【100.5】新世紀エヴァンゲリオンの最終回についての考察

「北山侑。配置換えコンバートだ」

 まばらな意識の粒子が結合し、俺を再構築する。声がかけられたのは、それを見計らったかのようなタイミングだった。ゆっくりと瞼を開けると、傍らには一人の少女が立っていた。

 白い髪に白い肌、そして汚れ一つ無い白衣を着ている。その表情は相変わらず、まるで蝋細工で出来ているのではないかと思うほどに抑揚が無かった。

 彼女が自分の名を名乗ったことは無い。或いは名前など無いのかもしれない。故に、我々は彼女を暫定的に『シロ』と呼んでいた。

「またですか」

 幾分、うんざりした面持ちで言ってみた。すると、

「拒否権は提示している」と、彼女は冷ややかな目で見下ろしてくる。「望むなら、もう終わらせてやる」

 俺は首を左右に振って否定を示す。どうも、彼女たちにはポーズというものが通用しない。

「点数がまだ溜まっていませんので、もう少しやらせてもらいますよ」

「ならば早くしろ」

「時間が無いんですか?」

「タスクの無駄が多いだけだ」

 返された言葉に俺は納得する。此処で『時間』という概念はそれほど重要ではない。

 俺は椅子の背を起こして立ち上がった。足元にいつもの浮遊感を覚える。

「この作業は中断でいいんですね?」

 座席の目の前の空間を見やりながら尋ねてみた。人の頭くらいの大きさの球体が、鏡面のような光沢を帯びながら浮遊している。我々はそれを『望遠鏡』と呼んでいた。

保留ペンディングだ」

 シロは端的に答えた。いちいち、彼女たちは言い回しがビジネスライクである。

 少女に連れられて、俺は廊下に出る。そこは天井も壁も床も、シミひとつ無い白で染められている。何処かに電灯があるわけでもないのに、視界は明瞭だ。不可思議な現象だが、今さら此処の不可思議さに首をひねる俺ではない。

 シロの後に続いて、廊下をいくつか曲がる。右に二回、左に一回、右に三回。戯れに、頭の中でその経路をイメージしてみる。普通ならば最初と同じ位置に戻ってくる筈だが、その不条理もまた、考えるだけ無駄だろう。

 やがて少女は、とある扉の前で立ち止まった。

「新入が一人いる。説明はまだだ。詳細はお前が話せ。点数は五〇点だ」

 情報を包丁でぶつ切りにしたかのような口ぶりだった。

 どうして俺が、という疑問は、後件で提示された点数の前で霧散する。その程度の作業で五〇点は大きい。代わりに、別の問いが口を突いて出た。

「つまり今度の仕事は二人組ツーマンセルですか?」

「いや、六人組セックスチュープレットだ。他の四人は既に取り掛かっている。おまえたちは補充要員だ」

 俺は思わず眉をひそめる。少なくともこれまで、六人で取り掛かる仕事など聞いたことがない。しかし、説明を求める前に目の前の扉は開いていた。

 そこは先程まで俺がいた部屋とまったく同じに見えた。四方三メートルほどの小部屋、白い壁、白い床、白い天井に白いチェア(材質はセラミックのようでもあり、木造のようでもある)。しかし、『望遠鏡』は無い。

 その室内には一人の男がいた。彼の服装を見て、俺が説明役に選ばれたことに合点がいく。男が身に纏っていたのは、かつて見馴れたコンビニエンスストアの制服だった。

 年齢は四〇代に差し掛かったあたりだろうか。わずかに後退した髪と窪んだ眼窩に、憔悴と疲労の色が伺える。背格好は絵に描いたような中肉中背で、身長は俺とほとんど変わらなかった。

 彼は入ってきた俺たちを怯えたような目で見た。

「君たちは? ここは……?」

 だが、シロはそれを無視して問いを投げる。

「名前は?」

「え?」

「おまえの名前だ。二度も言わせるな」

 その冷たい一瞥に、男性は怯んだように答えていた。

「内藤です。内藤、晴人」

「だそうだ。説明は道中にしろ、北山侑」

 少女の愛想の無い話の振り方に、俺は半ば辟易を覚えつつも頷いた。やれやれ、これでは初めての人間に不信感を与えるだけだ。警戒を解くようにと、俺は彼、内藤氏に微笑みかけた。

