第9話 天上で笑うは神ではなく、人である

 海上要塞プレシアにリストグラキウスの大艦隊が現れて10日が経った。その間、攻め手のリストグラキウス軍の損耗は増え続け、一週間目を迎える頃には全体の二割が海の藻屑と化していた。さすがにこれ以上の攻勢は無意味と悟ったのか、リストグラキウス軍は動くことをせず、戦線は膠着状態に陥っていた。


 リストグラキウス軍の指揮官は改めてプレシアの堅牢さにうめき声をあげていた。よもや二十隻もの大艦隊をもってしても城壁が崩せぬなどありえぬことだ、と。それもそのはずだ。なにせ夜間に突貫作業でプレシア内の兵士が防壁を修繕しており、次の日の朝にはいびつながらも壁として機能し得るのだから。


 リストグラキウス軍の指揮官とて馬鹿ではない。夜襲を仕掛けるなど試みたが、夜襲を仕掛けようにも海上は真っ暗、こちらの松明も無事湿気らずに使えるものは数えるほどしかない。

 それらすべてを船上に置いたとて、いい的になってしまう。一回の失敗ですぐに夜襲はもうしない、と指揮官らの会議で決定された。以来、日中の砲撃戦を除いてリストグラキウス軍は攻撃はしていない。


 一応、食料は三週間分持ってきているとはいえ、このままではまずい、と指揮官らは思い始めていた。夜襲を封じられ、頼みの砲弾も内部の火薬が湿気ってしまって思うように爆発してくれない。船も残っているものでも各部に穴が空き、半ばゴーストシップのような見た目になってしまっている。


 そんな状況下だが、指揮官の瞳にあきらめの色はなかった。これ以上兵士を失うのはまずいな、と思っているのは事実だが、こちらが負ける、などと考えているのは一人もいない。未だ彼らの目の色は死んでおらず、活気に満ちていた。


 指揮官は皆一様に四聖教に伝わる十大天使の一人が彫られたペンダントを握り、神が祝福せし自らの人生を咀嚼するのであった。そして、想像するのだ。神の御力によって駆逐されし、異教の亡骸を。――例え自分が見ることが叶わなくても。


 転じて、プレシア内のヤシュニナ軍はこの膠着状態にやや苛立ちを募らせていた。敵を徹底的に殲滅しろ、と命令を受け最初の一週間こそ苛烈に相手を責め立てたが、ここ3日はまるで攻めてこない。魔導砲の射程範囲外に船を退避させてしまい、砲撃の音一つ鳴らそうとしなかった。


 はじめの攻めが強烈だったことも相まって、どこか肩透かしと消化不良を感じる静けさがプレシアを包み込み、余計なフラストレーションを兵士達に与えていった。


 また、攻めて来ないというのはヤシュニナ側にとっても芳しくない状況だった。プレシアの食料備蓄を考えればその理由は明々白々だろう。本国にプレシア強襲の旨は伝わっているだろうが、にもかかわらず具体的な指示は来ていない。プレシア上層部はその理由を広範囲にわたる通信妨害、と考えていた。


 一般的にソレイユ内で使われる長距離通信は、メッセージ・ウィンドウという通信補助システムに限られる。これはメール機能そのものであり、見知った相手であればいつでもどこでもメッセージを飛ばすことが可能だ。


 だが、広く使われるからこそ傍受、盗聴系のスキルを有しているニンゲンなら容易に内容を見ることができる。


 そのため、ヤシュニナ軍では通信用アイテムを使って長距離通信をすることが多い。これは予め同期させておいたアイテム同士で通信会話をする、という能力に限定して開発されており、高い量産性をほこる。


 だが、通信の前段階としてヤシュニナの領土、領海の各所にアイテムの波長を受信する別のアイテムを設置しなければならず、ヤシュニナ国外となると使い勝手が悪くなる、なんとも一長一短なアイテムだ。


 そのアイテムの通信を妨害する、というのはかなり楽だ。予め受信アイテムのどれかを破戒してしまえばいい。


 おそらく、初日にプレシアを包囲したタイミングでプレシアの第三、第四砦に回った船からアイテムを破壊する部隊が出たのだろう、とヴェーザーを始め各参謀は結論づけていた。


 幸いだったのは通信の一切ができなくなる前にある程度敵戦力の情報を本国に遅れたことだろう。連絡がないことが気がかりだが、あの国務長官であればなんらかの手を打っているに違いない、とヴェーザーを始めプレシア上層部の誰もが思っていた。


