第39話 人形遊び

 鹿目の工場。


 目的の物を手に入れたクーカは台座の隠し扉から出て来た。もはや室内には物言わぬ骸しかいない。辺りを見回して少しだけため息を付いた。自分が入って来たエレベーターの出入り口に向かっていった。


(応援が降りて来ているかも……)


 ひょっとしたらと身構えながら覗き込んでみる。しかし、誰もエレベーターシャフトには居なかった。急に応答が途絶したので対応が分からないのであろう。


 クーカがシャフトを見上げると、自分が入って来た入り口は机のような物で塞がれてしまっている。エレベーターの箱は四階と五階の間で停止しているらしかった。


(二階…… いいや、三階だったら待ち伏せされる可能性が薄いはず……)


 自分が入って来た壁が塞がれているという事は、そこで待ち伏せされているに違いないと踏んでいた。自分でもそうするからだ。

 安全に表に出る為には彼らの裏をかかないといけない。別段、殲滅しても構わないのだが、厄介な荷物を背負っているので避けたいところだ。


(そこでジッとしててね……)


 一階の塞がれた穴に向かって、そう心の中で呟くと一気に跳躍した。

 クーカはエレベーターシャフトの中を、ジグザグに跳躍しながら登っていく。彼女の持っている身体能力の御陰だ。


「んっ!」


 三階のエレベーター口に辿り着いたクーカは、扉をこじ開けて中に入って行った。

 すると『ズズンッ』とビルが振動するのが分かった。研究所の爆発が始まったみたいだ。小規模な爆発の連鎖で建物の構造を弱くしてから一気に破壊する。爆破解体と呼ばれる手法だ。


(その後で焼夷爆弾で完全に燃やしてしまうと……)


 外国のウィルス専門の研究機関では、燃焼温度が三千度にもなるテルミット反応爆薬が使われる。ここもそうしているに違いないと確信していた。証拠をもみ消すには完全に消滅させる必要があるのだろう。


「……」


 少し急ぐ必要性を感じていた。自爆のシーケンスが予想よりも早かったのだ。建物の出口に向かおうとすると、顔を何やら熱い空気が撫でていくのに気が付いた。クーカがシャフトの中を覗き込むと、爆炎がシャフトの中をモクモクと上がって来ているのが見えた。


(ああ…… ヤバッ!……)


 思った以上に反応が早かった。脱出しようと振り返ると一番端っこに窓が見えた。他はアクリルの壁が延々と続き、その中をロボット達が無言で働いていた。

 ここは人工照明を使った野菜工場なので窓は一箇所しか必要がないのだ。


「なんてことっ!」


 窓に目掛けてクーカは全力で走った。百メートルなら九秒程度で駆け抜ける事が出来る。だが、その速度を上回りそうな気配が迫って来ている。爆炎が背後まで来ているのが分かる程に熱を感じているのだ。


「ん、あああああっ!」


 クーカは腰から拳銃を取り出し、窓ガラスに向かって銃弾を続けざまに発射した。

 ビッビッと弾痕が開いたかと思う間もなく、窓全体にヒビが入って、窓ガラスは外に向かって吹き飛んでいった。廊下に充満しつつある爆圧で吹き飛んだのだ。


「きゃあっ!」


 そのままクーカは吸い出されるように外に飛び出してしまった。その後を紅蓮の炎が追いかけて来る。しかし、彼女を捕まえる前に炎は上空に向かって飛散していってしまった。


「!」


 加速力を失った身体が落ちかけた時に、次の爆発が建物の基部から起き上がった。テルミット反応が始まったのだ。それは建物を一瞬持ち上げたかと思うと、そのまま沈み込んで行った。鉄骨が飴棒を溶かしたかのにグニャグニャと曲がっていく。強烈な熱反応が起きているのが分かるようだ。

