第5話 「あっ、紅美ちゃん。」

 〇朝霧沙都


「あっ、紅美ちゃん。」


 特に用はないんだけど、事務所に来てみると…紅美ちゃんがロビーにいた。


「明日の動物園なんだけど、サクちゃんがノン君誘ってくれてたよ。連絡あった?」


「……」


「…紅美ちゃん?」


 僕の問いかけに、紅美ちゃんはガクッと首を落として。


「あたし…行かないかも…」


 ひく~い声で…そう言った。


「えっ、なんで?何かあったの?」


「…ちょっと…なんて言っていいのか…」


「…何?」


 僕が顔を覗き込むと。


「……沙都~…」


 紅美ちゃんは、すごく珍しく…困り果てた表情で、僕に抱き着いて来た。


 …紅美ちゃん、いいのかな?

 僕に抱き着いて。

 僕は…ウェルカムだけどさ。

 ノン君が知ったら、妬いちゃうよ?

 僕としてはー…まあ、役得だし?

 昔みたいに、僕の事…頼りにしてくれてるのかなって思うと嬉しい限りだけどさ…

 だけど…

 ノン君は、妬いちゃうよ?



「落ち着こう?それから、何があったか…ゆっくり話してみて?」


 紅美ちゃんの肩に手をかけてそう言うと。


「…あたし、バカだ…」


 紅美ちゃんは、額に手を当てて…頭を振りながら答えた。


「…紅美ちゃんがバカなら、僕は…」


「頭脳的な事じゃなくて。」


「あ、そ…」


「…あたし…夕べ…」


「うん…」


 それから僕は…紅美ちゃんから、夕べの話を聞いた。


 一人で帰ってる最中に、ダリアの前でノン君と女の子が飲んでる姿を目撃してしまった事。

 そして…それで少し自棄になって、ルームに戻って飲んだ事。

 そのまま、ルームで朝を迎えてしまった事。

 で、起きたらご両親からたくさん着信があった事。

 そして、ノン君からLINEもあった…と。


 だけど。

 他の人からもLINEが来てて。


「…見て。」


 紅美ちゃんがスマホを僕に渡した。


「…見ていいの?」


「うん…」


「……」


 僕は紅美ちゃんからスマホを受け取る。

 あらかじめ開かれてたLINEの…


「…え?」


『夕べはありがとう。夢みたいな時間だった。テクニックも…凄いね(笑)紅美ちゃんのおかげで、色んなコンプレックスから解放された気がする。また会ってくれるかな…?』


「……」


 紅美ちゃんを見ると。


「…何も覚えてない…」


 うなだれたまま。


「…テクニックって…」


「…起きた時は、服着てた。」


「……」


 そう言えば…紅美ちゃんは、酔っ払ってノン君とも寝たって前科がある。


「…それより…」


「……」


「この…『ミッキー』って誰…?」


「…知らない。」


「……」


 な…何やってんだよー!!

 紅美ちゃん!!




 〇桐生院華音


 紅美に送ったLINEは既読になった。

 が、返信が来ねー。

 いつもなら気にしないんだが…夕べ俺が連絡に気付かなかった事もあって、少し気になった。


 怒ってんのか?

 いや、紅美はそれぐらいで怒らないよなー。


『どこ行ってたのよっヽ(`Д´)ノプンプン』って返信が来るとばかり思ってたのに…



 午後からスタジオだが、少し早めに行く事にした。

 親父のマンションに寄ってみよーかなー…とも思ったけど、どうせ親父も母さんも午後には事務所にいるだろうし…ま、いっか。と思ってやめた。



「あ、陸兄。」


 地下の駐車場で車から降りると、ロビーに向かう階段で陸兄を発見。


「おう。」


「昨日はお疲れ様。」


 昨日のF'sのライヴ。

 陸兄とガクはスタッフ側だった。


「やり遂げた感はあったが、改めて画面で見ると消されまくってたな。」


「でも検索ワードでもツイートでも、F'sすげー上がってたぜ?陸兄とガクの働きのおかげじゃん?」


「ははっ。ただのF's検索なら中継見ただけの奴でもしただろうけど、『F's BEAT LAND オーディション』って検索されてるのは、俺らのおかげだな。」


「オーディション?」


「ドサクサに紛れて告知してみた。春にLive aliveをまたやるらしいんだが、その出演アーティストを募集するらしい。」


「えっ。」


 またLive aliveをやるって事にも驚いたけど…

 オーディション!?