 そんな彼らの期待を裏切るかのように、ヤシュニナ近海では今、惨劇が繰り広げられていた。



 「――まいったね。また沈没か」

 「はい、これで六隻目です。海上からの攻撃ということもあってこちらからは攻撃しにくいので……」


 執務室内でシドとセナ、二人は意気消沈しました、といった有様でそろって肩を落としていた。セナはともかく、滅多に見せないシドの落胆ぶりにその時たまたま同席していた法務長官、ノタ・クルセオリスはにまにまと溢れんばかりの笑顔で写真を撮り、同じく同席していた外務長官アルヴィースは一心不乱にビデオで状況を撮影していた。


 「シドちゃん、しょうーがないでしょ?だってリドちゃんは今不凍港、ホッケウラでアレの最終調整中、他に動けるうちの実力者がいないんだもん」


 のんきな様子でノタはシドをなだめるが、その実彼女は空気など読まずに写真を撮っていた。ヤシュニナ内でも流通して間もない希少品を無駄に消費しやがって、とシドはそんな彼女を睨みつけた。


 「ま、首都が攻められたってんならともかくプレシアじゃーなー。俺も行けーねーよ。仕事があっから」


 「仕事がある人はここで撮影なんてしませんよ。大体誰の許可で私を被写体にしてるんですか。撮るならそこの女装バカだけにしなさい」

 「ねぇ、俺なんでディスられてんの?俺なんでディスられてんの?」


 同様にてきとうな発言をするアルヴィースを叱責するセナだが、実のところ彼の言っていることは間違ってはいない。むしろ、彼の職務を考えれば至極当然の発言とも言えた。叱責した後に気づいたが、謝るのも癪なのでこのまま放置しよう、と結論づけた。


 「しっかし、リドルの奴も迂闊だったよな?まさか、なんて誰も予想だにしていなかったもんな」

 アルヴィースの何気ない一言にシドは奥歯を噛んだ。


 そう、今悩んでいること、落胆を隠せない理由、意気消沈する理由はまさにソレだ。つい5日前、プレシアへの補給物資と補充要員を乗せた二隻の第一次補給船がホッケウラを出港した。護衛艦としてリストグラキウスが用いたガオレン船と同規模の船を四隻の計六隻の部隊でプレシアを目指していた。


 各船にはまずあるであろうリストグラキウスの奇襲に対して対応できるように、レベル100を超えた熟練のプレイヤーを一人ずつ乗せており、そう簡単には船は落ちないだろう、とシドも楽観していた。


 だが出港した翌日、彼の顔色は大いに曇ることとなった。


 ボロボロになった軍艦三隻がホッケウラの港に入港してきたのだ。その有様はゴーストシップそのものであり、今にも折れそうなマストや船首、船体に多数の穴が空き、穴からは火薬や穀物がドサドサと海面へ投げ捨てられていった。


 軍艦は救助の船が出たまさにそのとき、激しい音を立て港の入り口で沈んでいった。未だ海に逃れていない大勢の乗組員を乗せてだ。救助隊がすぐさま沈没した船から乗組員を救出しようと試みたが、それでも助かったのは少数、送り出した人員の六割程度だった。


 生き残った兵士や船員も重傷を負っていないものの方が珍しい。ひどい火傷のあとがあったり、小さな木片がびっしりと体に突き刺さっていたり、手足を失ったものも珍しくはない惨状がホッケウラの軍病院では広がっていた。回復薬や回復職の手配も足りておらず、さながら地獄絵図だそうだ。


 とてもではないが、何が起きたのかを説明できる兵士などそこにはいなかった。彼らがあげるのはうわ言ばかり、「光が……」と自分が見た情景を思い出したのか、さらに絶叫する有様だ。


 「で、比較的傷が軽かった兵士から3日前、何が起こったかについて報告が上げられた。報告っていうにはちょっと字や文体が乱雑で内容を図りづらかったが……簡潔に要訳すると、『アーレスが現れた』だ」


 頭をかきながら、シドは盛大にため息をついた。直接の面識はないが、リドルやヴェーザーの報告を聞く限りはプレイドの高い男、というのがアーレスの評価だっただけに彼の奇襲は完全に予想外だった。


