第27話 「……」
〇高原夏希
「……」
アメリカ事務所のエレベーターホール。
俺はそこに立って腕組みをし、掲示板に貼られているいくつかの掲示物を眺めた。
ここのアーティストの売り上げや、スケジュールもある。
とは言っても、主要アーティストの物だけだ。
イギリス事務所はナオトの次男、
奏斗は小さな頃からダンスが得意で、桜花の中等部からイギリスの姉妹校に留学して。
結局そのまま、向こうの学校を受け直して…ダンスを生業とした。
うちのイギリスの事務所は、音楽よりもダンス部門に力を入れているのもそのせいだ。
奏斗は稼ぎ頭として十分な功績を上げてくれたし、若手の育成にも積極的。
向こうで家庭を持ち、今までの人生の大半をイギリスで過ごしている。
もちろん、音楽事務所としても十分に評価はされている。
奏斗が中心としてプロデュースしたダンスミュージックもそうだが…誰がどこで発掘して来たのか、とても透明感のある…簡単に言えば『ポップなシャンソン』だろうか。
それを歌う『Lee』という女性が、今の所はイギリス事務所のトップシンガーだ。
一応俺も面談はした。
見た目はほぼ日本人だが、母親がイタリア人。
美形なのにジャケットには一切顔を出さないし、SHE'S-HE'Sのようにメディアにも出ない。
それについては。
「静かに生活したいので。」
断固として譲らなかった。
とにかく、その『Lee』を筆頭とし、イギリス事務所では若手のソロシンガーが大いに活躍してくれている。
そして、ここ。
アメリカ事務所では…意外なことに、
グレイスが発掘して、あっと言う間に、だ。
そして、Angel's Voiceという女性ダンスグループも連続してミリオンヒット中。
さらには、まだまだ粗削りだが…ヒットメーカーに成り得る若手バンドが三つ。
ベテランバンドやソロシンガー達も、まあ…安定して頑張ってくれている。
…確かに、ヒットメーカーの数で言うと…
ここが一番だ。
だが。
SHE'S-HE'Sはメディアに出ていないにも関わらず、どのアーティストよりも一番指支持されている。
F'sもそれに近付いて来た。
もはや、アメリカとイギリスの事務所の精鋭達を並べても、この二つには及ばない。
そして沙都に関しては…苦境をも乗り越えて力に変えている姿を、周りに気付いて欲しい。
だが…
俺が春に開催すると打ち出したイベントには、SHE'S-HE'SとF'sと沙都以外はオーディションを設けると発表した途端、ブーイングがアメリカ事務所から出た。
イギリスからは、すぐにオーディション用の映像や音源を送って来たと言うのに。
それは、イギリス事務所はSHE'S-HE'S、F's、沙都を、認めているからだ。
だが…アメリカは違う。
今、ここのトップは千里達と同年代で。
その昔、そこそこに売れていた『Shoe Size』というバンドのボーカルのポール。
三年前、前任のマイケルが病気療養のため引退したいと申し出て…の、就任だ。
少々気性が荒い所もあるが、むしろ活気が出る事を期待した。
そしてそれは当たりでもあった。
ポールは…俺達Deep Redほどではなくても、Shoe Sizeのメンバー達と上手くアーティスト達を回してくれた。
…しかし誤算だったのは…思ったよりも天狗になってしまっている事だ。
恐らく、自分達が発掘したり、育てて来たアーティストを表立ってメディアに出している。
今月、マノンとナオトがこっちに来て色々と探ってくれた。
グレイスが沙都にかかりっきりなのも気になって、その辺も調べてもらって発覚した事。
この事務所内で、グレイスもだが…
沙都は異常なほど煙たがられている。
その証拠に、この掲示板には、なぜか沙都の情報が一つもない。
