第33話 陽光の幸あれ

 「それで、ここまで来てそれを見せて、何がしたいわけ?」


 シスクの一角、石階段の上で可憐な少女の声が響いた。彼女の声の裏には決して隠しえない怒りがあり、包帯で隠されているがはっきりと双眼は目の前に突如として現れた男の左手に向けられていた。


 「そうだな。俺はあくまでこう言いにきたんだ。降伏しろってな」

 「だったらそれを見せるのは逆効果だって思わない!?」


 激昂と共に少女、リリアの内包している魔力が爆発した。その濃密な怒気を帯びたアクの強い魔力の濃さにゲオハイドは左手のものを手放し、大剣を彼女に向ける形で構えた。


 怒りの力は本当に恐ろしい。


 「それで?どうするって?」

 「アタシの本気でジャオのかたきを討ってやるから黙って死ねって言ってるんだよぉ!」


 いいね、とゲオハイドはほくそ笑む。相手の力量がわからないわけじゃない。隠し札がわからないわけじゃない。ただ、こうやって全力で生死をくぐり抜けられる相手と戦うのを待ち望んでいた。


 「『我が体は無垢にして純潔なり。天上たらしめんとすば、すなわち我が身なり』」


 だから相手が魔術の詠唱を終わるのを待った。戦うニンゲンとしては三流の思考だ。相手が能力をすべて引き出す前に狩れ、は対人戦闘の基本だ。倒すことだけが目的ならすべてを見る必要はない。絶対の一撃、それだけで十分すぎる。


 でもそれでは面白くない。

 せっかくシドが面白い儀式魔術を見せてくれるのだ。自分はそれまでに精一杯このとの戦闘を楽しもうじゃないか。


 見ればリリアの体が燃えている。彼女の体を巻いていた包帯がぐだりと剥がれ落ち、そして見るも無残なただれた黒い産肉が姿を現した。焼死体とすら見まごうほど毒々しい表皮の色、それは身を燃やしてもなお変色を続け、次第に一つの形へと少女を返っていった。


 リリアの体が一回り、二回りと次第に大きく変わっていく。彼女の細腕は巨人種ほど太くなり、胴は巨木ほど雄々しくなる。少女の面影はすでに消え、開かれた金色の瞳を持つ黒色の王がそこにはあった。


 「これ……悪魔か……」

 「っちちちっがあああぅううううう。わぁあああれぇえはヴィシュカしぃいいいんのけんぞくぅうであぁぁああっるぅうううう」

 「まさか……腕の王か!」


 イスト神話において神々と共に人殺し、陸殺しを楽しんだ十六体の従者達。その棟梁たる腕の王グーガナは神話において燃え盛る自身の肉体で人を包容することが愛だとして、多数の英傑や無垢の人々を焼き殺した。


 異性だろうが同性だろうがこよなく愛する、イスト神話の愛の象徴とも言われているが、その実態はただの押し付けがましい独善的な妄執者だ。


 「このっぉぉ女はyぉおおいいい。一時とはいえぇ、このわたぁぁあしに肉体を捧げた。つ、つまぁり我が愛への献身なり」


 本来ならレイドボスとして登場してもおかしくはない強敵だ。おそらくは降霊術の一種だろう、とゲオハイドは予想を立てるが、どれほどの力を降霊術で引き出せるかは知らない。


 巫女やイタコといった職業系統の友人はいるが、彼らが降霊術を使う機会がそうそうないため、聞きそびれたことが悔やまれる。


 「しかも我が主たるヴィシュカ神の御創りたもうたシャーランガを持つとは、

この娘の体まこと使い勝手がよい。愛を捧げるにたるの子よ」


 神ではないが、神に親しい存在であるグーガナは他の神話で言えば天使に近い。実際は別種だろうが存在としては準レイドボスだろう。つまり、熾天使と同格かそれ以上の存在だ。


