止めてくれ

 懐古的な駄菓子屋で憩いの時間を過ごした後、俺たちはアラタくんの厚意にあやかった。彼から「オタクもしかして熊夜っつう旅館に滞在してる?」と訊かれ、俺は素直に首肯する。


 そしたら彼は店を放置して、俺達を旅館まで車で送ってくれると言う。


「おっちゃん顔は厳めしいけど、案外いい奴だな」

「若子は将来美人になるな。なんてたってこの世の真理を今悟ったんだからな」

「真理?」

「そうだ、俺こと伍堂アラタは案外いい奴なんだ」


 別に否定しない。

 が肯定もしない。


 俺には彼の下心が透けて見えるようだったし。

 それは宰子ちゃんにも言えたことのようだ。


「いいからちゃんと前見て運転してくださいね」

「おう! 法定速度はきっちりと守る! それが伍堂アラタっていう漢だ!」


 彼の運転に十分も揺られれば、旅館に辿り着いた。

 旅館の前には全国でも珍しい車椅子の女将さんの彼女が待ってくれていて。


「お帰りなさい皆さん、伍堂さんより連絡を受けてお待ちしておりました」

「タカコ、調子はどうだ?」

「私だったら大丈夫ですから、三浦さんを車から降ろしてさしあげて」


 アラタくんの介助を受け、車から降りて先ずお礼をつらねる。


「ありがとう伍堂さん。荏原さんも、わざわざお出迎えさせてしまってすみません」

「いいんですよ、今は割と時間に余裕がありますし……それに、私が女将として出来るのはこのぐらいしかありませんから」


 彼女の姿を見ているアラタくんの顔はデレッデレだったと、部屋に戻った際に宰子ちゃんから報告を受けた。それは俺の背後から漂う彼の熱で察知していた。彼は旅館の女将さんが好きなようだ。


「アラタくんってさ、露骨だよな」

「うん、気付いてたの?」

「あいつ、私のことちょー好きだろ」

「……だといいね」

「何だよ宰子、クラスでちょっとモテるからって生意気だぞ」

「若子ほどじゃないから安心して」


 二人の会話を宿泊部屋の縁側で拝聴しつつ、俺は新作の構想を練っていた。


 次回作は恋愛小説にしようかな……それとも鳴門くんを指示する意味合いでミステリでも書いてみようか。プロデビューする前は要所要所でどんなジャンルを書かれているのか訊かれたが、その時の俺は得意なジャンルは恋愛ものと、小恥ずかし気に答えていたっけな。


「……宰子ちゃんたちはこの旅行で他に行きたい所とかない?」

「よくぞ聞いてくれた三浦くん! 実は私……やっぱなんでもない」

「若子ちゃんが言い掛けて止めるってことは、いかにも秘密抱えてますって合図だろ?」


 指摘すると、彼女はぴょんぴょんとその場で小躍りし始めた。


「そそ、そんなことは、なな、ないぞ!」

「父さん、とりあえず私は明日にでも若子と一緒にプール行って来るよ」

「そうだな! そうしようじゃないか宰子」


 とその時、部屋先から笑い声が聴こえた。


「すみません、失礼します。何やらお楽しみのようですね」


 笑い声の主は女将の荏原えばらさんだった。

 彼女はそのまま部屋に入り、お茶とお茶請けを持て成してくれる。


「ありがとう御座います」


「いえ、とんでもないです。お子さんたちはプールに行かれるのでしたら、地元の中学校の開放プールがこの季節だと一番いいかと思いますよ。監視員こそいませんが、不審者も出ませんし」


 他の子たちの親御さんの目があって、安全ですねと彼女は親切に教えてくれる。

 荏原さんからいい情報を聞き、また女将さんにお礼を言うと。

 彼女は好奇心が入り混じった視線を俺に向けていた。


「……三浦さんが作家先生だと風の噂で聞いたのですが、本当ですか?」


 本当と、肯定していいのか判らない。


「一応そうですが、このことはご内密にお願いします」

「畏まりました、それで、サインを頂けないでしょうか?」


 と、彼女は拙作『俺カルチャー』の文庫版を取り出す。

 どこで聞きつけたのか気になる所ではあるが、サインか、どうしよう。


「……サインは、少し待っていただけませんか?」

「あ、申し訳ありません。私ったら、憧れの人にお会いして気が逸って」

「……お」


 すると若子ちゃんが「私、今から叫びます」と言いたげに感嘆符を吐き。


「おぉおおおおお!! ついに三浦くんのメインヒロインキタ――――!!」

「気まずい空気になるから止めてくれ」


 本当に、止めてくれよ。


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