 その爆風がクーカの身体を、再び巻き上げ敷地内に有る樹木へと誘った。クーカは爆風から目を守るために顔をガードしている。


「くっ……」


 ガードの隙間から目の下に何本かの樹木が見える。咄嗟に外套を広げて落下する方向を変えた。身に纏った小さめの外套では、パラシュートのように落下速度を相殺は出来ない。だが、モモンガのように方向は変えられると咄嗟に判断したのだ。


 クーカは手近な樹に向かって手を伸ばした。

 指先を何枚かの葉が滑っていく。

 やがてガシッとした手ごたえがあった。枝を捕まえる事に成功したのだ。しかし、クーカの身体と落下速度を支える事が出来ない枝は直ぐに折れてしまった。

 でも、クーカの身体を樹木の傍に引き寄せる手掛かりにはなった。クーカは何本かの枝の間を転げる様に落下していく。


「うぐっ!」


 一番下と思われる枝に腹をしたたかに打ち付けたクーカが呻き声を上げてしまった。彼女とて痛みは感じるのだ。


「ぐはっ」


 枝から地面に落ちたクーカは、肺の空気を全て吐き出してしまったかのような声が出てしまった。


(は、早く…… 工場の敷地から脱出しないと拘束されてしまう……)


 彼女は朦朧とした意識の中、脱出の事だけに専念した。クーカは痛みを無視する事が出来る様に訓練は受けている。痛みも彼女にとっては雑念の一種なのだ。すぐに立ち上がって周りを見渡し用水路を目指した。ヨハンセンが待機していると言っていたからだ。


(ここからなら、拾い上げポイントまでたどり着ける……)


 クーカは工場のすぐそばを流れる用水路に飛び込んでいった。先島の事もチラリとよぎったが、まずは自分の安全が優先だと判断したのであった。



 工場が吹き飛び爆炎を上げるのを鹿目は虚ろな目で見ていた。色々と画策したが何一つ手に入ることが出来なかったのだ。


(どこで、間違ったのだ?)


 挫折を知らない鹿目は戸惑っていた。彼の間違いはクーカを歯車の一つとして扱ってしまった事なのだろう。


「ふっ、これでも私は日本を思っての行動だったのだがね……」


 鹿目はぽつりと漏らした。傍には室長と藤井が控えている。藤井は鹿目との接触を全て室長に報告していたらしい。


「人間のクローン技術は、今後の日本が強くなっていく為には必要な物なんだよ……」

「……」


 隣に居た室長は何も言わずに鹿目を見ていた。


「さあ、行こうか……」


 煙が目に滲みるのか、目を盛んに瞬いている。心なしかグッと老けたように見えた。


「え? どこへですか?」


 室長がビックリしたような顔で聞いてきた。


「私を逮捕しに来たんじゃないのかね?」


 鹿目が室長に訊ねた。


「逮捕? 何の罪でですか?」


 室長がとぼけた表情で言い返した。


「……」


 その答えに鹿目は黙りこくってしまった。逮捕はしないとの指示があったのだろうと推測した。


「私は自殺かね? それとも交通事故にでも逢うのかね……」


 鹿目は公安組織のやり方は知っている。そういう事例を嫌と言う程見て来たからだ。だから、今まで慎重に事を運んだつもりだった。

 念の為にと呼び寄せた殺し屋の小娘に、全てをひっくり返されてしまったのは計算外だった。


「いえいえとんでもない事です。 これからも先生は日本の為に役に立っていただきますよ」


 室長がニッコリと笑った。もっとも目は笑っていない。彼のいつもの表情だった。


「……」


 鹿目は黙り込んでしまった。やがて、察しが付いたのか姿勢を正して車に乗り込んで行った。


「大丈夫です…… 全て我々がお膳立てしますから……」


 室長はそういって微笑みながらドアを閉めた。間もなく警察や消防が駆け付けるだろう。その前に鹿目を隠す必要があるのだ。

 鹿目を載せた車は静かに都会の雑踏へと走り去っていった。


 こうして日本の深い闇の一部が変更になった。人形使いが新しい人形になった。それだけなのだ。

 そして日常は何も変わりはしないのだろう。


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