第53話 確かめ合う
『5―2』
それがこの勝負の幕引きだった。
攻守交替を重ねるごとに対応力を上げてきた近藤は、より苛烈な接触で接近戦を仕掛けスタミナをゴリゴリと削る戦いを強いた。最初の三点こそ比較的楽に取れたものの、それ以降は二十四秒を何度も超過し、互いに攻めきれない時間が何分も続いた。
「っはあっ、はぁ……ぜえ、はあ、や……約束は守れよ……」
「っかってるよ……」
ブランクで落ちたのは筋肉もらしい。体のあちこちが痛むのを感じつつ、やや離れた位置で膝をついて汗を流している近藤に向けた頭を床に打ち付けた。勝ちこそしたものの俺は大の字に寝そべっていた。格好つかないことこの上ない。
ふっと影が差し、ペットボトルの冷たい感触がひたいに押し当てられる。目を開けるとオレンジ色の優馬がいた。
「お疲れさん~。差し入れな~」
「おぉ、さんきゅ」
「気にすんな~」
体を無理やり起こして、よくあるスポーツ飲料のそれを一気に半分ほど飲み干す。そのくらい汗をかいた気がする。
優馬は緊張感がないのか、いや、単に分け隔てないんだろう。
近藤にも同じ物を手渡す。近藤はバツが悪そうな顔をしていた。
「なあ春人。もう一回バスケ、やらないか?」
戻ってきた優馬がふとそんなふうに言う。
「なんでだ?」
「だって楽しそうにしてたぜ~、戦ってる時のお前」
「……」
そうだっただろうかと、俺は自分の顔をさすった。
よく覚えていないというのが正直なところだった。
近藤に負けたくない、ただそれだけだったから優馬の言葉は意外に思える。
「ま、お互い引っ込みつかなくなっちゃってるかもだけどな~」
「優馬、余計な事言うんじゃねぇ」
険しい顔の近藤に優馬は平謝りしていた。
いくらか体に力がはいるようになって、俺はふらつきながら立ち上がる。
「約束は」
「守るっつってんだろ。言わねぇよ」
「……信じます」
結局のところ近藤の律義さに賭けるしかない。俺はとっとと着替えて帰ろうと、入り口近くの更衣室に足取り重く進む。何か忘れているような。
幸か不幸か、その物忘れは向こうからやってきてくれた。
重たい体育館の鉄扉が押し開けられる。
「こんなとこにいた!」
姿を現したのは紺野と高坂だった。そこで高坂のラインのことを思い出し、用事でいないはずの紺野と一緒にいることも含め、うっすらとあの呼び出しが意味するところを察する。
つまりは、高坂は屋上で紺野と俺を鉢合わせようとしていた訳だ。
「あんたに言ってやりたいことが山ほどあるわ! こっちに来なさい!」
「あ、ああ……?」
去年グループにいたおかげで言われ慣れてしまった高圧的な言葉に条件反射で頷いてしまう。ともかく逃げられなさそうだと察した俺は素直に紺野に従う。
更衣室やシャワーブースなどが並ぶ一角にある、小会議室と名付けられた物置で最初に口を開いたのは後からやって来た近藤だった。手には握りつぶされた何かの紙がある。
「おい千尋。いくら俺がきかねぇからって、代筆の入部届まで書いてこいつをバスケ部に入れようとするんじゃねぇよ」
「大輔くんが強情なのがいけないのよ。今となっては、私もだけどね」
紺野は意地でも俺をバスケ部に入れるつもりだったらしい。偶然にも近藤が受理寸前で文字通り握り潰してくれたようだった。職員室の前にいたのは、中で俺を見かけて勝負をけしかけると決めたからだろう。
「もうそんなことはしないわ。そんな紙切れより、私は春人に言いたいことがある」
地を這うような、腹の底から絞り出したような声に冷や汗が出る。近藤の怒りが猪じみた猪突猛進じみたものならば、紺野のそれは爆発寸前の活火山だ。
一度言葉を切って溜めを作った今野は一気にまくしたてる。
「どうしてラインのグループ抜けたのよ! おまけに私がいくら送ってもスルーするし! グループにいた時ものらりくらりと躱すし!」