 いや、確実に熾天使よりも強いだろう。

 レベル150の戦士職が幻想級装備を着て挑んでも五分五分の勝負しかできないほど協力な熾天使よりもなお強い。それが神々の腕だ。


 「しかも処刑武器持ち、か」


 果たして従者風情が主たる神の武器を使えるのか、という疑問は残るが使う権利を移譲されていると思われるニンゲンの性質を引き継ぐならば、使えるという結論にいたる。


 しかもグーガナはビュネットマンの第一の子たるヴィシュカの眷属だ。力量は神々の腕の中で最上位。手負いの自分で果たして勝てるか、といったところだろう。


 「(これがリドルか紫雲なら……)」


 つい弱音を吐いてしまった。ヤシュニナ最強のリドル、そして彼に比肩する実力者の紫雲と自分を比べるのはバカバカしいことだ。だが、それでも比べてしまう。


 「(シドが儀式魔術を終わらせるまで、耐えられればいい、か)」


 スッキリとした笑みを浮かべ、ゲオハイドは先程リリアとジャオに使ったスキル、「憤怒の誘い」を発動させる。対象範囲は狭いが、その分強制力が高い一長一短なスキルだ。


 パーティーで言えばダメージソースとして活躍する彼がこの重戦士向けのスキルを有している理由は一重に彼がシドと旅をしていたとき、モンスターの敵意を向けさせるメンバーがいなかったからだ。仕方なくゲオハイドがターゲット集中スキルを手に入れ、今にいたる。


 そのスキルが今役に立つとは、とゲオハイドは歓喜で胸を膨らませた。旅をする中、無用とも思えるスキルを習得することは何度もあった。そんなスキルが巡り巡って有用になる、これを歓喜せずしていられようか。


 ゲオハイドの「憤怒の誘い」に反応してグーガナは黄金の瞳をひんむき、体中から火炎をほとばしらせる。


 「貴様、何を以て我を睨む?絶望を求めるか、愛を求めるか、いずれかにや?」

 「挑戦を」

 「笑止」


 グーガナは予備動作もなく、拳をゲオハイドへ向けた。ゲオハイドはそれをいなし、「天軀」を駆使して上空へと歩をつむぐ。グーガナはそれを追った。スキルなど一切使用せず、さも当然とばかりに飛翔して。


 ゲオハイドは向かってくるグーガナを「神聖剣」を上乗せした一閃で迎え撃つ。しかしグーガナの表皮は硬い。ジャオのまがい物の太陽神の右腕と比べれば、鋼のようだ。


 ――そんなことはわかっている。

 素体の外見を簡単に入れ替えるほど、強力な降霊術であれば肉体強度が増しているのも当然だ。


 続く二連撃を受け止められ眼を細めるゲオハイドをグーガナの炎の吐息ブレスが襲った。太陽神の従者だけあり、その威力は絶大だ。火属性への耐性があるゲオハイドすら顔をしかめるほどの高熱が彼を襲う。


 「なめ、やがって!」


 ゲオハイドは吐息が収まるよりも早く、グーガナのふところに潜り込んだ。そして横薙ぎの一撃をグーガナに食らわせた。グーガナは一瞬悲鳴をあげかけるが、すぐに体勢を立て直し、鋭い爪の連撃をゲオハイドに浴びせかける。


 ジャオとの一閃で傷ついたゲオハイドの体にめまぐるしい速度で傷がついていく。彼の身にまとう幻想級アイテムも意味をなさず、自然回復能力すら追いつかない。


 ゲオハイドの衣服が裂け、表皮は破れ、鋼の本体がどんどん露わになっていく。彼の防御を貫通し、なおグーガナは連撃をやめない。

 だが、それだけにゲオハイドには不可解でならなかった。


 なぜ、物理攻撃しかしてこないか、と。


 熾天使であれば特異なスキルを使い攻撃してくる。また放つ光線も一本や二本ではない。

 それを上回る神々の腕、しかもその王であるグーガナが――言っては悪いが――ひっかき攻撃しかしてこないのは不自然だ。


 もしかして、使えないのか?


 そう思うほどに攻撃のレパートリーが乏しかった。


 「(いや、考えてみればそうか。素体は魔術師。しかしグーガナのこの肉体性能からして戦士職……)」


 深く考えようとした矢先、グーガナのひっかき攻撃が止んだ。訝しんでゲオハイドが距離を取ろうとすると、グーガナが炎の吐息を吐いた。生命力が極端に減ったのがわかる。


 意識すれば、生命力はのこり四割ほどしか残っていない、とわかる。ジャオとの一戦が予想外に響いていた。


 「(おそらく、神々の腕としての種族的な能力しか持ち合わせていない、もしくは今は引き出せない。降霊術が未完成なのか、はたまた才能がないのか)」


 相手の予想外の一手を無視して、ただ順当に攻め手を見極めると、攻撃方法はかなり単調だ。肉体性能にかまけて技量をまるで磨いていない。それでもダメージは重く、安易に間合いを詰めていい相手ではない。


