『ちゃんと嫌いになれるから』

 どうも私に気がないらしいってことが、ここ数ヶ月の付き合いでわかった。こんなに若くて魅力的な年下の女に溺れないなんてそれだけでどうかしていると思うけど、とにかく私には気がないんだってことが、はっきりわかった。

 結局私の身体だけが目当てなんだろう。それとも、私みたいな若い女を囲っているという事実が気に入っているんだろうか。私はそれでも何故かこいつのことをちゃんと切り離せないでいて、今日も呼ばれるままにそいつの家に向かっている。実費で。ちゃんと化粧をして。色々持って。泊まるかもしれないから、明日の準備もちゃんとして。腹立つ。すごく嫌。だけどそういう可哀想な自分が可愛い部分も多分あるんだと思う。それも含めて腹立たしい。どうしちゃったんだよ私は。

 あんまり美形でもないし、びっくりするほど背が高いわけでもないし、すごいお金持ちでもない。セックスもそんなうまいとは思わない。優しくもないかな。まあ普通に優しい方だとは思うけど、最近、それって優しさじゃなくてただ私にあんまり興味がないだけなんじゃないってことにも気付き始めてる。この関係が早く終わんないかなって他人事みたいに祈ってるんだけど、全然終わる気配がない。終わろう終わろうって思ってるタイミングで、向こうから連絡が来たり、なんか私が寂しいなあとか思ってるとスマホは鳴るんだ。暇だなあ、映画とかアニメとか、動画とか、マンガとか、そういうものにちょっと飽きてきて、つまんないなあ寂しいなあ実感味わって生きていたいなあとか思っていると、そういう丁度良いタイミングでスマホは鳴るんだ。だからすごく、好きってなってしまって、私は身勝手な相手の都合に合わせて、電車に乗って、なんとなく相手のことを考えたくてスマホポケットに入れて窓の外眺めて、少しずつ彼の家に近付く実感みたいなのを、昭和みたいに想ったりするんだ。昔のCMみたいな。ドラマみたいな。そういう感じの古き良き感情? 的なもので胸をいっぱいにして、可愛い女の子を演じてるんだ。誰に見られてるわけでもないのに。

 でも、ちゃんとわかってる。あいつは私に気がなくて、そのうち捨てられるんだってわかってる。遊ばれてるっていうか、あいつにとっては遊びですらないのかも。暇潰し? まあ男だし、色々溜まるんだろうね。そういうのを消化するための相手? 性欲処理の相手みたいな感じなのかもね。なのに変に大切そうにしてくるから調子狂うんだよね。もっとさ、便所みたいな扱いしてくれればこっちもそれなりの対応するんだけど、なんか気まぐれに大切そうにしてくるし、そういう時、私は頭があんまり良くないから、本気で愛されてるのかもしれないって毎回思っちゃうんだよね。ちゃんとわかってるはずなんだけど、急に名前呼ばれて、急に抱き締められて、それ以上何も言わなくなって、心臓の音とか感じてると、この人と一緒なら地獄に落ちてもいいかなって気分になる。勘弁してよ。

 最寄り駅で降りて、そこそこの大荷物かかえながら、私は迎えにも来ないあいつの家までとぼとぼ歩く。ほとんど向こうの都合で会ってるなあって気付いてるんだけど、それはでも私が嫌われたくなくてあんまり声を掛けないからかも。冗談めかした感じで会いたいなって連絡することはあるけど、じゃあいつ会おうか? って言われると、なんか予定決める流れになってそれ以上言えないのはなんでだろう。今すぐ会いたいよっていつも思ってるし、今すぐ会いたいから会いたいって言うんじゃないわけ? そんなこともわからないわけ? そっちは会いたい時に私のこと呼び出すくせに。でも好きだから従っちゃうんだよね。乙女かって。可哀想な私。

 多分、連絡すれば、迎えに来てくれるんだと思う。着いたよって一言送るだけで、待っててね、とか返事があって、駅で合流出来るんだと思う。私って察して欲しいのかな。言えばいいじゃん。なのに言わないのって自分の責任じゃん。ちょっと気落ちする。言わなきゃわかんない、言葉にしなきゃ伝わらないって、そういう言葉、多分いろんな曲で何万回も聞いてる。そんなの理屈は知ってるけど、実行するのってかなり難しい。歌手はいいよね、モテるし。私はなんの取り柄もないただの若さだけの女なんだから、もうちょっと忖度してよ。事実だけぶつけられたってどうしようもないんだってほんと。