「こんにちは、内藤さん」

 彼は答えず、案の定、懐疑的な目で俺の顔を見つめる。俺は構わず続けた。

「俺の名前は北山侑です。方角の北、マウンテンの山、にんべんに有ると書いて侑です。わかりますか」

 内藤氏はしばらく俺の顔を見つめながら、考え込むような沈黙を挟んだ。やがてこくこくと正確に二度頷く。この説明が通じるということは、やはり俺と『同郷』で間違いないだろう。

「少し混乱しているかもしれませんが、事情については俺から説明します。とりあえず、俺たちについてきてくれますか?」

 内藤氏は最初は俺の顔を困惑するように見つめていたが、やがて俺に敵意が無いことを感じ取ったのか、今度は一度だけ落ち着いた首肯を返した。

 少女が先導する格好で、我々は再び白い回廊を進む。内藤氏は周囲の白亜の壁をきょろきょろと見回していた。

「内藤さんはどこまで覚えていますか?」

「え、どこまでって、何が……?」

「記憶の切れ端です。最後の記憶は何ですか?」

 俺の問いかけに、彼は右手の人差し指をこめかみに当てて何度も瞬きを繰り返した。彼の癖なのだろう。やがて、はっとして顔を上げる。

「そうだ、強盗!」と、内藤氏は叫ぶ。「バイト先に覆面の男たちがやってきて、それで、包丁みたいなのを首に突きつけられて……」

 そこで彼は慌てて自分の首に手を当てる。やがてその口から溢れた声は震えていた。

「たしか……切られて……血が、たくさん出た、筈……」

 当然、内藤氏の首に傷など無い。俺は「なるほど」と頷きを返した。

「だから、コンビニの制服なんですね」

「これはどういうことなんだ?」

 疑問を口に出しつつも、既に答えに見当が付いているような面持ちだった。これは質問というより、彼にとっての確認だろう。

「まぁ、お察しの通りです」と、俺は苦笑を挟む。「内藤さん、あなたは死にました。此処は死後の世界です」

 彼は言葉を失い、目を白黒させながら、その足を止めていた。

「歩きながら話しましょう。あちらの彼女は、言うなれば此所を統治する『神様』の一人です。足を止めていると怒られます。神の怒りは怖いですよ」

 わざと揶揄するように言ってみたが、シロは我々のことなど意に介せず、黙々と先を歩いていった。たぶん、直接的な罵詈雑言を嵐のようにぶつけても、彼女は眉一つ動かさないだろう。此処の『神』はどこまでもシステマティックな存在だ。いや、捉え方によっては、あるいは生前の世界でもそうだったのかもしれないが。

 内藤氏はそんな彼女と俺を見比べながら、ぼつりと呟いた。

「神様……? それじゃ、君も?」

「俺は内藤さんと同じですよ。死んだ人間です」と、俺は自分の服装に目を下ろす。「此処では死んだ直前の服装になるみたいです。ほら、俺はジャージ姿でしょう。寝巻きなんですよ、これ」

 内藤氏はジロジロと俺の全身を眺めながら「はぁ」と曖昧に頷いていた。やがて目頭を押さえて大きく息を吐き出す。

「死後の世界、だって……そんな馬鹿な……」

「まあ、暫定的にそう言いましたけど、実はこの場所に正式な名称はありません」と俺は訂正しておく。「死後の世界、という表現も、たぶん厳密に言えば間違いになるのでしょう。死んだ者すべてがこの場所にやって来るわけでは無いので。ある意味、俺と内藤さんは彼らに選ばれて此処にいるんです」