 しかし少しずつだが相手の攻撃のパターンも読めてきた。速度、膂力ともに自分をはるかに凌駕するにもかかわらず、単調であるがゆえに読みやすい。

 最初の予備動作なしの攻撃には面食らったが、ここまで一度も出してこない。


 「(だけど、向こうには処刑武器があるからな。弓とはいえ、取り出すだけでこちらの動揺を誘える)」


 やがてグーガナの攻撃はすべてゲオハイドに当たらなくなった。伸びる刺突も、炎の吐息も、予備動作のない拳撃も、すべてがゲオハイドに防がれた。


 「(全力を出せなきゃ神々の腕でもこの程度、か。おそらく包帯女の降霊術のレベルが低かったんだな)」


 この程度が切り札、そんなことがあるのか?

 さばきながらゲオハイドは思案する。仮にこの程度のモンスターならジャオの方が思考と技量がある分まだ厄介だった。


 「(まだ何かある?魔術師としての底がこの程度?何かを待っている?)」


 そう思いながらゲオハイドは一瞬のスキをつき、グーガナの表皮に分厚い大剣を振り下ろした。

 かなりの強撃だったのか、グーガナは傷を抑えたまま微動だにしない。


 同時にゲオハイドも距離を取った。確かな感触はあったが、まだ致命傷ではない。「生命力測定」で調べてもグーガナもといリリアの生命力はまだ六割ほど残っている。


 念のため「魔力測定」「覇気感知」で魔力とバフの補正も調べるが、気にするような変化はない。強いて言うなら魔術師の肉体にはあまりある筋力値だった程度か。


 ――刹那、ゲオハイドの右腕が切断された。


 ボロリ、という音が彼の左耳にとどくまで、一秒とかからなかった。

 斬られた直後、ゲオハイドは双眼細め、目の前のグーガナを見つめる。


 痛みはない、オールドアクトロイドである彼は斬られても問題はない。ただ眼前の異形、アレが問題だ。


 なんだ……アレは?


 道中、リストグラキウスとの戦争で四聖教の神が顕現した、という話を聞いた。それと同じようなものか、と最初思ったが少し違う。


 ボロ、ボロ、と鳥の卵のように殻が割れていく。中から何が出てくる、とゲオハイドは臨戦態勢で身構えた。


 そして、まるでコマ送りのような一瞬の間に、彼の体は旧都の屋敷に叩きつけられていた。


 体のいたるところがきしむほど、圧倒的な膂力!

 抗えず、ただなされるがまま、ゲオハイドは石畳の上に叩きつけられた。その程度でダメージを負うことはないが、彼の意識を混濁させるほどめまぐるしく視界の景色が変わっていく。


 そのさなか、一筋の光が天上に向かって伸びていくのをゲオハイドは垣間見た。それは天柱と呼ぶにはあまりに神々し過ぎた。大禍の前兆とすらおもえる赤い陽の光が、天上に向かって、その意志を示した。


 天柱が天を差すと同時に石灰色の空が晴れてゆく。青銅色の清々しい空が塗り絵がごとく広がっていき、大地に余すこと無く太陽の恵みをもたらしていく。


 同時に彼を揺さぶる手が止まり、そのまま宙へ投げ飛ばされた。


 その時初めてゲオハイドは自分をさんざん振り回してくれた相手の正体を見留ることができた。


 それは、とてもきれいな炎髪の女神だった。

 グーガナと同じ太陽の拳をまとい、赤色の肌が露出したまだ未成熟の少女の体。一糸まとわぬ彼女の姿はきれいだ。それはまるでギリシアの彫刻に似たなめらかな彫像のようだ。


 「アレはナンダ。ワガ王の光トオナじ、色をシている」


 つむがれた声はグーガナとリリアの声を足して二で割ったかのような変な声だ。男とも女とも判別できない。機械音声に似た歪な声だ。

 錆銀色の瞳を輝かせ、少女はゆっくりとその光へ向かって歩を進めた。


 即座にゲオハイドは反応する。切断された腕を空中にピース状にして浮かせ、裏面に熱を帯びさせる。十分に裏面が熱せられると同時にゲオハイドのピースは無数の細い光線を放った。


