教室の温度

『はい、もしもし』

「もしもし? 風邪でも引いてるのかイッキ」


『あー、えっと……誰?』

「俺だよ、三浦彰」

『ああそれは分かってる、けどアキは事故にあって寝た切りのはずだろ?』

「蘇ったんだよ、この世に未練があるからな」

『……マジでアキなのか?』


 その節は心配掛けた、そう言うとイッキは声を失ったようだ。八年という歳月は人ひとりの印象を忘却させるには、サイクルとして丁度よかったらしく、イッキは信じられないといった様子でしばらく会話していたけど――


『そうか、今俺と喋ってるお前は、未来からやって来たアキの子孫だな?』

「八年ぶりでも変わってないな、そのとんでも発想は」


 発想が若干陳腐ではあるが、イッキの場合本気でそう思っている節があるからな。


 その後は会話に興が乗り、八年の間に何が起きたか互いに確認し合った。


 ウミンとの破局を報せると、イッキは残念だと言ってくれたよ。


「でも、俺はたぶん、まだ平気だよ」

『そうかー、俺はもう駄目なのにな』

「嘘つけよ」

『で? 平気って何が?』

「実は今日、ある三人から弟子にしてくださいって頼まれて」


 唐突な三人の申し出に、当初は無理だとしか思えなかった。

 しかし、何か困った際は俺に電話しろと言ってくれた渡邊先輩と相談した結果。

 俺は先輩から融資して頂くことになった。


「だから俺、今度は後輩たちのために作家教室でも開こうかと思ってる」

『ほへー、お前はすげぇな。マムシのように創作にしがみつくその根性は見習いたいな』


「是非とも、何ならイッキも今から創作活動すれば?」

『俺はそれよりも生涯安泰的な人生の安定感が欲しいんだよ』


 小さな声で呻くように、もうジャングルはこりごりだぁ、とイッキは言うが。

 この八年のお前に何が遭ったし。


 イッキや俺を例に、人生とは往々にして苦難や試練の連続だけど。

 結局、それが平均的な人生の在りようならば、逃げちゃ駄目だと思えた。


 ◇


 ――数か月後。


 俺こと三浦彰の作家教室は満を持して初日を迎えた。


 これから例の三人と、追加一名の志願者がやって来る段取りなのだが。


 俺のファン第一号を名乗る彼は現在大学に。

 ウミン達の子供である宰子ちゃんや若子ちゃんは義務教育の小学校に行っている。


 そのことを失念していた訳じゃないが、手隙な時間がこうして生まれてしまった。


 手慰みの一環で教室のために導入されたパソコンを弄って、執筆の手順をなぞらえる。そもそも、弟子を名乗る彼らは普段執筆しているのだろうか。宰子ちゃんたちにはまだ無理だとしても、彼――鳴門なると百春ももはるくんに寄せる期待は計り知れないものだ。


 彼をプロに出来る技量があれば、この先の道も開けてくるはず。


 フローリングの玄関には教室の開講を記念した胡蝶蘭が飾られていて、続く廊下には俺も使用できる多目的用のトイレが備わっていた。教室の佇まいは障碍者である俺の居住部屋として活用できるように基本的にはなっている。築年数はおよそ八年ということから、その歳月に運命を感じこの物件にした。


 春先を間近にひかえた教室内の光景は楽園のごとき安らぎと、希望に満ちている。


 狭隘きょうあいな楽園だが、足が動かない俺には十分過ぎる。


 先輩からの恩情に、心の底から感謝していると――。


 マンションの入り口のチャイムが鳴らされ、カメラには鳴門くんが映っていた。


『三浦彰先生の教室はこちらで宜しかったでしょうか?』

「そうだよ、どうぞ入って」

『失礼します』


 恭しい態度に好印象を覚えるが、それが後々失望に早変わりしないよう気を付けよう。彼が今日来るにあたって、今までに書き上げた作品を持ってくるよう言ってある。鳴門くんは大きな恰幅で態度も悠然としているからか、大器の予感がにじみ出ていた。


 それで今は、彼が持ってきた作品を拝読しているのだが……中々に難しい言葉を使っている。語彙力は相当ありそうだ。


「鳴門くんはどんなジャンルの作家を目指してるの」

「ミステリ作家になりたいです」


 ミステリ作家?

 冒頭の部分だけ読んだが、確かに彼の作品はミステリ調だ。


「じゃあ、ならなんで俺を師匠にしようと思ったの?」

「……」

 きっと、答え辛いことを聞いてしまったのだろう。

 彼はしばらく押し黙ると、堰を切ったように答えた。


「それは、三浦先生以外に知り合いの、作家先生がいなかったもので」

「そうか、なら君はもっと現実を見た方がいいよ」


「辛辣なお言葉恐縮です」

「こちらこそごめん、でも君のためを想えばこそ、こう言うしかないから」


 私小説でデビューした俺の専門とするジャンルはミステリではない。

 ミステリの良し悪しは判別出来そうになかった。

 それ故に、俺に弟子入りしようとする彼を、嗜めようと考えている。


 ……でも、俺はきっと思い上がってたんだ。


 鳴門くんが劇的な俺の人生を見上げて弟子入りを志願したように。

 俺も、自分自身の人生の苦難を、劇的なものだと捉え。

 自己愛を発揮して、現実を直視しようとはしてなかった。


「そう言えば鳴門くん、君はこの時間、確か大学のはずだろ?」

「大学は辞めようかと思っていて」


 ……なんだかなぁ。

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