第43話 巡り合わせというもの

 予報よりかなり早く降り出した雨は、幾分その勢いを弱めていた。どこかの排水溝が詰まったんだろうか、アパートの外の道路は水浸しだ。これじゃ合羽を持っていても濡れることは間違いなしだろう。


「結局止まなかったな」


 バッと男物の大きめの傘を開いて後ろを見る。

 林はなんだか申し訳なさそうだ。


「わたし一人でも帰れますから……」

「そこそこ遅いし、駅までは一緒に行くよ」

「でも」

「まあ……相合傘になるのは嫌かもしれないけど」


 俺は空いてる手で頬をかきつつ自嘲する。学校の近くに一人暮らしをしている弊害か、俺は傘を一本しか持っていなかった。先ほど言った通り自転車で帰るのは濡れるし危ないし、家に連絡したところ最寄りの駅まで迎えに出るそうだ。

 傘だけ渡して帰すには時間的にも少々遅い。

 俺がぷらぷらと傘を揺らすと、観念したのか林はちょこんと傘の中に入ってきた。それとなく林が濡れないように傘を寄せる。たちまち外に出た肩が湿って冷たくなっていくけど戻ったらすぐ風呂に入ればいいだけだ。

 街はどこもかしこも水だらけで狭苦しい近道を避けて駅から伸びる大通りから遠回りの道のりを辿る。まばらに、傘を差した部活帰りの制服姿があった。


「嫌じゃないです……」


 ふと、聞こえるか聞こえないかといった小声で林が何事かを囁く。しかしそれは白い線となって降り注ぐ雨音にかき混ぜられて俺の耳に届くまでに霧散してしまう。


「今なんて?」

「あ、ありがとうございます、と言いました……」

「どういたしまして」


 お礼の言葉ではなかった気がするけど、まあいいか。

 それにしてもすごい量の水だ。車道は冠水して歩道まで軽く浸ってしまっている。この大雨で電車止まってないかな、と今更気づいた。


「林、ちょっと電車調べてくれないか」

「電車が動いているかってことですね。分かりました」


 意図を正しく受け取った林が鞄を探る。そんな時だ。

 後ろで響いた悲鳴と激しい水音。まるでウォータースライダーみたいな水流のしぶきが近づいてくる。それは配送用のトラックが水をかき分けてこちらに接近している音だった。


「げ」


 俺は事態を見て取り思わず引きつる。

 こんな浸水だ。のろのろ徐行なんてしてたらエンジンに水が入ってしまうかもしれない。そうなっては仕事にならない。理屈はわかる。共感もする。

 とはいえ帰り道の途中、しかも店の中にも横道にも逃げられないこんなところで遭遇したくない相手だった。


「ちょっとごめん」

「えっ」


 スマホを真剣に操作していた林の手を取り、閉店している店のシャッターに押し付ける。体を近づけてなるべく林の体を包むように覆い被さって隠す。ハイビームが過ぎ去った次の瞬間、容赦のない量の水を俺は頭から浴びた。

 じゃばじゃばと余波が足元を流れていく中、俺は取り落とした傘を拾ってため息をつく。上半身はなんとか守れたものの、足先はさすがに防ぐことはできなかったようだ。


「ほら、行こう」

「えっ……今、えっ」

「……大丈夫か?」

「……え、えっ? え……」


 なぜか分からないが林が壊れている。試しに傘の持ち手を近づけたら握ったので、とりあえず駅を目指して歩き始めた。数歩後ろなもののちゃんとついて来てもいる。林の身長が俺より低いのと、林が深く傘を傾けているから今どんな表情をしているのかまったく分からない。


「また明日な」

「は……はい……」


 駅構内に入っても傘を差しっぱなしなあたり、少々大丈夫じゃないかもうしれなかった。電車に乗る前には気づいてくれることを祈って俺は踵を返ず。

 そしてそこにはあまり会いたくもない人物がいた。


「……何か用ですか、近藤先輩」


 雨のせいでべったりと張り付いた前髪の向こうで、不機嫌さを隠そうともしない近藤が舌打ちを一つする。高圧的で獣のような闘争心が俺を明らかに威圧していた。


「お前、朱理花だけじゃなくて桐ケ谷? とかいう女ともべったりらしいじゃねぇか。それに加えて三人目かよ? ああ? 千尋もお前のことを気にしてるみてぇだし、何様のつもりだよ」

「何様って、何様のつもりもないんですが。俺は別に」


 言いかけてやめる。今近藤は何と言っただろうか。桐ケ谷とべったり? 妙な噂を耳にしたのが昨日、それを上級生の近藤が知るにはいささか早すぎる。


「もしかして、高坂のことを流したのは先輩ですか」


 果たしてそのカマかけに近藤は犬歯を覗かせてニヤリと笑う。


「そうだ。朱理花だけじゃねぇ。俺にはたくさんの仲間がいるんだ。噂ひとつばらまくのに苦労しねぇさ。俺の彼女の元彼が気に食わねぇ、ってだけでな」

「……そうですか」


 リア充の集まりや、バスケをやっていたときなんかも決まって二、三人はこういったやつがいた。自分の主義主張こそがすべてで、相手のことなんかこれっぽっちも考えちゃいない。気の合う仲間といる間は上機嫌で気に食わないのは容赦なく潰す。


「一番気に食わねぇのはその態度だよ。フラれたくせに笑いやがるし、戦いもしねぇで『俺の方が強い』だ? んな訳がねぇだろ。どうせ全国に行ったんだって、あの怜王とかいうチビに連れってってもらったんだろ。お前はベンチを温めてただけ」


 まるでその場面を見たように近藤は言い放った。うんざりしてため息が出る。屋根の下で雨に当たらないとはいえ、駅の中に風は吹きこんできて体はすっかり冷えてしまっていた。近藤に付き合う義理もないしただただ面倒。

 俺はひらひらと手を振ってその横を通り過ぎた。

 怜王に負けて閉門時刻までがむしゃらに練習したんだかしれないが、俺が躱せる程度に近藤の動きは緩慢だ。数歩距離を取ってスカした無様を晒す近藤に言葉を投げる。


「もうそういうことでいいんで、俺は帰ります。じゃあ」

「てめっ話は終わってねぇぞ! 俺とバスケで勝負しやがれ!!」


 どこのスポ根だよ、と思いつつ裏道に紛れ込んだ。

 降りしきる雨は冷たかった。

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