「それって…社員もオーディションを?」


「らしいぜ?高原さんが抜擢した三組以外は、全部オーディション。」


「三組…」


「俺らと、F'sと…沙都。」


「……」


 今朝のアレは…その話だったのか。

 沙都が恐縮した風に正座して冷や汗かいてた。

 …そうか。

 沙都は…じーちゃんに認められてるのか…。


「妬くなよ?」


 陸兄が、俺の背中をポンポンとした。


「…分かってる。あいつは、色んなもん抱えて向こうに行って…頑張ったんだ。世界に出たんだ。」


「……」


「ずっと、応援してる。」


 悔しい想いが、ないわけじゃない。

 だけど…あいつは、世界に出る代わりに…紅美を失った。

 どっちが良かった、なんてのは…

 本人にしか分からないし、それも今では中途半端な言い聞かせでしかない。



「そう言えば陸兄、早いんじゃ?」


「ああ…」


 ロビーに出ると、その眩しさに目を細めた。


「夕べ紅美が帰って来なくて。」


「……」


 夕べ紅美が帰って来なくて。

 …帰って来なくて?


「…誰かとどこかで飲んでたんじゃねーの?」


 陸兄にバレないように、瞬きをたくさんして…冷静なつもりでそう言ったが…


「何度も電話したのに出なくて。」


「俺にも、そういう事あるけどな…」


「…沙都か。」


「えっ…?」


 陸兄の足が止まって、その視線を追うと。

 ロビーの隅っこにあるベンチに座った紅美と沙都がいた。

 二人は…とても深刻そうな顔で。


「ったく…別れたっつってたクセに。」


 そう。

 あいつらは別れた。

 だけど、今並んで座ってる二人は…異様に距離が近くて。

 紅美の耳元で沙都が何かをささやく。

 それに、少しだけ紅美が顔を上げる。


 …キスしちまいそうじゃねーかよ。



「紅美。」


 陸兄の呼びかけに、二人は驚いたように肩を揺らして立ち上がった。

 そして…

 二人に向かって歩いて行ってる陸兄の肩越しに…

 俺と、目が合った。


 沙都との姉弟みたいな関係は、歴史があるだけに…とやかく言えない。

 だが、一緒に夜を明かしたとなると…おもしろくねーな。

 もしかして沙都は…その罪悪感もあって、今朝俺に会いに来て、じーさんに捕まったのか?


 俺は首を傾げたまま、陸兄に絞られる紅美を見た。

 下手に出て行って、話がこじれるのも…と思って傍観する事にした。

 沙都は…慌てて何か言い訳してるようだが…


「……陸兄。」


 ギターを担ぎ直して、陸兄の背中に声をかける。


「こんなとこで説教するのもアレだから、帰ってからにしたら?」


「……」


 俺にそう言われた陸兄は、俺を見て、紅美を見て。


「…麗に連絡しとけよ。心配してたから。」


 紅美を指差して、低い声でそう言うと…ツカツカとエスカレーターに向かって歩いて行った。


「…やれやれ。」


 陸兄の背中を見送った後、二人に目を向けると…


「……」


「……」


 二人とも…バツの悪そうな顔。


「…紅美。」


「…な…何…?」


「夕べ、どこにいた?」


 紅美は俺の問いかけに、パッと目を見開いて。


「る…ルームで飲んで…そのまま寝ちゃったんだよ…」


 しどろもどろに…言った。


「…へえ。」


 答えようがなくて、そうとだけ発すると…


「ノン君こそ…」


「あ?」


「ノン君こそ、誰と…」


 俺こそ、誰と?


