第42話 五月雨降りしきる

「雨、止みませんね」


 作ったばかりのツイッターアカウントを使ってピクシブの登録をし終えても、雨は止むどころか本降りとばかりにざあざあと激しく吹き付けていた。さっき確認した天気予報が言うにはあと一時間はこんな天気らしい。


「んじゃ、俺はちょっと席外すな」

「はい」


 一通り、といっても俺も使い慣れていないが、ピクシブの操作方法を教えて階下の『デ・ローザ』に顔を出す。こんな天気だからかディナータイムにも関わらず閑古鳥が鳴いていた。軽快なアイリッシュ音楽がスピーカーから流れる店内を見回すも、冬木はいない。代わりに寄ってきたのは椎葉だった。


「どうしたの? あの子は帰った?」

「この雨じゃ帰せないですよ。デザートの余りとか、残ってないですかね」

「どうだったかな~」


 客がいないのをいいことに、椎葉は鼻歌を口ずさみながら厨房に引っ込んだ。どこか聞き覚えのある曲だと思い返せば桐ケ谷と見に行った映画の主題歌だった。

『デ・ローザ』はランチとディナーでメニューを分けている。それでもあまり売れ残りが出ないのだが、今日は幸運にもチーズケーキが二切れ残っていたらしい。ちゃかちゃかと椎葉が従業員割の会計を済ます。


「どうもです」


 トレーを掴んだ俺に椎葉はぐっと顔を近づけてきた。手で口元を隠して耳打ちしてくる。視線は警戒するように客席の方を見ていた。


「本当はシフト後に五十嵐君と食べたかったけどあげる。頑張ってね」

「だからそういう関係じゃないって……でも、ありがとうございます」

「お姉さんは青春の味方だからね」


 ばちこーんと下手なウインクをしてきた椎葉は、同じ仕事仲間の五十嵐に片思い中らしい。そんな気合の入ったチーズケーキを受け取って階段を引き返しドアノブをひねった。リビング周辺に林の気配はない。

 トレーを並べて、すっかり冷めてしまったコーヒーをレンジで加熱にかける。

 そっと自室を覗いてみると出る前と変わらない姿勢で画面を食い入るように見つめる林の姿があった。


「林?」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 何の気ない呼びかけに林はチェアから数センチは飛び上がって驚く。振り返った林はそこで初めて俺の姿を認めて胸をなでおろした。


「すみません……集中するとどうしても、こう、なってしまうようで」


 林が両手を顔の横に立てて前後に振る。周りが見えなくなってしまう、という意味なんだろう。お遣いに行った『ベルエポック』の時からそんな感じじゃないかなと思ってはいた。


「気にしてないよ。それより、チーズケーキもらってきたんだけど食べないか」

「そんな、コーヒーもご馳走になっているのに」


 しかし悲しいかな、固辞しようとした林を裏切った林のお腹が可愛らしく空腹を訴える。赤面した林が腕で隠すも時すでに遅しだ。


「こ……これは、その」

「もっとがっつりめが良かったか?」

「……田崎くんは意地が悪いです」

「ははは。一回休憩しよう」


 林の抗弁をさらりと躱してリビングに引き返す。レンジのコーヒーは既に温まっていて、それに牛乳を加えて飲みやすい温度にした。

 一つしかないソファの右端に座った林のカップに注ぎ足して逆側の左端に腰を下ろす。三人座れるか否かといったソファベッドの間に微妙な距離が横たわっている。俺はカフェオレで喉を潤して、チーズケーキの風味に表情をほころばせた横顔に尋ねた。


「熱心に見てたけど、どうだった?」

「はい。こんなに素敵なイラストで溢れた場所があるなんて知りませんでした。しかも、イラストだけではなくて、漫画や小説もあって……作家さん達の交流などもあって。私の知らない世界がたくさん広がっていました。教えてくださってありがとうございます。田崎くんのおかげです」


 林にしては珍しく長い喋りに、さっきと違って興奮に目を瞬かせる様に、俺はちょっとは役目を果たせたかなと誇らしい気持ちになる。

 そんな俺の横で「でも」と林は顔を曇らせた。


「すごく上手な人ばかりで、私の絵なんて見向きもされないのではないでしょうか……」

「そんなことは……」


 ポツリと吐き出された内心に、とっさに否定の言葉を重ねようとした口を閉じる。

 俺は絵のことは良く分からない。だからこれから飛び込む世界にいる、他の絵師を見て『絵師』としての林が何を感じているかを理解することは難しい。

 俺は確かに林の協力者ではあるけれども同じ絵描きじゃないから。

 それでも俺には俺の背景がある。


「一つ昔の話をしよう」

「……?」


 やや大仰な言い回しに林が首を傾げた。話が脱線するのも構わず、話を続ける。


「中学の頃、入ったバスケ部にめちゃくちゃ上手い同級生がいた。一年なのにレギュラーに抜擢されるぐらいで、にわかじこみなんかじゃ敵いそうもない。あいつがいればこの世代は安心だ。誰もがそう思ってた」

「……」

「でも違うんだよな。それは自分が弱いことを隠す言い訳に過ぎなかった。バスケは五人対五人でやるスポーツだ。一人が強くたって他が弱かったらどうしようもない。それに気づいてからはむちゃくちゃ練習したよ。負けっぱなしでいるのも嫌だったし、仲間と肩を並べられない情けない俺のままでいたくなかったから」


 林は静かに聞いている。

 そういえばこんな風に中学時代のことを話したのは初めてかもしれなかった。あの頃の思い出は最後の最後が最悪だったし、それを切り離すために高校を変えて格好も変えたんだから当然か。


「それで死ぬほど練習したおかげで俺たちは全国大会に行けるぐらい強くなった。残念ながらその先まではいけなかったんだけどこの話で大事なのはそこじゃない」

「……すごい人を見て諦めるか、奮起するか、ってことですよね」

「そう」


 絵には勝った負けたの勝負はないと思う。それでも絵描きの心が「負けた」と折れてしまったらそこで終わりだとも思う。きつい所でふんばれるかどうか、そういうメンタルの持ち方はバスケも絵も変わらないんじゃないだろうか。

 これから林にはたくさんの大変なことが待っているかもしれない。だとしたら俺はその背中をポンと叩いて励ましてあげるのがすべきことだ。


「それに林の絵はすごい。これからもっとすごくなれる」


 そんな陳腐な言葉を、絵師の卵に渡した。

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