 赤い光線、その合間を少女は縦横無尽にかいくぐっていく。第一射で止まらぬと判断し、ゲオハイドは今度は歪曲する光線を放った。一部はかすったが、少女は止まらない。


 光線を放つと同時にゲオハイドの魔力が減っていく。オールドアクトロイドの種族特性の一つ、光線の発射機構だ。部位の裏面を赤熱させ、魔力を消費して放つ遠距離攻撃手段だ。

 生命力に乏しいゲオハイドが時間稼ぎでとれる数少ない手だ。


 もっとも、それが眼前の少女に通じるかどうかはわからないが。


 「まじかよ、まじかよ、まじかよ!」


 距離を取りつつ、ゲオハイドは光線を放つが、全く少女の速度が衰えることがない。旧都南部の市街地を翔けるゲオハイドをまるで歯牙にもかけない勢いで少女はただまっすぐ西南部の天柱を目指した。


 未だ天へとその光の柱を伸ばし、空を晴れさせているシドの魔術。

 それを破壊せんとしているのか、それとも引き寄せられているのか、ゲオハイドには判別できない。


 シドからは合図が来るまでいかなる存在も彼が魔法陣を広げている場所に近づけるな、とゲオハイドは言われている。すでに魔法陣の範囲内には入っているだろうが、まだ彼からの合図がない以上、ゲオハイドは足止めに徹するしかない。


 彼の絶技をもって何度も、何度も少女に挑むが止めることができない。速度、膂力、耐久のすべてが次元が違う。

 これが真のリリアの魔術いや、魔術式なのか、と思うと背筋が凍る思いだ。


 グーガナと同化し、魔術師の身でその力をステータスに限って十全に発揮する。今は力だよりだが、時間が経てば技術を学ぶ。魔術としては間違っていないが、あまりに独りよがりすぎる在り方だ。


 ――刹那、一瞬のスキをつかれゲオハイドの左脇腹がグシャリ、と潰れた。


 生命力が残り二割を切る。


 スキル「憤怒の誘い」を駆使して彼女の進路を変えようとする。通じなかった。


 「神聖剣」、「限界突破」を駆使し、彼女の右腕だけでも弾き飛ばそうと大剣を振るう。


 それを少女は藁にでも触れるかのように、あっさりと受け止めた。衝撃で血が吹き出すこともない。

 ゲオハイドのあらゆるスキル、技術を駆使しても止まることがない圧倒的な化生だ。


 「だからってやm」


 再びを剣を振りかぶるゲオハイドの顔面に赤熱した少女の拳が叩き込まれた。彼の頭部からプラズマが走り、いくつかのピースとなって周囲に飛び散った。


 その後はただの一方的な展開だった。少女の拳はゲオハイドの四肢をバラバラのピースへと変えていく。彼の部品があまた飛び散り、旧都の屋根に落下していく。対応しようにも彼の腕が動くと同時に少女の拳がピンポイントでねじ込まれる。


 「(クソ、これ、まずい)」


 シャーランガなど初めから必要なかった。あくまで脅しの手段。リリアにとって今の状態こそが切り札だ、と理解した時にはもう手遅れだ。眼前の少女はもはやリリアではない。グーガナでもない。まったく別個の生命だ。


 存在しなかった十七番目の神々の腕。

 そうとしか言えないシステムのバグのような存在。


 「(最悪だ!シドの儀式魔術の効果範囲外だぞ!?カテゴリーに当てはめられない、まったくのイレギュラーだ。そもそも信条がない。形成する概念がない。ただの力の……」


 少女の拳がゲオハイドの、ドアクトロイドの弱点とも言える胸部を貫いた。胸部にはアクトロイドの動力炉があり、オールドアクトロイドであれば分割できるがこの時ゲオハイドは分割して退避させていなかった。


 彼の生命の根幹とも言える部分が破壊され、ゲオハイドの生命力が一気に削られた。残った体の部位への伝達が遅れ、もはや「天軀」すらままならず、彼の体は路上へと落ちかける。