 まあでも、そういう悩みみたいなものも自分の中で結構整理されてきていて、実のところ、今日だって一ヶ月ぶりくらい? に会うから、意外と会わなくても平気なんだってことには気付き始めてる。私、あなたがいないと生きてけない! って本気で思ってたこともあったんだけど、人間は成長する生き物だから、今はそうは思わなくなった。私は普通の人と会って、普通に恋愛して、普通に結婚出来るだけの素質があるって信じてる。ずっと自分のことを負け組だと思ってたけど、私よりさらに身勝手で壊れ気味の彼のことを考えてると、私なんて全然普通じゃんって思えてくる。ああ、それってあいつのこと特別視してるってことになるのかも。それはそれで嫌かな。でも、まあ仕方ないか、好きなのは本当だし。どうして好きかわからないけど。

 大荷物かかえたまま、駅から徒歩二十分。ちょっと郊外寄りの雰囲気。あんまり派手派手しい建物とかなくて、病院とか、焼肉屋とか、美容室とか喫茶店とかがポツポツあるような立地。最寄りのコンビニまで家から徒歩五分。そんな利便性と家賃の安さで選んだような家で、これから私は多分、二、三回抱かれて、二回戦目する頃にはもう好き好き、一生好き、あなた赤ちゃん欲しいって気持ちになってると思う。でも無理でしょ、生活とか考えたら。わかってるんだけど、最中ってほんと頭おかしくなるから、将来とか現実とかどうでも良くなっちゃう。それくらい好きなのかな。それくらい好きなのかも。もうほんと、わかってる。普通にしてるときに面と向かって、愛してる、世界で一番愛している、これからずっと一緒にいよう、今日からふたりで暮らそう、とか言われても、はいはい何言ってんの、もっと稼いでから言いなよ、家も狭いし、そもそも私まだ学生なんだけど? ってちゃんと理性的に思うんだろうけど、頑丈めの厚い身体に組み敷かれて、足開いて天井見つめて、ぎゅってされて囁かれると、それって最高に素敵な提案だね、私もずっとそう思ってたのって本気で思うんだ。私も普通じゃないのかも。一瞬一瞬で意思が揺らぐのって相当ダメだと思うんだけど、その瞬間だけは本気でそのこと考えてる。愛されたくて全肯定したくなる。

 狭いくせに生意気にもオートロックのエントランスがあって、私はそれを解錠するための四桁の番号を知っている。でも、その前にマンションの前でひと呼吸。もういい加減終わりにしないとって念じるんだ。私、若い女だけど、もう若くないし。そろそろ学生じゃなくなるし。それなりのとこに就職して、それなりの男捕まえて、それなりの生活しなきゃ。あんまり働きたくないし、専業主婦させてくれるような人と一緒になって、早めに子ども産んで、若くて綺麗なお母さんでいたいし。娘が生まれたら一緒に買い物行ったりしたいし。だから本来、こんな男と付き合って、大事な大事な若き日々を無駄にするなんてもったいない。

 わかってる。

 大丈夫、私、ちゃんとわかってる。

 将来性ない男といることで、自分の価値が少しずつ下がっている実感もちゃんとある。頭でちゃんと理解出来てる。でも今だけ。今だけはなんか、ぽっかり空いちゃった時間だから、そこにこいつを敷き詰めてるだけ。私だって寂しくなる時あるし、うん、だから……別に大丈夫。私はちゃんとわかってる。遊ばれてるんじゃなくて、私が遊んでるだけ。

 だって、絶対本気じゃない。

 私がいくら好きになっても、私に本気になってくれない。私がどれだけ差し出しても、返ってくるものは気まぐれな愛だけだし、こんなのいつまでも続けてたら惨めになるだけだ。振り向いてくれない相手のために自分のこと削って、本当にバカ。

 今日で終わりにしようなんて言うと本物のバカみたいになっちゃうから、そうは言わない。エントランスの鏡で自分の顔を見て、うん、そこそこ可愛いじゃんって自画自賛して、四桁の番号押す。勝手にロックが外れるけど自動ドアじゃないから手で押す。階段を二階分上がって、彼の部屋の前に立って、あと五秒だけ。

 ちゃんと嫌いになれるから。

 いつか普通に戻るから。

 ドアを開けたら、次にドアが開くまで、目を瞑っていてください、神様。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る