 事態の把握のために最低限の人員だけ乗せた速さに特化した軍艦を補給船沈没箇所に四隻、3日前に送ったがその内三隻が見事アーレスによって轟沈せしめられた。幸い、使者は十数名に抑えられたが、現場の兵士達はPTSDを患ってしまい、当分は使い物にならない。


 「ま、リドルならどうにかしてくれるだろうが……それも明後日か」

 「そりゃ、軍総司令官様だからね。アレの抜錨記念に居合わせなきゃかっこ悪いだろうからねー」


 「それまでは放置、か。ああ、クソ。こういう時実力の高い奴らを拘束する目的で要職に就けてたのがくやまれるな」


 苦々しく奥歯を噛むシドに、ノタは笑いながらご愁傷様ー、と神経を逆撫でる。言葉の裏も表もなくただただ「ざまー」と言っているだけにしか聞こえないノタの態度に若干胸内からこみ上げてくるものを感じたが、すぐに自制する。ここでノタに不満をぶつけても解決にならないことは理解しているし、なにより彼女を叱咤することは道理から外れていた。


 「そういえばアルヴィース、リストグラキウスと対話はできそうか?」


 話を変える目的半分、ふと思い出したから半分でシドはアルヴィースに現在の外交状況を聞いた。一応報告は受けているが、現場のニンゲンからの実体験ほどリアルに感じることはない。


 まぁ、そもそも大使館を封鎖しているとか、国民議会で対話は不可能だ、とかさんざんぱら言ったくせに対話を求めているあたりでどうかと思うが。


 「無理だ。そもそもシド。お前が大使館の封鎖なんてやるから難航どうころかすでにカルネアデスの舟板だっつーの!反省しろ!強硬姿勢も結構だが、その一点はお前に非があるぞ!向こうが対話できねーっつって、こっちから対話の道を閉ざすとかバカか?やってることが二転三転どころかムーンサルトしてんだよ!」


 「ああ、ムーンサルトできねーからな、俺」


 「素人がムーンサルトすんな、首の骨折れても知らねーぞ。つまり何が言いたいかって、お前は内側を凝視してりゃーいーの。ずっとコーチをしてりゃいいわけ。なのになーんで選手やんの、って話!アレだ、経済のこと理解してないやつが福利厚生するようなもんだぞ」


 さすがに外交長官だけあって、アルヴィースの糾弾は心にくるものがあった。あとになって自分で大使館の封鎖はやりすぎだ、と思ったのは事実だし、国民議会でそのことを糾弾されても論点のすり替えでどうにか乗り切ることができた。


 そのしわ寄せが今来ていると思うと、ないはずの毛根が一斉に枯葉剤で駆逐されてしまうかのようだ。


 「まぁ、アレだ。どのみちあの大使館には本国との連絡手段がないんだ。別に閉めちまっても……」

 「心象を悪化させるって話だ。幸い、その情報が向こうに伝わるか、と言われれば多分ノーだろうがな。海を超えにゃいかん」


 軽口を叩いて空気を和ませようとするが、その実彼らの間の空気ははりつめたままだ。このいたたまれない空気の中、安穏としてられるのはのんびりとソファーに寝転がりながらゴシップ誌を読んでいるノタぐらいなものだろう。セナもセナで深く考え事をしているようで、さっきから不動直立していた。


 やがて、アルヴィースが静寂を破って口を開いた。


 「なぁ、シド。お前の魔術でアーレスをどうにかできないのか?」


 「無理だよ。俺の魔力MP全部消費してもホッケウラまで届く長距離魔術攻撃なんて使えねーよ。知ってるだろ、俺が専門にしているのは『高次の堕落』だ。攻撃範囲だってせいぜいこのホクリンをカバーできる程度だろーよ」


 それだけでも十分すげーがよぉ、とアルヴィースは愚痴る。


 アルヴィースの言う魔術とは、このソレイユ・プロジェクトに設定されたマジック・コードだ。術士職以外でも使用は可能だが、術士職――デリーターやディスティネーターなど――にはこの魔術の成長促進ボーナスというものが与えれているから、術士職以外で魔術を使おうとしても、そこまでの精度はない。


 また、一言に魔術と言ってもレベルをあげるごとに魔術を獲得できるわけではない。レベルをあげるごとに得られるのはあくまでも生命力HPと魔力の増加であり、己の技能が上達するわけではないのだ。


