第8話 俺たちのアルバムの空白はまだ埋まらない

 無事に詩羽先輩を連れ戻すことができた日曜日。帰ってきた恵と英梨々組に事の顛末を話し、英梨々が取り乱したものの、恵がうまくいなしてくれて事件には至らずに解散となった夜。問題もすべて解決して平穏を取り戻した安芸家の寝室では、ベッドに横たわった俺がウダウダとくだらない話をし、お風呂あがりにボディクリームを塗る恵が「あーよかったね」などと生返事をするいつも通りの時間が流れていた。

 タイミングが合わずに相談はできなかったものの、報告は確実に恵に入れていたせいか、詩羽先輩と温泉旅館に一泊するというイベントが起こったのにも関わらず何もとがめられる様子は全くない。それが少し怖くもあり・・・。まぁそれはこちらに少しの罪悪感があるからで。余分なことは言わないよ。絶対。

 パタン。と大きな音をたてて恵が化粧品入れを閉じる。多少の後ろ暗さを悟られたのではないかと思い、冷や汗をかきながら恵の様子を伺う。恵は立ち上がり、部屋の扉の方に向かって歩き出す。

「電気、消すね。疲れが取れなかったら、休養日を設定した意味がなくなっちゃうし」

 電気が消えて、恵がダブルベッドにもぐりこむ。ベッドの右側が少しだけ沈む感触、ほんのりと伝わる体温、そしてこのにおい。恵が隣で眠ってくれるだけの、それだけで安心感を覚える。緊張しっぱなしだった昨夜からの疲れも相まって、すぐに眠気に引き込まれていく。

「やっぱ、いいよな。一日いなかっただけだけどさ、俺には恵が必要なんだって思うよ」

「・・・もう」

 恵は体の向きを変え、おでこを合わせて俺にキスをねだる。

 恵の小さな肩を抱き寄せ、柔らかい唇にそっとキスをする。抱いているのは自分の方なのに、恵に包み込まれているような安心感に満たされる。

「おやすみな、恵」

「うん、おやすみ、倫也くん」


* * *


 一晩開けても雨は降り注いでいた。雨だれの音がポツポツと耳に響く。

 社長室の開け放たれた扉から、雑音の消えた作業室を覗く。恵はテストプレイの画面を睨みながらカチカチとマウスをクリックし、詩羽先輩はブツブツとつぶやきながらキーボードをはじき、美智留は英梨々の絵を見ながらヘッドフォンをしてカシャカシャと弦をはじき、出海ちゃんのペンタブを叩くカツカツという音が小気味よく響き、英梨々は・・・ヒマそうに天井の模様を確認していた。

 恵と、詩羽先輩と、英梨々と、美智留と、出海ちゃんと、それから俺のデスクのディスプレイに映し出された伊織と、俺が思い描いた最強のメンバー全員が(ディスプレイの中の約一名を除いて)そろって作業している。会社設立以来のことであり、少なくとも本作で描写するのは初めてであり、感無量のあまり至高の風景が涙でにじむ。

「ちょっとあんた何一人でわけわかんないことになってんのよ」

 いつの間にか社長室に入ってきていた英梨々が耳元で言い、俺にハンカチを差し出す。

「・・・いや、なんか、ここに戻ってこられたんだなと思って」

「・・・それで鼻かむんじゃないわよ」

 鼻の頭に持ってきていた英梨々のハンカチを顔の上でスライドさせて涙をふく。俺はひとりぼっちじゃないしね。まぁ英梨々にあやしい本性あるかどうかは置いておいて。まぁたぶんないけど。

「でも、メンバーがそろったことに感動してばかりじゃいられないな。結果出さないと。神ゲーに仕上げないと」

 柏木エリと霞詩子の無駄遣いっていわれないように。あの頃は同人で、女子高生(その二人)の無駄遣いだったから、マスターアップに間に合わずに手焼きの円盤を少数頒布になったとしても社会的には何も問題はなかったけど、今回はもうそういうわけにはいかないから。

「そうね。作品作りを口実に幼馴染ヒロインを呼び戻してルートに返り咲きさせて、それに現を抜かしている間にゲームが落ちて、妻にも愛想をつかされて会社がつぶれてバッドエンドに・・・、あぁ。こういうハッピーエンドもあるわよ。会社がつぶれてしまって途方に暮れる主人公が一度脱落した先輩ヒロインの手慰みの奴隷として幸せに暮らすっていう」