「ああ…夕べか。ダリアで飲んでたら、MUSIC WAVEのパーソナリティーが来たから、ちょっと話し込んでたかな。」


 正直にそう答えると、紅美の目はますます大きくなって。


「…パーソ…ナリティー…」


 パチ、パチ、パチ……パチ…と、ゆっくりな瞬きをして…椅子に座った。


「…で?おまえら、夕べ一緒だったのか?」


 俺が紅美の隣に座って問いかけると。

 立ったままだった沙都は、俺の反対側に座って。


「ち」


「一緒だった。」


 何か言いかけた沙都を遮って。

 紅美が…

 なぜか、沙都の腕を取って。


「一緒に…朝まで飲んで、寝ちゃってた…けど、何もないから!!」


 若干…すごんで、そう言った。





 〇二階堂紅美


『紅美ちゃん、あれはないよ…ノン君、誤解したよ?』


 沙都はオフだから…って、ロビーであたし達と別れて。

 あたしとノン君は、ルームに向かった…けど。

 ノン君は。


「俺、先にスタジオ行ってるわ。」


 そう言って、ルームの前で立ち止まって。


「んじゃ、後でな。」


 手を上げて…歩いて行った。


 …あたしと沙都が朝を迎えたルームには、入りたくない…って感じだった。



「だって…ミッキーが誰か分かんないし…そんな知らない男とルームにいたなんて、知られたくないんだもん…」


 あたしはコソコソと沙都に電話する。


『でも…僕といたってのも、ノン君傷付くよ』


「……ごめん…あんたの事も傷付けるよね。」


『僕は平気だけどさ…紅美ちゃん、何だか…紅美ちゃんらしくないよ?』


「…あたしらしくないかな…」


『素直に、パーソナリティーの子に妬いて、やけ酒飲んで、気が付いたらこんなことに…って言っちゃえば?』


「………言えない。」


『なんで…』


「………」



 以前…ノン君に言われた。


『おまえみたいにフラフラした女、俺には無理だな』って。


 あたしは…ずっと海君が好きで。

 だけど沙都の事も好きで。

 でも結局…ノン君を好きになった。

 …その間に、あたしを助けてくれた慎太郎の事も好きになって…

 自暴自棄になった時は、誰にでもいいから抱かれたい…なんて事も思ってた。


 ノン君は…ずっと、あたしを見てた人だから。

 そんな風に、あたしが弱るとフラフラする女だ…って分かってる。

 沙都は、あたしがそんな時はそばにいて、沙都自身が慰めてくれるような存在だったけど…

 ノン君は違う。


 しっかりしろ。って。

 あたし自身に、解からせようとする。


 だからー…

 今回みたいな事…

 しかも、あたしはノン君と付き合ってるのに…


 あああああああああああ!!

 もう!!

 なんであたし、ダリアに行かなかったのー!!



 学が来たから、沙都とは有耶無耶なまま電話を切って。

 あたしはスタジオに向かった。

 沙也伽は産休に入ってるから、今日はドラムマシーンでの練習…かと思いきや…


「マシーンだと気分乗らないだろ。」


 そこには、すでにスタジオに入ってたノン君と、沙也伽の旦那である希世がいた。


「わー!!ほんとに!?」


 一気にテンション上がった!!

 希世のおかげで、三時間楽しい練習が出来た。


「は~…燃えた~!!」


 学も楽しそうに汗を拭いて笑って。


「今度希世が育休するときは、沙也伽をDEEBEEに貸し出すから。」


 ノン君がそう言って。


「あははは。残念ながら、育休なんて要らないぐらい手があるからなー。」


 希世が笑う。

 ああ…救われた。

 ノン君も笑ってる。

 安心してギターを片付けて。

 ルームに戻ってバッグからスマホを取り出すと…


 ミッキー『もしかして…何か怒ってる?』


 ……ミッキー…。



 あんた誰!!

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