第十話 時間大根
「こうしてみるとあっさりだな」
キーファの時計は無情に時を刻んでいく。
少しほうけているだけで30分を切った。
「マスター、やっぱりやりませんか?」
キーファが画面に現れ、その手に例の『魔物氾濫』のボタンを持っていた。ボタンは無駄にデコレーションされていた。
「いや、遠慮しておくよ」
「でも、死んじゃいますよ?」
いかにも心配そうにキーファは声をかけてくる。
まあ、そういうふうに作られているだけかもしれないが、本人は本気なのだろう。
「まあ、その点は諦めてくれ」
なんと言われようと、そこまでのことをやってまで生き延びたいと思わない。
オレ自身はこんな感じだが、すぐ近くに夢に向かって邁進していくようなやつがいたのだ。
だからそういう人が輝いている、というのは理解できる。だからそういうやつの邪魔をしたいとも思えない。
それに生きていれば大なり小なり良いこともあるものだ。せいぜい飲んだコーヒーがうまかったとか、うまい菓子を見つけた程度かもしれないが、そういう機会を奪う気にもなれない。
オレも好き好んで死にたいわけじゃないが、他人からそれを奪ってまで生きたいとも思えない。まあ、意気地がないとも言えるが、人間そんなものだろうと思う。少なくとも、オレはそうだった。
そうやって首を振ると、しょんぼりした様子でキーファはボタンをどこかにしまった。これで無理やり勧めてこないあたり、罪悪感をチクチク煽る。
ぺたりと画面の中で座り込み、例の色っぽいため息をついた。
「…仕方ありませんね」
「ありがとう」
「マスターの補佐を完璧にするのが、できるダンジョンコアっていうものですから」
そんなことを話していると、ログハウスのドアが開いて、人形が出てきた。さっきまでベッドで跳ねるような音が聞こえていたのだが、満足したらしい。
「住心地は、良かったかい?」
しゃがんで聞くと、ぶんぶんと首を縦にふる。
どうやら喜んでもらえたらしい。
「…こんなものしか残せなくて、悪いね」
正直、かなりやばいお願いをしている自覚はある。
彼女はオレがいなくなれば、畑で雑草を抜くだけの装置だ。
まあ、実際どの程度自己があるのかわからないが、キーファを作ったナニかが用意したのが彼女だ。おそらくそれなりの自己はあるだろう。
そう考えるとげんなりするが、これがオレができる精一杯だろう。
彼女はコテンと首を傾げた。
「…さて、どうするか」
あと20分ちょっとの余命をどう過ごすか。
これが意外と思いつかない。
なにをするにも中途半端な時間だ。
畑という心配事もなくなってしまった以上、あとは時間まで待つことしかできない。
なにかやることはないか…。
そんなふうに考えていると、くいと、ズボンが引かれた。
「どうしたんだい?」
見下ろせば、人形がオレのズボンをすがるように引いていた。
ぐいぐいと、ほとんどズボンごと引きちぎりそうな勢いだ。
「どうしたんでしょう?」
「さあ?」
表情が変わらないからよくわからないが、なぜか必死にひっぱろうとする。
「どうしたんだい? 動きたくなった?」
ぐいぐい。
「ちょっとまってくれない?」
ぐいぐい。
「んー?」
なにを話しかけても引っ張るだけだ。
一応命令は聞いてくれる設計のはずなんだが、どうした?
「キーファ、故障か?」
「魔物は故障しません。どうしたんでしょうか?」
これから頼む相手がこれでは困る。あと20分もないんだぞ。
「本当にどうしたんだい? なにか、気に入らないことでもあった?」
しゃがんで話しかけても、彼女はガラスの目でオレをじっと見つめるだけだ。
こういうとき話せないのが地味に痛い。
「どこか行きたいのかい?」
ぶんぶん。
「何かあったのかい?」
コクリ。
「それは何だい?」
ぐいぐい。
「…んー?」
どこかに行きたいわけではない。
なにかがあった。
しかしとにかく移動したい。
つまり、ここになにかある?
オレはなんとなく周りを見回した。
ここはどこにでもある、よくも悪くもなんの変哲もない普通の藪の中だ。
せいぜい野草だか山菜だかが生えている以外はなにもない。
そう思っていた。
がさりと、藪が揺れた。
「…おーっと」
すぐに音の方に身構え、音のしたほうをにらみつける。
その間も、ガサガサと藪は揺れる。
「どうしました、マスター?」
キーファは相変わらず画面の中で座り込んでいた。なにが起きているかわかっていないらしい。
「…この音は聞こえるか?」
「藪が揺れてますね」
首を傾げながら答える。
生まれたばかりなら、まあ、そうなるよな。
「キーファ、山で物音が聞こえたら、まず警戒するんだ」
「警戒?」
オレが睨んでいる間も、藪はがさがさ音を立てる。そして、その音は近づいてきていた。
「山っていうのは、動物の世界なんだ」
「はぁ…」
気の抜ける返事をしてくれるが、わざわざ説明している余裕はなさそうだ。ほら。
「まあつまりだな、結構危ないってことだ。…ちょっと静かにしててくれ」
がさり。
ひときわ藪が大きく揺れると、黒い塊が、のそりと顔を出した。
「…マジか」
藪から覗く毛むくじゃらの顔。口の両端から伸びる白い牙。その豚鼻を鼻息荒く鳴らしている。
イノシシだ。
もともとイノシシは山に多い。注意の看板が出ているくらいだ。むしろ多すぎる。
山が杉林ばかりで食べるものがなく、周りの畑に出てくる気の毒な厄介者。そして、なにより危険だ。
走れば薄い板くらいなら粉砕し、一度暴れたら手がつけられない。畑の周りは追い払っていたはずだが、なんでこんなところにいる?