 いつの間にか社長室に入ってきていた詩羽先輩が英梨々の後ろからその長身を生かして見下ろすようにして言う。

「あたしはその手にはもう乗らないわよ。ゲーム作りはゲーム作り。プロなんだから。ていうか、どの口が言うのよ。公私混同、ゲームを人質にとって主人公を呼び寄せたうえに、自分から脱落しにいったくせに」

「あなた、つまらない人間になったわね。昔だったら『ルートに返り咲き』って言葉を聞いただけで頭の中がお花畑になって、要領を得ない言動を繰り返していたというのに」

「なによ、あんたこそ脱落したことに自分で言及しちゃって、救済ヒロイン買って出るような発言までしちゃって、随分と落ちたものよね。焼きが回ったかしら」

 三十手前になって少し大人で落ち着いた雰囲気になった(キレがなくなった)ヒロイン二人の大人気ないやり取りに目を細めながら、他のメンバーの様子を伺う。最初に目をやるのは作業部屋の端の席に座るルートを譲らなかったメインヒロインの後姿・・・がなく、ディスプレイは暗転していて椅子は綺麗に机の下に収められていて。

「あれ、恵は?」

「さっき、家で作業するって出ていきましたけど」

 どんな時も裏切らず、慕ってくれて、ピンチには健気に力になってくれた、後輩ヒロインの出海ちゃんが答えてくれる。

「本物の救済ヒロインの会話文がようやく出てきたようね」

「もはやヒロインでもなくなったという説もあるけどね」

 いや、君たちその言い方はちょっと問題があるんじゃないかな。既婚者の俺が否定するとまたややこしいことになるから言わないけど。

「それはひどくないですか?自覚はありましたけど」

 ため息をついてそう言う出海ちゃんの後ろには、十人十色のヒロインの日常の描写は歯牙にもかけず、ご機嫌な様子でギターを鳴らし続ける歌姫の従妹ヒロインの姿がありましたとさ。


* * *


 恵は作業室に再び姿を現すことはなかった。それも続くこと三日間。理由を聞いても「集中したいから」としか言わず、俺に悪いところがあったかと聞いても「何もない。あったとしても許せる範囲だと思ってる」としか語ろうとしない。

 それでも、作業場に来ないことを除けば、家では普段通り穏やかで俺のことを適当にあしらってくれる。

 寝る前の時間にベッドに横たわり本からのインプットを肥やしている横から声をかけてゲーム制作の進捗状況を聞き出して「後輩シナリオ06は英梨々に回して、05のほうは原画が上がったらすぐに共有して出海ちゃんと氷堂さんに後続作業をやってもらって・・・」などとつぶやきながら制作進行表に直しを入れ、本の内容に興奮して語りだした俺の言葉に「それはどういう事情でそうなっちゃったのかな」などと議論をしたり、「そうだね~」などと適当な相槌を打ったりしてくれている。

 恵が来ないことが原因で進行の遅れが発生しているものはなく、むしろ詩羽先輩の調子が出てきたおかげで、想定よりも早く進んでいるくらいだ。まだ遅れに遅れている状況は変わらないけど。でも・・・

「楽しみだな、完成」

「それ、ちょっと気が早くないかなぁ。トゥルールートのシナリオは手つかずの状態なんだし」

「それは・・・、頑張ります。はい」

 すべてのルートを総括するルートであるトゥルールートを書き上げて、詩羽先輩を blessing software に引き入れるというのは、あの夜の詩羽先輩との約束だ。それまでのシナリオが上がっていない以上、現状では構成を考えることくらいしかやることはないが、時が来たら死ぬ気で書くつもりだ。

「このゲームが完成したらさ、英梨々と詩羽先輩に正式にプロパーになるオファーしようと思ってるんだ」

「え~と、死亡フラグ?それより今のゲーム作りに集中した方がよくないかなぁ」

「死亡フラグだったら俺、泣くから・・・」

「そうだね~。だったらさぁ、明日からの作業に備えてもう寝ようよ」

 恵は寝室に持ち込んだノートパソコンを閉じて、電気のスイッチへと向かう。

「あのさ、恵。こないだの件で、詩羽先輩にもお礼を言えたんだ。また一緒に作ってくれてありがとうって」

「へぇ~それはよかったね」

 部屋の電気が消える。暗闇に目が慣れず、恵の様子を見ることはできない。

「それで、トゥルーエンドを紡ぐことを条件に、プロパーになってくれるって約束もしてくれた」

 恵がダブルベッドに滑り込んでくる。ベッドの右側が少しだけ沈む感触、ほんのりと伝わる体温、ほんのりと甘いにおいが伝わる。

「英梨々だって、プロジェクトが始まったばかりの時に、みんながいる blessing software を再結成するって伝えてある。今回は委託って形をとったけど、いよいよ近づいてきてるんだなって実感がある」