 そう、我々は此処の管理者たちによる何らかの『選定』を経て、この場所に呼び出されている。その選定の基準は分からない。それこそ、神のみぞ知る、といったところだろう。

 俺は続けた。

「だから、他のみんなは此処を『死後の世界』じゃなくて『天文台』という名称で呼んでます」

「天文台?」

「はい。ええと、上手く説明できないかもしれませんが……ざっくり言うと、此処は我々が生きていた世界の『上位階層』にあるんです」

 漠然とした自分の説明に内心で苦笑を漏らす。案の定、内藤氏は小首を傾げている。俺は補足する。

「具体的に言うと、色んな世界を見下ろすことが出来る世界です。天国というか、天界というか、そんな感じです。まぁ、神様がいる世界ですから」

 そう———さながら星々を観測するかのように、数多の『世界』を観測する『天文台』、それが此処だ。

 内藤氏は呆気に取られた顔をしている。突拍子も無い話である。無理も無い。

 しかしそれは事実であり、俺はこれからさらに突拍子も無い話をしなければならない。

「そして俺たちは天文台によって選ばれた『転生候補者』です」

「転生、候補者?」

「はい。文字通り、次の生命、次の生涯への転生を待つ候補者ですよ」

 途端、内藤氏の表情がわずかに明るくなった。これまでの人生で蓄積されたきたのであろう、眼窩のどんよりとした暗闇が、少しだけ輝きを取り戻す。

「転生、出来るのか、僕たちは……?」

 しかし、過度な期待を持たせるのも酷と思い、俺は首を左右に振った。しかし、それは否定の意味合いではない。

「出来ます。ただし、いくつか条件、というか、ルールがあります」

「ルール?」

「ええ、俺たち『転生候補者』は此処で仕事をしなければなりません。すなわち『観測』と『修正』です」

 努めて真面目な口調で、俺は言った。

「一口で言うと、ここでいくつかの『世界』を観測し、不具合を見つけたら干渉して修正する。それが仕事です」

「観測? 修正? どういう意味だい、それは……」

「うーん、簡単に言えばゲームのデバッカーみたいなものですね」

 俺の説明に、内藤氏はいまいち胃の腑に落ちない表情を浮かべていた。まぁ、具体的な内容については後々分かってくるだろう。俺は話を先に進める。

「そして、一定の功績を上げることが出来たら———」

 ここから先が最も重要、と言わんばかりに、俺はそこで一呼吸を挟んだ。内藤氏を見据えて、言う。

「———俺たちは、自分が望む形で来世に『転生』することが出来る。それがこの『天文台』のルールです」



「まず最初に、我々の立場について説明しておくと」

 白亜の回廊を歩みながら、俺は喋り続ける。

「今、ここに居る我々は肉体を持たない存在です」

「肉体を持たないって、じゃあ、今の僕らはいったい何なんだ?」内藤さんはその実存を主張するかのように自分の腕を上げてみたり、腹部を撫でたりしてみせる。「これは間違い無く僕の身体じゃないか」

「暫定的に生前の姿をしてますけど、これは実体ではありません」と、俺は首を左右に振ってみせる。「生前の姿を模したレイヤーを、俺たちの精神———言うなれば、魂の上に被せているだけです。こうして、同じ立場の人間とコミュニケーションがしやすいようにね。ほら、試しにご自分の脈を測ってみてください」

 俺の言葉に従って、内藤氏は左手首に指先を当てた。すると、その表情が見る見る内に青くなっていく。そんな表情の変化もまた、レイヤーが彼の精神状況を視覚的に表現しているに過ぎない。

「脈が、無い……本当に、死んでるんだ」

 改めてその事実を突きつけられたようで、内藤氏の表情は暗く沈んでいた。俺はそんな彼の肩を優しく叩く。

「まぁ、それほど落ち込まないでください。さっきも言ったように、これは一時的な状態です。条件を満たせば、いずれまた生身の肉体を得ることが出来ます」

 そんな俺の言葉をきっかけに、内藤氏は顔を上げた。その瞳には期待と疑問が渦巻いている。俺は一つ咳払いを挟んでから(これもただのポーズに過ぎない)、口を開いた。

「———話を先に進めましょう。この『天文台』で、我々には二つの選択肢が提示されます」と、俺は指を二本立てる。「一つは『従属』。すなわち、天文台の指示に従って仕事をこなし、その報酬をもらうことです」

