第21話 「んー……」

 〇桐生院知花


「んー……」


 少しだけ開いた目に朝日らしきものが飛び込んで。

 あたしは前髪をかきあげながらゆっくりと目を開く………と…


 至近距離に。

 千里。



「……」


「……」


「……」


「…よお。」


「…何見てるの…?」


「おまえ。」


「……」


「…マジ可愛いなと思って。」


「……」


 ガバッ。


「なっなな何時っ!?」


 跳び起きて部屋を見渡すと。


「バーカ。何時でも構わねーんだよ。うちじゃないっつーの。」


 千里は寝転んだまま、あたしの腕を掴んだ。


「えっ…あ……。」


 ああっ!!裸っ!!


 慌ててシーツに潜り込むと。


「あんなことやこんな事しといて、まだ隠すのかよ。」


 千里は意地悪そうにそう言って、少しだけシーツをめくった。


「ももっもうっ…そんな風に…言わないで…」



 夕べは…カプリで食べて、Lipsで歌って…

 思いがけず、父さんと母さんを知る人に会って。

 お客さん達から解放された千里とショーンとあたしは…そこから少し歩いて、別なお店で飲んだ。


 …あたしも、飲んだ。


 で…そこからは…

 覚えて…ない…。



「…夕べ…」


 シーツを口元まで引っ張って、困った顔で千里を見る。

 すると千里はあたしと同じように眉毛を八の字にして顔を近付けると。


「酔っ払ったおまえ、めちゃくちゃ積極的だったぜ。」


 って…楽しそうに…小声で言った。


「せ…積極的……」


「こっちにいる間は毎晩飲もうぜ。」


「ま…毎晩……」


「最高の新婚旅行だな。」


「……」


 あああああああああ……!!


 あたし…

 何したんだろう!!どんな事したんだろう!!

 って言うか、あたしに何が出来るって言うのー!!

 積極的ってどういう事ー!?


 いよいよ本格的にあたしが困った顔をしたからか、千里は声を出して笑って。


「嘘だよ。普通に抱きしめて眠っただけだ。」


 そう言って…あたしの額にキスをした。


 …なのになぜ裸?って思いながら、それに突っ込むのはやめた。


「…ほんとに?」


「ああ。生殺しだったけどな。」


「…う…」


「朝風呂しようぜ。」


 千里に手を引かれてバスルームへ。

 白を基調としたバスルームは、差し込む光でますます明るい気がして…余計恥ずかしくなった。



「今日はどこに行く?」


 バスタブの中で、あたしを抱えたまま千里が言った。


「んー…ちょっと歩きたい。」


「了解。」


「……」


「ん?」


 あたしはのそのそと体を動かして向きを変えると。

 千里に向き合うようにして…抱き着いた。


「…こりゃ朝から大サービスだな。」


 背中に千里の腕が回る。


「…ありがと、千里。」


「何が。」


「お休み…取ってくれて。」


「…俺のためでもあるからな。」


「幸せ…。」


「…俺もだな。ビックリするぐらい。」


「…ほんとに?」


「ほんとに。」


 ああ…本当に幸せだ…

 千里の事、こんなに好きなのは自分だけじゃないか…なんて悩んでた自分がバカみたい。

 ビックリするぐらい幸せ…って…千里が言ってくれるなんて…

 …嬉しい。




 〇神 千里


「ケリーズ。」


 俺がその店の看板を見上げて名前を読むと。


「…母さんが働いてたお店なんだって。」


 知花も看板を見上げて言った。


 ブランチの後、手を繋いで街に出た。

 知花は『少し遠くてもいい?』と言いながら、恐らく初めてであろうこの街を…


 まるで、知っている場所のように歩いた。


 …何度も地図を見て来たのか。

 それとも…何か感じるものがあるのか。

 はたまた…実は来た事があるのか。


 カプリもLipsも、ホテルからそう遠くはなかった。

 ビートランドの事務所も、ここに歩いて来るよりは随分近い。

 と言うほど…

 ケリーズまでは歩いた。

 普通に歌の仕事だけに来ていれば、何の用もない街だ。



「……」


「…入らないのか?」


 店の前で立ち止まったままの知花に問いかける。

 その横顔は、なぜか少し緊張して見えた。

 義母さんが働いてたお店に入るって事に…ここまで緊張するか?