 『其たる王座の中で瞑目せよ』


 彼の意識が飛びかけたその時、旧都の中に声が響いた。銀嶺を思わせる涼やかな声だった。


 『座して深慮せよ』


 あたかも啓示であるかのように、人々の耳に届いた。


 『至りし答えがすなわち己の道である』


 旧都西南部にシドとゲオハイドが夜なべして描き上げた魔法陣が浮かび上がる。巨大な円形の中に八芒星が浮かび上がった。


 『されど十六のことわりを知らずんば、それは己の道にあらず』


 十六の多彩色の光がゲオハイドが楔を設置した部分で放たれる。それはそれぞれが別々の色を発し、複雑に放射線状の光線がからみあう。


 『自由の中に理あり。すなわちこれを秩序と言う』


 光線はまるで鎖のように魔法陣の中で絡み合う。あたかもはらみ合う雌雄がごとく、人体を模写するがごとく。


 『今一度深慮せよ。己の道と理をすり合わし、真なる自由を思索せよ』


 弱々しくゲオハイドは立ち上がった。シドの元へ向かう少女を止めるために、今の体に残った生命力のすべてを賭して。

 彼にとっての相反する感情アンヴィヴァレンスに決着をつけるために残ったピースで、肉体を再構築し、ゲオハイドは「天軀」を使う。


 ターン、ターンと空気を蹴るがその反応は鈍く、いつもの調子が出ない。動力炉を損壊しているから、と口で言ってしまえば容易いが、そんなつまらないことを言い訳にしてこの国を崩壊させたくなかった。


 今、シドはこの魔法陣を完成させるために詠唱を続けている。それを邪魔させるわけにはいかない。


 きしむ体を押して、ゲオハイドは「韋駄天」で自らを加速させる。機械の体が負荷に耐えきれず、剥がれ落ちる。


 ただ一振り、ただ一回大剣を触れればそれでいい。その一身でゲオハイドはシドの目の前、魔法陣の中心地へと落下した。


 いきなりガシャンと落ちてきたゲオハイドにシドは眼を丸くするが、詠唱をやめることはなかった。


 それでいい、とゲオハイドは笑みを浮かべる。

 そして同時にシドの対面を見て表情を曇らせた。


 自分と同時にだろうか。炎髪の少女が拳をたぎらせて立っていた。


 ゲオハイドの体中の熱がひとつところに集まっていく。倒せない、とわかっている。ならば、その役はシドに譲ろう。彼のためにここで、彼女を――少しでもいい――止めるための渾身の一振りを送ろう。


 出ないはずのつばを飲み込み、ゲオハイドは持ちうるスキルを多数発動させる。「限界突破」「神聖剣」「機能改善アップグレード」「夢の騎士ドリーミング・ナイト」「敵対凌駕オーヴァーウェルム」、それらすべてはこれまでの旅路の象徴、ただ一人で強敵を打ち破るために習得した彼の戦果だ。


 『曰く、王座は空席なり。何者も彼の席に座すこと能わず、見ること能わず、思うこと能わず』


 ああ、今はどうでもいい詠唱すら聖歌のようだ。

 自分のこれまでの旅路の果て、ついに誰かの役に立つことができた。百六十年前の己への失望にようやく決着をつけることが……。


 ゲオハイドは力強い一歩を踏みしめる。彼の鬼迫に押されたのか、少女は一瞬だがたじろいだ風に見えた。


 ゲオハイドの大剣が振られる。


 「――ソレが精一杯とハ笑ワせる。所詮はニンゲンダナ」


 頂きは遠く、その頂上に立つものはなお遠い。鬼迫だけで勝てるほど、十七番目の神々の腕は甘くはなかった。


 大剣ごとゲオハイドの体が砕け散った。残りのピースではもはや万全の生命維持もできない。ただ死にゆくだけの残骸となった。


 『なれど知恵は人になく、またただ捨て去るのみ』


 『ゆえにただひとつの真実を授けよう』


 『Dead tells no lie, only tells nothing』


 ――それはシドの偽らざる本心、彼の揺るぎない心を謳った詩篇だった。ただ唯一の彼の中での神に対しての。


 魔法陣がうねりだす。形態を忘れただ唯一の対象をもとめ、立体化し、次元をまたいで襲い来る。


 少女はすぐさま魔法陣の範囲外から逃げようとするが、すでに起動した檻の中から逃げ出すことは不可能だ。


 無数の猪が彼女を襲う。 無数の鼠が彼女を襲う。 無数の狐が彼女を襲う。

 無数の鹿が彼女を襲う。 無数の猫が彼女を襲う。 無数の烏が彼女を襲う。

 無数の鳥が彼女を襲う。  無数の人が彼女を襲う。 無数の夢が彼女を襲う。


 無数の無が彼女を襲う。 無数の雪が彼女を襲う。 無数の蛍が彼女を襲う。

 無数の馬が彼女を襲う。 無数の鳶が彼女を襲う。

 無数の犬が彼女を襲う。 無数の鷹が彼女を襲う。


 その他多くの地獄の中で彼女は絶叫した。己が何に襲われているのか、理解できなかった。ちぎられ、遊ばれ、脱糞され、死に近い醜悪を幾度となく、無限連鎖のごとく味わった。


