第3話 涙

 人々の流れにはむかい、ただ闇雲に駆けた。駆けて駆けて駆け抜けた。その先は屋上だった。


 日差しを浴び、外の空気を吸い込み、ようやく落ち着いた。フェンス越しには街の風景、校庭、緑が広がっていた。冷静に考えても、やはりおかしかった。許せなかった。


『初めて好きになった人』


 幸は、はっきりとそう言った。


 歯を食いしばった。俺は嘘をつかれたのだ。付き合った時、彼女は俺の事を初めて好きになった人と言ってくれた。彼女にとってその言葉はそんなに軽いものなのか? 忘れてしまったのか?


「ふざけるな!」


 フェンスに掴みかかりながら、視界がぼやけてくるのが分かった。頬を伝った涙が石張りの床に落ち、不規則に点を打った。


 その涙を見て、思い返す。病室の前──長椅子に腰をかけていた妹が涙を流しながら言った言葉が脳裏に浮き出た。


『兄さんは生涯で3度しか泣いちゃいけないんだよ。1度は生まれてきた時、2度はショコラが死んだ時、3度は自分を産んでくれた母親が亡くなった時』


「これじゃあ、もうショコラが死んだ時に泣けないじゃねぇか……」


 その場でへたり込み、男ながらも情けなく涙を流し続けた。


 ふと背後の扉がガタンと閉まる音が聞こえた。聞かれていたのだろうか。なぜだか恥ずかしいと思わなかった。


  




 数分後、ようやく心も落ち着いてきて。午後の授業はサボろうかなと、寝ながら流れる雲を目で追いながら思った。


 足音が聞こえてきて、扉が閉まる音とともに、視界の雲の前に一人の少女が顔を覗かせてきた。顔は見た事がある。


「こんな所にいた。もぉ、ずっと探してたんだからね」


 そうだ、幸と廊下を歩いていた子だ。話したことはないのに、彼女はフレンドリーなんだな。


「はいっ」


 彼女は俺の財布を突き出してきた。


「あんた、急に走り始めるからびっくりしちゃったよ。なんか後ろにそわそわした人がいるなって思ったら」


「ごめん、ありがとう」


 昼の時間はもう終わる。それなのに彼女は余裕があるように横に腰掛けた。


「うちの名前分かる?」

「分からない」

「知ってた、一ノ瀬千鶴いちのせ ちづる。ちづ、でいいよ。君はえっと……」

「富松風太。ふぅ、でいいよ」

「どうしてあんたの名前呼ぶのに一汗かかなくちゃいけないの。絶対私に合わせたでしょ」


 本当に次の授業、彼女は大丈夫なのだろうか? 心配だ。


「それでさ、あんた幸とどんな関係なの?」

「えっと、元──ただの幼馴染だよ」


 彼女は知らないのだろうか。俺と幸が恋人同士であった事を。


「元彼とか言うかと思ってヒヤヒヤしたよ。でも幸の初恋は晴樹だから違うね」


 むしろ、彼女は彼に対しても嘘をついているのだろうか? でも彼程の全てに魅力がある人を好きにならない女子なんて、なかなかいないんじゃないか?


「じゃあ好きなんだね」

「うん」

「……ちょ、頷かないでよ、こっちも照れる」

「君が聞いたんじゃん」

「君じゃなくて、ちづね」


 すると腰掛けていた千鶴は、空を見上げて口を開いた。


「つらいね」


 母性が溢れるような彼女に、母の面影を重ねて4度目の涙を堪える。


 ちづ……か。本当にいい人なんだな。オーラで分かる。


 でも欲を言うと、来るなら幸に来て欲しかった。


 振られた理由は未だに分からない──いや、認めようとしてないがもう認めざるを得ない。


 彼女は田神晴樹を好きになったのだから。


 俺の事を綺麗さっぱり忘れるために、酷い振り方をした。2年間の質の濃い思い出を彼女に綺麗さっぱりと……。


 理由はもうそれしかないだろう。


 女子はみんなそんなものなのだろうか? 彼女だけなのだろうか? 


「……授業始まるし、行かなくていいの?」

「風太は? 行かないつもり?」

「……行こうかな。時間は?」


 彼女はポケットから取り出したスマートフォンに目をやる。


「あと2分だから1分話せるね」

「いや、急がなきゃ」

「余裕を持とうよ、余裕を」


 ……余裕か。最近俺の心には余裕がなかった気がする。色々なことでグチャグチャしていた。余裕を持てばいいのか。


「頑張ろう」


 気づいたらそう発していた。



──



 ちゃんと予兆だった。そわそわしてる人が一人で後ろにいる。それはどうでもいい。


 そうだ、前から気になっていた事を聞かなければ。


「それで幸さ、晴樹とはどんな感じなのよ?」


 幸の惚気話を聞いていると、なぜかうちの顔が赤くなってくる。


 幸は耐性が強いようだ。うちだったら、好きな人の話をしたら恥ずかしくてどうかなっちゃうよ。好きな人いたこともないけどね。


 そもそも二人は付き合っているのだろうか? 聞くまでもないかな。毎日二人で歩いてるし。


「でも幸せだよ。だって初めて好きになった人だもん」


 きゃーー。


「は?」


 その時、後ろで誰かが物を落とした。さっきのそわそわした人だった。幸に意識が向いていて、気にしてなかった。話を聞かれてしまっただろう、恥ずかしいな。


 気にしないつもりだったが、駆ける音が聞こえて、振り返った。


 さっきまでのそわそわした人の姿はなく、代わりにあったのは黒い財布。


 それを拾い上げる。


「これ……」

「……風太。クラスメイトの風太」


 財布を一度も見ず、流れる人混みを見続けていた幸は、クラスメイトの風太、と言う。


 すぐに人混みに紛れてしまい、姿を捉える事は出来なかった。それでも幸は分かった。


「あーいたな、そんな子。でも突然どうしたんだろ──」


 二度目、幸を見た時を見た時、私は訳が分からなくなった。


「うちが届けてくる」


 私は咄嗟に聞かなきゃいけないと思った。その風太と言う人に。


 学校中をガムシャラに走り、彼を探す。


 どうしてうちがこんな事を……とは思わなかった。彼はきっと幸の事を好きなのだろう。そして、目の前で晴樹が好きだと聞いた彼は逃げ出した。


 それは分かる。それだけならうちがこんな事をするメリットがない。でもそれだけじゃなかった。


 知らなければならなかった。二人の関係を。なぜなら幸は──





 涙を流していたのだから。

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なぜか幼馴染に振られたので、見返したい。 カクダケ@ @kakudake

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