第45話 かつて
帰り道を一人、歩いている。
ほどなくしてこれが夢だと気付いたのは、小中学校と見慣れた両親の持ち家がある地元の風景だったからで、そして何度も繰り返し見た夢だからだった。
八月の夕暮れ。丸一日のきつい練習を終えた帰路の途中。中学バスケの総体、その全国大会を目前にした追い込みのメニューだった。私立の強豪が群雄割拠する全国大会に、公立の学校が割って入るというだけでかなりの話題になっていた。具体的には練習を見に来るギャラリーが途切れなくなる程度に。
あるいは、既に最多得点選手の名を欲しいままにしている怜王に寄せられた、各所からのオファーのように。
「うらやま……しくもないか」
練習後のへばっている時に声をかけられうんざりしている怜王を思い出し、俺は笑った。助太刀に割って入れば「ついでに」と勧誘されるのが関の山だ。腰巾着の自覚はあったが赤の他人に言われたくなかった俺は、さっさと体育館を抜け出した。
今思えば、それがミスだったんだろう。
「よ」
なんてことはない、住宅地の中にある公園をショートカットに通り過ぎかけた時、群れている同じくらいの年の奴らに声をかけられた。初めは同じ中学かと思ったが覚えのある顔だった。彼らは全国出場を有望視されていた、別の県の私立のバスケチームだった。どピンク頭の優馬もその中にいた。
関東大会の準決勝で当たって、主に怜王が、ボコボコにした相手だ。準優勝までなら次の大会に駒を進められる取り決めで、彼らは全国出場を辛くも逃した。
「あぁ……どうしてこんなところにいるんだ?」
記憶の俺はそう聞く。詳しい場所は知らなかったものの、何かの拍子に立ち寄る場所でもない。バスケコートもない、こんな公園に彼らがいるのが謎だった。
すぐに走り去るべきだ。俺は思うが体は動かせない。彼らのリーダー格の男、薄墨がひどく酷薄な笑みを浮かべた。
「どうしてって、オハナシするためだろ?」
なあ、全国に行けて気分はどうだよ、と薄墨が言葉を吐く。酷くどろどろとした悪罵を薄墨はぶつけてきた。それから最初の一発をもらうまで、そう時間はかからなかった。
「ッ!?」
叩き込まれた拳にたたらを踏むと、示し合わせたように彼らは俺を囲んだ。元より俺をリンチにするために来たんだから打ち合わせなんかもしていたのかもしれない。
唯一前情報を与えられていなかった優馬がオロオロしてるのが今更ながら傑作だった。十人弱対一人。どう考えても病院送りになるのは俺だった。
「……どういう、つもりだよっ」
「お前らがいたから俺たちは全国に行けなかった! おい、この落とし前どうつけてくれるんだ? どうもつかないよな? だからボコりに来たんだ」
薄墨はそんな破綻した私怨を堂々と宣う。その怨嗟はチーム全体にまで浸透しているらしかった。彼は狡猾な犯行の全容を告げる。
「ホントは怜王をやりたいが勧誘やらでできねぇ。すぐ足がつくかもしれねぇ。かといってお前と怜王以外をやっても替えが利く。その点、お前がいなくなれば中途半端なチームの完成だ。周りもそれほどお前を見てねぇ。良かったな!」
「つまりあれか。復讐かよ」
「そうだ!!」
どこまでも短絡的で、どこまでも愚かだった。
俺を囲む輪の外で優馬が困ったように眉を下げる。
「お、おい。なんだこれ、話って頑張れ的なやつじゃなかったのかよ」
それに薄墨が馬鹿にするように言葉を投げ返し、倒れた。優馬はオンオフの激しいやつでコート外で怒気をたぎらせた瞬間を見たのはそれが初めてだった。
彼らにとっては優馬の裏切りから始まった乱闘は、大量のあざと擦り傷を生んだ末に、俺と優馬の辛勝で幕を閉じることとなる。俺よりも大暴れしていた優馬の方がよほど重症だった。
「それ、歩けるのかよ」
「ちと厳しいかもな……はは、やべえ」
一度もんどりうって倒れた時に、優馬は踵を思いっきり潰されていた。他にも数人起きられない仲間と一緒に優馬は呼んだ救急車を待っていた。仕方ないとあきらめたように達観した表情で俺を追い払おうとする。
「行けって。ばれたらまずいぜ」
喧嘩だってごまかしとくからよ、という言葉を俺は信じた。
「この話は本当かね?」
数日後、俺は仲間とともに校長室で校長と対面していた。
俺はポカンと間抜けな表情を晒していたと思う。それくらいに耳を疑う話をされたからだ。
「喧嘩になったのは事実ですけど、全然違います」
話を短くまとめると、薄墨らと俺が喧嘩をした。激しい殴り合いの末、当校の生徒は多くの外傷を負い特に橘優馬は選手生命に関わる大けがを負った。この件に関して当校は貴校の生徒を訴える用意ができている、と。
それはあまりにもあんまりなでっちあげだった。返り討ちにしたら訴えられる? おまけに優馬の怪我は俺がやったわけじゃなかったのに?
しかし校長は残念だと首を振った。
「事実と差異があったとしても、私ではどうすることもできない。向こうの方が一枚も二枚も上手、言ってしまえば私立のコネがあるからだ。話は既に総体の運営にも届いている。してやられたとはこのことだな」
突き放すようでいて、この校長は実のところ俺に同情していた。
「あちらは君たちが全国大会を辞退することを交換条件に、この一件をもみ消すと交渉を持ち掛けてきた。交渉とは名ばかりの脅しだな。受けた場合は言わずもがな君たちが掴んだ切符を手放すことに、蹴った場合は春人君のみ出場禁止の上に汚名を被ることになる」
どうする? と校長は目の奥でたずねてきた。
今この瞬間に戻れたとしても、俺は同じく蹴っただろう。どちらにせよ俺は悪名をなすりつけられることになり居場所をなくすのだから。それだったらせめてチームは華々しく散った方が良かった。
「俺は……」
「その話、受けます」
俺を押しのけて、決断を下したのは怜王だった。そうかい、と校長は瞑目して俺たちは退出を促された。校長は元よりそうするつもりだったのかもしれないし、どちらにせよ真意はわからない。
怜王を除いて、チームの仲間は俺を口々に糾弾した。最悪の夢だ。何度見ても気分が悪くなる。その日まともな練習ができるわけもなく、そのまま解散となった。三年生だった俺はそれきりバスケ部に顔を出さなくなった。
「バスケ、やめるなよ」
夏の終わり。一足早く中学を卒業してアメリカのハイスクールに通うことが決まった怜王を見送りに空港まで来たとき、怜王はそう言った。
「たぶんな」
俺は拳を合わせて答え、怜王を見送った。
それから知り合いの限りなくいなさそうな高校を受験し、バスケから遠ざかったことは語るまでもないだろう。
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