 その間、同じくらい膨大な情報量が少女の頭の中に流れ込んだ。常人であれば発狂と正常を繰り返してもおかしくない情報量、しかしなまじ神に近い位置にいる少女には発狂の一歩手前を行き来する程度だ。


 つまり、絶頂の寸前。発狂してしまいたい、と思っても体がそれを許さない。そして意識が朦朧と鋼鉄を繰り返す中、彼女の中の常識が


 彼女の信じていた神も、同胞も、教義も、何もかもが塗り替わっていく。あたかも人を「自由の楔」から解き放つかのような、真なる道、とシドが語る汚濁の表れだ。眼にするすべてが間違っていた、これからはこれが真実だ、と優しく語りかけるその裏にある本性は、畜生のそれだ。


 「魔術の本来の在り方、ではないんだがな」


 おぞましい悲鳴が響き渡る魔法陣の中で玉虫色のポニーテールの少年はポツリと口にした。

 魔術が真に人を救うための産物であれば、人の拠り所を潰すことなどありえない。


 「でもこれが『人の道』であれば話は変わってくる」


 人は生まれながらにして自由だ。例え神であっても、創造主であってもその権利を踏みにじることはあってはいけない。神が人を支配してはいけない。人は何者にも支配されない。


 己のただ唯一の願望を求めて孤軍奮闘すればそれだけで人だ。


 「ま、結局のところ魔術の道じゃ、行き着く先が神の道ってだけなんだよね」


 そういう意味ではこの儀式魔術は改良の予知があるな、とシドは周囲の多彩色の光を見ながら分析した。二度目とはいえ精度は申し分ない。ただ唯一の欠点はさっきから聞こえてくる悲鳴だろう。


 魔法陣の発動までに時間がかかるのはしょうがないが、この悲鳴をどうにかせねば実用化できない。さすがに四六時中絶叫が発するような世界はごめんだ。


 やがて絶叫も止み始めた。声がか細くなっていくにつれ、開花する花のようにしゅるりしゅるりと少女を覆っていた魔法陣の光はほどけていく。


 すべての光が解けた時、中からは瞳から生気を失った少女の姿が現れた。薬でもキメたのか、と疑いたくなるほど色素が消え失せ、艶やかだった炎髪は焼香ほどみすぼらしく脱色していた。


 そればかりではない。


 肉体のいたる箇所にヒビが入っていく。長い間雨風にさらされた石像かのように、少女のこれからを風刺するかのように。


 「生命力測定」で彼女を視ながらシドは静かに眼をつむった。すでに枯れ切っていた。

 これじゃぁまだ実用化はできないな、と苦笑する。


 彼女が例外だったのかもしれない。

 だが、それを確かめないで実用化していい代物ではない。あの魔法陣に囚われてはなんの力もないニンゲンは生きていけないだろうからな。


 少女の最後を看取り、シドはゲオハイドの残骸へと向き直った。かすかに彼の体を構成していたピースが動いているが、もうここにゲオハイドの意志はないだろう。いずれ動いているピースも停止する。


 彼にとって最も旧い友人がゲオハイドだった。


 まだレベル3の頃、彼に助けてもらった。当時ゲオハイドはレベル5でどちらもまだ駆け出しのプレイヤーだった。


 あともうひとりを加えて三人で旅をしていた。


 とても楽しい、多分百六十年の人生の中で最も満ち足りた時間だった。


 「なぁ、ゲオ。もう俺一人になったよ。あのときのメンツは。友人って呼べるやつは」


 国を守るためと言って友人に犠牲を強いた。どっちかの首でも見せれば追ってくる、時間を稼げると助言と言えない助言をした。


 その結果が今目の前にある破片だ。ゲオハイド・ヴィークライトと彼が呼んでいた存在だ。


 「もう後戻りはできないよなぁ」

 「――そうだな」


 不意に懐かしい声がシドの耳元で囁かれた。

 シドが驚いて振り向こうとした矢先、彼の腹部に身の丈をゆうに超える大剣が突き刺さった。

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