 ソレイユ内で、魔術、と言えば研究し、己一つのものにする、ということに他ならない。つまり、ソレイユ内では自分独自の魔術体系を作り出すことができるのだ。ゆえに、同じような系列の魔術であろうと、個人によって差異はあるし、その精度は言わずもがな別物となるだろう。また、優れた魔術師は己の魔術体系の最奥に秘術と呼べる魔術式というものを作り出す。


 ソレイユ・プロジェクトの目的である理想の自分の追求を体現したかのようなシステムであり、また多くのプレイヤーはこのことに歓喜しただろう。自分オリジナルの魔術が作れる、など胸躍る展開だ。しかし、現実はそう甘くはない。


 魔術体系を作り出す、というのはつまるところ一から魔術について勉強しなければならないわけだ。それが意味することは勉強である。好きすぎて好きすぎてたまらない、というニンゲン以外からはついぞ好かれることがなかったもの、勉強だ。


 これが人種やそれに類するものであれば、魔導書系アイテムを手に入れるなどして魔術について触れることもできただろう。しかし、シドのような精神生命体や、ゴブリンやサイクロプスなどの亜人種、悪魔種として登録したプレイヤーにとって魔術というのは『使い物にならない捨て技能』として写ったに違いない。


 そんなこんなで魔術をどうにか独自に体系化できたシドだが、彼の魔術はその苦労の甲斐もあってそれなりに使えるものとなっていた。


 「うちで長距離魔術を使えるやつがそもそも、ヴェーザーぐらいなものだからな」

 「あー、なるなる。ノタもセナもどっちかと言えば防御寄りだからな」


 「あの、そういうくだらない雑談はどうでもいいので、話を先に進めませんか?こっちは随分と待たされているのですが……」


 和気藹々と雑談するが、そんな彼らを咎めたのは、自他共に認める有能文官、セナ・リヴァイアサンだ。事前に用意した今後のプランを記したプリントにしわを寄らせ、大将的な冷たい瞳で二人を睨んでいた。


 あ、やばい、と二人は直感する。このまま雑談を続けているとマジで死にかねない、と本能で察した。


 「お二人の献身に感謝します。では、話を進めましょう。――まず、前提条件として私達は明後日のリドルの出港までプレシアに関してはやれることがありません。また、現在のプレシアの状況も通信受信アイテム、スカーザッツが一部機能していませんので把握することができておりません。


 そこで、私達は内側の掃討に本気で介入するべきだと考えます。こちらを御覧ください」


 そう前フリをして、彼女は十四枚の写真を取り出す。うち半分は議員の顔写真であり、どっかの名簿から持ち出してきたようだ。もう半分はどれも写りが悪く、隠し撮りをしたからだろう、とシドは思った。その中にはこちらの視線に気づいているかのように、瞳を向けている写真もあった。


 写りが悪い写真に映っていたのは冒険者だな、と思わせる乱雑かつアイテムに身をつつんだ男女だ。しかもそのどれもが幻想級ファンタズマと呼ばれるソレイユ内でも二番目に等級が高いレア装備ばかり。ひと目見て彼らが場馴れした、少なくともレベル100を超えたニンゲンであることがわかる。


 「で、これは?」

 「片方が反政権派の議員、もう片方が冒険者の写真です」

 きちんと区分けして、セナは写真を一枚一枚、ペアになるように並べていった。


 「彼らは4日前、ファウスト・クロイツァーのヴィーゴル議員の依頼のもと、ファウスト・クロイツァー総裁、キュースリー議員を始めとした7名の反政権派議員の護衛として雇われた連中です。


 調べてみたところ、かなり実績のあるギルドに所属しているようで、チュートン騎士団というそうです。ギルドマスターは、ヘルマン・フォン・ザルツァ……改名していますね、チュートン騎士団の元ネタも考えると。


 職業はナイト系、というところまでしかわかりませんでしたが、まぁ多分最上位職にはいるでしょう。なにせレベルは143ですから」


 ひゅー、とアルヴィースから口笛が飛ぶ。レベル143ともなれば合計43回の鬼畜条件をクリアしたことになる。練度は相当なものになるに違いない。加えて幻想級の武器を持っているとなればレベルは145相当だろう。とんでもないのを反政権派は味方に加えたな、と密かに関心してしまう。


 「彼はキュースリー議員の護衛として着任したようです。他、各議員に一人ずつ、計七名が常にぴったりと議員に同行しています。レベルは全員は把握できませんでしたが、まぁそんなの関係なしに強いのは確実でしょうね。なにせ数多くのレイドボスを屠っていますし」