 知花の手を引いて店のドアを開けると、カランコロンとカウベルのような音がした。

 ゆっくりと店内を見渡す。


「感謝祭が終わったばかりらしいが…もうクリスマスだな。」


「…そうね…」


 外から見るよりも、意外と広い店内。

 立派なツリーにたくさんのオーナメント。

 店内にはクリスマスソングが流れ、置いてある雑貨もそれっぽい物が多い。


 うちはー…

 知花と華月と聖の誕生日がクリスマスイヴだからか、クリスマスというより誕生日という印象の方が強い。

 しかし…あれだな。

 まだ子供達が小さかった頃、大部屋に飾ってたツリーの前で撮る写真は毎年楽しみだった。



「……」


 手を繋いだままの知花を見下ろす。


「…ん?」


 視線に気付いた知花が、俺を見上げる。


 …あんな別れ方をしたのに…

 妊娠してると分かった時、よく産む決心が出来たもんだ…

 それに、よく異国で出産なんてしようと思ったもんだ…


 知花は俺に『諦めないでくれてありがとう』と何度も言ったが、俺こそ改めて知花の勇気ある決断には感謝だ。


 いくらバンドメンバーの支えがあったとは言え…勘当もされてた知花。

 どんなに心細かっただろう。


「…千里?」


 コツンと額を合わせると、知花は不思議そうに瞬きを数回した。


「…どうしたの?」


「いや…」


 小さく笑って額を離す。

 そして、肩を抱き寄せて…再び店内を見渡すと……


「……あ。」


 飾ってある写真が、目に入った。


「え?」


「あれ。」


 俺が写真を指差すと。


「…あ。」


 知花もそれに気付いて…みんなの言う『変な小走り』でそこに向かった。


 ふっ…

 走らなくても、なくなりゃしねーのに。



「母さん…」


 そこには、恐らく…この店の人達と思われる三人の女性と紳士。

 笑顔の義母さんは…なるほど、夕べショーンが言ってたが…

 恐ろしく変わってない。


「……」


 その写真を見上げる知花は…さっきまでの緊張した横顔じゃなく、優しい顔になっていた。

 後ろに回り込んで、知花を抱きしめる。

 そして、そのまま二人で写真を見上げた。


「…マジ変わんねーな、義母さん。」


「ほんと…ビックリしちゃう…」


 俺達がそんな事を言いながら笑ってると…


「…もしかして…サクラのお知り合い?」


 年配の女性が声をかけて来た。


「…はい。」


 その女性を見て、写真を見て、そしてまた女性を見て…


「右端の方ですか?」


 問いかけると。


「ええ。三女のモリーよ。」


 その女性がそう名乗った途端…


「え…?」


「知花?」


 知花が…その、モリーに…抱き着いた。



「ビックリしちゃったわ。でも、そういう人懐っこい所はサクラ似なのかしらね。」


 そう言って、三姉妹の三女、モリーは笑った。

 知花が抱き着いてしまった後…


「もしかして、あたし達に会いに来てくれたの?」


 そのモリーの後ろから、長女のエイミーと次女のサリーと名乗る女性も現れた。


「いつもは店にいないのよ。それが今日、どういうわけか偶然集まってね。」


「そうそう。もしかすると、パパが会わせてくれたのかもしれないわね。」


「間違いないわ。」


 三人のパパとは…義母さんが写真で腕を組んでいる紳士。

 当時、この店のオーナーだったデレクという男性だ。


「今日はパパの命日なの。」


 お茶を入れながら、サリーが優しく笑った。



 今『ケリーズ』は、長女のエイミーの子供や孫達が切り盛りしているそうで。

 どこにでもある雑貨店でありながらも…経営不振に陥る事なく、ここまでやって来れているらしい。


 店を見下ろせる二階の事務所で、俺と知花は三姉妹にお茶を入れてもらった。


「去年はサクラのお孫さんが会いに来てくれて、今度は娘さん夫婦が来てくれるなんて…次はサクラとニッキーが来てくれるかしらね。」


 モリーのその言葉に。


「お孫さん?」


 知花が反応した。


 …しまった。

 知らん顔しろよ、俺。


「ええ…カノン?おばあちゃん子なんですってね。一人で遊びに来てくれて、息子が言うには…あの後、もう一度…今度は彼女らしき女の子と来たって。」


「彼女?」


 つい同時に答えてしまった。

 それは…紅美なんだろうが…

 知花は知ってんのか?

 て言うか、華音。

 隠してる意味ねーだろ…これ。



 それでも…そのささやかなお茶会は、盛り上がった。

 恐らく三姉妹は、華音に話したであろう事と同じ話を、俺達にも話してくれた。

 変装上手な話しには、ここでもか。と笑い…

 高原さんとの劇的な再会を果たしたのに…義母さんが事故に遭って…という話に知花は涙ぐんだ。



「ごちそうさまでした。」


「今度は是非、二人にも会いたいと伝えてちょうだい。」


 三姉妹の笑顔を見ると、明日にでも連れて来てやりたい気持ちになった。

 もう高齢だ。


「…一緒に撮りませんか?」


 俺がそう言ってスマホを取り出すと。


「まあ!!こんなおばあちゃん達と!?いいの!?」


 三姉妹はそう言いながらも、それぞれ髪の毛を撫でつけたり、口紅を塗り直したりした。

 そして。

 俺は…いつものように、知花を目隠してして。


「まあ、どうして顔を隠すの?」


 三姉妹には笑われたが。


「俺も嫁もビッグアーティストなんで。」


 そう答えると、数秒後にはエイミーがマジックを用意してて大笑いした。


「はーい、お母さん達、笑って。」


 エイミーの息子夫婦と孫達が見守る中、それはとても暖かい写真撮影が出来た。

 知花は三姉妹と長いハグを交わし。

 俺にはそれがとても…不思議に思えた。


 京介ほどじゃないが…

 知花も人見知りだ。

 いくら義母さんの恩人と言っても…初対面でここまで?と思わされた。

 …何か変わろうとしてるのか…?

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