「報酬」と、内藤氏はその単語を繰り返した。「つまり、それが———」

「そのとおり。転生です」と、俺は言葉を待たずに頷いてみせる。「正確に言えば、『自分が望む限り理想の形で転生させてもらうこと』です。例えば、前世の記憶を引き継いだまま、眉目秀麗、文武両道、完全無欠な人間として、自分が望む世界で新しい人生を始める事だって出来ます。ゲームで例えるならば『強くてニューゲーム』というやつですね」

 内藤氏の瞳に生気が満ちていく。俺はこれまでに何度もこういう瞳を目にしてきた。しかし、その逆の瞳も然りである。俺はブレーキを踏むように、声のトーンを幾ばくか落とす。

「もちろん、その為の条件は容易ではありません。この『天文台』というのは極めてラジカルな場所で、転生候補者の功績については点数で厳正に管理されています。仕事をこなせばそれに相応した点数が貰える仕組みです」

「点数?」

「はい。だいたい、一つの仕事をこなして与えられるのは約一〇〇点程度。そして理想の転生のために必要な点数は、およそ『一億』点です」

 俺の言い放った数値に、内藤氏の目が丸くなった。

「ちょ、ちょっと待ってよ、それじゃ、一億割る一〇〇だから……」

「そうです。逆算していくと、俺たちは約一〇〇万回の仕事をこなして、初めて報われるわけです」

 先程までと打って変わり、内藤氏の表情が曇っていくのが分かった。

 一般的な———というのは、俺たちが生きていた世界で、という意味だが———人間一人の生涯労働時間というのがだいたい一〇万時間というのを聞いたことがある。仮に此処で一つの仕事を一時間で終わらせることが出来たとしても、一億点を貯めるためには一〇〇万時間が必要だ。およそ人生十回分の労働量である。

「そんな、無理だよ」

 内藤氏は絶望的な顔で呟く。確かに、常人ならば怯んでしまいそうな数字である。しかし我々はもはや『常人』などではない。

「内藤さん、俺たちは既に死者です」と、俺は彼の澱んだ瞳を覗き込む。「超過労働で健康を損なうこともないし、眠る必要も食事を摂る必要も無い。疲労も無く、病気にかかることもなく、寿命すらも無い。我々の時間は死んだ時点で完全に停止しているんです。言ってしまえば、我々の存在は現状から変化すること自体が無いんですよ」

「変化、しない……?」

「そうです。だから、意外と気楽なものですよ。たしかに点数を貯める工数は多いけど、時間という概念は殆ど無視していいわけですから。歩いていれば必ず着くんです」

 歩いていれば必ず着く。そう、それこそが俺自身のモットーでもあり、この場所の真理だ。

「でも、一〇〇万回だろう? 途中で心が折れてしまうよ」

 内藤氏は弱々しい呟きに、俺は頷きを返す。

「確かに、その心配は否定できません。何せ、死なないとは言え、この場所で唯一変化するものは我々の心だけですからね」と、俺は自分の胸に手を当てた。「そのために第二の選択肢があるんです。つまりは『放棄』です」

「放棄?」

「はい。すべての責務と点数を放棄して、正規の転生をすることです。簡単です。ただその場で『転生する』と心に決めるだけで終わりです。もし内藤さんがそうしたければ、今、この場で『放棄』を選ぶこともできます」

 俺の説明に、内藤氏は「なんだ、今すぐ転生できるじゃないか」と困惑した面持ちだった。しかし、やがて何かに気づいたように顔を上げる。

「それってつまり……」

「はい。何に転生させられるかはわかりません。蛙かもしれないし、牛かもしれない。仮に運良く人間になれたとしても、どんな才能と人格を持って、どんな外見を持った人間になるのかは分かりません。もちろん、記憶の引き継ぎもありません。正直、かなり分の悪い賭けです」

 内藤氏が生唾を飲み込んだ音が聞こえた。彼は恐る恐るといった様子で訊ねる。

「その選択肢を、選ぶ人も、いるのかい?」

「俺はこれまで十人くらい見てきました。内藤さんが仰ったように、点数を貯めることに心が折れてしまった人とか、或いは『自分は必ず理想の来世を掴める』という根拠のない自信を持っている人とかですね」

