第19話 二つの道

 仙女ソルモンは覚悟を決めた。

 その証として、まずはその艶やかな黒髪を剃り落した。


「し、師匠!?」

「止めないで。これはいつもの発作じゃないの。

 貴方に、最高の教えを授ける為の通過儀礼です」


 悟りモード。

 仙女ソルモンは男性恐怖症のあまり、女の命とも言える髪を剃り上げる事で、性別を超越したかの様に覚醒へと至る。

 いつもは只々男への恐怖から逃げ出したいが為に髪を下すのだが、今回ばかりはそうでは無い。


「グノウとの約束は破りますが、彼も許してくれましょう」


 すでにつるんと光り輝く彼女は、完全覚醒を果たしていた。

 今のソルモンは、全ての仙術を最高の状態で発揮できる。

 彼女は宙へと浮かぶと、座禅を組み瞑想した。

 すると背に後光が差し、足下に大きな蓮華の花が咲いた。


「タクマよ。

 貴方には、二つの道があります」

「ふたつの道……」

「一つは、今すぐ失った利き手を再生させ、匠としての生を全うする道」


 ソルモンが告げるとタクマは驚愕したのか目を見開き、口を開け広げた。


「で、できるんですかいッ!!?」

「できます。

 しかしその場合、貴方は仙道を極める道を断たれるでしょう。

 わたくしの仙気で腕を再生する為、貴方の気脈が閉じてしまう為です。

 もう一つは、隻腕のまま仙術を極める道」


 話をタクマに遮られようと、今のソルモンは動じない。

 髪のある彼女なら、プンプンと怒っていたに違いなかった。


「で、できるんで? どっちも?」

「できます。全ては、貴方次第」


 そう告げられ、タクマは思い悩んでいた。

 しばし時が流れたが、それでも答えは出ない様子だった。

 ならばソルモンは、師として導く他はない。


「迷える貴方に、今一度問いましょう。

 タクマよ。

 貴方が隻腕と成り果てたのは、誰のせいですか?」


 聖母の様に問うソルモンに、タクマは渋い顔で間を置き、決心するように答えた。


「オラの、せいです」

「本当に、そう思うのですか?

 グノウのせいだと、彼を罵倒していたではありませんか」


 見透かした様に、柔和でいて鋭く突き返すソルモンに、タクマは申し訳なさそうな顔をした。


「八つ当たりでした!

 グノウの旦那は悪くねェ!!

 だのに! オラは現実を受け入れられねェで!

 旦那の強さに甘えちまった!

 腕を失くしちまったのは! オラが未熟だったせいだ!!」


 涙を堪えるタクマにソルモンは微笑み、続けた。


「シンの事はどう思うのです?

 あの子供の不注意で、貴方は腕を失った」

「あの子は関係ねエ!

 オラが勝手に助けただけでさ!

 鬼なんかに助けられたくねエっつってたのを無理矢理に!」


 タクマの顔に揺らぎは無い。

 千の時を生きた仙女の眼には、彼の嘘偽り無き誠実さが映っていた。


「あの時わたくしは、腕を取り戻せる可能性を示さなかった。

 わたくしへの不信感はありませんか?」

「滅相も無エ!

 あの時のオラがその話を聞いていたら、迷わず匠の道を選んでいやした!

 戦士となる道も、夢も! 諦めていた事でしょう!」


 力強く答えたタクマに、もう迷いは見受けられなかった。


「答えは、出たようですね」

「へえ! 師匠が示してくれた二つの道。

 それはやるか、やらないか。

 戦うのか、逃げるかでしょう?」


 その答えに、ソルモンは満足した。

 やはりタクマには、グノウが見初めた程の素質がある。

 本質を見極める才能が。


「逃げるのは恥じゃねェって言葉。

 あれが真のもう一つの道でしょう?

 師匠は敢て、オラに逃げ道も示してくれた。

 ここまで言われちゃァ、逃げる訳にはいかねェ!!」


 タクマは手の無い腕を前に突き出した。


「仙道を極め! 匠として生きてみせまさ!