 「今そいつらを雇ったってのはなんでかなー?暗殺への警戒とか?」


 「ノタ、その可能性は高いかもね。でも、もっと突き詰めて考えると、そこのボンクラの暗殺って線もあるかも。レベルでは正確な力量は測れないけど、少なくとも弱くはないでしょうしね」


 ノタに対してはいっつもタメ口だよなー、とは言わない。元々ノタはセナをしたってシドがギルドマスターをしていたギルドに加入した経緯があるため、彼女らの間に上下関係はない。


 そんなことよりも、とシドは古きを思い出すをやめ、眼前の脅威について対策を練り始める。


 「とりあえず内応者が釣れた、と思ってオーケー?」

 「ええ、まさかこうも鮮やかに釣れるとは思いませんでしたが……」


 事前にシドが蛮勇演説で内応者を釣る、と伝えておいたせいか、セナはしてやったり顔で笑みを浮かべた。月下の芙蓉がごとき美しい笑みがが、彼女が笑うとどうも湖面の月の青白さを連想させ、身の毛がよだつのをシドは感じた。


 「釣りっていうのはリドルに言ってたアレか?けど、なんで内応なんてする?スパイってわけじゃないだろ?」


 「リドルにも説明したけど、俺らに対抗する力がほしいんじゃないか、と俺は思ってる。ま、今だとその力を得たい理由は国家安寧のためだったんじゃないか、と思ってすらいるがな」


 「あー、つまりあたしらが国家のガンになったときに、止められる力が欲しかったよ~っていう話?それでも……」


 ノタの言わんとする事を察せられないこの場のニンゲンではない。国家を守るために他国を招き寄せるのは本末転倒じゃないか、という話だ。実際は利用している、と内応者本人は考えているのかもしれないが、その実は愛国心を利用されている、というオチ。黒幕以外の誰も得をしないバッドエンドだ。


 「で、その内応者っていうのは?」

 「ええ、流れからすれば確実にヴィーゴル議員……でしょうが……」


 歯切れ悪く、セナは言いよどむ。彼女とてシドに付き添っている以上、少なからずヴィーゴル議員と接触したことはあった。男爵髭の恰幅のいい中年男性で、いつも胸元に宝石のペンダントを付けているちょっとリッチな風体の人物だ。最初こそプレイヤー嫌いなのだと思ったが、個人として話してみる分には非常に共感できる思想の持ち主でもある。


 自分の上司というか同僚が性格最悪フリスキーな分、彼の持つ烈火の如き感情、金剛石を思わせるメンタル、常に先を見通す未来視の如き智謀は巻き舌ものだ。そんな彼が、国家を裏切るような行為をするだろうか、とセナは逡巡する。


 ない話ではない。だが、熱烈な愛国者であり、勇名轟くあのヴィーゴル議員が果たしてリストグラキウスと内応するか、それは大いなる疑問だった。


 「……セナ。俺はヴィーゴル議員ではないと思う」

 「あん?どーしたよシド。今の状況から見りゃ、明らかヴィーゴルのデブおやじじゃないか。こいつが雇ったんだろ、チュートン騎士団を」


 だが、セナがその疑問を口にする前にシドが動いた。彼の全否定の一言に、アルヴィースは疑問を口にせずにはいられなかった。


 「まず、前提条件を定めよう。ヴィーゴル議員が内応者である、とする場合彼が行う行動はなんだ?……はい、ノタ」


 「んー?まーそーねー、反政権派の議員に接触して国民議会をスクランブルエッグにすっかなー。場をこんらんさせて、こっちの決定を遅らせる。ぎゅーほでも欠席でもがいとー演説でもなんでもすんだろーねー。でも、これはあくまで国民議会が意思決定をしてなかったらのはーなし。


 意思決定しちゃったら、もーできんのはチンケな小細工くらいじゃね?私兵を使ってあんさつーとか?」


 まぁ、そうだな、とシドはノタに10ポイントくれてやった。ポイントでなにをもらえんのー、とノタが聞くと国務省の食堂のコーヒーあげるよ、とシドは答えた。タダだが。


 「つまり、ヴィーゴルがやっていることは一応当てはまるって話じゃねーか。野郎は私兵としてチュートン騎士団を雇っただろ?」


 「ああ、七人。ただし、分散させてな」

 「はぁ?……いや、うん。なるほどな。そりゃ妙だな」


 アルヴィースの表情が変わったのを見て、シドは自分の言わんとする事が伝わったとホッと息をついた。さらにシドは話を続ける。


 「一応認識の相違がないように説明するけど、わざわざ自分で雇った戦力を自分でバラけさせるか?仮にも俺を殺す、と考えているかもしれない連中がさ。――となると、ヴィーゴル議員様は内応者ではないんじゃないか、と考える、と思う」