稼ぎ頭に名を連ねているアーティストだと言うのに、だ。
現地でのテレビ出演はゼロに等しい。
ワールドツアーと言えば聞こえはいいが…沙都が回っているのは、全米に限っては動員数の少ない小さな箱が多い。
俺が指示したコンサート会場以外は、全て悪条件の物だ。
…さて。
どうしてやろう。
現時点ではまだ会長である俺が言ったとしても、自信をつけてきている輩に響くとは思えない。
下手してジェフの時のように、アーティスト共々移籍されるのも困る。
さくらと里中には…
出来るだけ大きなビートランドの状態で任せたい。
「……」
俺はしばらく考えて…決めた。
「今日しかないな。」
そう口に出して、自分を奮い立たせると。
エレベーターで最上階に向かった。
〇神 千里
「何だと!?」
その時俺は、その声が自分の心の声だと思った。
だが、目の前でそう叫んで元Shoe Sizeのボーカル、ポールに殴りかかりそうになってるのは…
京介だ。
「やめろ。」
間一髪、京介の腕を取る。
「止めんなよ神!!」
「挑発に乗るな。殴ったらゴシップネタにされて、すぐさま活動禁止だぞ。」
「っ……」
事務所の最上階。
今、この部屋には…三年前、ここのトップに就任したポールと。
ポールと同じバンドでギターを弾いてたライアンと。
そいつらに噛み付きそうな顔をしている京介と、口をへの字にしてるアズと。
少し呆れてしまってる俺がいる。
アメリカ事務所は、ここ数年でかなり大きくなった。
ペーペーの沙都をあそこまで売ったんだ。
グレイスの腕もさることながら…事務所のバックアップも大したもんだ。
と思ってたが。
沙都がこっちに戻って十日足らずだが、驚くことに、もうツアーに出されている。
嘘だろ。
沙都はレコーディングに向けての曲作りに入るって言ってたぜ?
何の準備もなくツアーに出すなんて、あり得ない。
しかも、そのツアーも…驚くほど田舎町で。
そんな場所で、こんなに急にライヴなんて組んで、集客出来んのかよって言うような…
そこで、俺達はポールに言った。
随分な若手イジメじゃないか?と。
するとポールは…
『オーディション不要のアーティストには、なんでもない事だろ』と。
続けて。
『おまえらも、どうせバックショット映像だけの出演に決まってるSHE'S-HE'Sを持ち出すなんて、前宣伝を派手に出来て良かったな』と、鼻で笑って言った。
…なるほど。
ビートランドで一番稼いでる上に、存在してるかどうかわからない事で話題になってたSHE'S-HE'Sが、ついにメディアに出る。
そんな大ニュースを引っ提げて、俺らが世界中継をしたもんだから…
面白くなかったわけだ。
まあ…言っちまったもん勝ちみたいにはなったよなー。
だから、ポールの言う事も分からなくはない。
が。
俺からしてみれば…
バカかこいつ。
って感じだな。
バックショット映像って。
フェスでそんなケチくさい事するか(笑)
昔は気のいい奴らだったのに。
ビジネスが絡むと人は変わるもんなんだな…
一人だけ熱くなってる風な京介の隣で、冷ややかにそんな事を考えてると…
「お邪魔するよ。」
聞きなれた声がした。
振り返ると、そこには…
「高原さん?」
「…ニッキー…」
高原さんが手を上げて入って来て。
ポールとライアンはー…少しばかり目を細めた。
まあ、都合は悪いよな。
「ポール、ライアン。」
「…はい。」
「今、事務所内を見て回って来た。みんないい仕事をしている。」
「……」
高原さんの言葉が意外だったのか、二人は顔を見合わせた後。
「ああ…頑張ってます。本当に。」
少しだけ笑顔になった。
俺と京介とアズが道を開けて壁際に立つと。
高原さんは、ゆっくりとソファーに座って足を組んだ。
ただそれだけの動作なのに…とてつもなく、この人から怒りが見えた気がした。