「それはこん」
「らちがあかないから始業式の日に問い詰めてやろうと思ったらいないし! そんな黒髪黒眼鏡になってるなんて思わないじゃない!」
「それは」
「やっっっと春人があんただって分かっても昼休みも放課後もどこにもいないし! やっと見つけたと思ったら可愛いイラストに目覚めてるし! 乱暴に扱って悪かったわね!」
「……」
「試合に来てくれたと思ったら敵のチームと親しそうに話してるし! なんだか朱理花とのウワサが流れてるし! おまけに二股なんて言われてるし!」
紺野は荒く肩を上下させながら俺のことを睨む。いつもの覇気などみじんも感じられない、涙目に近いものだった。
「私は春人を拒絶するために別れたんじゃないのに」
「……じゃあどうして俺を」
まるで俺の解釈と真逆の一言に耳を疑う。
なおも紺野は言葉を連ねた。
「今だから言えるけど、私、春人のミステリアスな所が好きだったの。高校デビューっていうのはなんとなく分かっていたし、たまたま同じクラスで出席番号が前後だった。優馬とか櫻井に合わせて垢抜けていっても、初対面の印象は変わらなかった。春人の隠し事のことを考えているうちに好きになっちゃって、告白したのよ」
それは初めて聞かされる
同時にチクリと罪悪感が主張する。あれほどすぐ行ける場所に住んでるのに住所を教えなかったことも、見た目や高校を変えるきっかけとなった事件も、中学はバスケ部でそれなりに強かったことも、どれも紺野には話していない。
それは『彼女』という立場まで踏み込んできた紺野を、心のどこかで拒んでいたんじゃないんだろうか。
俺はフラれたことの傷口に刺さっていたトゲをようやく理解する。
対照的に今野は声を震わせた。
「だけどちっとも教えてくれないし、安易に聞ける雰囲気でもなかった。ずっともやもやしてて、気付いたのよ。『私には話してくれないんじゃないか』って。理解したいと思うのはおかしいこと? これじゃいっそ付き合う前と同じじゃない。だったら……付き合う前に戻ろうと思ったの」
「だったら……なんで、近藤が」
「俺が無理言ってついてきただけだ。こんなに思い詰めてた千尋を放っておく彼氏なんてロクなもんじゃねぇと思ったからな」
近藤の言うことももっともだった。
フラれた直後のことも考えればなおのことだろう。
「……ああ」
傷つけられたのは俺の方だと、口に出さないまでもずっと思っていた。
訳も分からず唐突に別れを告げられて、キープされてただけだと勘違いしていた。
けれど俺の知らない所で、いや、俺が見えていなかった所で紺野は俺のことを考えて、でもどうにもならなくて傷ついていた。それは俺が中学時代のことを誰にもバレない様にひた隠しにしていたせいだ。
そうやって誤魔化すことで、俺を理解しようとしてくれていた紺野を他ならぬ俺が無自覚に傷つけていたと知る。
それでも紺野が変わらずにいるのは、笑顔に裏打ちされた強さがあるからだろう。
「グループから抜けちゃったし、バスケ経験者っていうから何とか接点を作ろうと思ったんだけど、余計なお世話だったみたい」
足音がして小会議室の扉が開く。そこにいたのは息を切らした桐ケ谷と林だった。
「場所分かったらすぐに教えてって言ったでしょう」
「あはは、ごめーん」
もしかしなくとも、二人もまた俺を探していたのかもしれない。悪いことをしたなと思う。今野は桐ケ谷、高坂、林をそれぞれ見てから俺と目を合わせる。
「今更言える立場にないかもしれないけど、ごめん」
「ああ……俺の方こそごめん」
それは確かな和解の言葉で、付き合っていた過去との別離だった。
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