 「ああ、まぁな。普通はそうだろぉよ。だが、そうなるとこう考えるのが妥当ってなもんだ。『じゃぁ、黒幕誰?』ってよぉ」


 アルヴィースは大股で立ち上がると、セナを押しのけ、シドの机をバンと叩いた。別に心情をたぎらせているわけではない。ただ、余計な可能性を提示したんだから、もちろん納得のいく答えを用意しているんだろうな、という確認のため敢えて強気な態度で望んでいるにすぎない。


 「黒幕、ね。陳腐な言葉だが、たしかにそういうものが存在しないわけがないよな。そこで、だ。まずは新しく前提条件を考えようじゃないか。そう、この今の状況は果たして黒幕の想定通りなのかどうか、だ」


 「なに?」

 「つまり今の、議員一人に護衛一人のじょーきょーが黒幕ちゃんの思惑通りかってこと?」


 ソファーでだべりながらも、しっかり聞いていたノタにシドは頷いた。そう、つまり現在進行系で黒幕、内応者の思惑通りにことが運んでいた場合、自分達は全く予期していない位置から強烈なストレートを食らう可能性がある、ということだ。


 本来なら、各省庁の長官はおろか、州知事もあつめた連邦会議で討議すべき内容だが、そう何度も連邦会議を発動できるほど、各州知事達は暇ではない。ついこの間も結局全員を集めることができず、会議を行えなかったばかりだ。


 「でもさー、シドちゃんが言っているのってただの妄想もいいところだよね?ひょっとしたらヴィーゴルちゃんが黒幕かもしれんよ?別の目的があって自分の雇った護衛をバラけさせたのかも」


 「ノタの言うことも一理あんな、ただ短絡的にお前の暗殺ってなぁ、ちょっと安直すぎる。もっと別の目的があるかもしれねー」


 けどなぁ、とシドは二人に反論されつつも、脳みそをひねった。現状ヴィーゴル議員が真っ黒なのは間違いない。凄腕の護衛を雇ったのは彼だし、こちらと事を構える、と考えることになんら違和感はない。


 また、ヴィーゴル議員は反政権派の急先鋒であるということも眼前の二人のヴィーゴル議員への疑念を加速させていた。逆を言えば、今この場でヴィーゴル議員を真っ先に締め上げないシドやセナというのはかなり”お人好し”と捉えられなくもない。


 「……一応、他の議員についても教えてくれる?」


 「え、……はい。――まずはキュースリー議員ですが、調査を始めてよりほとんど動きはありません。他の反政権派や同じ政党の議員と会談や会食をすることはあっても、特にあやしい人物と接触した痕跡はありません。無論、チュートン騎士団の面々とも今回の護衛までは面識はないでしょう。次は……」


 それから数分、セナの口から調査結果を簡潔にまとめた各議員のここ最近の動向がつらつらと読み上げられる。まるでホクリン一帯のすべてを監視下に置いているような彼女の報告は、神経を凍らせるのに申し分ない。


 彼女がここまで各議員について詳しく調べられたのは間違いなく、彼女の吸血鬼としてのスキルに依るものが大きい。


 吸血鬼のスキルの一つに血を媒介として眷属を作る、というものがある。これはスキルレベルが1〜3の状態で噛んだ対象を吸血鬼化できる、というなかなかに強力なスキルだが、吸血鬼の真祖にまで上り詰めた彼女にとって、噛む対象すら必要ない。


 彼女が空気に自分の血を空気に垂らすだけで無限にレベル1〜3の小動物の眷属が湧き上がるからだ。そのすべてと彼女は知覚を共有でき、ヤシュニナをくまなく見渡すことができる。


 一見すれば有用この上ないスキルのように見えるが、当然リスクも存在する。まず、生成された眷属は防寒具もなくレベル1〜3の状態でホクリンの都市へと放たれるわけだから、フィールドエフェクトによるダメージを負う羽目になる。


 人種程度の大きさならば防寒具なしで外に出てもある程度は耐えられるが、小動物――虫や鳥――などではホクリンの春はあまりにつらい。ゆえに相当数が放たれて十分もせずに消滅する。