それは俺にだけじゃないようで…
ポールとライアンさえも、息を飲んだ。
「…ビートランドは…」
高原さんの低い声に、部屋の中は静かになった。
京介もアズも、微動だにしない。
姿勢を正して…立ったまま高原さんの横顔を見つめている。
「ビートランドは、俺が創った。」
「……」
「だから、潰すのも俺の勝手だ。」
「なっ…」
ポールは両手を握りしめて何かを言いかけたが、高原さんに視線を向けられて…黙った。
それからしばらく…沈黙が続いた。
ポールとライアンは何か言いたそうにしながらも、言葉を飲み込むような状態。
京介は眉間にしわを寄せて、唇を噛みしめて。
アズは…たぶん何も考えてないっつーか…考えるのが嫌な状況なんだろうなー。
…俺はと言うと、今夜の予定を考えていた。
今夜も酒を飲まずに…いやいや、少しは飲みたい。
だとすると…知花にも少し飲ませて…
「お前たちがフェスに推したいアーティストは、今日来てるか。」
知花との事に考えが傾き過ぎてる所に、高原さんが言った。
「……はい。」
「何組居る。」
「……4…5組です。」
「その他には、自分でオーディションを受けさせるって事だな?」
「…はい…」
…こんな…こんな高原さんの声は、初めて聞く気がする。
らしくねーけど…緊張する。
…気持ち、背筋を伸ばした。
「…よし。」
高原さんはそう言ったかと思うと、勢いよく立ち上がって。
「18時に中ホールに集まらせろ。」
腕時計を見ながら、二人に言った。
「え…えっ?」
「オーディションだ。」
「…えっ!?」
それには、アズと京介も驚きの声を上げた。
俺は…
またか。…って。
少しうなだれた。
またこの人はー…
何かする気だな。
ポールとライアンがオーディションに向けて動き始めた。
それを見た高原さんは、ゆっくりと立ち上がると俺達を振り返って。
「さ、俺達も段取りをしようか。」
笑顔になった。
「え…?」
京介とアズは呆気に取られてるがー…俺は額に手を当てた。
「ん?どうした?千里。」
「…オーディション、俺らとSHE'S-HE'Sも受けさせる気っすよね。」
俺が額に手を当てたまま言うと、京介とアズは口を大きく開けて高原さんを見た。
「察しがいいな。」
「…俺らが揃ってるのを知った上で、決めたんだろうなと…」
「さすがだ。それなら話は早い。ハリーは昨日からこっちに戻ってる。里中も三時の便で着くから、すぐに連絡を取ろう。」
「里中?えーと…里中は義母さんと…残ってるんじゃ?」
俺が首を傾げて問いかけると。
「あ。そう言えば…知花にはそう言ってしまったな。うーん…まあ適当に誤魔化そう。」
高原さんは、はははと笑った。
…つまり。
義母さんを連れて来たくなかった…と。
「健ちゃんとハリーがいるなら心強いかな〜。」
…アズはいつも通りだな。
恐らく里帰り中のハリーと。
こっちに着いてすぐ…時差ボケと闘いながら卓に就かされる里中。
「…初めて里中に同情するぜ…」
珍しく、京介がそんな事をつぶやいた。
「SHE'S-HE'Sにはどう伝えるんですか。あいつら、オーディションだなんて言ったら緊張しまくりますよ。」
それでなくても…機材なんて持って来てないはずだ。
まあ、あいつらレベルなら自分の楽器じゃなくても弾けるだろうが…
ベストを尽くせと言われると、他人の楽器でそれはどうか分からない。
「そうだな。緊張もいい経験ではあるが…いつも通りにしてもらわなきゃ困るのも確かだ。」
高原さんは首をすくめると。
「よし。早速降りて手を打とう。」
忙しくあちこちに電話をしているポールとライアンに手を上げて部屋を出た。
エレベーターで二階まで降りると、ロビーにSHE'S-HE'Sの面々が見えて…