イノシシを睨みつけながら、キーファに聞く。
「…キーファ、あと何分だ?」
「10分ほどです」
時間がヤバい。
オレはもう直ぐ死体に、おそらくだが、なる。
そしてこいつは雑食だ。山にあるものなら山菜でもサワガニでも、そして死体さえ食う。
おそらくオレが死んでから発見されるまで時間がかかる。目の前にご馳走を提供することになる。
その後始末をさせるのは、流石に両親などに申し訳ない。
「…マスター、どうされます?」
心なしか声を潜めて、キーファが聞いてくる。ただ、どうするにしてもな。
「…いつも通りに行くしかないな」
イノシシは、普通臆病だ。それこそ、人がいれば警戒して近づいてこない程度には臆病だ。だからオレも人形がいれば近づいてこないだろうと思っていた。
ただ、それはイノシシが落ち着いている場合だ。見たところこのイノシシはかなり気が立っている。この様子のイノシシはヤバイ。
猟銃も無い今、出来ることは限られる。せいぜいイノシシを刺激せず、車まで戻ることだ。
「静かにしててくれよ?」
イノシシから視線を外せないから、周りの様子がわからない。
「人形ちゃんも、大人しく付いてきてくれ?」
声をかければ、ズボンを引っ張る力が強くなった。キーファは、持ってるからよし。
「このまま下がるぞ」
イノシシを刺激しないよう、ゆっくり下がる。その間も、決して目は離さない。徐々に、徐々に、ゆっくりと後ろに下がる。ひとまず、車に入れれば良い。
だが、時間がない。
時間は後5分あるかないかだ、その間に丘の上から降りて、車に入らないといけない。
そうでなければ、オレはこいつに食い荒らされる。
山歩きは慣れている。重心を低くして、腰を落として、ゆっくりと下がる。
だが、いつものように歩いていたのでは到底間に合わない。
そんな風に気もそぞろだったせいだろう。
オレは足元に転がっていた枯れ枝を、踏み抜いてしまった。
「ヤベ…」
枝が鋭い音を立てた瞬間、イノシシがビクリと震えた。
その黒い瞳が、ギラリとオレを睨む。
「クソ」
次の瞬間、黒い砲弾が轟音とともに突っ込んで来た。
とっさに横っ飛びに避けると、ビリっと嫌な音とともに、焼けるような感触がした。
イノシシはそのままバキバキと音を立てて藪の中に突っ込む。
「マスター?!」
枯葉にまみれて地面に転がると、キーファが悲鳴を上げた。
こんな状況で主人の心配をしてくれるとは、本当にできたツールだ。
「クソ!」
見れば、ズボンの裾が破けていた。牙でやられたのか、足から血が垂れている。
イノシシが突っ込んでいったところを見れば、もうあいつは戻ってきたらしい。
ブフーブフーと荒い息をしながら、またオレを睨みつけている。
「マスター、逃げましょう!」
「そうしたいんだがな…」
キーファが必死に訴えるが、オレの体はそうもいかない。さっきから痛みがひどくて、足がつけられない。よく見たら足首が変な方向に曲がっていた。
流石にまずい。
ザリザリ地面を掻いて、イノシシは突進準備万端だ。直ぐにでも突っ込んでくるだろう。
マズイマズイマズイ。
このままだとまず助からない。
次の突進は避けられる気がしない。少しでも距離を取ろうにも、這って動くのは限界がある。
そこまで考え、クスリと、思わず笑いが漏れた。
もともと大したこのない人生だった。一度ひどい打撃はあったが、せいぜいそれくらいだ。
だから、せいぜい静かに暮らせればと思っていた人生だった。
だから、死ぬぞと言われても、あっさりそれを認められた。
それが死に方を選びたくて、今必死になっている。そう考えて、なんだかおかしくなった。
「マスター?」
唐突に笑い出したオレを気が触れたとでも思ったのか、キーファが不安そうな声を出す。
「大丈夫ですか?」
「すまん、大丈夫ではないが、大丈夫だ」
見ればイノシシは、しっかとオレに照準を合わせていた。すぐに突っ込んでくるだろう。
「すまん、キーファ、詰みだ」
「…よろしいのですか?」
オレが言えば、キーファは確認するようにオレに言う。泣きわめきもしない。淡々と、オレの意思を確かめる。
「君はプロだな」
「申し上げたはずです。私は優秀なダンジョンコアなので、マスターの意向を最優先で実行します」
ピコンと画面に光がともり、胸を張ったセクシー大根、キーファが表示される。思わずクスリと笑いが漏れた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ペコリと、優雅に一礼を一つ。
違う出会いであれば、また違った感じになったかもな。
バキリと、イノシシが、その蹄で小枝を踏み抜く音がした。
よく見れば、片方の牙がオレの血で赤く染まっている。その匂いがなおのこと、こいつの興奮に火をつけたらしい。
まさかタイムリミット前に死ぬとは思わなかったが、まあ、不審死よりはわかりやすい死因か。
イノシシが、大きく息を吸った。
蹄が、一瞬地面に沈み込む。
黒い砲弾が、オレに向かって突っ込んでくる。
「まあ、悪くない最期か」
そう呟いた瞬間、衝撃が、オレを突き飛ばした。
「…え?」
なぜかオレは少し離れた場所に転がっていた。最初の、暴力の感触はない。何かにふわりと突き飛ばされた。
何が起こったのかと周りを見回すと、バキリと、硬質なものが砕ける音がした。
音の方に反射的に目を向ければ、その音の正体はすぐに見つかった。
それは『跡追い人形』が、地面に当たって砕けた音だった。
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