「あ、そうだね~。だから、あ~、えっと、今はとにかく、目の前のことを一つ一つ、前進あるのみだよ」

 強引に話を切ろうとする恵には、何か思うところがあるはずで。でも、それをどうにかすることも、ここでうまく思いを言わせることさえ、できる能力を持ち合わせていなくて。

「そうだな」

 恵の気持ちに寄り添うことができないもどかしさを覚える。思い起こしてみれば、一切の拒否ではなく、薄くて破れない一枚の覆いをかぶるように、近づくことは許しても、それ以上の交わりを許さないのは初めてだ。何の相談もなしに澤村家の別荘に英梨々を助けにいったときも、神ゲーを作ると誓ったにもかかわらずそれをそっちのけでフィールズのプロジェクトに顔を突っ込んだときも、俺からの一切のかかわりを受け付けなくなった。それは恵が blessing software を、俺たちのゲーム作りを思うからこその反応であって。

「なぁ、恵?」

 返事はない。規則正しい寝息もたてていないし、どちらかというと息をひそめているような、そんな雰囲気を察して次の言葉を投げかける。

「ゲーム作り、嫌になったか?」

「そんなことない。絶対にない。あるわけない。どうして、そういうこと聞くのかなぁ」

 恵が体制を変えたのか、ベッドの右側の沈み込みが少し深くなる。

「いや、あの、だってさ、もう三日も作業場に来ないし、それに、さっきの『今のゲーム作りに集中しなくちゃ』って、自分に言い聞かせてるような感じだったから」

「・・・っ」

 図星を指したような反応が返る。恵は今、集中できていない。今回のゲームの制作をはじめるときに言っていた、夫婦生活の転が来ているからだろうか。詩羽先輩との不貞行為ともとられかねない混浴が原因だとしたら。もし本当にそうであれば、恵は俺のことを全面拒否して同じベッドに並んで眠るということはしないだろう。だとすれば・・・

「俺と同じ夢、見られなくなった・・・、とか?」

「・・・それは・・・」

 考えたくはないことだった。これまでの十年間、苦しいときもつらいときも一緒に頑張ってきて、それで成果が出たときの喜びも一緒に分かち合って歩いてきた恵と、目指したい道がちがってきてしまうなんてこと・・・。

「完全無欠の blessing software で、神ゲーをつくる夢・・・」

「そうじゃない、そうじゃないんだよ」

 恵は俺の言葉を遮って話し出す。

「本当はみんなで、最高のゲームを作りたい。そこで倫也くんが、みんなが笑っていられたらいなって。倫也くんが思ってるよりもずっと強い気持ちなんだと思う。だけど、ちゃんとゲーム作りがしたいから・・・、したいからこそ、えっと、その・・・」

 言いよどむ恵の次の言葉を待つ。

「・・・霞ヶ丘先輩は、信用できない」

 恵がすすりあげて泣く音が耳に入る。

 恵を抱き寄せる。恵がぎゅっと握りしめた俺の寝巻の胸の部分寝巻に涙がしみて湿った感触を肌に伝える。

「霞ヶ丘先輩がいないと、本当の blessing software は完成しないし、英梨々と霞ヶ丘先輩がいてこそできることがあるのもわかってて、でも・・・」

「わかった。リアルの世界でもトゥルーエンドを俺が紡ぐから。みんながいる blessing software で最高のゲームを作って、みんなが、もちろん恵も、笑っていられるような。だから恵も、俺のトゥルールートの、メインヒロインになってくれ」

 恵は力を抜いて俺から離れる。

「あ~もう、なんだかなぁ。倫也くんが書く、純粋で主人公君の夢を一緒に一直線に追いかけるようなメインヒロインみたいに、わたしは都合はよくできてないんだけどなぁ」

「そうだな」

「それに倫也くんだって、倫也くんが書く主人公みたいに一人でヒロインを救えるような人じゃないとおもうんだけどなぁ」

「・・・言うね、恵」

 調子が出てきた恵の口ぶりに思わず顔がほころぶ。部屋を暗くしてあるので恵に見られることがないのが救いで。

「でも、霞ヶ丘先輩を信用できるようになったわけじゃないから。むしろ全然信用してないし、怒りだってあるから。だから、立てたフラグを折らないようにして、トゥルーエンドまでたどりついてね。主人公くん」

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