 俺はそこで、敢えて冷たい一瞥を向けてみた。すると内藤氏は無言で俺から視線を外した。その様子を見て俺は少しだけ安堵する。ここで反感を見せる人間は得てして信用ならない。

 この世界において最も厄介なのは、自分自身が『主人公』であると信じて疑わない人間だ。この死後という尋常ならざるシチュエーションにおいて、そういう人間は必ず自分自身に何らかの補正を期待する。自分だけは大丈夫、自分だけはうまくいく、生前は駄目だったけど、ここなら―――その虚妄の如き思考を持つ転生候補者に、俺はこれまでうんざりするほど出逢ってきた。

 そういう人間と二人組で仕事に当てられたときなどは最悪である。自己過信は努力を損ない、分析と対処の効率を悪化させ、最終的には通常の倍以上の工数がかかることになる。

 結局、いくら死後の世界とはいえ、この『天文台』は現実の続きでしかないのだ。チートや幸運、ましてや主人公補正などというものは、ここで一億点を貯めたときに得られる栄光である。

 此処にいる我々は少しだけ特別かもしれないが、生前の現実と全く同じ自分でしかないのだ。

「あ、そうだ」と、俺は思い出したように補足する。「あと、記憶の継続性が無い、という考え方から、すぐに転生を選ぶ人もいますね」

 内藤氏の眉が寄せられた。

「どういうことだい?」

「人格というのは結局、記憶の積み重ねによって形成されたもののことですからね。それが途切れる、ということは転生後の自分は今此処にいる自分とは別人である、という考え方です」

 俺はそこで苦笑を挟んだ。

「一理ある、という気もしますが、個人的にはあまり好きな理屈じゃないですね」

 内藤さんはその考え方についてしばらく吟味するような沈黙を挟んだ。そのあとで、恐る恐る口を開く。

「それって……つまり、自殺みたいなものかな」

「ええ、俺もそう捉えています。自分自身で現状の自分を終わらせること、まさに自殺です」

 それを聞いて、内藤さんは軽く笑いながら力なく首を左右に振った。

「そんなこと、僕には出来ないよ」

 まるで一度試そうとしたことがある、というような口ぶりだった。しかし、俺はそれについて言及はしない。ただ、念押しするように言う。

「でも、内藤さん。これだけは理解しておいてくださいね」

 俺のまっすぐな視線を、内藤氏はしっかりと受け止めてくれていた。

「寿命も病死も無い我々、転生候補者が現状を抜け出す方法は二つ。最後まで仕事をやり遂げたあとの『転生』と―――『自殺』だけです」



 一通り、現状についての説明をし終えた頃には、内藤氏は俺にある程度、心を許してくれたようだった。何より、同じ世界の出身であることが大きい。そしてそれは、少なくとも俺自身にとっても喜ばしいことだった。

「えっと、北山くんは此処に来てどれくらいになるんだい?」

 内藤さんの何気ない問いかけに、俺は苦笑いを口元に浮かべた。

「さぁ。時間という概念が無いですからね。点数が今、二〇万点くらい溜まっているので、それなりに長い間ここにいるとは思うんですけど」

「二〇万点ということは、今までに二〇〇〇近くの『仕事』をしたってことか。凄いな」

 内藤氏が感心するように俺を見つめていた。俺は首を左右に振ってみせる。

「大したことないです。一緒に仕事をしたことのある奴で、もう九〇〇〇万点に近いくらい貯めてるのもいましたし」

 言いながら、俺はこれまで此処で出逢った連中のことを思い出す。一度しか逢わなかった連中もいれば、何度も顔を合わせた連中もいる。そして恐らく、その中にはこれから二度と逢わない奴もいるだろう。

 一期一会。それは生前の現実と同じだ。

 思わず、俺は口開いていた。

「でも、これまで結構な人数の転生候補者と『仕事』をしてきましたけど、自分と同郷の人に会えたのは、俺はこれが初めてですよ、内藤さん」

「そうなの?」

「異世界って、本当に莫大な数があるらしいんです」と、俺は目の前を歩く少女に目を向ける。「彼女に聞いた話だと、その数は俺たちの世界の単位で一グーゴルプレックスプレックスを余裕で越えるらしいです」