 オラはもう! 逃げねェッ!!」


 想像以上の答えだった。

 ソルモンの身体から、仙気が溢れ出す。


「よくぞ応えてくれました。

 我が愛弟子よ。

 貴方に、我が秘術を授けましょう――」


 そう言うと、ソルモンは自らの膨大な仙気を放出し、タクマを包み込んだ。

 するとタクマの体は力を失い、崩れ落ちた。


『お、オラは何を?』


 戸惑う弟子に、師は思念で語り掛けた。


『今、貴方の精神と肉体を切り離しました。

 このまま放置すれば、貴方の肉体は死を迎えるでしょう。

 その前に、貴方は何としてでも己の肉体に戻りなさい』


 それが修行だと、タクマにも理解はできた様だった。

 だがこれは、命に係わる荒行の一つだった。

 如何に天賦があろうとも、その多くは元に戻れずその命を絶ってきた。

 万が一の時は、ソルモンの更なる秘術により助けるつもりだが、それは言わない方がいい。

 死を感じ取った時こそ、その命は本来の輝きを魅せる。


『無我の境地って訳ですかい?

 わかりやした!

 命を捨てたつもりで戻ってみせやす!』

『喝っ!

 そんな心境では到底肉体に戻る事など叶いません!

 ただ我武者羅に! 己の肉体を欲しなさい!

 失った腕を! 誇りを! 求めるままに!

 妄執、我欲さえも糧として!!』


 般若の如き形相で、ソルモンは叱咤した。

 タクマは精神体であるにもかかわらず、血の気が失せた様に必死で師の言いつけ通りに思い直した。


『足りない! 足りない! 足りない!!

 貴方の怒りは!? 憎しみは!? 絶望は!?

 こんなものですか!?

 今まで鬱々と生きてきた人生の鬱屈は!

 この程度だというのですかっ!?

 思い出しなさい! 屈辱の日々をっ!

 叫びなさい! 溜め込んだ鬱積をっ!!』


 怒りの顔が二つに割れ、悲しみの顔を覗かせる恐ろしい異形となったソルモンは、タクマの記憶をフラッシュバックさせた。

 術により髪がなびく程に生えそろい、怒髪天をついている。

 タクマは鬼よりも恐ろしい師の威容に臆したが、師の見せた走馬灯により感情を爆発させた。

 耐え難き屈辱の日々。

 己を貶める自分自身。

 その怒りは全て、弱い己に対する憤り。

 魂が破裂する――。

 タクマは声にならない叫びを上げた。

 その魂の示すところは、弱い己の死。

 ソルモンには、そう聞こえていた。


「生まれ直した気分はどう?

 我が愛弟子よ」

『……し、しょう?』


 タクマが意識を取り戻したのを見て、ソルモンは安堵した。

 数多いた弟子の中で最も手助けをしてしまったが、最高の気分だった。


『……動けねェです』

「でしょうね」

『で、でしょうねって……』


 言われてタクマは、己がまだ思念で会話している事に気付いた様である。

 彼の精神は見事肉体に戻れはしたが、その身体は身じろぎはおろか声を発する事さえ出来ないでいた。


「さて、次の修行よ。

 その動かぬ肉体を動かしてみなさい――」

『そんな!?

 ……どうやって?』

「それは自分で考えなさい。

 それが、修行よ」

『そんな無茶なッ!』

「そう、無茶な修行をしているの。

 早くしないと餓死するだろうから、頑張んなさい」


 そう言うと、ソルモンは立ち去ろうとしていた。


『ちょ! 待って下せェ!!

 どこに行っちまうんでさァッ!?』

「ちょっとグノウを見に」

『師匠ッ!!』


 ソルモンは心を鬼にして悲鳴にも似た思念を無視して立ち去った。

 『悟りモードが解けた途端にこれだよ! あの阿婆擦れ!』という思念は聞き捨てならなかったが、これも弟子の為を思い我慢して聞かなかった事にした。

 師とは辛いものである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る