 さらに、知覚すべてを共有できると言っても、彼女の情報処理能力には限度があるので、見知ったすべてを記せるわけではない。今彼女がつらつらと読み上げているのはほんのわずかな重要そうな切り抜きに過ぎず、全体像ではないということだ。


 だからか、広範囲の索敵能力があるにもかかわらず、随分と時間がかかったな、と彼女は感じていた。あと、報告はしないが、各議員に潜伏させて数日ですべての眷属が護衛の冒険者に殺されてしまっていた。


 「……つまり、キートン議員もまたチュートン騎士団と会った、という記録はありません。一応ギルド本部にも確認しましたが、そんな記録はない、と」


 「よく見せたな……。守秘義務がー、とか言われなかったん?」

 「首筋に犬歯あてて、屍人グール化させるぞって脅したら笑って出してくれましたよ?」


 やっぱ脅したのか、と三人は苦笑した。眼前の麗人はどちらかと言えば武闘派気質なところがあるからなきしにもあらず、とは思っていたがいざやりました、と告白された時は反応に困ってしまう。


 とはいえ、おかげで有用な情報を得られたのだからここは彼女の功績を賞賛するべきだろう、と各々賛辞を送った。


 「さて、情報は出揃ったな。さてこっから犯人探しを……」

 「――失礼します、シド国務長官!!」

 「あ……?」


 突然開け放たれたドアに四人のレベル150のプレイヤーの鋭い視線が突き刺さる。別に殺気など込めていないのに、扉から飛び出してきた職員は短く悲鳴を漏らした。だが、すぐに正気に戻るとやや慌て気味にシドに、


 「大変です!プレシアが……!」

 「どうした……。いや、それより通信回復したのか?」

 「はい、ついさっき。そして……」


 入ってきた職員は自分からこれから言う言葉が信じられない、とばかりに喉を鳴らした。言いよどんだ彼を見て、シドはまさかプレシアが落ちたのか、と思った。まさかとは思いつつもここまでの慌てようは尋常じゃない。


 きっと……


 「報告します!本日、4月22日、プレシアの第一、第二砦正面に突如として熾天使セラフ級天使が二体出現、第一砦と第二砦は沈黙しました!」


 「熾天使級!?おい、なんだそれは……!」

 「私にはわかりかねます!」


 報告した職員はそれだけを言うと、糸が切れたマリオネットがごとく、その場に崩れ落ちた。濁流のごとき汗が流れ落ち、彼がよほど慌てて今口にした情報を持ってきたことが伺える。


 だが、今シドにはそんな彼の努力などどうでも良かった。


 熾天使級。最上位レイドダンジョンでしか出現しない最上位モンスターの一角。下手なボスモンスターよりも強く、並のレベル150のプレイヤーであっても最低でも幻想級の装備一式がなければまともに勝負することすらできない化物だ。

 それが二体。


 熾天使級のもっとも厄介な点は防御力完全無効化スキル、という頭の悪そうな名称のスキルだ。ソレイユ内にあまたあるスキルの中では最上位のものであり、最下位のレベル1であっても幻想級装備でギリギリスキルに耐えられるかどうか、という凶悪なスキル。それが最上位であるレベル10で標準搭載されているのだから、ほぼすべての防御手段は意味をなさない。


 なにより、あのモンスターは最低レベルであっても140だ。ニンゲンと違って、モンスターはレベルが強さに直結すると言ってもいい。その中でレベル140というのは恐ろしいこと以外のなにものでもなかった。


 「シド、多分第一、第二砦の連中は……」

 「ああ、死んだろうな。あのモンスターの前じゃ防壁なんて意味がない。中央は元がダンジョンだから通用しないだろうが……。クソ、連中アーレス以外にもこんな手があったのか」


 「だが、なぜいまさら?」

 「さぁな。切り札を最後までとっといたってことなのか?」


 疑問はいくらでも浮かんでくる。だが、その解決をするには時間が少なかった。すぐにシド達は行動に移った。通信が回復した、という職員の話を信じるならば、通信はできるはずだ。


 すぐにシドは国務長官としての職権をフルで使って国務省、国土交通省、など各省庁へ状況の真偽の究明のため、得られるだけの情報を得ようと通信アイテムにつばをとばしまくった。


 そして、そんな彼らをあざ笑うが如く、静かに凶刃が振り下ろされた。


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