおいたのだ。


「駄目なものは駄目だと言っている」


 医者は更に言い募ったが、先島は医者の忠告を無視しながら身支度をしていた。


「歩ければそれでいいんで……退院しますね?」


 先島は既に上着を羽織っていた。元より人の言う事を聞かない男だ。


「万が一の事が有っても責任は持てんよ?」


 医者は最後まで首を縦に振らなかった。


「元々、自分の命は使い捨てですから……」


 先島は自嘲気味に言いながら病室を後にした。

 そんな先島の後姿を見ながら、医者は首を振りながらため息をついた。手元のボードに何かを書きつけて、次の患者の診察の為に歩み去った。



 工場が無事に爆破されたのは知っている。青山がこっそりと教えてくれた。きっとクーカが始末してくれたのに違いない。


(大人としては是非とも礼を言わないとな……)


 工場はボイラー設備で不具合が発生して、『小規模な火災』が発生したと処理された。実際は五階建ての建物が粉々になったのだが書類上は単なるボヤだ。

 そういう事にしないと爆破した犯人を検挙しなければならなくなる。それはクーカの存在を世間に知らしめてしまう行為だ。


 何より一介の殺し屋風情に日本の危機を救われたという事実はあってはならない事なのだ。

 面子を重んじる政府としては拙い事態になってしまう。だから、事件は闇の中に隠蔽されてしまった。


(まあ、都合の悪い事に蓋をするのは何時もの事だがな……)


 先島も爆破に加担しているので、それも不味い立場となっている。何しろ爆破された工場の傍で銃で撃たれて倒れていたのだ。関連を疑わない方がどうかしてる。


(これで、妙なクローン技術を悪用する奴はいなくなった……)


 『あの人たち』一味の親玉は室長の手の内に取り込まれたのも知っている。彼はこれからも日本の役に立ってくれるだろう。


(役に立たないのなら事故に遭うだけどな……)


 先島がフッと笑った。通り過ぎようとした中年の女性が怪訝な顔を向けていた。


(おっと…… ついニヤケてしまった……)


 片足を引きずるようにして歩く中年男が、ニヤニヤしてたら誰だって不審に思うものだ。

 エレベーターを使って地下駐車場に降りた。

 先島は預かっていたキーを車に向けて安全装置を解除する。そのまま運転席を開けて乗り込んでいった。


「うっ!」


 運転席に座った途端に激痛が走った。だが痛みが或る内は生きてる証拠だと自分を誤魔化してみる。

 そこまでして、先島が急いだのはクーカの足取りを追う為だ。


(急がないとクーカの足取りが消えてしまう……)


 あの銃撃戦の跡にクーカの死体は無かったと聞く。もっとも素人に毛の生えた程度の連中では歯が立たないのは解っていた事だ。恐らくは無事に脱出している物だと考えていた。


(まずは当日の監視カメラ映像を藤井に頼むか……)


 ポケットから携帯電話を取り出そうとした。カツンと何かに触れた感覚がある。

 先島は上着のポケットにメモリスティックがある事に気が付いた。


「なんだ?」


 もちろん、そのメモリスティックは自分のものではない。会社の物でもない。


「……」


 先島は車に積んであるノートパソコンを起動した。メモリスティックの中身をチェックする為だ。

 ノートパソコンに差し込んで中身を確認したが0バイトと表示押されている。それが増々不信感へと掻き立てた。


「これは…… クーカが使っていた奴なのか?」


 先日の事件があった時。

 怪我で気を失う寸前に、くーかが何かを落としていたのを思い出した。殆ど無意識のうちに握り込んでいたのであろう。

 きっと、先島を救助してくれた隊員は、私物と思ってポケットに入れてくれたらしい。

 問題は中身が何なのかだ。


「物理トラックを解析トレースしてみるか……」


 ファイルの消去と言っても、単純な消去では物理的な領域を消されている事は少ない。ファイル消去後に何も操作されていなければ中身自体は残っている可能性が高いのだ。それを読み出せる状態にしてあげれば消去ファイルを復活させることは可能だ。

 先島は自分のパソコンにインストールされている復元ツールを使って復活させる事にした。作業自体は難しくは無い。ツールが示すコマンドを認証していくだけだ。後はツールが推測して勝手にやってくれるのだ。

 ほんの一時間程度で終了した。

 もう一度メモリスティックの中身を表示させてみると、そこには改変前と改変後のファイルがあった。


「やはり、何かやっていたのか……」


 先島は改変前のファイルを開いてみる。クーカが何をしたかったのか知るためだ。


「ん?」


 何のことは無い普通の人物調査票だった。病歴も犯罪歴も無い。ごく普通の一般市民だった。それより何故こんなものをクーカが持っていたのかが謎だ。


「 ! 」


 しかし、ファイル内容を見ている内に気が付いた事があった。


「この為だったのか……」


 何故、クーカが自分に接触してきたのか理解が出来たのだ。

 先島は言うなれば主流を外れた人間だ。取り入っても何らかの利益を提供できるような地位には無い。むしろ、それらからは程遠い位置にいるはずだ。


 クーカはファイルの人物を探し出すのに、警察のデータベースにアクセスする必要があったのだ。

 個人情報保護の法律が出来てから人探しが難しくなったと聞いている。警察のデータベースであればある程度は絞り込める、個人で伝手を頼って探し回るよりは効率が良い。


「そうか…… クーカはこの為に日本に来たのか……」


 ノートパソコンの画面には、一人の少女の写真と共に名前が表示されていた。


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