「グーゴル? インターネットの?」

「ああ、その語源になった単位ですね。一〇の一〇乗の一〇乗の一〇〇乗のことです。俺たちが生きていた世界の数値では、厳密に書き表せないくらい大きい数字です」

「天文学的数値だ」

「伊達に『天文台』と呼ばれてませんから」

 俺の口にしたくだらない冗談に軽く笑い返してくれる程度には、内藤さんは心を許してくれたらしい。

 だが、そこで先導する少女から声が発せられた。

「———誤謬を訂正しておこう。厳密にはお前たち二人は全く同じ世界の出身ではない」彼女はこちらを振り返らずに言う。「限りなく似た世界ではあるがな」

 それを聞いて、俺と内藤さんは目を丸くした。

「同じ世界じゃない?」と俺は思わず口にする。「だってグーグルも知ってたし、このコンビニの制服だって―――」

「限りなく似た世界、と言ったはずだ」シロはぴしゃりと言い切った。「数多の世界の中には、意識生命体が似たような歴史を歩んだ世界も存在する。しかし酷似した文化でも、細部は異なる。おまえたちの世界がそれだ」

 俺たちは互いに顔を見合わせた。俺は釈然とせず、内藤氏にいくつか質問をぶつけてみる。

「内藤さん、住んでいた国はどこですか?」

「に、日本だよ、埼玉の大宮だ。北山くんは?」

「同じ日本です、岩手の沿岸です」

 そこから世界情勢、死亡したときの西暦年、その前後で起きた出来事、流行った音楽や本について情報交換する。そこまでは全く同じだったが、決定的な要素が出てきたのは、アニメの話だった。

「じゃあ、『新世紀エヴァンゲリオン』って知ってます?」

「ああ、もちろん知ってるよ。僕らの世代だ。僕はレイ派だったな」

 そこで、俺が何の気無しに言った言葉がきっかけだった。

「俺も綾波派です。最終回は賛否両論でしたよね」

「え、そうかい? 僕は感動して観たし、世間の感想も肯定的なものが多かったと思うけど」

 そこで俺は違和感を覚え、恐る恐る尋ねる。

「……ええと、感動したってのはテレビ版の方ですか、それとも劇場版?」

「劇場版? そんなのあったっけ?」と首を傾げる内藤さん。「最終回って、アメリカ大陸を蒸発させた十二使徒とアルカの基地で戦うやつだよね?」

「え?」

「え?」

「……最終回って『まごころを、君に』ですよね?」

「いや、『たったひとつの、冴えたやり方』だろう?」

「……え?」

「……え?」

 俺と内藤さんは再びお互いの瞳を見つめ合う。その奥に、互いの言葉が冗談であるという確信を探すかのように。しかし、それは無駄な行為だった。

 そこでシロが口を挟む。

「言っただろう、細部は異なる、と。一〇の一〇乗の一〇乗の一〇〇乗種類の世界があるということは、それだけの種類の人間がいるということだ。その中で同じ世界の人間に巡り逢う確率は奇跡よりも低い」

 俺たちは言葉を噤み、沈黙する。だが、それはシロの言葉を実感し、この場所の広大さに圧倒されていたからではない。

 ———お互いの世界の『新世紀エヴァンゲリオン』がどのようなものだったのか、気になって仕方なかったからだ。

 互いにそんな疑問をぶつけ合おうと口を開いたとき、タイミングを見計らったかのようにシロが足を止めた。

「着いたぞ」

 話題を断ち切られ、俺は消化不良のまま言葉を呑み込む。まぁ、いい。それについては後ほど、折を見て内藤氏と深く語り合うことにしよう。

 我々が連れてこられたのは、白亜の廊下の突き当り、大きな両開きの扉の前だった。

「此処は……?」

 初めて見る扉に、俺の口から疑問がこぼれる。シロが無機的に返答する。

「我々が指定する名称は無い。過去に候補者が呼称した名前ならある」

「それは?」

「———大視聴覚室フェッセンデンズ ルームだ」

 彼女の言葉に続いて、その扉はゆっくりとひとりでに開き始めた。

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フェッセンデンズ・ルーム:転生候補者たちの密室と冒険 南海 遊 @Asovu-Minani

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