ここは日本か?なんて錯覚した。
ビルが同じ造りのせいで、ほんっと…うっかりルームにまで行ってしまいそうになる。
「待たせたな。」
高原さんがそう言うと、それまで輪になって笑っていたSHE'S-HE'Sが自然と整列した。
「今日、ここの中ホールでこっちの事務所の精鋭達のライヴをする。」
「えっ、何それ。楽しそう。」
瞳の能天気な声に、アズが苦笑いをした。
「瞳と聖子と知花はいいとして…みんな、嫁さん達連れて来い。」
高原さんの言葉に、朝霧と陸と早乙女とまこちゃんは顔を見合わせて。
「ここに…ですか?」
キョトンとした。
「ああ。ついでだから、おまえらも何曲かやれ。」
「えっ!?」
七人揃っての『えっ!?』はきれいにロビーに響いて。
当然だが、周りから注目を浴びた。
「ははっ。きれいに揃ったな。」
…高原さん。
のんきだな。
「楽器はここにある物を適当に使えばいい。それで出来る曲を楽しめ。」
「た…楽しめって…」
「せっかく揃ってるんだ。家族の前でやるのもいいだろ?」
「……」
七人は顔を見合わせてお互いの気持ちを探ってるようだったが…
「…言っていいか?」
まずは、陸が小声で。
「やりて~…」
そう言うと。
「ふっ。何だよおまえは。」
朝霧が笑いながら陸の額を張り倒して。
「そろそろ合わせたいなーって思ってたとこ。ね。」
聖子の言葉に…
「思ってた思ってた。」
みんなが頷いた。
…ったく…
こいつら。
俺と知花は新婚旅行中なんだぜ?
少しは気を利かせろ。
つーか…
知花。
こいつらに会った途端、そわそわしてたんじゃねーだろーな。
俺はSHE'S-HE'Sの輪の中にいる知花の頭を後ろからぐい、と抱きかかえて。
「俺といたのにこいつらの事考えてたなんて、おしおきだな。」
耳元でそう言った。
「え…っ?」
知花はギクッとして肩を揺らせたが、もう遅い。
ここはアメリカ。
キスなんて挨拶。
俺は知花の後頭部を持ったまま、深いキスをして…空いてた右手で腰を抱き寄せた。
「あはは。始まっちゃったよー。」
アズの笑い声が聞こえる。
「んんんんーっ!!」
知花が必死で抵抗するが。
「知花、あとでなー。」
「ここでも言うけど、ホテルに帰ってからにしな~。」
「それじゃーねー。」
みんなも慣れたもんで。
それぞれ、そんな事を言って散らばって行った。
やっと気が済んだ俺が唇を離すと。
真っ赤になった知花は眉間にしわを寄せて俺をにらみつけて。
「…もうっ!!」
そう言ったかと思うと…
「………」
両手を握りしめて、わなわなと震えてる。
「あ?猫パンチ来るのか?ああ?」
俺が斜に構えてそう言うと。
「うおっ…」
知花が、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
「なっ何だ…」
俺が少し驚いた声を出すと…
「…ごめん…」
俺の胸に顔を埋めたまま、知花が小さく言った。
「……」
続けて、背中にギュッと手が回されて。
「…新婚旅行中なのに…ごめんなさい……」
…そんなに押し付けてたら、顔つぶれるぞ。おまえ。
「…歌いたい…。」
「……」
……すっげー素直だな。
そう思うと嬉しくなった。
「…今夜、俺らも何曲かやる。」
知花の頭を撫でながら言うと。
「えっ?ほんと?」
知花は驚いたように顔を上げた。
…ふっ。
鼻が赤くなってんじゃねーかよ。
「ああ。」
小さく笑いながら鼻に触ると、知花はくすぐったそうな顔をして。
「最高の新婚旅行♡」
そう言ってまた…俺に抱き着いた。
「……」
…やべーなこりゃ。
何でも許しちまいそーだぜ…
歌う事以上、許すなよ?
俺。
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